4月7日18時 隠しごと

 「……そうですか。では、次の話題に入りましょう」

 巫女装束の幽霊――かつて神様をやっていた疑惑のある浮遊物「代谷しろやナギ」に向かって、私はそう切り出した。

 この女は嘘をつく。そう簡単に自白が取れるなどとは、もとより思っていない。

 そもそも今の私にとって重要なのは、この女の正体などではない。それはあくまで手段のひとつであり、現在の目的はこの女の不法な住居侵入及び憑き纏い行為をやめさせることだ。故に、この長話は単なる前口上なのだ。……いや、今後話していくものを頭の中で数えてみたが、これまで喋ってきたものより多くなりそうだ。私はさらなる長話の予感に内心頭を抱えた。

「昔話はここまでにして、これからは今の話をします。言っておきますが、私は既に大体の予想をつけているので、自分から話したくなったら早めに教えてくださいね」

 私はそう宣告しながらPCの電源をつけた。Webブラウザを立ち上げて、一時いっとき会話を成功させた実績のあるコミュニケーション手段――例の「こっくりさん」の表を女に見せつける。

 表に一瞥をくれた女はこちらの勧告に対して肯定も否定もしなかったが、かまわず話を進める。

 「まず、あなたは私のことを操ろうとしていましたね」

 「落留会」で会員を操った手法のひとつは、私に対しても行われていた。ここのところ毎食行われていた陰膳かげぜんもどきのことだ。自身が食えずとも食卓を囲ませ、挨拶をさせる。これは「落留会」での成功体験を踏まえてのものだろう。

 繰り返される行動は、それに伴う感情を回帰的に強化する。食事の場ならなおさらだ。ヒトは同じ釜の飯に弱い生き物なのだ。

 これによって「代谷ナギ」を頭に据える「落留会」では彼女に対する肯定的な評価が蓄積されていた。

 私の場合も似たようなものだ。この女に対する警戒は食事の度に低減していった。その結果、北海道神宮では彼女のことを心配したし、今日の昼食でも自発的に食事を分け与えた。知らぬ間に懐柔されていたのだ。思えば、私の孤独の象徴たるもう一人の自分が一時姿を見せなくなったのだって、その表れだったかもしれない。

 「私を操って何をさせたかったのか。ここ最近は調べものばかりでしたから、きっとそれでしょう。では、何を知りたかったのか。……ああ、最初の依頼が嘘だったことは既に分かっています。それ以上嘘を重ねなくても結構ですよ」

 自身を指さす彼女に向かって手を掲げ、その欺瞞行為を制す。

「そう、あなたは嘘をついた。まず、記憶喪失が嘘でした。というか、あなた、そもそも嘘つくの下手じゃないですか。あからさまに行動が矛盾していましたよ。今日だって『依頼は達成された』と言ったそばから私の前に戻ってきたし、一貫性がありません」

 女は不機嫌そうに自身の口へと指を向け、何事かを話すように口を動かした。

 「……ああ、喋れないから仕方がなかったと言いたいんですか。仮に言い繕うのが得意なタイプだった場合、今の状況は手足をもがれたようなものだったのかもしれませんね。

 でも、私はその手段を提供したはずだ。この五十音のひらがな表。これで会話すればよかった。だが、あなたはそれをしなかった。それはなぜか」

 女は口を引き結んでこちらを見つめた。その視線からは何も読み取れない。

「私に必要以上の情報を与えたくなかったからだ。言葉のひとつやふたつでは難しいが、それが積み重なればある程度絞ることができる。方言なら場所が分かるし、そうでなくても年代が分かる。例えば、この「NDL Ngram Viewer」(※11-4)――これも図書館のものなんですが、いつからその言葉が使われ始めたのか、どのくらい使われたのかを知ることができます。こんな風に」

 「NDL Ngram Viewer」を開き、サイト内で使用例として挙げられている「モダンガール/モダンボーイ」を検索して、その発生がそれぞれ1923年、1926年であることを「代谷ナギ」に教える。ちなみに、使用頻度のピークは昭和初期だ。

