6:元・片腕の提案

 田畑沿いに建てられた家々の中、蘇芳色の瓦屋根を備えた建物が真昼の日差しを浴びて輝いている。


 ミシサジの住人から「アングレカ邸」と呼ばれている二階建てのその家は、客観的に見ても立派な建物だった。外装は決して派手ではないものの、熟練の職人によって作られた木造の家は広く、部屋数は地下室とリビングを含め九部屋。建築材も上等なものを使用しており、その名に恥じない仕上がりとなっている。


 ただ、ミシサジの住人がこの家を「アングレカ邸」と呼ぶのは、この家が立派だからではない。突然やってきた余所者が大きな家を建てたことに対する当てつけのようなものだ。

 用があってこの邸を訪れた住人が何かにつけて「立派な家だ」と褒めていくのも――皆が皆、悪意を持って褒めるわけではないにしろ――やっかみ交じりであることが大半だった。


「どうしてもっと早く連絡してくださらないのです」


 アングレカ邸・リビング。

 ソファーに座るノアに苦言を呈しているのは、銀縁眼鏡がよく似合う男だった、黒髪をオールバックにしており、服装は白いボタンダウンシャツとダークグレーのシャドーチェックズボン。すらりとした長身の持ち主で、いかにも仕事ができそうな雰囲気である。


模造骸骨レプリカ・スケレトスを発見したのですよ。事の重要性は理解しておられるでしょう」

「そりゃあエルを発見したのは昨日の夕方だけどさ、ハヅキ」


 苦言を呈する彼――ハヅキに、左隣のエルトゥスを一瞥したノアは唇を尖らせながら答えた。


「ボクが起きたのは夜中だよ。真夜中に電話するのは悪いと思って今朝連絡したんだから、実質当日みたいなものじゃない」

「当日かもしれませんが、電話をかけた時点で詳細を説明してくださればもっと迅速に対応できたのです。お分かりでしょう?」

「……悪かったよ。昼まで仮眠するつもりだったから……」


 言い含めるような言葉を聞き、ノアはバツが悪そうに謝罪する。


 「相談したいことができたから昼になったら来てほしい」。

 そう連絡を入れたあと、ノアはしばらく眠っていた。往復四十分の運動と入浴で体温が上がった影響か、急に眠くなったのだ。


「まったく……。坊ちゃんらしくない判断ですね」

「その呼び方やめてって言ってるでしょ」


 ノアは再び唇を尖らせる。


 ノアとハヅキが出会ったのは約七年前。大きな港町からフラッタに越してきたばかりのフェンネルが貿易商の仕事を始めたときのことだ。

 ハヅキは、時折顔を合わせるノアのことを「坊ちゃん」と呼んでいた。社長の息子であり幼かったノアに対して適切な呼称であることは間違いない。

 ただ、その呼称は七年経っても変わらず、ノアは気恥ずかしく思っていた。「子ども扱いされるのが嫌」というよりも、「社長の息子」だというだけで当然のように敬われるのが落ち着かなかったのである。


「では『ノア様』にいたしましょうか」

「だからさあ、なんで畏まるわけ? 普通に呼び捨てでいいでしょ。今はハヅキが社長なんだし」

「そういうわけにはまいりません。坊ちゃんが前社長の大切なご子息であることに代わりはないのですから」


 ハヅキは表情一つ変えずに答える。

 整った顔立ちやビジネス然とした外見の影響で冷たい印象を受けるハヅキだが、よく通る声からはノアを大事に想う気持ちが読み取れた。

 読み取れるからこそ、普段気後れしないノアでさえ強く言いづらいのだが。


「あの……」

「はい?」


 話が一区切りしたことをきっかけに、やりとりを聞いていたエルトゥスが遠慮がちに声をかける。

 ノアからエルトゥスへと視線を移動させたハヅキは、即席シーツローブ姿のエルトゥスを一分の恐れもなく見つめた。


「せっかくのお休みなのに、僕のせいでご迷惑をおかけしてすみません」

「いえ、貴方のせいではないのですが……」


 申し訳なさそうな声で謝罪され、ハヅキは曖昧に答える。到着するまでエルトゥスの存在を知らされていなかったのだから、突如現れた妙に礼儀正しいがいこつとの会話に戸惑うのは無理もないだろう。


「……『エル』と呼ばれていましたね。お名前があるのでしょうか?」

「エルトゥス・アサラと名乗っています。昔の記憶がないのでノアに付けてもらいました」

「なるほど。――申し遅れました。私はハヅキ・ライトと申します。亡くなった前社長に代わり、アングレカ貿易商事の社長を務めておりますが、社長ではなく一個人として接していただければ構いません。貴方のことは何とお呼びすれば?」

「どうぞエルと呼んでください」

「では、エル。早速ですが、貴方には首都にある国立魔法研究所に向かっていただきます」


 ハヅキは何の前置きもなく告げた。「国立魔法研究所に向かえ」と。


「坊ちゃんから聞いているかと思いますが、現段階で唯一現存する模造骸骨レプリカ・スケレトスである貴方は歴史を紐解く貴重な存在です。たとえ記憶を失っていようとも、研究に協力することが歴史の一端を担う者の責務と言えるでしょう。もちろん、強制することはできませんが」

