先輩

 茂みで得体の知れない黒子の奇行を見てから、しばらくは平穏な日々が続いた。

 

 あれ以来、ちょっとやる気が出なくて、活動を自粛しているというのもあるのだが、明美の体調に変化はない。

 黒子も、いつも通り静かに学校に来て、何もなければ、静かに帰っていった。

 あの時、明美がのぞいていた事にも、特に気がついている様子はなく、黒子の方から声をかけてくることはなかった。

 

 一回、体育の授業で柔軟体操のパートナーになった。

 明美が「……よろしく。」と内心の怯えを隠す様にそっけない態度をとったのだが、黒子は黒子の方で何か考え事でもしているのか上の空で、静かに「よろしくお願いします。」と淡々といい、二人で黙々と柔軟体操をして終わった。


 そんな日々を過ごすうち、明美の中で、あの時の嫌悪感はだんだんと薄れていった。人間は忘れる生き物なんだなぁと独り言を呟きながら、遠目に黒子に視線を向ける。

 さりとて黒子にわざわざ近づく気にはなれなかった。とはいえ、心は平常運転に戻りつつあった。

 

 そうなると一番気になるのは、動画再生数だった。

 数日ぶりにアプリを起動してみる。やはり投稿頻度が落ちると、再生数の伸びが落ちている。


 仕方なかったとはいえ、明美は若干の焦りを感じた。一度視聴者の興味が離れてしまうと、取り返すのは容易じゃない。

 撮り溜めておいたストックの数もさほどなく、中間テストも控えている中、何とかパンチのあるネタが欲しかった。

 

「ねぇ!ひいらぎ先輩、何かバズってるらしいよ!」

 スマホと睨めっこをしていた明美は、友人の声に顔を上げると、皆が集まってスマホを覗き込んでいる所に近寄った。

 

「ニ年の柊さん?」

 

「そうそう!ホラ見て!」


 ニ年生の柊 愛理ひいらぎ あいりの事は知っていた。学校内で、同じように動画投稿して話題になっている人は、一応全員チェックしていた。

 でも、この学校で活動している生徒に、そこまで本格的な活動をしている者はおらず、柊先輩のアカウントも、おふざけ系の動画をちょこちょこ上げている、くらいの認識だった。

 

 ただ柊先輩は、他の子が絶対真似できない強みを持っていた。

 

 可愛いのだ。

 

 単純に可愛い。女性の明美から見ても、思わず声をかけたくなるほどの美形で、スタイルがいい。実際、ファッション雑誌にモデルとして採用されたもあると聞いた。

 でも撮影に関しては、スマホで撮ったまま、ロクに編集もしていないから、投稿者としての魅力にはかけるなぁ、と明美は思っていた。

 内容もありきたりで、可愛さを差し引いてしまえば、ハマる様なクオリティではない……と明美は見ていたのだが。


 皆で頭を突き合わせてスマホを覗き込む。

 

 相変わらずのちょっとしたおふざけ系動画だった。おそらく教室で撮影したのだろう。プリーツスカートを揺らしながら、ちょっとしたダンスを披露する。

 最後に何かあったのか、バランスを崩して転びそうになる。照れ笑いを浮かべて、はにかみながら、最後にダブルピースをする。


 確かにキュートな終わり方だった。ちょっと際どいラインまで脚が見えていたが、規程には引っかからないだろう。偶然だろうけど、最後のカットまでの画角が綺麗だった。


「ねぇ?マジ可愛いくない?」

 

「あ〜。これはズルイわ。こんなんウチらじゃ再現できないって。生物学的に勝てない。」

 

「オッサンが、めっちゃがっついて見てそう。」

 

「でも、すごいんだよ!こっちのアプリでもどんどん拡散してんの!」


 そういいながら、その子は某つぶやきアプリを起動した。明美も自分のスマホで、それを見る。

 確かに、少し検索すればすぐに引っかかるぐらいに広まっていた。

 自分のスマホでも元動画を見る。再生回数はあと少しで十万再生を超える。いいねの数も数万までいっている。


 友人達が純粋に身近な人の話題を楽しんでいる中、明美は何となく複雑なものを感じて、黙り込んでいた。


 私なら……もっと面白くできる。

 こんなの、まぐれ当たりだ。偶然をカメラに収められるかは運だけど、それを面白く見せられるかは技術だ。だから、私の方が面白いはず。


 でも現実として、柊先輩の動画の再生数は、明美の最高回数を遥かに上回っていた。


「こんなの一発屋で終わりじゃない?」


「そうでもないよ。先輩、バズり始めてからバンバン投稿してっから、結構ファンがついてるみたい。なんか芸能事務所から連絡来た、とか言ってた。」


 そう……ネットは一回大当たりをすれば、しばらく注目される。炎上商法が横行する理由の一つだ。


 一方で、それはチャンスでもある。

 この波にうまく乗れれば、明美の投稿の認知度も上がる可能性があった。何となく負けた感はあるが、そんな小さなプライドより、再生回数の獲得の方が大事ではないだろうか。


 皆が盛り上がっているなか、難しい顔をしている明美にユッコが気がついた。

 

