7:エルトゥスの特性

『低さはこれくらいかな? でも響きは全然――』

「……待って、エル」

『何? ちょっと低すぎる?』

「それ……地声を低くするって次元じゃないよ」


 自覚がないらしいエルトゥスに、眉を顰めたノアが指摘する。

 だが、当のエルトゥスは分からないと言いたげな様子で首を傾げるだけだ。


「モノマネが得意な人も確かにいるけど、エルのそれはそういう次元じゃない。ねえエル、分からないの?」


 今のエルトゥスは、声の高さを制限なく、自由自在に変化させている。

 それは普通の人間にできることではない。何か特別な力が――魔人まびとのように特別な力がなければできないことだ。


「……エル、ボクの声に高さを合わせてみて」

「え、どうして?」

「いいから」

「うん……」


 エルトゥスは困惑しながら応じる。


「ノアは声が高めだから、」『あー、あー……これくらいかな?』

「…………」


 エルトゥスの声を聞いたノアは何も言わず立ち上がり、ハヅキのもとへ向かった。

 ノアとハヅキは時折エルトゥスに視線を向け、エルトゥスには聞こえない声量でやり取りをする。

 やがて戻ってきたノアに、エルトゥスは不安そうな声色で尋ねた。


「ねえ……僕、何か変だった?」

「変ってわけじゃないけど……連絡しておいたほうがいいと思ったから」

「……そう?」


 エルトゥスは首を傾げ、それきり黙り込んだ。ノアが詳細を話さないのなら詮索するのはやめようと考えたのだろう。


(……エルってば、物分かりが良すぎるよね)


 「物分かりがいい」というのは美点だろう。エルトゥスに信頼されているのも、ノアとしては悪い気分ではない。

 だが、自分に関する情報さえ深く知ろうとしないのは「他人に付け込まれる隙がある」ということでもある。

 エルトゥスが研究所で言いくるめられないか不安に思いながら待っていると、受話器を置いたハヅキが二人のもとへ戻ってきた。


「急ではありますが、今日中に研究員の男性が訪ねてくることになりました」


 どうやら、話し合いは上手くいったらしい。

 二人の前に立ったハヅキは、ほんの少し口元を緩めて状況を説明した。


「来訪の目的は模造骸骨レプリカ・スケレトスが本当に存在しているか確認することです。ンノー分所から来るそうですから……乗り継ぎやフラッタ駅からの移動時間を考慮すると、到着するのは三時間後くらいでしょう。エル、彼が来たら少し話していただけますか?」

「分かりました。……何か準備しておくことはありますか?」

「いえ、あくまで確認のための来訪ですので、特に必要ないかと。ただ、彼らの指示で急に行動しなければならない可能性もありますので……その点だけ了承いただければ」

「はい。相手方の指示に従います」

「ありがとうございます。助かります」


 ハヅキが礼を言う。エルトゥスが従順であれば研究所側の心証も良くなるということなのだろう。もちろん、毅然と対応しなければならない場面もあるだろうが。


「ねえ」


 と、ノアがハヅキに声をかける。


「あと三時間あるなら、その間にエルの服を用意してもいいでしょ? もう採寸してるし」


 エルトゥスの即席ローブを指差したノアは「知らない人にシーツローブで会わせるなんて絶対ダメだよ」と訴えた。

 今着ているシーツローブでも体は隠れているが、美しい服であるとは言い難い。衣服というものは体温調節や肌を守るためだけに着るものではない――というのがノアの持論だった。

 かくいうノアは、中性的なデザインの長袖ブラウスの上に瞳と同じ色のカーディガンを羽織り、ベージュのアンクル丈パンツを合わせてファッションを楽しんでいる。


「ああ……そうですね。失礼、配慮が足りませんでした」

「あ、いえ。僕は別に、このままでも……」

「その服じゃダメ!」


 強い口調のノアがエルトゥスの発言を遮る。


「この服じゃどう見ても『保護された模造骸骨レプリカ・スケレトス』でしょ。ボクはエルの尊厳を守りたい。エルは一人の個だって示したいの。そのためには、ちゃんとした服着てなきゃ絶対ダメ!」

「ノア……」


 ノアの言い分を聞いたエルトゥスは「分かった」と答え、微笑んだ。


「ありがとう。僕はお金を持ってないから申し訳ないけど……用意してもらえるかな?」

「当たり前でしょ」


 ノアは断言し、ソファーから立ち上がる。


「じゃあボク、自転車でひとっ走りしてくるから。留守番よろしくね」

「坊ちゃん、買い物なら私が」

「ううん、ボクが選びたいんだ。お茶とか勝手に飲んでいいから、自由に過ごして」


 そう言い残し、ノアはリビングをあとにした。


(――ボクが出かけてる間に仲良くなってるといいけど)


 エルトゥスは模造骸骨レプリカ・スケレトスだが、ハヅキはそんなことで対応を変えるような男ではない。それに、礼儀正しく謙虚なエルトゥスは友人としての好みに沿っている。機会さえ与えればすぐ打ち解けるだろう。


 自宅前の車庫から自転車を取り出したノアはリュックを背にペダルを漕いだ。秋が始まりつつある今、頬を撫でていく冷たい風が心地よかった。



      ✦✦



 閉めたカーテンの隙間から、街灯と間違えるほど眩い月光が差し込んでいる。

 物心ついた頃から使っているシングルベッドの中、ノアは意味もなく寝返りを打った。もう日付が変わる頃だというのに、いつまで経っても寝付けなかったのだ。


 この半日は上々だったと言っていいだろう。

 行きつけの服屋で簡単に仕立ててもらった紺一色のフード付きローブはエルトゥスによく似合っていたし、ノアが外出している間にエルトゥスとハヅキは打ち解けていた。

 確認に来た研究員との話し合いも順調で、エルトゥスに非人道的な実験をしないことや、所有者としてノアも同行することなど、希望した条件は通ったのだから。


 あとは首都にある国立魔法研究所に向かうだけ。現段階で心配することなど何もないはずなのに、どうにも寝付けない。

 初めのうちは昨夜と今朝の不規則な睡眠が原因だと思っていたのだが、時間が経つにつれて、それだけが原因ではないと気付いてしまった。


(――きっと、ボクは怖いんだ)


 いつか家族を失ったように、エルトゥスを失うことを恐れている――。

 いや、その表現は正確ではないのだろう。

 ノアが恐れているのは、外の世界を知ったエルトゥスが自らの意思でノアのもとを去ること。

 エルトゥスは人間ではないが、それでも彼には彼の人生がある。目覚めさせたのがノアだからといって自分のもとに縛り付けておくことはできない。

 ――できないと分かっているのに、心のどこかでは「ボクから離れないで」と考えている。


 どうやら、ノア・アングレカという人間は、自分が思っていた以上に幼く未熟だったらしい。

 情けない自分に苦笑を浮かべたノアは、暗い部屋を照らす月光を長い間見つめていた。

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