16(期末テスト)

 中学校に通い始めてから早3ヶ月。

 中川と柳瀬と一緒に過ごすことが増えてから襲われることも減り、たまに襲撃されることはありつつも穏やかに過ごす日々を香流は楽しんでいた。


「もうすぐ期末テストだねぇ」


 いつものように屋上で香流の作ったお弁当を広げながら、中川はのんびりとした口調で呟く。

 今日のお弁当は焼き鮭、ブロッコリーのごま和え、卵焼き、アスパラの肉巻き、そしておかか和えをまぶしたおにぎりといつもながら多彩なおかずが入っている。


「そういや先生がそんなこと言ってたな」


 香流は担任の錦織が言っていたことを思い出した。1学期の総まとめのテストで、色んな教科のテストがあるらしい。


「赤点取ったら補習なんだって」

「ほしゅう?」

「夏休みも学校きて授業受けるってこと」


 あかてん。ほしゅう。


 柚姫は大丈夫かな。一気に不安になってきた。


「夏休み毎日雨は嫌だな⋯⋯」

「なんで雨?」

「柚姫の機嫌で天気が左右されるんだよ」


 はぁー、と香流はため息をついた。

 せっかく中川と柳瀬と無人島に行く予定だったのに。雨ばっかりだと行ける範囲が限られてしまう。


「まぁお前の妹アホだもんな」

「柚木は大丈夫なの?」

「今のところは⋯⋯?」


 分からないところは先生に聞きに行っているし、家に帰って賢吾と雲雀が色々教えてくれるし、勉強で困っているところはない。

 この間、石田に坂田先生が今年で最後と聞いてから香流はしょっちゅう坂田のところへ遊びに行っていた。そのお陰で英語の理解が急成長しているのを本人はあまり自覚していない。


「そうだ!夏休み、坂田先生の家に遊びに行っていいって!野菜育ててるから見においでって言ってた!中川と柳瀬も行こうな!」

「坂田先生のお家農家なの?」

「のーか?」

「坂田先生、お野菜育ててる人?」

「奥さんが野菜好きなんだって。でっかいとうもろこしあるって言ってた!」


 とんでもなく坂田先生に懐いている。中川と柳瀬は呆れつつもまぁいいかと頷いた。


「夏休みいっぱい予定立ててるねぇ」

「海でさぁ、鮫も見たい!」

「おい止めろ」


 柳瀬は真顔で制止した。こんな浅瀬に鮫が出たと知られたらニュースになる。

 香流は「えー」と文句を言いつつ、柳瀬をじっと見上げる。


「⋯⋯鮫と遊びたい」

「駄目」

「人のいない所でするから」

「駄目」

「じゃあ夜にひとりで行く」

「ぐっ⋯⋯!」


 コイツ、交渉術を学んでいやがる⋯⋯!


 夜にひとりで海なんて了承出来るはずがない。ただでさえ可愛いのに、夜の海!?何に襲われても文句言えねぇぞ!

 己の可愛さを全く自覚していない柚木に戦々恐々とする柳瀬は、ぎりりと歯噛みして唸るように口を開く。


「⋯⋯っ、手頃な無人島を探してるから、待て!」

「わぁーい!」


 あぁ、無垢なワガママほど厄介なものはない。


 柳瀬は寂しがり屋だからいいって言うと思った!と素直に喜ぶ香流は嬉しそうにニコニコしている。そんな様子を見て、苦笑いする柳瀬も何だかんだで嬉しそうだ。

 

 中川はふっと生暖かい瞳でふたりのやりとりを見守っていた。

 

 無人島探しに、標高の高い山の人払いと、柳瀬の金使いがどんどん荒くなっている。


 まぁ本人が満足そうだからいいか、と中川はデザートのお弁当箱へ手を伸ばした。




 

