混沌ウロボロス 少年帰還兵の治安維持活動従事記録
イワトオ
第1話 空腹の判断
フォル・クダンは血がこびりつき、ボロボロになって破れた服を着て、右手には木切れを一本引きずっていた。
六番街と呼ばれる通りには飲食店が多く立ち並び、活気があるが通行人はフォルを見かける端から避け、道を開けていくため歩きやすい。
その真ん中をズンズンと歩きながら、やがてフォルは一軒の建物を見つけた。
看板には白鉄団と書かれており、その前には四人の若者たちが椅子に座ってフォルを睨んでいた。
「なんだ、てめえ。ここは白鉄団の詰所だぞ。なんの用だ?」
男たちは腰から金属棒を引き抜いて立ち上がる。
男たちが揃って取り出したのはシノ、と呼ばれる鉄線加工に用いる工具である。
太い金属棒は刃物を受け止めることも、刺すことも出来る。
シノを武器としてみれば、確かに恐ろしい。が、せいぜいが三十センチほどの長さで、殴り合いには短い。引きずるほどに長い木の棒の方がこういう時は有利だ。
「これが用だよ、馬鹿野郎!」
フォルは棒で先頭の男をぶん殴った。
噴き出した血が放物線を描いて男は倒れる。
が、フォルはその光景を見ていない。次の標的に向けて棒を振り回していたのだ。
奇襲を受けて三人が倒れ、一人が建物の中に逃げていく。
「皆きてくれ、殴り込みだ!」
ニヤリと笑ったフォルは、逃げた男を追って建物に飛び込んでいく。
聞いた話によると建物の一室で賭博が行われているらしい。
人の気配が強い方へ走り、扉を蹴り開けると、あった。
広くない薄暗い部屋で十数人の男たちが勝負遊びに興じている。
その視線はそろって闖入者たるフォルに向けられた。
驚く者、おびえる者、怒気を示す者。
尋ね人が、いた。
フォルは笑いながら手近な客に棒切れを向ける。
「よお、お客さん方。今から喧嘩するからさ、巻き込まれたくないのならさっさと帰ってくれよ」
凄絶な笑みに気おされた客たちはおずおずと部屋から出て行った。
取り残された男たちの中に見た顔が二つ。
フォルをボロボロにした連中だ。
「おい、オッサンたち。また会えたな。身になる説教を貰いすぎたから釣りを返しに来たぜ」
「お、おまえは死ぬぞ!」
フォルに睨まれる中年が喚く。
「寝ぼけてんのか。そういう場所が俺らの居場所だっただろうがよ!」
周辺を取り囲む連中には幾つか知っているものもある。
一緒に兵隊として生きていた者だ。
土砂降りの戦場。雨よりも多いのではないかと思う程、降ってくる矢。
雨でも流しきれない血や脂。抑えきれない死の臭いと生への渇望。
呻き声と怒号。
突撃してくる槍騎兵。蹴散らされ、踏み潰される歩兵たち。
互いに殺しても殺しても終わりのない戦線の小競り合い。日の出から日没まで互いに流血を突き付け合った日々。
泥の混ざった粥を震えながらすすり、時には夜にだって互いに殺し合う。
そんな戦場で、彼らはフォルの味方だった筈だ。しかし、今は敵に回った。
であれば、やることは決まっている。
怒鳴って殴りこむ。
青年フォル・クダンが、かつての戦友たちが守護する賭場に乗り込んで暴れるに至った経緯について説明するにはしばらく、時間をさかのぼることになる。
※
期間雇用の野戦兵として五年間の軍務に従事したフォル・クダンが軍隊を追われたのに、個人的責任はない。
都市国家ギンセイ藩とフレガラン藩の戦争が停戦となり、軍備が急速に縮小したのである。
大柄な少年のフォルは十二歳で孤児院を追い出されて以来、衣食住を保証される軍隊に吸い寄せられ、十七歳で契約解除されて追い出されるまでを過ごしていた。
主に最前線の部隊で損耗率の高い戦闘に従事し続けたのではあるが、それでも生き残って来た幸運の持ち主であるともいえる。
しかし、いかなる悪運に恵まれていようとも、家も家族もなく突然、解雇を告げられてしまえば行く当てがない。あらたな生活を用意するにはまるで足りない退職手当を食いつぶしながらフラフラと旅をして、この街にやって来たのであった。
