4月7日18時 この女の正体は

 市電とバスを乗り継ぐ道中で細かい部分の詰めをしつつ、私は自宅へと舞い戻った。手土産は借りてきた7冊の本と抜粋コピー、それから印刷した古新聞たちだ。

 残念ながらと言うべきか、案の定というべきか、兎にも角にも私の城の隅にはあの女――「代谷しろやナギ」が佇んでいた。後ろ手に部屋のドアを閉めると、ゆらりとその瞳が私を捉える。現在の時刻は18時過ぎ。釣瓶が落ち切ったかどうかの瀬戸際で電気もつけずに浮かぶ女は、いかにも幽霊然としていた。そうそう、こういうのでいいんだよ。「急に現れてびっくり!」などという安直な演出だけがホラーだと思っている輩に見せてやりたいところだ。

 最初の夜にはこの女の出現に腰を抜かしていた私だが、今回は冷静に事を迎えられた。彼女がどこかのタイミングで必ず戻ってくると確信していたためだ。彼女は自称幽霊であって、ゾンビではない。ショッキングな姿をしているわけではないし、噛みついてくるわけでもないため、来るのが分かってさえいればそこまでの脅威ではない。

 「ただいま帰りました。……いると思ってましたよ」

 部屋の電気をつけつつ、彼女にそう語り掛ける。「代谷ナギ」は、図書・情報館での一幕を忘れたように、笑顔でこちらに手を振ってきた。こいつ、まさかあのデータベース席での敗北をなかったことにするつもりか。

 そうはいかないと、鞄から資料たちを取り出して机に並べ、畳みかける。まずは「北海日日新聞」明治28年4月29日の2面記事、「娘の行衛ゆくえ不明」(※20-9)だ。

「もう一度確認させてください。あなたは『代谷神社』の巫女『代谷ナギ』さんですね」

 かつての様子とは違って、女はにこやかな表情を保ったまま頷いた。

「この記事によると、明治29年4月21日早朝に行方不明になったとあります。父親――『代谷しろや敬治たかはる』さんが川辺で角巻を見つけて、『川で溺れたのでは』と取り乱していたとも。見兼ねた縁者に促されて捜索願を出したようですが、続報を見るに、あなたはその時お亡くなりになったのでしょう。あなたのご遺体が揚がった記事は見つけられませんでしたが、7月下旬の死亡広告はありました」

 私は「札幌文庫」シリーズの一冊、「札幌の女学生」(※22-1)を開き、該当の記載を示して質問を重ねる。

「話は変わりますが、学生時代に『落留会』という組織を立ち上げ、会長を務めていたらしいですね」

 女は広げた本を一瞥し、屈託ひとつ見せずに頷いた。

「あなたは既存の集団を切り取って新たな組織を作ることに長けていた。『落留会』の場合は、学校から落ちこぼれた生徒を切り取った。ほかにも団体を作っていて、それを『落留会』に統合したと書いてあります。そこでは、様々な手段を弄して周囲の子供たちを手懐け、さらには大人たちまで懐柔しているようでした。はっきりとその方法が描かれているのは、ここですね」

 私はページをひとつ捲り、飯田ハツ氏のお弁当の思い出を指で示す。

「食事の前に会員みんなで手を合わせる。飯田ハツさんが言うように、これは日本では昭和に定着した文化だ。

 おそらくキリスト圏の食前の祈りを参考にしたものでしょう。あなたは昭和の児童教育に先駆けて食事と信仰や帰属意識を結び付けた。繰り返される団体行動は、その組織の結束をより強固にします。飯田さんのように会から離れても、食事の度にその時の思いが揺り戻されたかもしれません」

 図書館から帰りがけに借りてきた「決定版マインド・コントロール」(※24-1)を開き、説明を続ける。この本は、カルトと闘う弁護士の著した「だましの手口」の解説本だ。