「アッキー?大丈夫?具合でも悪い?」

 

 明美はハッとした。皆が一斉に自分の方を見る。

 辛気臭い顔をして、皆の不安を煽るのは嫌だった。無理矢理笑顔を作って手を振る。


「ごめん、考え事してただけ!それにしても柊さん、すごいなぁ。ちょっとコラボのお願いしてこようかな?」


「ああ、それいいかもね。前に生徒会で柊さんと話したけど、感じのいい人だったよ?」

 ユッコは明美の表情に何か察した様で、あえて明るく振る舞っているようだった。

「私も一緒にいってあげようか?」


「ううん!大丈夫!今からちょっといって来るね!」

 と言うと、明美は小走りに教室を出ていく。モヤモヤしている暇があったら、行動したかった。


「あ……気をつけてね、アッキー。失礼のないようにね!」

 その背中にユッコが声をかける。

 

 わかった〜……と言いながら駆けていく明美の背中を見ながら、ユッコは焦っている様子の明美に、一抹の不安を感じていた。


 ………………………………


「……と言う感じなんですが、先輩、コラボしていただけませんか?」


 明美は自分の出来うる限り最大限の丁重さで、柊先輩に出演をお願いした。

 先輩を引き立たせつつ、自分のカラーを出す。短い動画に詰め込むために、何パターンか前もってイメージを作り、先輩にアピールした。

 

 柊 愛理は目を細めて、口元に微かな笑みを浮かべながら、明美の話を聞いていた。口を挟むことなく、淡々と明美の話を聞く様子は、どこか気怠げだった。


「……あまり気に入らなかったですか?協力してもらってるのは私ですし、先輩の方でプランがあるなら全然合わせますが……。」


 自分のプレゼンがイマイチだったのかと思い、明美は自信なさげに聞いた。

 これまでやって来た経験があるとはいえ、素人学生のものでしかない。先輩から断られても、おかしくはないだろう。


 すると、愛理は急に口元を引き攣らせ、軽く吹き出すとクスクスと笑い出した。

 ポカンとする明美を尻目に、口元を押さえながらしばらく愛理の笑いは止まらなかった。


「……ごめんね、あんまり必死だったからびっくりしちゃった。」


 愛理は目元の笑い涙を指で拭きながら、戸惑っている明美に向き直る。


「全然構わないよ、コラボ。一緒に楽しくやろ?」


 愛理は気負う感じもなく快諾した。明美はとりあえず出演の許諾をもらえたと理解してホッとした。


「ありがとうございます!連絡先交換してもらっていいですか?日取りとかセッティング決まったら連絡しますんで。」


 そういうと、メッセージアプリの友達登録を起動する。

 いそいそと行動する明美を見ながら、愛理は再び吹き出した。


「そう……そういう所。」

 愛理も同じアプリを起動しながら、呆気に取られている明美に笑いかける。

「その必死な感じ。この間来た、雑誌編集者の人にそっくり。もうちょっと気楽になったら?」


 明美とQRコードを見せ合いながら、愛理は笑いを含んだ声で言い放つ。


「私たち学生同士なんだから、もうちょっと肩の力を抜いてもいいんじゃない?こんなの、楽しくやった方が良いに決まってるんだから。」


「……そう……でしょうか?」

 明美は失礼のない範囲で苦笑いを浮かべる。

 

 内心、承諾し難かった。

 本気で打ち込んでいるものに、学生か社会人かなど関係ないのでは、と明美のポリシーが囁く。

 でも、流石にそれを口に出して、コラボ相手のヘソを曲げるような事はしたくなかった。


「オッケー。登録完了。じゃあ、また連絡ちょうだい。」


「ありがとうございます!先輩の動画が伸びるように、私も頑張ります。」

 と席を立つと、丁寧に頭を下げた。


「……よろしくね。」

 明美が張り切る様子を尻目に、愛理の口元には、最後まで意味ありげな笑みが残っていた。


 …………………………


 とりあえず約束は取り付けた。

 階段を下りながら明美はの頭は、もう仕事モードに入っていた。

 

