第28話 推しへのプレゼントは食べ物厳禁!!

 夜空に星が満ちる頃、街の片隅では、誰にも知られず一つ、また一つと毒薬が盛られていった。


 あんこと夜街は、まるで海辺を走る少女たちのようだった。


 殺気はなく、むしろ軽やかで、笑いながら。

 ターゲットの部屋に侵入し、毒を使い、逃げるときには

「また一人、ばいばーい」

と声を揃えて言った。

 

 ひどく異様で、なのに奇妙に美しい。

 ふたりの復讐劇は、満点の星空の下、静かに進行していったのだった。



 

 それから、一ヶ月が経った。


 季節は夏の終わり。

 秋の気配が近づく中、最後の暑さが肌をじりじりと焼いた。


 あんこたちは、配信業界の再生数争奪戦、いわゆる“夏休みレース”の真っ只中にいた。


 企画に出て、ステージに立って、毎日のようにライブやコラボ、特番。

 朝から晩まで、台本とスケジュールに追われ、寝る時間さえ削って、ファンのために画面の向こうに立ち続けた。


 だから──

 いじめっ子たちのことなど、思い出す暇もなかった。


 むしろ、「あれって夢だったのかな」なんて思うほどに、目の前の現実が濃く、忙しく、きらびやかだった。


 そんなある日。


 収録が終わって、うーんと伸びをしていたあんこの元に、一本の連絡が入った。


『あんこさん、スタジオ事務所にお越しください。少しお渡ししたいものが』


 呼ばれるままに足を運ぶと、事務所の片隅に、どーんと置かれた一つの大きな段ボール箱が目に飛び込んできた。


「これ……なんですか?」


 あんこが眉をひそめると、スタッフのひとりが笑顔で答えた。


「ファンの方から、あんこさんへのプレゼントですよ」


「いつも通り、後で宅配で送ってくれればよかったのに……」


 そう言いながらも、なんとなく箱の中が気になった。

 どこかで嗅いだことのあるような、懐かしい香りが、そこからふんわりと漂ってきていた。


 スタッフは少し困ったような笑みを浮かべながら言った。


「ちょっとね、話さないといけないことがあって……」


 あんこは首をかしげながら、箱を開けた。


 中には、服、お米、お菓子──。


 たくさんの日用品がぎっしりと詰まっていた。


 そして、お菓子はどれもこれも、あんこが子どものころ好きだったものばかりだった。


 しみじみと、懐かしい味の記憶がよみがえった。

 そう、これ、小学生の頃に駄菓子屋で買っていたやつ。これは、母がいつもお弁当に入れてくれたやつ──。


 気づけば、目にじんわりと涙が滲んでいた。


 こんなにも、あたたかい。


 こんなにも、思い出が詰まっている。


 スタッフはあんこの表情をちらりと見てから、少し冗談っぽく言った。


「でも、あんこさん、今後ファンの方にちゃんと伝えておいてくださいね。『タレントに食べ物送っちゃだめですよ! 送るなら直接!』って」


 その言葉に、あんこは小さく笑った。


 涙を指でぬぐいながら。


 ほんの少し、夏の終わりの風が通り抜けたような気がした。




 それから、家に帰り、あんこは、しばらく悩んだあと、そっとスマホを取り出し、連絡先の画面を開いた。


 その中にある、"母"の文字を、少しだけためらいながら、タップした。


 コール音が2回鳴ったところで、電話はつながった。


「……あんこ……?」


 その声が聞こえた瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。

 あたたかくて、ちょっと懐かしくて、そして、緊張感がある──。


「あ、あ……お母さん、元気?」

 声が自然に震えた。


「元気よ。あんこは元気なの?」


「うん、元気だよ」


 一拍。


 沈黙。


 気まずい空気が、電話越しにも伝わってきた。


 だが、それを破ったのは、母の方だった。


「……あんこの配信、見たわよ」


 あんこはビクリとした。

 まさか、母が自分の配信を見てくれていたとは──。


 (やば……あんな下ネタとか変なこと叫んでるのに……ていうか、自分のこと“総帥”とか言ってるのマジ黒歴史すぎ……)


 心の中で叫びながら、ついに怒られる、と思ったその時──


「面白かったわよ。あんこも楽しそうで……よかったわ」


 一瞬、時間が止まったような気がした。


「……え? あ、ありがとう……」


 驚きと照れくささで、声が裏返りそうになった。


「昔のあんこみたいで、よかったわ」


 そういって、母は、うんうん、とうなずいているのがわかった。

 そして、そんな母の声がわずかに震えていることに気付いた。


 きっと、母は母なりに心配していたのだ。


 部屋にこもって、学校に行けなくなって、声も出さなかった日々。


 けれど、今は画面の向こうで、自分らしく騒いで笑って、時には歌って。


 その姿に、安心してくれたのだ。


 あんこも、こみあげるものをこらえながら、鼻をすするような声で言った。


「でもさ、お母さん……仕送りは事務所じゃなくて、直接送ってよ」


 母の笑い声が、電話越しに聞こえた。


「ごめんなさいね。スタッフさんに迷惑かけちゃったかしら」


「まぁ……ちょっとびっくりしたけどね」


 ふふ、と小さな笑い声が重なった。


 たぶん、これで全部が元どおりになるわけじゃない。


 でも──

 少しだけ、何かがほどけた気がした。


 今の距離がちょうどいい。

 連絡を取りすぎないぐらいが、安心できる。


 けれど、たまにこうやって、電話で笑えるなら。


 それはきっと、母と娘の新しい"ちょうどいい関係"だった。

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