 「そのほかの断片的なエピソードからも、典型的なカルトのテクニックが見て取れます。

 『ちょうど一席空きができた』などと言うのは『機会の希少性』を煽る効果があるし、『先生方や近隣の方々の覚えもめでたかった』ことが周知されている状況は、当時の飯田さんのような子供限定でしょうが、『社会的証明』や『権威付け』になる。

 この書かれようを見るに、受けた恩には報いなければならないと考えてしまう『返報性の原理』や、一度とった行動や立場――この場合は『落留会』に所属したり、あなたの助言に従ったりでしょうね――それを続けたいと考えてしまう『コミットメントと一貫性』あたりも効いていそうだ。

 このように、他人の精神に影響を与えて恣意的に動かす手法。現代ではこれに名前がついています。その名も『マインド・コントロール』。

 明治ではどうだったか知りませんが、ここ30年ほどの日本では大きな問題が何度も表に出ています」

 私は「決定版マインド・コントロール」に書かれている「だましの手口」の名前を丁寧に見せつけ、そして閉じた。「代谷ナギ」は依然として柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ている。

 「ところで、あなたには『代谷神社』の巫女と『落留会』の会長以外にも肩書がありますね」

 私は「札幌の寺院・神社」(※13-1)の「代谷神社」のページを開き、その備考欄を彼女に示す。

「ここに『明治29年11月に洛流神社の祭神を合祀した』とあります。あなたは、この『洛流神社』の首魁でもあったのではないですか」

 女の眉がぴくりと動く。ここは証拠が足りないので半分当てずっぽうだったが、その顔を見るに運よくヒットしたらしい。

 「札幌の寺院・神社」を手繰り、攻め手を繋ぐ。

「また少し話が変わりますが、ここに『巫女禁断令』の記載があります。昨日もお見せしたものですが、そのときあなたは『巫女装束を着ていて舞もできるから、私は巫女なのだ』と主張しましたね」

 補足のために、私は「図解巫女」(※10-1)の「No.029 巫女神楽」を開く。

「ここにもう少し詳しい話が載っています。『明治6年(西暦1873年)、明治維新に伴う王政復古体制は、神道の国家統制に及び、託宣儀礼の排除のため、「梓・市子等ノ所業禁止」令に至る。これは民間信仰に結びつきやすい託宣巫女を国家宗教施設となった神社から排除するものであるが、その結果、各地の神社に伝わっていた巫女舞まで一斉に弾圧された』のだそうです。つまり、あなたの生まれ育った時代、踊る巫女は、巫女ではありませんでした」

 私は「女性神職の近代」(※23-1)の「第4章 四、「婦人祠官」の登用をめぐって」を開き、続ける。

「ここに、明治時代の女性神職や巫女の扱いがまとめられています。

 明治七年、当時の立法機関である左院は『婦人へ独立の職掌を任ずることは、事理不相当である』『郷社祠官は官人である』『祠官は元々男子が務めるべきあるもので、女子が必ず務めるべきものではない』として、山梨県の婦人の神職登用の申し出を却下したとか。

 県の参事の申し立てから、教部省、式部省を通した左院法制課の決済文書までが丁寧に引用されています。要するに、神職も公職だから女性は許可しないということらしいです。この思想は地方においても相当の実効力があったようですね」

 再び「札幌の寺院・神社」、それから「札幌の女学生」に戻り、論を紡ぐ。

「政府は民間信仰や女性神職の登用を厳しく取り締まった。その一方で、ここにあるように、国力増進に利する神社を増やす動きは盛んだったとあります。何かしらの功績のある人を神にすることも多かったとも。

 当時の北海道庁の審査は緩く、申請さえすればどんな粗末な社でも受け入れられる傾向にありました。神社設立の裁量権は道庁にあったようです。

 しかし、山梨県の女性神職登用の申し出の例を見るに、神職の任官についての裁量権は地方の省庁になかった。いくら北海道庁がおおらかでも、無い袖は振れません。あなたは生まれたときから巫女にはなれないことが決まっていたはずだ。