同時に放逐された連中とだんだんにバラけながら、目端の利く者は途中であらたな家や仕事を見つける、そういった旅路だ。
もちろん目端が利く者ばかりではない。フォルも利かない方だったらしく、やがて旅の終着地点に辿り着いてしまった。ここから先は田舎であり、地縁か血縁を持っていなければ余所者として排斥されてしまう。
仕事や住処を見つけるなら、ここで励むしかない。
それが都市国家ギンセイ藩の城下町、ギンセイ市であった。
誰が言い出したものか城下まで行けばどうにかなるだろうという言葉に漠然と縋った旅路である。もちろん、なんの保証もない荒んだ道のりだ。
途中、喧嘩にもなれば口数も減る。一緒に歩いてきて、最後まで一緒だった仲間たちはギンセイ市に到達するなり散り散りになっていった。
やがて、完全に一人になったフォルは、最後に残った小銭をポケットの中で弄びながら考える。
「よし、やるか」
強盗なんかをやるなら、体が動くうちだな。腹が減って動けなくなってからではどうしようもない。
人が最後に考えることはおよそそのようなものである。
そうして、食いでを失った者たちが諦めて飢えることを選ぶばかりではないことも事実であり、まして戦場を生き延びた生命力に溢れる者たちであればどうなるかは、明らかであった。
にも拘わらず、軍は兵士たちを放逐した。
どうせなら食い物屋だろうか。
フォルはそんなことを思いながら通りを歩く。
まともな食事は昨日の昼が最後だった。
前線近くからギンセイ市までの間には、食事を供する屋台が転々と並んでいたのだが、どれも放逐された軍人たちが懐に呑む退職手当を当て込んでいて、常より高価だった。しかし、通常の村落はしっかりと守りを固めていて、そういうところは兵隊崩れが立ち入ることも許してくれなかった。
命懸けで国を護っていたつもりだったが、戻ってくることは望まれていなかったらしい。
仕方なく、割高な屋台で食事をするほかなく、その為、すっかり金銭を使い果たしており、せっかく辿り着いた城下町でも空腹の虫に虚しく美味そうな匂いをかがせるだけであった。
だから、まあせめて失敗しても食事をしてから捕まれるように食堂を襲撃しようというのはフォルの中で当然の帰結である。
そうして手ごろな店を探していると、丁度よさそうな場所を見つけた。
看板を見れば立ち食いで食事をさせる飯屋であるらしい。それも、提示された金額を見れば相当に安い部類だ。
下級労働者が腹を満たすために利用する店で、間違えても美食を楽しむための店ではない。
フォルが通りから店内を覗くと、既に昼営業も終了しつつあるらしい。人気も既になく、薄暗くて狭い店内では無精髭を生やした店員が黙々と野菜を刻んでいた。
「いらっしゃい」
いきなり店員に声を掛けられ、フォルは狼狽する。
食い物屋特有の匂いに釣られてフォルの足はいつの間にか店内に立ち入っていたのだ。
「兵隊さん、ほらこっちにきなよ。もうソバ粥くらいしかないけど、いいんだろ」
「あ、ああ」
顔を見つめられた動揺よりも、空腹が体を震わせて頷いていた。
鍋が温められ、店員が仕込みに戻ったあとも、フォルは指先でポケットの中身を確認する。
粥一杯分の値段くらいはあるだろう。いずれにせよ、強盗をするのであれば粥を喰ってからだ。
やがて、店員が器に暖まった粥を注いで持ってきた。
それは煮詰まっていて、何度も火を加えられた内容物がドロリと溶けた半液体だったが、暖かさと塩分だけで飢えたフォルには十分だった。
太めの木製匙で熱いのをフウフウと口に運んでいると、バタバタとした足音と共に四人の男が駆け込んできた。
手には包丁、血走った目、なによりもよれて垢じみた軍服。中には動物系の亜人もいる。
フォルと同じ、兵隊崩れだ。
「畜生、動くんじゃねえぞ!」
一番に駆け込んできた男は店員に向けて喚くと、店の入り口に向けて包丁を向ける。
それを追う様に、店内へ入ってきたのはスラッとした細身の少女だった。
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