4月7日19時 人を脅さば

 ついに女の自白を得ることに成功した。

 この女――「代谷ナギ」は、「代谷神社」の巫女で、「洛流神社」の神だった。そして、明治28年の春、父「代谷敬治」に殺害された人物だ。殺害の目的は「洛流神社」併合による「代谷神社」の規模拡大で、この神社には今も「代谷ナギ」の遺髪が祀られている。

 これまでの道のりを思い返す。……あれもこれも、全て図書館のおかげだ。ありがとう、図書館。フォーエバー、図書館。

 ちなみに、先程女に言って聞かせた図書館の話には嘘が混じっている。半分ハッタリだ。

 実際に、札幌市中央図書館には令和6年時点で90万冊以上の蔵書がある。紙の本以外も全部込々でこの数字だ。あの立派な佇まいに見合うだけの立派な数字を持っている。

 そして、別館との「相互貸借」――道外を含む図書館同士での資料の貸し借りもしている。なんなら日本最大の図書館である国立国会図書館の「複写サービス」を利用すれば、間に地方図書館を挟まずとも資料のコピーを郵送してもらうことができる。現代の図書館のおかげで、いろいろな情報にアクセスしやすくなっているのは確かなことだろう。

 しかし、いくら知の殿堂たる図書館と言えど、「この世のすべての情報がある」とか「現代において知ることができないものはない」というのは流石に誇張しすぎだ。泡沫神社の古い記録も多分ない。……いや、図書館はそういう貴重書や郷土資料の収集・保存に熱心なので、探せばあるかもしれない。ただ、私にはこれ以上の調査をする気力がない。

 こんなブラフをかましたのには訳がある。

 これまで私は図書館のサービスを中心に調査を進めてきた。彼女自身の誘導もあったにせよ、それは彼女の予想を超えた目覚ましい進撃だったはずだ。明治生まれの「代谷ナギ」が現代の図書館の力を過大評価してくれればと、祈りを込めて嘘をついたのだ。わざわざたくさん本を借り、コピーまでしてここに並べているのも、その嘘を補強するためだ。実物があれば説得力は段違いになる。

 そして、結果は御覧の通りである。私は――いや、図書館は彼女の首肯を引き出した。

「大丈夫。このことを誰かに話したりしません。忘れてあげてもいい。だからあなたも私から離れ、元居た場所へお帰りください」

 交換条件を突きつける。これは脅しだ。「どこぞへと消えなければ貴様の秘密を広めてやる」という、脅迫の裏返しである。

 女は首を横に振り、そして私を指さした。

「いや、だから、どっか行ってくれれば私もそのうち忘れるし、誰にも話しませんって」

 女は再度首を横に振った。その瞳は伏せられており、意図が読めない。

「……あの、これ使ってくれませんか。もう情報を制限する意味もないでしょう?」

 私はモニタ上に「こっくりさん」の表を出し、女へ提案した。

 女は顎に手を当てて少しだけ考え、そして指先で五十音表をなぞり始めた。

 私はその指の示す文字をキーボードで追いかけ、PC上のメモ帳に書きつけていく。

 ――それでは安心できない。

「……あれ、普通に現代語ですね。てっきりまた『安心できぬ』とか言われるかと」

 ――覚えた。昔と変わるところもそう多くない。

 女は少しだけ得意げな表情を浮かべ、そう述べた。この3日と少しの間で130年のギャップに適応したらしい。「札幌の女学生」(※22-1)に「英語も堪能でいらして」とあったことを思い出す。語学力が高ければ、130年後の日本語もすぐに習得できるのか。

 コーパスの参照元が私と図書館なので、それなりに落ち着いた口調だ。仮に私がもっとフランクに話しかけていたなら「ヨユーで覚えたわ~。てか、昔っから大体こんな感じじゃん?」とか言い出したのかもしれない。

