遺作
色葉充音
遺作
明日、午前零時に死のうと思う。
ワープロにそんな書き出しを残して、僕は誰もいない家を飛び出した。
眠る住宅街に一つの荒い息遣いと足音が響く。光も人も温度も遠く、目的地もなく駆け抜ける。
そんな僕を見ている三日月は、仕方がないなぁと言わんばかりに余裕な顔して着いてくる。
ふと、小さな足音に気づいた。それは僕が立ち止まると聞こえなくなって、僕が走り出すと聞こえてくる。
死のうと思っているはずなのにどうしてかとても面白いものに感じた。未練なんてなかったが、その正体を確かめるまでは死にたくないと思った。
十分ほど走ってみても、足音は一定の距離を保ったまま着いてくる。足を止めてそっと振り返ると金色の瞳と目が合った。
闇に紛れる毛並みの整った黒い体、時折ぴくぴくと動く愛らしい耳、ぴんと立ったふわふわの尻尾。
僕を追いかけてきた黒猫は、にゃーんと足元に擦り寄ってちらりと上目遣いで見つめてくる。まるで「死ぬのはボクと遊んでからで良くない?」と言っているようだ。
「……そうだね、死ぬのはまた今度にしようか」
ポケットから取り出したスマホは午前零時一分を示していた。
——なんて、そんな都合良く現実はできていない。
血を流すのが怖ければ、空に堕ちる勇気もない。息を止める覚悟がなければ、覚めない夢に入る気もない。
僕には生きることしかできなかった。
生きるためには書かなければならない。書いて、書いて、書いて……、金を稼がなくてはいけない。書けば書くほど生きることに繋がって、書けば書くほどに分からなくなる。
未来も、希望も、幸せも、そんなものは存在しない。生きる意味なんてこの世界にあるわけがない。もしも存在していたらこうして書いてはいないはずだ。
意味のない世界に向かって、意味はあるかもしれないと呟く。消えたい僕から世界に向けてのちょっとした意趣返しだ。
でもそれってどうしようもなく馬鹿らしいとは思わない? 実際、世界がそれを知った時はどう思うんだろうね。
それが分かるのは、僕が死んだ時。
——……明日、午前零時に死のうと思う。
願わくば、この物語が遺作となりますように。
遺作 色葉充音 @mitohano
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