マギ・ディリゲント②
「な、なにあれ!? 何なの!? 福雪は大丈夫なの!?」
混乱して叫ぶけれど、すぐにトリトナスのキイィィィーーー! という叫ぶような不快な音が鳴り響いて春ちゃんは耳をふさいだ。
私も思わず耳をふさぎそうになったけど、その前に律が右手をつき出してくる。
その目を見て、『行けるな?』って声が聞こえた気がした。
一度失敗しちゃったから心配もあると思う。けど、それ以上に信頼してくれている目に私はうなずいた。
その信頼を受け取るように右手をのばす。
律の手から落とされて、私の手のひらに乗った銀色の持ち手。
しずく型のそれをしっかりにぎった私は律と春ちゃんからはなれてトリトナスに向き直る。
そして宣言した。
「トリトナス! あなたの狂わせた音楽、マギ・ディリゲントとして私が正してあげる! エントフェッセルン!」
胸の前で構えた持ち手から、光のシャフトがシュッと出てくる。
そのまま光が私を包んで、オレンジ色の
とたんにキイィィィーーー! という叫びが壁一枚へだてたように遠くに聞こえるようになる。
うるさくなくなった結界の中で、「奏華ちゃん?」とつぶやくような春ちゃんの声が聞こえた。
私は頭だけ振り返って、春ちゃんに伝える。
「大丈夫だよ、春ちゃん。雪くんがおかしかったのはあのトリトナスのせいだから。今からあれを消滅させれば、いつもの雪くんに戻るから」
だから大丈夫って、安心してもらえるような笑顔を見せた。
そのあと律とも目が合う。
律は真っ直ぐ私を見てあの力強いカッコイイ笑みを浮かべてる。
思わずドキッとしちゃって、私は顔を前に戻した。
するとちょうどこっちに戻ってきたルーが、耳を押さえながら頭を振って文句を口にする。
「ふぃー。毎度トリトナスの叫びはうるさくてかなわんわ。ソウカ、あとはたのんだぞ!」
「う、うん。わかった!」
すれちがいざまに言われて、意識を切り替える。
どうしてかはわからないけれど、ドキドキ駆け足になっている鼓動を深呼吸で落ち着かせて、聞き耳を立てた。
トリトナスの叫びの中から聞こえてくる音はダダダダーン! という特徴的な音。
まちがいない、前に春ちゃんに取り憑いていたのと同じトリトナスだ。
私はトリトナスをにらみつけながら、タクトをシュッと振り下ろす。
そして宣言した。
「ベートーベン作曲【交響曲第五番ハ短調】『運命』!」
私の言葉に反応するように、タクトの先から光る楽器たちが出てくる。
キラキラと光る楽器たちはとてもキレイで、美しい旋律を奏でる合図を待っているかのように見えた。
ふつう楽器そのものに意志はないけれど、光の楽器たちが私のタクトに全神経を集中しているのを感じる。
両手を目の前まで上げると、ピンと張りつめた雰囲気になって身が引き締まった。
澄んだ空気感に、自分の中で一本芯が通るような感覚がする。
タクトを通じて、光の楽器たちと一体になったような……不思議な感じ。
ほどよい緊張感の中、私は軽く息を吸って腕を振った。
すると、奏者である楽器たちが私のタクトの動きを追ってくるように音を奏で始める。
一つの曲を一緒に作り上げていく感覚。
気持ちがたかぶって、楽しいって思う。
お父さん、お母さん。
私、やっぱり音楽が好き。
指揮者として曲を作り上げていくのが、とても楽しい。
そう思ったら、頭の中にお父さんとお母さんの顔が見えた。
前みたいに黒縁の写真じゃない。
いつか見た、私の夢を応援してくれると言っていた笑顔の二人。
やっぱり音楽は、私と両親をつなげてくれているんだなって……理解した。
大きく息を吸って、第一楽章の終盤に入る。
ベートーベン作曲の【運命】という曲は四楽章ある。
第一楽章は不運を
変わって第二楽章は、温かくてなつかしい気持ちになれる優しくてキレイなメロディー。
第三楽章は悲しさがありつつも、自分の運命を受け止めて立ち向かおうって勇気づけられるような音楽。
そして最終楽章の第四楽章。
第三楽章から間を置かず続けて演奏される第四楽章は、とにかく明るく未来に向けて希望をみなぎらせるような曲。
まるで耳の聞こえなくなったベートーベンが自分の運命を
全部通すと約三十五分かかるこの曲。
集中力と体力も必要な曲を全部演奏しきれるか。
大人でも大変なことを自分が出来るのかなって不安はあったけれど、やり切るんだって気持ちを胸にタクトを振るう。
でも、第一楽章が終わった瞬間トリトナスのキイィィィーーー! って音が消えた。
あれ? って思って視線を上げると、黒い半透明のトリトナスの体がモヤみたいに広がってるように見える。
そのまま黒い
「よくやったソウカ! トリトナスが消滅したぞ!」
「え? あれ? これで終わりなの?」
近くにいたルーの言葉で本当にトリトナスが消滅したんだってわかったけど、最後まで演奏しなきゃならないと思っていた私はとまどった。
おつかれさま、って労るように私の頭を小さな肉球でポンッとたたいて、ルーは「終わりじゃ」と詳しく話してくれる。
「何人もの心を壊して強くなったトリトナスなら最終楽章まで演奏する必要があるじゃろうが、今回のトリトナスは第一楽章だけで消滅できるくらいのモノじゃったからの」
「ええぇ!? なにそれ、わかってるなら先に言ってよぉー!」
気合を入れていたぶん力がぬけちゃって、私はルーを非難するように叫んだ。
トリトナスが消滅した後、雪くんはすぐにハッとしたように正気を取り戻した。
「ぼく何してたんだっけ? 教室出た辺りまでは覚えてるんだけど……」
とまどいながらも、いつものふわふわホワホワな優しい雪くんに戻ってる。
春ちゃんのときもそうだったけれど、いつもと様子がちがうようになってからの記憶は曖昧になってるみたい。
なにはともあれ、無事だったことによかったって胸をなでおろしていると、雪くんが不思議そうに首をかしげた。
「それにしても、奏華ちゃんはその格好どうしたの? かわいいけど……いつの間に着替えたの?」
「あ」
雪くんに指摘されて、まだマギ・ディリゲントの状態だったことに気づいた。
「そうだね。よくわからないことばっかりだったから、ちゃんと説明してほしいな?」
春ちゃんにも笑顔で説明を求められる。
いつものかわいい笑顔だけど……ちょっとこわく見えるのはなんでかな?
まあでも、春ちゃんには一部始終見られちゃってたから、もう説明するしかないよね?
雪くんにもこの格好見られたんじゃあ話さないわけにはいかないだろうし。
チラッと律を見ても仕方ないなって顔で苦笑いしてるから、話すことは問題ないみたいだし。
「うん。ちゃんと話すよ」
ウソやごまかしはしないって意味でまっすぐ春ちゃんの目を見てうなずくと、ちょうどグウゥゥ、と誰かのお腹が鳴る音が聞こえた。
その音を鳴らした人物を、他の三人が見る。
「……とりあえずさ、お昼食べようか?」
ふにゃ、と笑った雪くんの言葉で、みんなお昼ご飯がまだだったことに気づいた。
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