「――研究に協力するって言ってもさあ」


 二人の話を黙って聞いていたノアが会話に入る。いかにも気に入らないというような口ぶりだった。


ていのいい実験対象でしょ。どんな扱いを受けるか分かったものじゃない」

「実験対象……」


 記憶がないながらも「実験対象」という言葉の意味を理解しているエルトゥスが呟く。

 がいこつ故に表情は変わらないが、ぽつりと呟いたエルトゥスの心中を察したのだろうか。ハヅキは「否定はしませんが」と前置きした上で言葉を続けた。


「公的機関に協力し、エルトゥス・アサラという模造骸骨レプリカ・スケレトスに危険性はないと――外見は違えど内実はヒトと同じなのだと証明しない限り、自由に外を歩くことすらままならないのですよ。それは坊ちゃんにもお分かりでしょう?」

「……ボクだって、隠れて生きる人生を強要するつもりはないよ」


 常に人目を忍び、外出の度に全身を覆う生活をエルトゥスに強いるのはノアの本意ではない。ハヅキの意見は間違っていないだろう。

 だが――。


「……仕方ないでしょ。エルが心配なんだから」


 頭で理解することと、心が受け入れることは、違う。

 ノアは心配だったのだ。ノア・アングレカのためだけに目覚めたかもしれないエルトゥスが、自分のせいでつらい思いをするかもしれないと思うと、心配で仕方がなかった。


 エメラルドグリーンの瞳が愁いを帯びていることに気付いたハヅキは微かに唇を動かしたが、何も言わずに閉ざした。

 結果、広々としたリビングに息苦しい沈黙が落ちる。


「――僕は大丈夫だよ」


 気まずさに似た沈黙を感じてか、僅かに首を傾げたエルトゥスは自ら申し出た。


「研究所の人たちが僕に何をするかは分からないけど……他の模造骸骨レプリカ・スケレトスが見つかってない以上、僕を壊したら研究材料がなくなるってことだし、きっとそんなに心配要らないよ。それに、僕には痛覚がほとんどないみたいだから、痛いのも――」

「……貴方は壊滅的にフォローが下手ですね、エル」


 エルトゥスの言葉を遮ったハヅキが首を横に振りながら言い、ため息を吐く。

 エルトゥスを見つめる彼の姿は「受け持った子どもの成績があまりにも悪くて驚きを隠せない教育係」のようだったが、その顔には苦笑が浮かんでいた。


「ですが、彼の言う通り、好き勝手されることはないでしょう。エルは坊ちゃんの所有物なのですから」

「エルは物じゃない」

「分かっています。しかし、法律上の扱いでは物に相当するでしょう。それを逆手に取るのです。『研究には協力するがエルトゥス・アサラは自分の所有物なのだから傷付けられては困る』と主張なさい。研究所だって千載一遇をみすみす逃すほど愚かではありませんよ」


 ハヅキの説明を聞いたノアは黙り込んだ。

 彼の言い分はもっともで、反論すべきところはない。ノアにだってそれくらい分かっている。

 それでも素直に頷けなかったのは、エルトゥスを守るためとはいえ物扱いすることに抵抗があったからだ。


「……分かった。そうする」


 長い沈黙の末、ノアは頷いた。自分の感情を入れるべきではないと判断して出した結論だった。


「エルもそれでいい?」

「うん。僕は気にしないよ」

「では、私から研究所に電話を入れます。もしかしたら悪戯だと思われるかもしれませんが……模造骸骨レプリカ・スケレトス関連の悪戯は少ないでしょうし、確認のためこの家に来てもらえるよう話を進めてみます」

「ありがとう。――こういうのはやっぱり大人じゃないとね」

「ヒトは外見と実年齢で相手を判断する生き物ですからね」


 ハヅキはふっと微笑み、電話があるリビングの端へと向かった。木と金属で作られた受話器を上げ、本体に備え付けられた数字ボタンをプッシュして接続サービスへと電話をかける。

 交換手を必要とした昔とは違い、現在は番号さえ分かっていれば相手に直接電話をかけることができる。だが、今回のように番号が分からない場合は一旦接続サービス会社に電話して繋いでもらうのだ。ただし、繋いでもらえるのは公的機関やサービス会社に登録している店などに限られる。


「……大丈夫かな」

「大丈夫だよ。ハヅキは優秀で機転も利くから」


 ノアが断言する。

 ハヅキ・ライトは頭の切れる男だ。感情的になることは少なく、相手を説得する術にも長けている。

 だからこそ、ノアはハヅキに相談したのだ。フェンネルとイオが他界した今、ハヅキほど信頼できる人物はいない。


「そっか……。ノアがそう言うなら大丈夫だね」


 エルトゥスは頷いた。出会って一日と経っていないが、ノアに全幅の信頼を寄せているのだろう。そう思うと胸の辺りがくすぐったくなる。


「ところで――ハヅキさんって、すごくいい声だね」


 手慣れた様子で話しているハヅキの声を聴きながら、エルトゥスが言及する。

 エルトゥスの指摘通り、ハヅキの声は美しい。よく通るそれは長身故にやや低く、聴く者に知的な雰囲気を感じさせる。しかし、笑ったときなど不意に響きが柔らかくなる瞬間があり、その差異が本人も意図しない色気を醸し出して――と、かなり魅力的だ。


「僕もあんな声だったら格好良く見えるのかなあ……」

「それは違うんじゃない? エルは今の声がぴったりだよ。……あ、いい意味でね」

「そう?」

「うん。種類は違うけどエルだっていい声だよ」

「そうなのかな。だったら嬉しいけど……やっぱり、ああいう声で話してみたいな。すごく格好良いから」


 考える素振りを見せたエルトゥスが言う。


「声を低くすればハヅキさんに近付けるかも。ちょっとやってみる」


 エルトゥスは「あー」と何度か声を出し、段階を踏んで声を低くしていく。

 目覚めたばかりの模造骸骨レプリカ・スケレトスらしい、小さな子どものような試み。

 それで終わるはずだったのに。

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