 きちんと企画して、時間帯や画角、ライティングの設定、それから選曲を……と思って明美はハタと止まった。

 そうか、せっかくだから、先輩な好きなアーティストとか聞いてから帰ろう。

 あとでメッセージを送ってもいいが、動画投稿は生ものだ。早いに越したことはない。

 そう思って、踵を返す。

 

 小走りで階段を駆け上り、先輩のいる教室まで戻ってくると、派手な笑い声が聞こえてきた。


「本当にさぁ、あの子の必死ぶり。おかしくておかしくて。」

 柊先輩の声だ。そう思って、明美は足を止めた。教室から見えない位置に立って耳を澄ます。


「マジうけたわ。あんたが必死に笑いこらえてんの、こっちからでもわかったもん。」


「ほんとさぁ……あんたらがあの子の後ろで変な顔してるから、吹き出しちゃったじゃない。やめてよ、かわいそうでしょ?」

 

「愛理が変に笑いこらえてるからでしょ?でも、マジで下っ端。だっさ。めっちゃ笑った。」

 

「ホントにね。バカみたい。」


 あざけりを含んだ笑い声が教室に響き、明美の耳に届く。

 明美はそこに立ちすくんだまま、手をぎゅっと握りしめていた。


「ああいう子って、これからもずっと他人に乗っかって生きてくんでしょうね。まあ、それなりに可愛かったけど、あれじゃ人気なんか出るわけないし。」


「あの子の動画みて、ほらコレ。」


 一瞬沈黙があって、ああ~、ハイハイ。と声が上がる。


「別にフツー。」

 

 かしましい笑い声が教室に満ちる。


 明美は無言で振り返ると、そのまま廊下を歩き出した。

 

 頭の中で、黒い感情が渦巻いている。

 何か考えると、心が破裂しそうで気持ち悪い。

 

 いったい今、私はどんな顔をしているのだろう。

 今はできれば、誰とも話したくなかったし、誰にも見られたくなかった。


 早足で廊下を歩きながら、湧き上がる憤怒が、血管を伝って四肢の端まで這いよる感覚に、嫌悪感を感じていた。


 ………………………………


 結局、コラボ撮影はしなかった。いや、できなかった。


 明美の方から断ったのではない。

 柊 愛理が、学校に来なくなってしまったのだ。


 話題の渦中での失踪に、学校中に怪情報が飛び交った。

 芸能事務所とトラブルがあったとか、ストーカーされたとか、まことしやかな噂がいくつもたったものの、結局真相を知っている者は誰もいなかった。


 明美は、ゴシップの憶測を楽しむ級友達の様子に、冷ややかな視線を向けていた。


 ――いい気味だ。


 頬杖をついて、窓の外を流れていく雲にそう呟く。

 自分を、嫌なヤツだと思う。

 傷つけられたからと言って、相手の不幸を願っていいわけではない。だからきっと、私は嫌なヤツなのだろう。


 それでいいや、別に。

 私は私がやりたい事を考えるべきだ。さっさと忘れて、次の企画に進もう。

 明美はアプリを開けると、参考になりそうな動画を探し始めた。


 ……少し離れた友人達の輪の中から、由紀子は明美の様子を眺めていた。自然と、その表情が曇る。

 柊先輩から、酷い言われようをしたのは、明美から聞いていた。

 あの時の、怒りを通り越して無表情になっていた明美の顔が、怖くて仕方なかった。今も硬い表情のまま、スマホを見つめている。

 

 ――アッキー……あなた、本当に楽しい?


 友人として、そう聞いてあげるべきなのかもしれない。でも、それがどれだけ大きなお世話なのかも、よくわかっていた。

 どうするのが正解なのか、わからない。

 

 ……今はそっとしといてあげよう。

 

 由紀子はその結論に行き着くしかなかった。自己嫌悪を隠しながら、友人達との会話に戻る。

 

 きっと……少し時間が経てば、またいつもの様にアッキーも話に加わって、笑顔に戻る。

 

 半ば縋る様に、由紀子はそう願っていた。


 ……そして、もう一人。

 明美を見つめている人物がいた。

 長い黒髪で視線を隠しているから、クラスの誰も気がついていない。参考書を読む手を止めて明美を見つめる視線は、何が意味ありげだった。

 ひとつ、ため息をつく。

 彼女もスマホを取り出すと、誰かにメッセージを送り始めた。


 

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