「と、まあこんな具合にいろいろやって、あなたのことを突き止めました。……ああ、もうお気づきかと思いますが、今朝の札幌観光もその一環です。とはいえ、ほとんどは図書館の力ですね。これまでPCとスマホで使っていたサービスも、大体図書館のものです。あなたの居た時代にも図書館――本を集めた施設はあったかもしれませんが、現代の図書館にはこの世のすべての情報が集まっているんです」

 図書館を褒めちぎってから、小さく息をつく。

「話が逸れましたね。本題に戻りましょう。

 あなたは私を介して何かを調べたかった。しかし、私に提供する情報は出し渋った。何かを隠したかったからだ。

 本や新聞から確かな情報が集まった今、分かることがいくつか増えました。それをもとに考えていきましょう」

 私は指を一本立て、閑話休題を宣言した。

「あなたは、あなたの生きた時代を特定する作業には肯定的な態度を示していた。これはあなたの調べたかったことに合致するからでしょう。

 一方で、自身の名前や出自あたりのパーソナルな部分について、ずっとはぐらかしていた。さらに、当時の新聞記事が発掘されかねないと見るや否や、これまでにないほど強引な手段をもって邪魔しようとしました。それは、あなたの秘密に直接繋がるからです。

 そして、これまでの態度を見るに、あなたの名前や出自自体は秘密ではありません。知られたくないのなら最初から『私の名前を調べろ』などという依頼はしないし、あんなにあっさり認めもしないでしょう。あなたが隠したかった事実は他にある」

 深呼吸を挟み、机の上をちらりと確認する。

「その隠しごとを、これから暴きます」

 そう宣言して、私は「図解巫女」(※10-1)の「No.10 髪留め」を開いた。

 「この本曰く、『長い黒髪は日本文化の誇りとされ、神社巫女には長い黒髪を維持するように望まれることが多い。そのため、髪が短い間は「かもじ」または「垂髪たれがみ」と呼ばれる付け毛(部分鬘)を用いる』のだそうです。このことについては昨日質問しましたが、あなたは記憶喪失を装ってごまかしました。

 しかし、……ああ、借り忘れましたね。ここにはないですが『黒髪と美女の日本史』(※11-3)という本を見たところ、そもそも巫女に限らず明治時代にはあなたのような髪はあり得なかった。社会的に許される土壌ができていなかったのです」

 女は首を振った。そして、自身のもみあげ当たりの髪を摘まんでナイフで切るような動作をした。

「……自分で切った、切ること自体はできたと言いたいようですが、それは違います。あなたはそんなことをしていない。それはこの新聞記事を見ればわかります」

 私は北海日日新聞のコピーの中から一枚選んで指さした。見出しは「たづね人一そく」(※21-1)。明治28年5月5日の3面記事だ。

「これはあなたの捜索願を元に書かれた新聞記事です。あなたが行方不明になった時の状況や服装が書かれています。……今のあなたの髪型については書かれていません。あの時代にはありえない程特徴的な髪型にも関わらず、です。つまり、あなたは最後に目撃された時までは髪を切っていませんでした」

 女は自身の髪から手を離し、こちらを黙ってみていた。私は、その視線の温度を測る術を持たない。よって、何も考えずに論を進める。

「そうなると、ここで疑問が出てきます。

 あなたは行方不明になる前、巫女らしく長髪だった。そして、この後の記事の流れを見るに、そのとき亡くなっていた。しかし、今は短髪で化けて出ている。

 幽霊がどういう性質の存在なのかは知らないですが、少なくともあなたは物が持てません。刃物がなければ自分の髪を切ることはできないでしょう。あなたの後ろ髪には無理に引きちぎられた様子もない。きっと、物理干渉ができた時代に刃物で切られたもののはずだ。

 では、髪はいつ切られたのか。まあ、行方不明になってから亡くなる直前まででしょう。それしか残ってないですからね。そして、あなたは行方不明になる直前も『代谷神社』の巫女として仕事をしていた。表面上は規則に従順だったあなたが、そんなときにバッサリ髪を切るとは思えません。

