音楽の悪魔・トリトナス②
「……」
さっきほどじゃなくても聞こえるキイィィィィーーー! という不快な音。
これも結界のおかげなのか、壁を一枚へだてたみたいにちょっとくぐもって聞こえる。
おかげで集中して聴くことが出来るようになってた。
……耳ざわりな音の中に、たしかな旋律が聞こえてくる。
これは……ダダダダーン! っていう印象的な音から始まるこの曲は――。
「これ、ベートーベン作曲の『運命』だ……!」
正式名称は【交響曲第五番ハ短調】。
運命っていう題名は通称であって、ベートーベンがつけたわけじゃないんだって。
でも、このダダダダーン! って音を聞くともう運命ってイメージがついちゃってるからそれ以外に考えられないんだよね。
「なんじゃと!? このトリトナスはワシの曲を使っておるのか!? ええい! ソウカよ、さっさとこのふざけたトリトナスを消滅させるんじゃ!」
私の言葉を聞いたルーが怒りだす。
でも小さなライオンの姿だから怒っていてもちょっとかわいい。
「わかったよ。……でも、あとはどうすればいいの?」
「トリトナスに向かって曲の正式名称を宣言するんだ。あっていればタクトが反応して曲を奏でることができるはずだ」
音成が説明してくれたけれど、どこかたよりない。
「できるはずってどういうこと? このタクトを調律したのあんたなんでしょう?」
調律って楽器の音を正しくととのえることをいうから、タクトを調律ってなんだかおかしい感じがする。
でもさっきから音成はそう言ってるから、合わせた方がいいかなって思ってその言葉を使った。
私の不満を受けた音成は少しバツが悪そうに眉を寄せる。
「しかたないだろ? オレの調律したタクトを使ってくれるマギ・ディリゲントがいなかったんだから」
「ってことは何? 今これぶっつけ本番ってこと!?」
たよりないにもほどがあるでしょ!?
「うるせぇ! いいから早く正しい曲を指揮しろよ! とにかくやってみなきゃわかんないだろ!?」
もっと文句を言いたい私を音成はギッとにらむ。逆ギレされた。
だから! 目つきの悪いあんたがにらむと怖いんだってば!
ちょっとひるみながら、文句は心の中にとどめてトリトナスに視線を戻す。
「えっと、正しい曲の正式名称を言うんだよね? ……ベートーベン作曲【交響曲第五番ハ短調】『運命』!」
トリトナスに向かって宣言すると、またタクトが熱くなる。
そしてタクトの先が光ったと思ったら、その光がぶわっと放出された。
星が流れるみたいに、光の線を描きながら私の周りを囲む。
光の線は色んな形を作っていって、タクトの光がなくなった頃には私の周りにたくさんの光で出来た楽器が浮かんでいた。
トランペット、ホルン、オーボエ、ヴァイオリン、フルート。
他にもたくさん。
「よし! ちゃんと起動してるな」
さっきとは打って変わって自信満々の笑みを浮かべる音成にちょっとあきれた。
でも、にらまれるよりはこっちの笑顔がいいなって思う。
「その光の楽器を指揮して正しい曲を奏でるんだ!」
笑顔の音成はふつうにイケメンで、ちょっとドキッとしちゃった。
「わかってるってば!」
でもそれがなんだかくやしくて私はぶっきらぼうに返す。
「ソウカ、たのむぞ!」
ルーにもうながされて、私はタクトを一度ギュッとにぎる。
ひとつ深呼吸をして、タクトを振り上げた。
演奏直前のシン、と澄んだ空気。
周囲にある光の楽器が私のタクトの先に集中しているのを感じる。
その張りつめた静けさをやぶるように、私はタクトを振り下ろした。
次の瞬間、音が鳴り響く。
トリトナスの耳ざわりな音を包むように。
包んで、くるわされた音楽を少しずつ直していく。
……すごい、楽しい。
タクトの動きに合わせて、楽器が音を響かせていく。
私と、それぞれの楽器の呼吸が合って、一体感が高まっていく。
一年ぶりに体感する音楽は、とても楽しかった。
タクトに合わせて音が鳴る光景は、まるで魔法のようで。
お父さんが指揮するオーケストラをはじめて聞いたときのことを思い出す。
色んな楽器の音にのみこまれて、高揚感にドキドキした。
私も指揮者になりたいって思ったあの瞬間。
あのときのうれしさ、楽しさ、よろこびを思い出していく。
でも、すぐ後に別の記憶がフラッシュバックする。
黒い額縁に入れられたお父さんとお母さんの写真。
二人の遺影の記憶と一緒に、悲しさが胸に広がる。
大好きな両親が死んでしまった原因でもある音楽を楽しいと思うことに罪悪感が芽生えた。
「っ!」
罪の意識でがんじがらめになって、タクトを振る腕がピタリと止まる。
音もピタリとやんで、トリトナスのキイィィィーーー!って音だけに戻ってしまった。
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