 さて、どうしようかと雲雀は鉛筆を回しながら悩んでいた。

 香流はいい。根が素直なので知識の吸収が早い。じっと座っていられるかという不安も、最近は落ち着いたのか授業中も大人しく座って聞いているらしいのでテスト中もまぁ大丈夫だろう。

 賢吾は言わずもがなだ。医大狙いなので先を見越して課題を与えている。学校のテストでは躓かないはずだ。

 問題は、柚姫だ。


「テスト、嫌なのよぅ⋯⋯」

「柚姫にとっては世紀末テストだもんなぁ」

「そうだね⋯⋯」


 土砂降りの天候を窓越しに眺めながら、賢吾は苦笑を浮かべている。

 先程、香流から「雨がひどくて帰れないから泊まれって言われた」と連絡が来た。現在時刻は夕方の6時。まぁ、空はどんよりしてるからお泊まりは妥当だなと雲雀も思う。


「ゆず、夏休みは補習だって先生が⋯⋯」

「補習受けろって言われたの?」

「赤点回避は無理だろうって言われたのよ」


 まぁ、小学校の終わり頃10までが限界だった柚姫だ。ここ最近成長は目まぐるしいが、100までに伸びた程度では数学に太刀打ち出来ないだろう。


「せめて、この夏はXくんとYちゃんと仲良くしなさいって⋯⋯」

「あぁ、柚姫はふたりと仲悪いもんなぁ」


 数学と英語をかけられている。上手いこと言うなと雲雀は感心した。


「柚姫、補習を受けることは悪いことじゃないぞ」


 今から柚姫に赤点回避のための特訓をするのは不可能と判断した雲雀は、補習へ通うことのメリットを提示する方向へシフトチェンジする。


「夏休みに学校に通うことで、柚姫に合った授業を受けられる」

「ゆずに合った授業」

「しかも柚姫は園芸部だ。夏休み中も花の世話が出来るというメリットがある」

「まぁ夏休みでも部活はあるもんね」


 賢吾も夏休みなんか関係なく部活動するぞ!と部長に言われている。

 全国大会が8月にあるらしく、そこに向けて調整するぞと部長がいやに張り切っていた。


「香流は友達と泊まりでお出かけするって言ってたしね」

「アイツめちゃくちゃ楽しんでるな、学校生活⋯⋯」

「いい友達に出会えて良かったね」


 賢吾は柔らかく微笑した。

 いつもながら良く出来た弟だ。雲雀はうんうんと頷く。


「まゆは⋯⋯?」

「俺?俺は友達なんて非合理的な存在いらないね」

「そうじゃなくて、まゆは学校行かないの?」

「学校?」


 雲雀は問われている意味が分からず聞き返す。

 何で俺が学校に?そもそもテストも免除されている上、こちとら論文作成と投資で何かと忙しい。


「お兄ちゃんがお出かけして、賢吾とゆずが学校行ったらまゆがひとりになっちゃう」

「いやまぁ、別に⋯⋯」

「まゆも一緒がいいのよ」


 雲雀はゆっくりと崩れ落ちた。

 テーブルに突っ伏して顔を隠している。直視できない太陽が目の前にある。目の奥が煌めきで焦がされる。


「灼き尽くされるぜ⋯⋯」

「どうせ暇なら柚姫に付き合ってあげたら?」

「ま、俺の方はパソコンさえあればどこでも出来るからな。柚姫の補習付き添ってやるよ」

「ほんと?」


 柚姫はぱあっと表情を明るくさせた。

 雨が止み、雲間から光が差し込む。まるで美しい天使が降りてくるような錯覚が雲雀に訪れる。


「ゆず、嬉しい」


 ちょっと照れたようにはにかまれて、まゆずみ雲雀は真っ直ぐ倒れた。