 ならば誰によって、そしてなぜ髪は切られたのか」

 紙束から2枚の新聞記事を探し出し、机に並べる。

 1995年8月2日の北海日日新聞の2面「代谷神社にて百年祭執り行われる」(※21-6)と、2015年8月2日の2面「代谷神社、百二十年祭」(※21-7)だ。

「これはあなたの所属していた『代谷神社』が周年で行っているお祭りの記事だそうです。小さい記事にも関わらず写真が大きいので文字数が少ないですが、とにかく『百年祭』と『百二十年祭』が行われたらしいです。

 2017年の記事の写真の方が鮮明なので、こちらをよく見てください。社の中に鏡と箱が祀られています。箱の方に何やら文字が書いてあるのが分かるでしょうか」

 女は記事を見ることもなく首を振った。

「そうですか。まあ、この角度と解像度では私にも全部は読めませんけどね。それでも、……ほら、ここです。この部分には「髪」と篆刻されているように見えるでしょう?

 わたしは、この箱こそがあなたのその髪型の理由だと思っています」

 次いで「札幌の寺院・神社」(※13-1)を手に取り、そして「各区の神社と由来」の章の「代谷神社」のページを開いた。

「ここに『代谷神社』のことが書かれています。『10年に一度、8月に帰年祭を執り行う』とあるので、さっきの記事の『百年祭』と『百二十年祭』は、きっとこの『帰年祭』のことでしょう。しかし、神社の創建は『明治5年6月』。創立記念のお祭りにしては、月も年も合いません。つまり、『帰年祭』は神社の創建を祝うものではないということです。

 1995年8月から遡ること100年、そのとき一体何があったのか。西暦で1895年というと聞き覚えがありませんが、和暦に直すと一味違います。明治28年の8月、つまり、あなたの死亡広告が打たれた翌月です。『代谷神社』の神主は、娘の死亡広告を出したその翌月に、新しいお祭り『帰年祭』を始めたようです」

 間髪入れず、そのまま言葉を続ける。

「『娘の遺体を見つけてとち狂った父親が、その遺髪を祀りだした』……。「娘の行衛ゆくえ不明」(※20-9)を見る限り憔悴しきっていたようなので、そういう話もあり得そうです。しかし、そうではありません。あなたの遺体は見つかっていない。そんな記事は出ていませんでしたからね。

 『代谷敬治』は、行方不明になってから亡くなる直前までに切られたであろう娘の髪を持っていた。しかし、彼はその情報を捜索願に載せなかった。そして、遺体も見つかっていないのに3か月で死亡広告を打った。別人の髪、あるいは偽物の毛が祀られている可能性も普通なら考えられますが、今この場では、あなたの髪型がそれを否定します。あなたは実際に髪を切られている。

 当然、遺体が見つかったのなら警察や役所に届け出なければならない。既に明治政府による戸籍管理は始まっている。捜索願だって出していた。後ろめたい事情がなければ正規の手順を踏むべきだ。にもかかわらず、『代谷敬治』はそれをせずに娘の情報を伏せた。それはなぜか」

 私は「札幌の寺院・神社」の紙面に指を乗せた。そこには「明治29年11月に洛流神社の祭神を合祀した」とある。

 「『代谷敬治』は、あなたの『洛流神社』を吸収しようとした。詳しいことはまだ分かりませんが、頭目であるあなたの口を封じ、あなたの髪をかすがいとすることで神社の氏子や崇敬者を増やせると踏んだのではないでしょうか。だから死亡広告を打って、できるだけ多くの『代谷ナギ』の信奉者を集めようとした。そして、ここに書かれている通り、その目論見は現実のものとなった。

 あなたの髪は、神社の規模拡大を狙っていた父親によって切られたのです」

 お前は父親に殺されたんじゃないのか、とは流石に言わなかった。もう言ったも同然ではあるので、あまり意味のない換言だ。

 続けて、指先を「代谷神社」の基礎データに滑らせる。

「もっと言うと、現代の『代谷神社』もその流れの中にあります。

 ここには祭神とご神体について書かれていますが、それぞれ「天照大神」と「鏡」としか書かれていません。こちらの『代谷神社 百二十年の歩み』(※21-8)でも同様の記載です。書籍上、合祀後も『代谷神社』の祭神やご神体は変わっていない。

