第五部!!

第41話 社長は気の利くナイスガイ!?

 バーチャルカップから三日が経った。


 秘密結社Assaxのメンバーが集まるスタジオには、どこか落ち着かない空気が漂っていた。

 緊張感、そして、焦燥。言葉にはされない感情が、三人の間に重く流れていた。


 園田がスマートフォンを見つめ、ぽつりと呟いた。


「……電話、つながらないわね」


「SNSも……配信も、ここ三日間、全く更新ありませんね」


 シャチ女――鯱鉾クロマルが低く言った。

 普段は楽天的な彼女の声も、今日はどこか沈んでいた。


 そんな中で、あんこは腕を組み、ふいっと横を向いた。


「また……男のところにでも行ってるんじゃないの」


 その言葉とは裏腹に、彼女の眉間には、深い皺が寄っていた。


 (夜街が……配信をしないなんて……)


 夜街。V界の頂点に立つ歌姫。

 あんこにとっては、推しという言葉では足りない、憧れの存在だった。


 夜街は、あんこが推し始めた日から、どんな炎上の日も、どんな体調不良のときも、彼女はかならずファンに一言でも声を届けていた。


 その夜街が、沈黙して三日。


 これは、ただ事ではない。


 あんこは音もなく立ち上がった。

 そのままスタジオの扉へと向かおうとした時――


「待って」


 園田が立ち上がり、あんこの前に立った。

 そして、ジャケットの内ポケットから、小さな黒いカメラを取り出して差し出した。


「これ、持って行って」


「……?」


「GPS付きの小型カメラ。

 録画は自動でクラウドに送信される。

 万が一、あんこに何かあっても、私たちが追跡できる」


「園田……」


「それと」


 園田は、静かに、しかしはっきりとした声で続けた。


「今日、あんこが動画投稿して。明日、明後日は、私たちが配信する」


「え?」


「……夜街さんが更新しない間にも、Assaxが続いてること、ファンに伝えるの。少しでも、楽しませて、不安にさせないために」


 園田の瞳は真っ直ぐあんこを見ていた。

 その真剣な眼差しに、あんこは息をのんだ。


「……もう私たちもVTuberなんだから。

 視聴者に見られてる責任、背負っていかないと。だから、あんこは――」


 言葉に詰まりながらも、園田は言い切った。


「……絶対に無事で帰ってきて。

 そして、夜街さんを連れ戻して。

 明々後日には、必ず三人で配信して。それが、あなたの役目」


 あんこは、握った拳をぎゅっと胸元で固めた。


「……うん。ありがとう」


 その言葉には、決意が宿っていた。


 すると、クロマルがふわりと笑い、あんこの背中を軽く叩いた。


「――あんこさん、待ってますから。あの人と一緒に、ちゃんと帰ってきてくださいね」


「うん、絶対」


 あんこは頷いた。


 それは、仲間として、VTuberとして、一人の表現者としての誓いの顔だった。


 そして、あんこはスタジオの扉を開き、夜の街へと歩みを進めた。



 夜の街が濡れていた。

 雨は降っていないのに、舗装されたアスファルトには、どこか冷たく湿った気配があった。


 あんこは、人気のない裏路地をひとりで歩いていた。


 行き先はひとつ。

 ニジライブが抱える暗殺組織の事務所。


 鉄製の無機質なビルの扉を押し開けると、そこにいたのは――


 腕を組み、真っ直ぐ前を見つめて立つ、冷徹な社長・絢瀬だった。


 背筋を正し、まるで一枚の鋼鉄の板のような姿勢。

 その眼差しは、いつもとは違い、何人も容易には踏み込ませない威圧を放っていた。


 だが、あんこは臆することなく、その前に駆け寄った。


「夜街さんは……どこに行ったか、わかりますか?」


 真剣な眼差しで問いかけた。


 だが絢瀬は、言葉では答えず、静かに顎で視線を机へと誘導した。

 机の上に一通の封筒が置かれていた。


 白地のその封筒には、たった一言――"退職届"。


「……え?」


 あんこの脳が、すぐには意味を受け止めきれなかった。


 そんなあんこに、絢瀬が短く言い放った。


「夜街は、やめたよ」


 その言葉は、雷鳴のように、あんこの心を打ち抜いた。


「……そ、そ、そ、そんな……っ」


 震える声で、あんこはもう一度訊ねた。


「……どこに行ったか、知らないんですか?」


 だが、絢瀬は一言、冷たく首を横に振った。


「知らねぇよ。……やめた奴を追う主義じゃねぇんだ、俺は」


 言葉の温度は氷点下だったが、そこに嘘はなかった。


 それから絢瀬は、背後のキャビネットを開け、一束の書類を取り出してあんこに差し出した。


「……それ、夜街の情報だ。全部、処分しとけ」


 あんこは書類を受け取りながら、目を見開いた。


 ファイルには、夜街のミッション記録、コードネーム、使用していた偽名、立ち入り先のリスト、そして――「連絡先不明」の赤い判子。


 絢瀬は書類を見つめるあんこに、釘を刺すように続けた。


「……その情報、処分せずに持ち出したりしたら、おまえはうちの事務所、クビだからな」


「……っ」


「その時点で、おまえが何を追おうと、俺らとは関係ねぇ。

 夜街が追おうとしてる組織は、それだけ危ないってことだ」


 静かだが、重い一言だった。


 絢瀬の言葉には、まるで刑が下されたような確固たる決定が込められていた。

 そして、渡された書類の中に、夜街が向かった先のヒントがあるということも。


 あんこはその言葉・行動の意味を、十分に理解した。


 だが、それでも彼女の中で揺るぎなかったものがあった。


 ――夜街を、見捨てない。


 絢瀬が背を向け、事務所を出ていこうとしたそのとき。

 あんこは深々と頭を下げた。

 その背中に向かって、何も言わず、ただ静かに、礼を示した。


 感謝と、決意。


 それだけを残し、あんこは一人、動き始めた。


 夜街の残した記録。

 その中に、彼女の行き先の“兆し”は――あるはずだった。

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