音楽の悪魔・トリトナス①

 本当にこれ、どうすればいいの?

 片方の耳をふさいだまま右手に持った銀色の物体を見つめる。

 すると音成がまた叫んだ。


「マギ・ディリゲントは魔導指揮者まどうしきしゃだ! そのタクトを使って正しい音楽を指揮するんだ!」

「っ! やっぱり……」


 予想していたとおりのものだってわかってためらいが強くなる。

 涙型の銀色の物体がタクトだっていうならこれは持ち手の部分だ。

 お父さんが使っていたから見覚えがある。


「エントフェッセルンと唱えろ! それでそのタクトは起動する!」

「え? エントフィ? ちがうか、エントフェッセルン?」


 音成の言葉を繰り返すと、銀色の持ち手が温かくなる。

 そして涙型の細い方からシャフトと呼ばれる本体部分の棒が出てきた。


「わっ!?」


 こんなふうに出てくるとは思わなかったからビックリしていると、もっとおどろくことが起こる。

 温かかった持ち手がもっと熱くなって、その熱が光になって私の全身を包んだ。


「な、なになに!?」


 訳がわからなくてとまどっていると、光が制服の形を変えていく。


「は? なにこれ!?」


 光が消えて見えたものに、私は思わずすっとんきょうな声を上げた。

 だって、服装があり得ない状態に変わってるんだもん!

 オレンジを基調としたひざ丈のワンピースドレスみたいなものに、そでの短い燕尾服えんびふくみたいなジャケットを着てる。

 頭にも何かついてるみたいでさわってみたら、ちょうどお団子にしている部分に小さいシルクハットみたいな帽子がついてた。

 え? 本当になにこれ? もしかして私、変身しちゃったの?


「おお! やはりワシの目にくるいはなかった! ソウカこそリツのマギ・ディリゲントじゃ!」

「……まじかよ」


 よろこぶルーの声とちょっと信じたくないっていう感じの音成の声が聞こえた。

 そのときやっと、うるさかったキイィィィィーーー!って音が少し落ち着いてることに気づく。

 目の前にはまだ春ちゃんの額から出てるトリトナスがいる。

 状況は変わってないけど、なんだかさっきまでと雰囲気っていうのかな? 空気がちがう感じがした。


「ねえ、これどうなってるの? うるさくはなくなったけど、これで終わりってわけじゃないんだよね?」

「その通りじゃ。今はタクトの力を開放したことで結界が作られた状態じゃ」

「結界?」

「うむ。マギ・ディリゲントはトリトナスが奏でる不協和音の中から本来の曲を聴きわけ、その曲を正しく演奏することでトリトナスを消滅させるのじゃ」

「その間に誰か人が来たら困るだろ? そのための結界――目に見えない壁みたいなものだよ」


 ルーの説明に音成が引きつぐように説明してくれる。

 ってことは、今は誰も保健室に入ってこられないってことなのかな?

 結界とかよくわからないけど、大体あっていると思う。


「さあ、ソウカ! トリトナスの耳ざわりな音から正しい音楽を聴きわけるのじゃ!」


 うれしそうなルーにうながされて私はトリトナスに向き直る。

 でも、言われた通りに聴きわけるのをためらってしまう。

 音楽にはかかわらないでいたかったのに……まして、指揮者だなんて。

 一年前まで、お父さんみたいな指揮者になりたいと夢を見てた。

 たまにだったけれど、お父さんのタクトを貸してもらって指揮棒のふり方とか教えてもらって。


「っ!」


 やっぱり、つらいよ。

 私の手にフィットするタクトの存在が、お父さんを思い出させる。

 思い出して、大好きなお父さんはもういないんだって思い知らされる。

 やっぱり私、音楽はキライだよ……。


「なにしてんだよ水谷! 早く聴きわけろ、トリトナスが逃げちまうだろ!?」

「っ! わ、わかってるよ!」


 いらだった様子の音成の声に、私は反射的に返事をした。

 そうだ、今は音楽がキライとか言ってる場合じゃないよね。

 あのトリトナスってやつを消滅させないと、春ちゃんの心が壊れちゃうっていうんだもん。

 今だけ。

 春ちゃんを助けられるのが私しかいないから、仕方なく指揮するんだ。

 自分に言い聞かせて、私は聴きわけるために耳をすました。

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