第4話暗闇から君を救うと誓ったのに、俺は自ら、暗闇になった。 ――それでも、夜明けは来ると信じたい。
第四話『夜明けの約束』【要約】
クリスマスイブの夜、失恋した健一は峠で美咲と出会う。DV被害から逃げてきた彼女をアパートで保護するが、翌朝、彼女の深い心の傷を知る。健一は「絶対に傷つけない」と約束し、彼女の過去と向き合うため、二人で両親の元へ向かうことを決意する。
第五話『笑顔の牢獄』
朝日が、フロントガラスの向こうで白く輝いていた。俺の隣で、美咲は小さな獣のように体を固くしていた。時折、かすかに震える指先が、彼女の心の悲鳴を物語っている。
「……大丈夫だ」俺は、ハンドルを握りしめながら言った。「俺が隣にいる。約束しただろ」
カーナビが示した目的地は、どこにでもあるような、こぎれいな二階建ての一軒家だった。ここが、彼女の魂を蝕み続けた場所だとは、到底信じられなかった。固く閉ざされた玄関の前に立ち、インターホンに指を伸ばす。覚悟を決めたはずの指先が、それでも、わずかに震えた。
『……どちら様ですか』
スピーカーから聞こえたのは、予想外に穏やかな女の声だった。だが、俺はその声の奥に潜む、完璧にコントロールされた冷たい響きを聞き逃さなかった。ドアが開き、中から柔和な笑みを浮かべた両親が現れる。
「まあ、美咲。帰ってきたのかい。心配したんだよ」
リビングに通された瞬間、俺は強烈な違和感に襲われた。モデルルームのように整頓された空間。しかし、紅茶の香りの奥に、拭いきれないアルコールの揮発臭が微かに漂っている。壁には家族写真一枚なく、中央に不自然なほど広い空間が生まれていた。それは、長年にわたる壮絶な支配が染みついた、声なき痕跡だった。
「あなたが急にいなくなるから、お母さん、心臓が止まるかと思ったのよ」
母親の慈愛に満ちた言葉が、見えない鎖のように美咲を縛り付けていく。
「また、あの悪い癖が出たのね。思い込みが激しくて、すぐに突飛な行動に走るんだから。見ず知らずの男の人を連れてくるなんて」
笑顔の仮面の下で、完璧に計算され尽くした言葉の刃。美咲の逃避行を「子供の癇癪」として矮小化し、俺の存在を危険視することで、彼女の判断力を奪っていく。美咲はみるみるうちに顔色を失い、怯える子供へと逆戻りしていく。
追い詰められた俺は、震える彼女の肩にそっと手を置いた。
「お話はよくわかりました。ですが、俺たちは謝罪に来たのではありません」
俺は、両親をまっすぐに見据えた。
「美咲さんとお付き合いさせて下さい!」
その言葉で、両親の仮面が剥がれ落ちた。
「小僧が、何をわかったような口を!」
父親の目が、冷酷な光を宿す。その時、母親が悲劇のヒロインのように口を開いた。
「美咲。お父さんが、あなたのために何をしたか、あなたは知らないでしょうね」
母親が語り始めたのは、地獄のような「事実」だった。美咲が逃げ出す前、彼女の彼氏が一人で相談に来たこと。そして口論の末、父親が「お前を守るため」に、その彼氏を殴りつけたこと。
「『二度と来るか!』って、彼が叫んで帰っていくのを見て、私たちは……ああ、これで美咲は守れたんだって……」
「いや……」
美咲の顔から血の気が引く。自分のせいで彼氏が殴られたという罪悪感。どこへ逃げても親の支配からは逃れられないという絶望。愛の名の下に行われる暴力の無限ループに、彼女の心は砕け散った。
「黙れ」
俺の言葉で静まり返っていた父親が、ついに理性のタガを外した。ゆらり、と立ち上がる。その手には、サイドボードから掴み取ったウィスキーの瓶。まだ琥珀色の液体がたっぷりと入った、重々しいガラスの塊。
「お前のような若造に……俺たちの苦しみが、わかってたまるか!」
父親は、そのウィスキー瓶を、俺めがけて高く振りかぶった。
拳なら、耐えられた。しかし、それはダメだ。それは、理性を失った、加減のない暴力の象徴。俺自身の、決して思い出したくない過去の記憶を呼び覚ます、引き金だった。
「やめてっ! 気をつけて!」
美咲が悲鳴を上げ、俺の腕を掴もうとする。彼女の祈るような声が、鼓膜を震わせる。
だが、遅かった。
俺の体は、思考より先に動いていた。
父親が瓶を振り下ろすよりも速く。
美咲の制止が届くよりも速く。
俺は、一歩踏み込み、父親の顎に、渾身の右ストレートを叩き込んでいた。
鈍い音と共に、父親が床に崩れ落ちる。ウィスキー瓶が手から滑り落ち、甲高い音を立てて割れた。部屋中に、強烈なアルコールの匂いが充満する。
静寂。
俺は、熱を持つ自分の拳を見下ろした。
そして、ゆっくりと顔を上げる。そこにいたのは、信じられないものを見るように目を見開き、小さく後ずさる、美咲の姿だった。
その瞳が、俺に語りかけていた。
「あなたも、同じだったの?」と。
俺が交わした「約束」は、俺自身の拳によって、粉々に砕け散った。ヘッドライトの光は、暗闇を照らすどころか、より深い絶望の闇を呼び覚ましてしまった。
第六話 予告
自らの拳で、約束を破った健一。
その暴力は、両親に絶好の口実を与え、美咲の心を完全に孤立させる。
「見たか、美咲。こいつも、お父さんと同じだ」
倒れた父親、勝ち誇る母親、そして絶望に染まる美咲。
警察が駆けつけ、健一は「侵入者」として窮地に立たされる。
笑顔の牢獄は、皮肉にも彼の「正義」によって、より強固なものとなってしまった。
しかし、すべてが終わったかに見えたその時。
割れたウィスキー瓶の破片が散らばる床に、ある**“小さな異物”が落ちているのを、健一は見逃さなかった。
それは、母親が語った「彼氏来訪」の物語と、決定的に“矛盾”**する、小さな、しかし動かぬ証拠。
逆転の糸口は、そこにあるのか。
失われた信頼。砕け散った約束。
この絶望の底から、健一は、そして美咲は、再び立ち上がることができるのか。
次回、「ヘッドライト改変」第六話『砕けた約束と、ひとひらの真実』
本当の戦いは、ここから始まる。
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