 世の中にはそういったパターンの合祀も普通にあるようですが、『代谷神社』はそうではありません。新聞記事の写真には明らかに2つのご神体が映っていました。鏡と箱――いや、あなたの遺髪。この2つです。

 おそらく、現代の『代谷神社』の関係者もこのことを知っていて、わざと二つ目のご神体の情報を隠している。どうして10年毎の祭りでご神体を公開しているのかは分かりませんが、……考えられる理由を挙げるとするなら、伝統の維持のためか、惰性か、あるいは『洛流神社』の崇敬者一族へのアピール、ですかね」

 「代谷神社 百二十年の歩み」をパラパラとめくり、現代の「代谷神社」のスタンスを「代谷ナギ」に確かめさせる。

「この本が置かれていた場所は中央図書館の2階『郷土の森』です。昨日あなたはこの本のある本棚の前で考え事をしていて、かつ、それをごまかしました。本当はあの時、この本を見つけていたんじゃないですか。背表紙からはどんな内容が書いているかわからない。それでも、もしかしたら伏せられた真実への手掛かりが載っているかもしれない。そう考えたあなたは、私をあの場から引き離そうとした。違いますか」

 女は肯定も否定も見せずに目を瞑った。

「あなたは『代谷神社』の巫女だったが、道庁を騙すことで『洛流神社』の神も兼任していた。そして、父『代谷敬治』にその立場を利用されて『代谷神社』の礎にされた。

 あなたは、この事実に辿り着かれることを恐れたんじゃないですか。これがあなたの隠していたことなのでは」

 確信を持っているかのように畳みかけるが、実はそうではない。

 「代谷ナギ」が道庁に働いた詐欺か、それとも「代谷敬治」の行った殺人及びその隠蔽か、この女がどちらを隠したいのかが私には判別できなかった。だから、今分かっていることを全部口にした。良いように取ってもらうためである。

 普通に考えれば前者な気がするが、これまでの推論を総合するに、この女は普通ではない。その生きざまも、死にざまも普通ではないし、幽霊になってからの行動だって意味不明だ。怨霊なら怨霊らしく自分を殺した「代谷敬治」か、その系譜にある「代谷神社」に取り憑けばいいのに、何を血迷ったのか人畜無害な一般成人無職に取り憑いている。

 普通でないやつの思惑は、普通の無職には推し量れない。私は詐欺師だったこともなければ、カルトの長だったこともない。身内に殺されたこともないし、化けて出たこともないのだ。

 女は俯くばかりで何も答えない。なんだか居た堪れなくなってきた。止めを刺すか。

 「黙っていてもいいですが、図書館にはおそらく決定的な答えが残ってますよ。明日にでも見つけに行く予定です」

 私は「神道大系 神社編 北海道」(※13-2)のコピーを片手に最後の詰めに入る。

 「昨日一緒に見ていたので分かっていると思いますが、これは江戸幕府の時代から明治までの、神社に関係する古い文書を集めた本の写しです。それぐらいの古いものでも、今は誰でも簡単に手に入れることができるようになっています。日記や書簡、請願書に儀式の記録、工事計画……とにかく全部、図書館に行けば手に入れられます。今ここに持ってきたのは『明治期日記・調書類』の写しですね」

 俯く女の顔の下へ、古文がたっぷり詰まったコピー用紙を差し込んで見せつける。

「これ以外にも似たようなものはたくさんあります。

 中央図書館、覚えていますよね。表に出ている本だけでもかなりの量でしたが、裏にも多くの本があります。全体での蔵書数は90万を超えていたはずです。その気になればもっと大きい図書館に協力を仰ぐこともできます。知ることができないものなんて現代には残っていません。

 あなたの出した『洛流神社』の設立申請や儀式の記録も残っているでしょうし、『代谷神社』の帳簿や、『代谷敬治』が出したであろう合祀申請だってあるでしょう。

 あなたの秘密は、遅かれ早かれ白日の下に晒されてしまいますよ」

 『代谷ナギ』は、私の顔をちらりと見た。それから、机の上に広がった資料群を眼下に収め、そして、小さく頷いた。

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