 直立不動で床に倒れる幼なじみ兼兄は、人類が見てはいけない顔をしていたと後に賢吾は語る。




「あ、雨上がった」


 柳瀬の部屋の窓から顔を出して、香流は嬉しそうに中川と柳瀬を振り返った。


「なぁ、遊びに行こ!」

「アホか。もう夕方の6時だよ。いい子は晩ご飯の時間だ」

「水たまりで遊びたい!」

「クソガキだなお前はよぉ⋯⋯」


 言うなり部屋を飛び出して行く香流は、部屋遊びの鬱憤が溜まって元気いっぱいだ。

 ほんとじっと出来ねぇなぁと思いながら、柳瀬も重い腰を上げた。中川も続いて立ち上がって、パタパタと柳瀬の後を追いかける。


 階段を下りた先に、もう香流はいなかった。


「おい⋯⋯」


 ひや、と柳瀬の背筋が凍る。

 慌てて玄関を見に行くと、靴はある。だが姿がない。


「パッセル!柚木は!?」

「はぇ!?」


 リビングで寛いでいたパッセルは、急に声をかけられてびくりと肩を跳ねさせた。


「み、見てないでやんすよ」

「えぇ!?」

「おい、ほんの一瞬だぞ!」


 しかも俺の家で。全く何の気配も感じなかった。

 ぎりりと柳瀬は歯噛みする。舐めやがって。怒りを込めて扇を床へ叩きつける。


捜扇華そうせんか!」


 床に置いた扇から白いタンポポの花が咲き誇り、壁を伝って天井へ伸びて行く。

 中川と柳瀬は天井を見上げた。


 そこに、


「―――いた!」


 紫色の巨大な人型蜘蛛が、白い繭のようなものを抱えて逃げていくところだった。


「中川、追うぞ!」


 柳瀬は手早く扇を拾い上げると、階段へと足を向けた。

 

「蜘蛛いやぁ⋯」

「俺も嫌だわ!べそかくな!」


 中川もメソメソしながら階段を登り、蜘蛛の後を追う。

 逃げ足が速い。中川を気にかけていては追いつけない。


「クッソ!」


 柳瀬は舌打ちしながら、部屋に逃げ込んだ蜘蛛目掛けて、座卓の上に置きっぱなしだった鉛筆を投げる。

 カン、と跳ね返ってくる。固い。蜘蛛は窓枠に足をかけ、壁を伝って上へ向かっていく。

 柳瀬も窓枠に足をかけ、屋根の縁を掴んで屋根上へ向かって跳躍した。その眼前に蜘蛛の顔があり、思わずゾワっと全身に鳥肌が立つ。


「気持ち悪ぃ!」


 肘をお見舞いするが、やはり、固い。

 いってぇ。蜘蛛は耳まで裂けた口をにちゃりと開く。細やかな尖った歯が並んで、その奥にスプリットタンが見えた。


「てめぇ、何もんだ」

《吾輩はエントモフィア星から来たエントモフィア星人である》

「聞いたことねぇなぁ」


 後から遅れて中川が屋根に上がってきた。

 はぁはぁと荒い息を零したあと、蜘蛛の顔を見て「ふみゃあー!」と悲鳴をあげて柳瀬の後ろに隠れた。


「わぁーん、怖い!おばけみたい!」

《おばけではない。エントモフィア星人である》

「声が綺麗なのがすごく嫌!」

《ワガママである》


 蜘蛛は節の多い脚でくるくると白い繭を回して、赤子のように抱き抱えた。


《この子は吾輩が頂く》

「駄目に決まってんだろ!返せ!」

《貴殿らに拒否権はないのである》


 蜘蛛はぱかっと口を大きく開くと、棘のような歯を飛ばしてきた。


「《結界壁ミューレ》」


 中川が唱えると、薄い銀色の膜がふたりの前に現れる。

 蜘蛛の歯が結界に弾き飛ばされる。中川が術を解くのと同じタイミングで、柳瀬は扇を限界まで開いた。

 

