11(不思議なこども)

 新緑の季節がやってきた。

 GWの予定表を中川と作成した香流は、お弁当の時間に柳瀬へ提出した。柳瀬はにっこりと微笑んで、ふたり並べられて説教タイムが始まった。

 妥協に妥協を重ねて、初日は柳瀬家にお泊まりする事が決まった。次の日は中川と柳瀬が泊まりに来る。そして次の日は動物園へ。

 休みの日もずっとふたりと一緒だと香流は家に帰った後もとても機嫌が良かった。


「本当は毎日動物園に行く予定だったんだけどなぁ」

「却下されて良かったね」


 家でGWの予定を聞かれたので答えたら、賢吾が微妙な顔をしていた。

 柚姫はまた香流とゆっくり過ごせない事にむくれていたので大雨が降った。今度一緒に服を買いに行く約束をしたら機嫌が治ったので、香流はいずれ迎えるその日に備えて覚悟を決めた。



 そして迎えたGW初日。


「とりあえず宿題しようぜ」

「まぁそれもそうだな」

「せっかくのお休みなのにぃ〜」


 柳瀬の部屋の座卓で、3人は真面目に宿題を広げていた。

 担任の錦織からは宿題は出なかったが、英語に現国に数学と盛りだくさんだ。

 今日は柚姫は友達とお出かけのはずだから、多分明日は雨が降るな。

 まゆも呼んどこ、と香流は遠い目をした。柚姫に勉強を教えるのはしんどい。そう言うのは適材適所に限る。まゆなら柚姫を見捨てない。


「ねぇ、見て〜!坂田先生!」


 いきなり中川がノートを見せびらかしてきた。

 薄毛に髭とものすごく特徴を捉えた英語教師がそこにいた。思わず香流と柳瀬は吹き出してしまう。


「お前なぁ、宿題しろよ!」

「リピィ〜トゥアフトァ〜ミィ?」

「やめろ!」


 笑いすぎてお腹が痛い。

 坂田は厳しいながらも生徒人気は高い。妙な発音が中学生受けしているからだ。

 香流と柳瀬が腹筋の痛みに苦しんでいると、カサ、と外から音が聴こえた。

 とても僅かな音だ。香流は思わず窓の外へ視線を移す。


「⋯⋯気のせいか?」

「どうした?」

「なんか音がしたような⋯」


 小首を傾げて窓際へ歩いて行く。

 すると、小さな子どもとばちりと目が合った。


「え」

「⋯⋯⋯」


 黒髪のおかっぱ頭に、左目に眼帯を巻いている、異様に整った顔立ちの子どもだった。

 新緑へ姿を変えた桜の木の上で、鳶色の大きな瞳が不思議そうに香流を見つめている。見つかるわけがないのにと、その瞳が如実に語っていた。

 薄汚れた服が隠す痩せっぽっちの身体が、賢吾と出会った瞬間を思い出させる。

 これはご飯をまともに食べていない身体だ。

 香流の脳裏にばあちゃんの台詞が木霊する。


「ご飯はちゃんと食べなきゃいかんよ。元気の源だからねぇ」


「おにぎり作ってやるからこっちに来い!」


 香流の中の庇護欲が爆発した。

 中川と柳瀬が突っ込む間もなく話が進んでしまった。家主の許可もなく訳の分からん子どもを招き入れた香流は、さっさと部屋を出て行こうとしている。


「おい柚木!ちょっと待て!」

「勝手にご飯あげていいの!?」


 戸惑いながらも素直に部屋に入ってきた子どもは、中川よりも小さくて細い。

 なんか事件性のある子どもじゃないのか。勝手にご飯あげて大丈夫なんだろうか。

 心配そうな中川の肩に手を置いて、香流は真面目な顔をする。


「いいか中川、お腹空いたらご飯を食べる」

「あ、はい」

「誰にでもある権利だ。中川にもちゃんとおにぎり作ってやるから」

「わーい!」

「このアホども!!」


 柳瀬は全力で突っ込んだ。どうしてコイツらは平和に1日が終わらない!?誰だコイツ、なんでうちの庭に侵入していた!?


「柳瀬もおにぎり食べる?」

「おにぎりは求めてねぇ!俺は平穏を求めてる!」


 この際家業が平穏でないことなどどうでもいい。

 1日くらい何もなかったねぇで終わりたい。怒涛の4月が終わったのにまだ5月。365日コイツらに突っ込み続けなきゃならねぇのか俺は!