 それでも、あなたは巫女神楽を習得している。独学で、ということはないでしょうから、きっとご両親から教わったものでしょう。あなたは神職としての巫女になるよう親から教育されていたが、その一方で神職につくことを国に禁じられていた」

 ひとつ呼吸を挟んで、浮かび上がった連想を吐き出す。

「これは思い付きなのですが、あなた、もしかして『洛流神社』で神様をやっていたのではありませんか」

 女の反応を窺うも、今度は何も見て取れるものはない。その一文字に結ばれた唇を一瞥し、次の言葉を紡いでいく。

「『これ修身の教科書を使えば、大人だって使うことができる』。かつてあなたが飯田ハツさんに贈った言葉です。

 このあたりのお話を聞く限りあなたは反体制的な思想の持主でしたが、しかし、その振る舞いは体制側の定める行動様式と表面上矛盾しないものでした。むしろあなたは積極的にルールに沿って動いて見せることで、同じ世界観を持つ人々の懐柔を企むような人間だった。

 体制側からの圧力を避けるため、逆に体制側の鑑のように振る舞う。『洛流神社』もその一環だったのではないですか。この場合の圧力は……まあ、順当に考えれば、親でしょう」

 他人の親のことを「圧力」呼ばわりするのは失礼にあたるだろうか、という考えが過ぎって流石に口が重くなる。目の前に浮かぶ女の表情を窺うも、相変わらずの薄笑いだ。気にしてないように見えるが、その本心は分からない。残念ながら、無職は人の表情を読み慣れていない。できないものに拘泥しても仕方がないので、切り替えていこう。

 よく考えてみると、これまでもこれからも失礼祭りだ。なにせ、私はこの女に脅しを掛けようとしている。今更気にするだけ無駄である。

 「親は神職になれというが、それを申請すると国が出てきて却下される時代だった。ならば、比較的宗教に寛容だった北海道内で話をまとめるしかない。だからあなたは、道庁が裁量権を持つ神社の設立手続きに着目した。

 明治政府が打ち出す神社像の中にいた女性は、アマテラスのような女神だけですからね。もうあなたに許された席は『神』しかなかった。道庁を騙してあなた自身を神とする神社を建てれば、国に目くじらを立てられずに親の世界観の中での地位が得られ、黙らせることができる。新聞記事では、あなたは行方不明になった当日まで『代谷神社』の巫女として働いていました。まだ父にこのことを打ち明けていなかったか、あるいは既に打ち明けていて、神職としての巫女ではなく、単なる家事手伝いとしての巫女にスライドした後だったのかもしれません。

 人を神にすることは昔からあったらしいですが、特に明治時代からそれが増えたと『札幌の寺院・神社』には書いてありました。若い巡査が神として祀られた例もあるそうです。突飛な発想ではありますが、不可能だったとは思いません」

 私は「札幌の女学生」を撫でながら、さらに口を動かす。

「あなたは『赤煉瓦』――きっと北海道庁の職員でしょう――と交渉事をしていたと、この本には書かれています。それまでやってきたように道庁職員を直接コントロールしに行ったのか、立場ある人間――例えば飯田ハツさんの父親や兄のような方を代理に立てたのかは分かりませんが、ともあれ、あなたは道庁に働きかけていた。

 その交渉事が『洛流神社』の設立だったと私は思っています。雨後の筍のように神社が乱立した明治中期の札幌なら、混乱に乗じてダミー神社の設立申請を通すこともできたはずだ。

 飯田さんは『落留会』について『別の字を当ててもっと見栄えのいい名前に改めようかという話もあった』とも言っていますから、きっとあなたは神社設立の際にそれを採用したのでしょう。

 自分に心酔している『落留会』の会員やその親族を『洛流神社』の氏子として登録して、民意を盾に申請を通したのではないですか」

 長々とした話を区切り、部屋の片隅に浮かぶ女へ問う。

 女は特に何の感情も見せないまま、首を横に振った。

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