棘扇華きょくせんか!」


 柳瀬の突き出した扇の先端から、数え切れないほどの小さな薔薇が咲き誇り、緑色のとげが轟速で飛び出していく。

 だが全て弾き飛ばされる。蜘蛛がかさりと脚を踏み出して、ふたりへ向かって跳躍してきた。柳瀬は中川を抱えてサイドへ跳ぶ。


 ずん、と重い音が屋根を伝って足元へ伝わる。


 まるで鉛のようだ。当たったらひとたまりもないな。蜘蛛はまたこちらを向いて口を開く。


「中川、この前蛙に使った術は使えるか!?」

「だ、ダメだよ。柚木も巻き込んじゃう」

「それはマズイな」


 繭ごと柚木を消滅させられては元も子もない。

 そうこうしている間にも歯が飛んでくる。中川は咄嗟に呪文を唱えようとして、

 ひゅ、と口元に白い糸を巻き付けられた。


「んぅ!?」

「―――護扇華ごせんか!」


 瞬時の判断で柳瀬が開いた扇を回転させる。

 細い花弁を有するノコンギクが点在し、中川の結界を真似て白い壁を作る。そこへ、蜘蛛が躊躇なく体当たりをかましてきた。

 重い。歯がバラバラと落ちるのを目視して、柳瀬は術を解く。

 突撃してくる蜘蛛を寸でのところで避け、柳瀬は屋根の上へ扇を滑らせた。


突扇華とつせんか!」


 地面に置いた扇から、花の槍が轟速で突き上がる。


《ぎぃ!》


 腹に装甲はなかったか。串刺しになった蜘蛛を見上げて、柳瀬はふぅと肩の力を抜く。

 その肩を、飛んできた蜘蛛の脚が貫いた。


「いっ⋯てぇな!」


 左肩に激痛が奔る。蜘蛛の生命力を舐めていた。

 見上げた先、蜘蛛がにちゃりと口を開く。


 やべぇ、扇はまだ蜘蛛の下だ。


 青ざめる柳瀬が中川だけでも逃がそうと判断した瞬間、蜘蛛の真上に太陽の光が現れた。


「柳瀬に何すんだてめぇ!」


 繭から抜け出した香流が、蜘蛛の脳天へ勢いよくかかと落としを繰り出す。

 香流のかかと落としの衝撃で、ツキヌキオグルマが更に深く刺さる。蜘蛛は劈くような悲鳴を上げ、黒い粒子へと変わっていった。


「柳瀬!」


 香流は着地すると、柳瀬の元へ向かって急ぐ。

 柳瀬は顔を顰めながら、流血する肩を押さえていた。中川が慌てて柳瀬の傷口に手を添え、そっと目を閉じる。


治癒ホスピル


 中川の手のひらから乳白色の光が広がって、柳瀬の傷口へ集結していく。

 柳瀬の傷口は瞬時に閉じた。あまりの早さに柳瀬は驚愕する。


「すげぇな、中川」

「俺は聖魔法特化だから!」


 えっへんと胸を張る中川のお腹がぐう〜と盛大に鳴った。

 柳瀬はがくりと肩の力が抜ける。力の抜ける間抜けな音に苦笑いしていると、香流が飛び付いてきた。


「柚木が無事で良かった」

「柳瀬は無事じゃなかった!」


 涙目で声を張り上げる香流の声が揺らいでいる。

 柳瀬はぽんぽんと頭を撫でて、ぎゅうっと身体を閉じ込めた。心配してくれて嬉しいやら情けないやら、複雑な感情だ。


「中川が治してくれたから大丈夫だよ」

「毒とかあったら無事じゃなかったかも⋯っ」

「今のところ何ともねぇけど⋯⋯」

「念の為解毒しとく?」


 ぐう〜とお腹を鳴らしながら、中川は柳瀬に手をかざす。


解毒ピュアリム

 