「おにぎりにしらす入れてやるから⋯」

「誰がカルシウム不足だ!」

「ねぇ、君お名前は?」


 おにぎりで気を良くした中川が、子どもに向かってにこにこ笑顔で話しかけた。

 子どもはじっと中川を見上げている。いや目ぇでっかいなこの子。

 限りなく女の子に近い系統の3人とはまた違った、純粋な綺麗な顔立ちをしている。パッと見で男の子かなと思ったんだけど、これもうどっちか分かんないな。

 それにしても何も言わない。うんともすんとも返事がない。


「おめめ怪我したの?」

「⋯⋯⋯」

「おにぎり好き?」

「⋯⋯⋯」

「どこから来たのか分かる?」

「⋯⋯⋯」

「ごめん、心折れそう」

「中川⋯」


 顔は可愛くてもただ見つめられるだけと言うのはなかなか心を抉られるものがある。

 せめて頷くなり首を振るなり反応が欲しい。こんな至近距離で無視されてるみたいで悲しくなってくる。


「柚木は何考えてるか分かるか?」

「いやぁー、何も分かんないな!」

「なら何で家に入れたんだよ!」


 柳瀬の言い分はごもっともだが、飢えている者を見捨てるのはばあちゃんの流儀に反する。

 香流にはばあちゃんの料理の弟子として、お腹を空かせている生き物はお腹いっぱいにする義務があるのだ。


「とりあえずキッチン行こうぜ」

「さんせーい」

「俺の家なのに多数決で負けた⋯」


 機嫌良く出ていく金銀コンビを見送って、動かない子どもに柳瀬はため息をつく。

 まぁ、ご飯食べさせるくらいならいいか。

 得体の知れない子どもだが、たかが10歳くらいの子どもに何か出来るとは到底思えない。

 後で親を探してやらないとな。柳瀬は部屋の外を指さして、無反応の子どもに話しかける。


「ほら、料理人と食いしん坊が待ってるから行くぞ」


 子どもはきょとんとしていたが、部屋から誰もいなくなったのを見回して柳瀬の後をついて行った。




 米が炊ける間、見目の割に子どもの薄汚れた服が気に食わないので柳瀬は自分のお下がりをいくつか持ってきた。

 これまでの経験上男だろうと仮定して適当に服を着せ替えてやる。驚く事に服の着方も曖昧な様子で、袖から顔を出そうとしたりズボンを被ろうとしたり行動がまるで幼児のようだ。

