第2話 ネスト
入って来た少女はフォルと同年配だろうか。
鋭い目つき、白い肌。真っ黒い革のスーツを着込んでいる。首元、指、前腕からは刻み込まれた無数の刺青が覗いていた。右手には顔面を殴り潰され、意識を失くした男の頭髪を掴んで引きずっている。
身にまとう雰囲気は軍人に向かないタイプだが、相当にやる。
それに……
フォルは思いながら粥を口に運んだ。
少女は掴んでいる頭髪を離すと、背後から細紐を掲げて怒鳴る。
「貴様ら、大人しく縄に着け。貴様らの企てた強盗は失敗したんだ。これ以上罪を重ねるんじゃない!」
なかなかに迫力のある宣言だとフォルは感心する。声も通るし、眼つきもいい。
肝が小さければ思わず委縮してしまうだろう。
「お客さん、動かないでね。ありゃこの辺の治安維持を受け持つ人だから」
店主がこっそりと囁く。
それなら、迷うこともない。押し込んで来た兵隊崩れの方が悪党だ。このうやむやで飯代がタダになったりしないかな。フォルがそんなことを考えているうちに兵隊崩れの獣人が少女に突っかけた。
獣人特有のしなやかさとバネは人間のそれを瞬間的に大きく上回る。
しかし、そんな獣人が掴みかかろうと伸ばした腕は中空を虚しく掴んでおり、代わりに細紐が巻かれて保護された少女の拳が獣人の上顎を打ち砕いていた。
「チッ!」
無精ひげを伸ばした、垢じみた男が懐から軍用の折り畳みナイフを取り出すと前進する。
折り畳みナイフは、ちょっとした紐などを切断するための道具であり、対人戦に用いるようには出来ていない。刺し難いし、刃は細くて短い。力の加わり方によっては折り畳み機構の部分から簡単に折れてしまう。
それでも、刺さりどころが悪ければ死ぬだろうし、切れ味が悪いとはいえ人間の薄い皮膚くらいは切断する。
それも少女は落ち着いて対処し、刺し出された刃先を受け流しながら分厚いブーツの爪先を男の下腹部に叩きこんだ。
嫌な音が響く。男は泡をふきながら倒れ、動かなくなった。
かなり強いな。
フォルは思った。
技は精確。攻撃には容赦がない。何より、精神が落ち着いている。
いかに体を鍛えようと、鉄火場で沸騰する人間の脳みそは、たやすく身体機能を低下させる。
だが、こういった荒っぽい交渉事を日常とする者なら慌てなくなるかもしれない。
そうして、目の前の女は間違いなく、そういった日常に棲んでいる類いの生き物であった。
だが同時に、少女が向き合う兵隊崩れたちも、フォルと共に生き死にの近くで寝起きしていたのだ。
皮肉にも、少女が強いた出血の鉄臭さが戦場での記憶を思い起こさせたのだろう。
慣れない街や法治地帯で浮足立ったまま落ちぶれた連中の腹を座らせ、眼つきをかつての戦場に戻していく。
残った二人の内、一人が腰から大振りのナイフを取り出す。
こちらは純然たる、戦闘用ナイフだ。
鋭い上に重く、やり方次第では衣服ごと手首を切断することも出来るし、少し慣れれば肋骨ごと内臓も押し切れる。
そうして、先頭切って走りこんで来た包丁を持った男。
ここからは少女の腕がいかに立とうとも、無傷では済むまい。
一人でやるのなら。
フォルはズイッと進み、追跡者を睨んでこちらに気づかない包丁男との距離を詰めた。
そうして声も掛けずに膝裏を蹴ると、男は驚いた表情のままバランスを崩す。男の顔面に粥が入った器を叩きつけると、思考が奪われたのだろう。咄嗟の反応が出来ない男の首に遠慮なく匙を突き刺した。
眼球をグルン、と回して男は床に倒れ伏す。地面につけた口からはだらしなく涎が零れている。
背後での騒音と仲間の昏倒に目を奪われたナイフの男は、その隙を逃がさなかった少女の立関節技により、あっという間に制圧されていた。
そちらも相手にしてやろうと思っていたフォルは、勢いが空回って口笛を吹く。
しかし、武器を持って乱入してきた四人はあっという間に倒れている。
一人はフォルが手を出したとはいえ、登場時に引きずって来た男も数えれば一人で四人を一方的に倒してのけたのだ。
異常な腕前である。
が、売れるものは売っておかなければ、フォルも飢えてしまう。
「ほら、お嬢さん。アンタ、刃物持ったゴロツキ相手に正面からやるのは危ないよ」
倒した男の手から包丁を蹴り飛ばしながらフォルは言った。
「余計なお世話だ。どけ」
少女は眉間に皺を寄せてフォルを押しやる。
そうして背後から細い紐を取り出すと、倒した者たちの手を後ろに回して縛り始めた。
「ほら、言っただろ?」
店主が苦笑しながらぼやく。どうやら先ほどの制止はフォルの身を案じてのものではなかったらしい。下手なことをして、この女を怒らせないでくれという意味なのだろう。
「あの人、この五番街を仕切るネストのジロさんだ。怒らせるとおっかねえぜ」
「ネスト?」
初めて聞く言葉にフォルが首を捻る。
ネスト。動物の巣やねぐらを意味する言葉だったはずだ。
少なくとも、こういう場面で聞いたことはなかったが、戦場で何年も過ごしたフォルである。
娑婆の事情に疎いのも仕方がないのだとは、自分でも思っていた。
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