 次は薄黄緑色の光が柳瀬を包み込んだ。

 ふ、と光が消えた瞬間、中川はばたんと倒れる。香流は驚いて中川を抱き起こした。


「な、中川!」

「お腹が空いて力が入らない」

「大丈夫かよ」


 柳瀬は香流から中川を引き寄せて、お姫様のように抱き上げる。

 中川は羽のように軽い。流石天使だ。柳瀬ははぁーとため息をついた。


「自分がなっさけねぇ」

「柳瀬は情けなくない!」

「そうそう!蜘蛛やっつけてくれてありがとう!」

「優しいなぁお前ら⋯⋯」


 雨は上がったが、柳瀬の怪我が心配で香流は家には帰らなかった。

 柳瀬を囲むようにして眠る香流と中川の寝顔を眺めながら、しみじみと幸せを噛み締める柳瀬だった。




 次の日、学校へ行っても蜘蛛の事は家族の誰にも話さなかった。余計な心配をかけたくなかったからだ。


「香流、じっとして」


 家に帰る前に柳瀬の家へ寄ると、赤山とお勉強をしていた蓮が小走りで寄ってきた。

 じっと香流を見上げたあと、左側の襟首へ手を伸ばす。びっくりしたのは香流だけではなく、柳瀬も慌てて蓮の手を取った。


「蓮!?」

「小さいのいた」


 蓮が手を広げると、コインサイズの蜘蛛がじたばたと脚を動かしている。


「みゃぁー!」


 中川が慌てて靴を脱ごうとしてビターン!と玄関先で転んだ。香流と柳瀬は顔を見合わせる。


「昨日の⋯⋯?」

「蓮、まだいるか?」

「たくさんいる」


 柳瀬には、何も見えない。

 蓮には何が見えているのか。じぃっと香流の肩口や袖口を見つめながら、瞳だけが動いている。


「蜘蛛がいるの?」

「違う。黒い、もやもや。もやもや固まって蜘蛛になる」

「もやもや⋯⋯」

「蓮、それを引きずり出せるか?」


 柳瀬に言われて、蓮は首を傾げた。

 引きずり出すが分からないか。柳瀬はうーんと悩んで、


「みんなが見えるように出来るか?」

「⋯⋯⋯」


 尋ねる柳瀬に、蓮は困ったような顔で首を振る。

 流石に可視化は出来ないか。柳瀬が香流の髪をわしゃわしゃしても何も出てこない。蓮には何が見えているんだろうか。


「全然分かんねーけど⋯」

 

 香流にも何も見えない。キョロキョロとしても額を押さえる中川が見えるだけで、黒い粒みたいなものは視界には入ってこない。


「あっちとこっちの間にいる」

「そう言われても全然分かんねぇな。―――中川!」

「ふぁい⋯⋯」


 柳瀬が呼びかけると、中川はメソメソしながら立ち上がった。

 

「昨日の解毒魔法使えるか?」

「ん?うん、分かった」


 中川は香流の手を取ると、目を閉じて「解毒ピュアリム」と唱えた。

 瞬間、ぶわ、と黒い粒が拡散して消えていく。


「なんだありゃ」

 

 毒をくらっていたのは柚木の方だったのか。毒と言うより、瘴気のようなものを付着させられていたのかもしれない。


「蓮、どうだ?」

「なくなった」

「みてぇだな」


 柳瀬はほっとすると、わしゃわしゃと蓮の頭を撫でた。

 びっくりして目を見開く蓮が可愛い。とても偉い。


「教えてくれて偉い!」

「蓮、ありがとう」

「う⋯⋯うん」


 褒められて嬉しそうな蓮はとてもいい子で可愛いが、輪をかけて蓮の正体が分からなくなってきた。


 瘴気を着けられていた柚木はともかく、俺も中川もずっと一緒にいたのに何も気付けなかったものが見えていた。

 

