第27話 復讐って気持ちいい!!

 時計の針は、夜十時を回っていた。


 ひと気のない静寂なマンションの一室。

 リビングのテレビはつけっぱなしで、薄暗い光を室内に投げかけていた。


 女はソファに座り、スマホを眺めながら欠伸を噛み殺し、伸びをした。

 体が緩んで、うっすらとした眠気がまぶたを重くしていた。

 ふぅ、とひと息ついて、何気なく後ろを振り向いた。


 ――その瞬間。


 目が見開かれ、声にならない息が漏れた。


 そこには、二人の女が立っていた。


 どちらも、見覚えがなかった。

 いや、絶対に会ったことのない、異様な気配を纏った女たちだった。


 片方は青い髪を下ろし、鋭い目つきの女。

 もう一方は、どこか影のある雰囲気を纏った、やや小柄な女。

 そのどちらからも、まともではない“空気”がにじみ出ていた。


 女は驚き、喉を震わせたが、うまく言葉が出なかった。


 その沈黙を破ったのは、小柄な方――あんこだった。


「ねぇ、私のこと、覚えてる?」


 声は静かで、しかし底知れぬ怒りと皮肉が込められていた。


「え……?」


 女は戸惑ったまま、その女――あんこの顔をじっと見つめた。

 しかし、何も思い出せなかった。

 眉を寄せ、視線を泳がせ、ついには申し訳なさそうにこう言った。


「ごめんなさい……思い出せない…」


 その言葉に、あんこの表情が一変した。


 チッ、と舌打ちが鳴り響いた。


 そして、あんこは一歩踏み出し、無言で女の髪を鷲掴みにした。

 女の顔が強引に上を向かされた。

 首に負荷がかかり、女は苦悶の表情を浮かべた。


「私は、いじめてきたあんたのこと、一秒たりとも忘れたことないのに」


 その瞳には、まるで業火のような怒りが宿っていた。


 その一言に、女の表情が引きつった。


「まさか……あんこ……?」


 恐怖と混乱が一度に押し寄せ、女の頬が引きつった。


 あんこはその顔を見下ろし、ふっと口元を吊り上げ、ニヤリと笑った。


 そして、左手にはいつの間にか、一本の注射器が握られていた。


「これで、“同じ気持ち”を味わってもらうね」


 抵抗する間もなく、その注射器は迷いなく、女の首元へと突き立てられた。


 女は喉を震わせたが、声が出なかった。

 悲鳴は、空気中で詰まったまま霧散した。

 瞳が大きく開かれ、手が宙を掴もうとするように震えた。


 そして――次第に視界が滲み、揺れ、暗転していった。


 バタリ、と女の体はソファからずり落ち、床に崩れ落ちた。


 まるで、重りを静かに落としたような、鈍い音だった。




 沈黙が戻った部屋に、どこか場違いな軽さを持った声が響いた。


「お疲れ様」


 夜街があんこに向かって微笑んだ。

 仮面はすでに外され、いつもの無邪気さが戻っていたが、その目の奥には、冷たく光る何かが潜んでいた。


 あんこはニヤリと笑い返した。

 血の気がまだ引かない頬に、ほのかな火照りが残っていた。

 興奮と緊張、そして、奇妙な達成感があった。


「さすが、園田ちゃんのクスリ。効き目抜群だね」


 夜街は女の倒れた姿を見下ろして、軽く肩をすくめた。


 あんこは少し間をおいて、ぼそりと聞いた。


「ねぇ……これって、どんなクスリなの?」


 夜街は小さく「ふふっ」と笑って、口元を隠すように指を添えた。


「これはね、ゆっくりと効く毒だから」


「……毒?」


「うん。この子は起きたら、今日あったことを忘れる。でもね、そこから、ゆっくりと“顔が歪んでいく”の」


 その声は柔らかく、どこか楽しげだった。

 けれど、その内容は背筋がぞっとするほど恐ろしかった。


「顔が歪んでいって、どんどん醜くなってくる。三年後には……顔が溶けたみたいになるよ」


 あんこは一瞬、引いた。


「ええ……そこまでヤバいクスリだったんだ……」


 目を逸らしたあんこに、夜街はおかしくて仕方ないといった様子で、腹を抱えて笑い出した。


「いいじゃん……だって、この子がどんなに恋をして、彼氏ができたとしてもさ、日に日に顔が崩れていって、それで、フラれちゃうんだから。最高の復讐でしょ?」


 その言葉に、あんこの喉がごくりと鳴った。


 いや、それでも……それでもやっぱりやりすぎじゃないか?


 ――そう思った瞬間だった。


「いい子ぶらないでさ、笑おうよ」


 そう言われて、あんこはふと女の寝顔に目をやった。


 穏やかに眠っている顔。

 おそらく、平凡な日々を送っていたのだろうと感じさせる、綺麗に整った部屋。

 あの頃、あんこを教室のすみで嘲笑っていたくせに、今はこんな幸せそうに暮らしてるなんて。


 ――なにそれ、ずるくない?


 胸の奥に、じわりと黒いものがにじんできた。


 あんこは想像した。

 数ヶ月後、鏡を見て絶叫し、誰にも相談できず、心が壊れていくこの女の姿を。


 すると、自然に笑いが込み上げてきた。


「……ふふっ」


 自分でも驚くほど、声が震えていなかった。


 ――私も、案外悪い子だな。


 そんなふうに思った。


 そのとき、夜街が手にしていたリストをひらひらと振った。


「これから、こいつら全部、まわるんだから。今日はまだまだ“殺る”よ」


 あんこはリストを見て、顔を上げた。

 胸がドクンと鳴った。


 拳を高く突き上げて、叫んだ。


「やるぞ!!」


 悪い子たちの宴はまだ始まったばかりだった。

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