「そういうものですか。……それで、『安心できない』とはどういうことですか。繰り返しになりますが、あなたがここから立ち去れば、私はこの一連の出来事を忘れます。お約束しますよ」

 ――違う。あなただけが忘れても意味がない。あなたは図書館を使うことで、あんなにも簡単に私の情報を見つけた。そしてあなたは、図書館は誰にでも開かれているとも言った。ならば、余人を以て代へられるだろう。私はあの出来事を誰にも知られたくない。どうにかしろ。

「いや、どうにかって……」

 私は絶句した。この女、図書館を信じすぎている。

 彼女の隠しごとは、万人に開かれた図書館の崇高なる精神によって、私の動向に関わらず既に広く周知され得る状態となっていた。実際はそうでもないのだが、彼女の中ではそういうことになってしまった。私が苦労して暴いた幽霊の秘密はその意味を失い、私の乾坤一擲の脅迫は交換条件の不成立により無効化された。そして、再び一方的な要求を突き付けられている。

 誰だ、こんなになるまで図書館の持つパワーを刷り込んだやつは。……私です。反省しています。今後は嘘のない人生を送るので許してほしいです。

「そもそも、100年以上前のことなんて誰も調べませんよ。私だって、あなたが憑いてこなければ見向きもしませんでした。

 それに、私がここまで辿り着けたのはあなたが見えていたからです。物証だって遺髪ぐらいしか残っていませんし、あなたが今後誰にも姿をみせなければ――」

 反論を言い繕うも、自身の失言に気づいて今更口を噤む。……いや、いくらこの異色の経歴を持つ女でも、まさかそんなことを言いはしないだろう。かぶりを振ってその嫌な予感を頭から追い出し、女の様子を窺う。「代谷ナギ」の指は、無情にも滑らかに動き出した。

 ――では、代谷神社にある遺髪を処分せよ。さもなくば三代祟る。

 終わった。うっかり唯一の物証について口を滑らせてしまった結果、私は今、犯罪を強要されている。

「しょ、処分ですか? 勝手に他人ひとの物を? 普通に犯罪ですよ。窃盗とか、器物損壊とか、不法侵入とか……。あっ、神社だから礼拝所不敬罪も。嫌ですよ、警察のお世話になるの。ただでさえ胡乱な無職なんだから」

 ――いくらでもやりようはあるだろう。図書館で調べよ。

 女は2日振り3度目の「調べよ」を繰り出した。

 まずい。私のちょっとした奸計で、彼女にとっての図書館が万能の存在になっている。いかに知の自由を掲げる図書館と言えど、さすがに犯罪指南書は置いていないだろう。

 ……いや、その逆の立場から書かれた犯罪学や法律の本ならあるか。NDCで言えば、3類「社会科学」に置いていそうだ。あとは、おなじみ9類「文学」の棚でミステリとかの犯罪小説を漁ってもいいかもしれない。9類にあるかは微妙なところだが、トリック辞典みたいなものもあるだろう。

 そこまで考えて、首を振る。何を前向きに検討しているんだ。著作者の意図しない使い方を企むのはやめなさい。本が悲しむぞ。

 「……あの、なんで今更私に取り憑いたんですか。これまで130年、誰にも見られずオタネ浜にいたんでしょう。ずっとあそこにいれば、こんな風に藪をつつくこともなかったのに」

 話を逸らすために、その辺から話題を見繕って投げかける。突き付けられた困難からの場当たり的な逃避は、私の十八番である。

 女は少し考えるそぶりを見せた後、五十音表へと指を伸ばした。

 ――それはあのと。

 女はモニタの上を滑らす指をその途中で降ろした。私もそれを追って打鍵する手を止め、訝しげに問う。

「どうしました?」

 ――めんどい。

「『めんどい』って……。これで会話するの、やっぱり面倒くさいですか」

 女は深く頷いた。五十音表から一文字ずつ指し示していくこの会話方法は、ひどく効率が悪い。そこに私のタイピング速度も加算されるので、輪を掛けてテンポがよろしくない。実際のところ、私も面倒くさいと思っている。