 あっちとこっちの間、と蓮は言っていた。


 こっちはこの世界だと理解できるが、あっちとはどこだ。


 見えている世界が違うなんて思いもしなかった。じっと見つめていると、蓮が家の中を指さす。


「入らない?」


 きょとんとした顔の蓮が、そんなに悪いものだとはどうにも思えない。

 今は聞いても答えられないだろう。いずれ聞けばいい事だ。柳瀬はそう結論付けると、靴を脱いで家に入った。


「柚木、今日真っ直ぐ帰らなくて良かったな」

「蓮のおかげで俺の家族が守られた」

「俺はおでこが痛かった⋯⋯」


 中川の額を撫でて、柚木も柳瀬の後に続く。

 蓮も中川の額を撫でた。中川は蓮の瞳を覗き込んで、こそりと蓮に耳打ちする。


「蓮は微弱な瘴気が見えるんだね」

「しょうき?」

「あれは良くないものだよ。俺はまだちゃんと見えないけど⋯⋯。また見つけたら教えてね」


 そうか、あれはこの人たちには良くないものなのか。


「⋯⋯うん」


 あの黒いモヤモヤは、志賀龍司に連れて来られた家には、たくさんいる。

 この人たちは近付けない方がいい。志賀龍司はいつでも連れてきていいよと言っていたけど、やっぱりやめておこう。


「はぁ、お腹すいた。今日の晩ご飯何かなぁ」


 中川が呟きながら中へ入っていくのを見送って、蓮はしゃがみこむ。


「おまえは入るのだめ」


 玄関先の窪みに隠れた蜘蛛を指で潰して、蓮も中川の後に続いた。




 期末テストが無事終わり、もうすぐ夏休みがやってくる。


「手頃な無人島を押さえたぞ」

「さすが柳瀬」

「おいなんだその顔は」


 柳瀬の部屋で、ふふんと鼻を鳴らす柳瀬に中川は呆れ顔で拍手を送る。

 中川は柳瀬の部屋に居候しているので、柳瀬のベッドの隣に布団を敷いて休んでいる。シルク素材のパジャマは柳瀬がわざわざ用意してくれた。相変わらず至れり尽くせりの男だ。


「柳瀬の愛が怖い⋯⋯」

「その方が都合がいいと思っただけだ。あのアホ連れて人の多い場所へ行けねぇだろ」

「まぁ、それはそうだけどぉ」


 だからと言って安易に貸切とか買収とかするのはいかがなものだろうか。


「みんな連れてくの?」

「柚木の家族は全員行かねぇってよ」

「嬉しそうに⋯⋯」


 中川が突っ込むと、柳瀬はうっと言葉を詰まらせた。

「みんな学校で用事があるんだって」と少ししょんぼりしていた柚木には申し訳ないが、家族の目を気にせず一緒にいられるのは正直嬉しくて仕方がない。


「蓮はどうするの?」

「アイツは門限があるからなぁ⋯⋯」


 胡座に肘をついて柳瀬が呟くと、突然、窓がガラリと開いた。

 ひらひらと薄い紙が舞い込んでくる。柳瀬が急いで窓の外を見ても、もう何もいなかった。

 中川は落ちた紙を拾って、ゆっくりと読み上げる。


「夏休みは剣道部で忙しいから、蓮のことよろしく。でも、あげないんだから♡」


 柳瀬は膝をついて、拳を打ち付ける。

 

 クッソ、話聞いてやがったな!一体いつからだ!?


「蓮が来たら俺の隣に寝かせてあげよー」

「そんな呑気な話か!あー、くそ!お泊まりセットの用意しなきゃな!」

「わぁ、すごく嬉しそう」


 棒読みで言いながら、中川はごろんと布団に転がった。そのまま目を閉じてすやすやと眠り始める中川を見下ろして、柳瀬もベッドへ戻る。


 色々と思うところはあるが、初めての友達と過ごす夏休み。

 何が起こってもいいように備えておかないと。あぁそれに、水着も用意しなければならないし、向こうで過ごすならキャンプの道具もいるな。柚木に任せていたらガチのサバイバルになりかねない。


 ⋯⋯楽しみだな。


 素直にそう思った自分に驚きながら、柳瀬は黙って布団に潜った。

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