 というか、明治時代の人も「めんどい」って言うんだ。スラングをラーニングする機会は無かったよな、と、ここ最近を振り返る。とすると、「めんどい」の歴史は思ったより古いのか。「ヤバい」もその用例を辿れば江戸時代まで遡れるらしいし、そんなものなのかもしれない。

 私の取り留めのない思考をよそに、女は両の掌を合わせてみせた。

「……何を拝んでいるんですか」

 女は少しだけ口角を上げると、彼女自身を指さした。

 意味が分からな――いや、分かった。私は「札幌の女学生」を開き、「飯田ハツ」氏の述懐を黙読する。「『何を拝んでいるの』と訊くと、冗談めかしたように『会長だよ』と返ってきた」……。

 これは、彼女が作ったという「落留会」の食事の儀式だ。

 4月5日に「道産ピリ辛めんみバターのローカルパスタ ~行者ニンニクを添えて~」を食べたときのことを思い出す。合掌して「いただきます」と口にする私を見たとき、彼女は呆けたような表情をしていた。あれは、自身の考案だったはずの「落留会」の儀式との一致が見られたからだろう。オリジナルの所作が130年の時を経ても生き残っていたら、それは放心のひとつもするだろう。

 そして、私が彼女の前で食事の挨拶をしたのは、実はあれが初めてではなかった可能性がある。

 4月4日、私は浜辺で焼きおにぎりを食べた。あの時も、「いただきます」と口に出すまではしなかったが、食前・食後に手を合わせていた。あの時石狩湾の沖にいた彼女は、遠目にその様子を見ていたのではないだろうか。それで、「落留会」に縁のある者が、かつてのように自分を拝みに来たのではないかと勘違いしたのだ。

 理由まではわからないが、彼女は自身と神社を結び付けられ、その裏にあった犯罪の内容が広まることを恐れている。長い間あの何もない海に漂っていたのも、人々の記憶が薄れるのを期待するとともに、無暗に人間と接触してヒントを与えてしまわないようにするためだったのかもしれない。

 そんな中にかつての儀式を知る可能性のある人間が突如現れたら、リスクを冒してでも憑いていこうと思ってもおかしくはない。つまり、彼女が本当に知りたかったことは、「この人間は私のことを知っているのか」だ。それを確かめるために姿を現し、自身にフォーカスを当てて調査の依頼をした。

 であれば、その後の私の様子から「代谷ナギ」や「落留会」、「洛流神社」、「代谷神社」に全く心当たりがないことが分かったとき、彼女の目的は変わっただろう。彼女は「この人間は私のことを知らないが、私の考案した食前の儀式を行っている」と考えた。そこから彼女が次に欲した情報は、「『洛流神社』、あるいはそれを吸収した可能性の高い『代谷神社』はどれだけ力をつけ、そしてどこまで教えを広めたのか」だった。

 これも、4月6日の札幌市中央図書館で答えの断片を得ることとなる。私は「札幌の寺院・神社」(※13-1)に目をやった。この本には、「代谷神社」のことが書いてあった。「洛流神社」は「代谷神社」に併合されていたが、その紙面に占める割合は小さく、札幌において大きな影響力を持つものではないことが明らかだ。

 これを確かめるころには、私の行った食事の挨拶が「代谷ナギ」オリジナルの食前の儀式に由来するものではないことにも気づいていただろう。私は「図書苑」にて普通に外食をしていた。他の人の食事風景を見る機会もあったはずだ。

 この女の行動目的はこのとき達成され、これ以降の調査には否定的な態度を示すようになったのだ。

 と、ここまで飛躍させた発想をそのまま女に聞かせる。

 女はにこりと微笑んで、ひとつだけ頷いた。お前は説明の手間が省けて満足かもしれないが、私は頭を回転させるのにかなりのカロリーを要している。このことを忘れないでほしい。

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