 結局、属性お兄ちゃんの香流が全部手伝ってあげていた。喋らないけれどとても素直で大人しい。表情もびた一文動かないが、嫌がっている様子はなさそうだった。


「髪も結んでやるよ」


 小さい頃は不器用な柚姫の髪をよく結んであげていた。

 横の髪が邪魔そうなのでハーフアップに結ぶ。髪ゴムは何故か柳瀬が持っていた。綺麗な金色の宝石のついた髪ゴムは、お値段がなかなか張りそうだ。


「俺の色と同じだな」


 香流が自分を指さして笑うと、子どもは初めて少し驚いた表情を見せた。

 可愛い。なんか小動物みたいだな。香流は柚姫にするみたいによしよしと子どもの頭を撫でて楽しそうだ。


「柳瀬、何で髪ゴムなんて持ってるの?」

「昔母親に伸ばせって言われたから伸ばしてたんだよ。アイツあっさり俺の事見捨てやがったからバッサリ切ったけどな」

「柳瀬家の闇⋯⋯」


 聞けば聞くほど柳瀬母息子おやこの確執が酷い。

 そうこうしている間に米が炊けた。すぐ炊飯器に向かおうとする中川を香流はびしっと手で制する。


「炊飯器を開けるのは蒸らしてから!」

「あ、はい」


 中川は言われた通り足を止める。そのまますごすごと大人しくリビングテーブルに戻って行った。4人で食卓を囲んで、3人は子どもへ視線を向ける。


「しかし喋んねぇな」

「名前くらい言えたらねぇ」

「よし、練習しよう!」

「教えるの下手なのに大丈夫?」


 中川は香流の料理教室の事を思い出す。自分が出来ることを出来ない人に教えるのが壊滅的に向いていない香流だが、当の本人は腕を組んでどこか偉そうだ。


「か、お、る!」


 まさかの力技できた。

 隣に座る子どもの手をとって、ぺたっと自分の頬に当てて名前だけを教えると言う強制指導をしている。

 子どもは目をパチクリさせていた。そりゃそうだろうな。眼前で繰り広げられるアホな光景に中川と柳瀬は苦笑いしか出てこない。


「⋯⋯⋯」


 やっぱり全然分かってない。

 そうふたりが同じことを思った瞬間、子どもは伺うようにじっと香流の顔を眺めた後、ゆっくりと口を開いた。


「⋯⋯かおる?」


 澄んだ、鈴の音のような声が子どもの口から滑り出た。

 3人は勢い良く顔を見合わせる。


「喋った」

「まさかの力技が通じた」

「柚木すごい、教え下手卒業だよ!」

「それは言いすぎだろ」


 柳瀬は冷静に中川を制した。この地球の神という存在をあまり調子付かせてはならない。この1ヶ月で嫌というほど経験してきた事だ。


「そう、香流」

「かおる」

「宙」

「そら」

「灯護」

「とーご」


 香流が順番に指をさしていくと、子どもは素直に名前をオウム返しにする。

 少し舌っ足らずではあるが、話せない訳ではなさそうだ。

 柳瀬は突然香流に名前を呼ばれてむせ込んでいた。そう言うの急に出してくるのやめろ。そんな柳瀬を隣の中川は生暖かい瞳で見つめている。


「お前は?」

「おまえ」

「いや、じゃなくて⋯あなた?」

「あなた」

「きみ?」

「きみ」


 全部オウム返しにされるので、痺れを切らせた香流は子どもの手を子どもの頬に押し当てた。


「名前!」

「なまえ」

「⋯⋯⋯」


 急に力技が通じなくなってしまった。

 名前と言う概念がないのか。親になんて呼ばれてるんだこの子は。

 視線で助けを求めてくる香流に、中川はうーんと小首を傾げた。


「もしかして俺と同じで名前がなかったりするんじゃない?」


 中川も、地上に下ろされた時に名前と言うものを与えられなかった。

 香流に出会うまでは中川と言う苗字だけで学校生活を送っていた。この子に苗字があるかは分からないが、名前を与えられていないならピンと来ないのも納得出来る。


「⋯⋯じゃあ俺が名前を付けてやろう」


 この神、また勝手に何か言い始めたぞ。


「ここまででかくなってんなら名前くらいあるだろ。言葉を習得してないから伝えられないだけじゃねぇの?」

「でもこの場で呼ぶには不便だろ」

「まぁ俺達の中の呼び名って事にしたらいいんじゃない?」


 柚木全肯定派の中川が助け舟を出した。

 コイツ。柳瀬が中川を睨み付けても中川はすーんとしている。

 香流は子どもの手をもう一度手に取って、その頬に優しく押し当てた。


れん

「⋯⋯れん」


 子どもが、大きく目を見開いた。

 香流はへへっと笑う。いい名前思い付きましたみたいな顔をしているが、中川と柳瀬は知っている。


「現国の宿題の1ページ目じゃん」

「お前、1ページ目が牛とか豚だったらどうしてたんだよ」

「⋯⋯⋯」


 同じ宿題をしていたので由来が筒抜けだった。


「俺の時も変な虫倒した粒子見上げて思い付いてたよね⋯」

「安直の極みだな」

「悪かったな!おにぎり作ってくる!」

「あ、逃げた」


 名付け逃げしていった香流を視線で見送って、中川と柳瀬はやれやれと肩を竦める。

 まぁ、いいか。本人もどことなく嬉しそうな様子だし。さっきから何度も小さく名前を繰り返しているのが微笑ましい。


「嬉しかったんだねぇ」

「良かったな、蓮」


 中川と柳瀬に言われて、蓮はまたじっと固まったようにふたりを見つめる。


「そら」

「なぁに?」

「とーご」

「はいよ」


 名前を呼んだら返事をしてくれる。

 蓮の中でひとつインプットが完成した。




 一升分のおにぎりは瞬く間に中川と蓮のお腹に収まり、香流と柳瀬がおにぎりを口にすることは終ぞなかった。

 そして柳瀬家の米が消失した。


「中川が来てからエンゲル係数がえぐい」

「お米担ぐよ!」

「当たり前だ!」


 誰のせいで米がなくなったと思ってんだ!


 昼食分の米すらないので、仕方なく買い物に出ようと4人は柳瀬家を出てスーパーへ歩いている。蓮はなし崩し的に付いてきただけだが、まだ帰らなさそうなのでまぁいいかと柳瀬も黙認していた。

 

 と言うか、ひよこみたいに柚木の後をくっついて妙に可愛らしい。


 最初に目が合ったからか。名付け親だからか。

 相変わらず何も話さないが、時々確認するように3人の名前を呼んでくるのでつい返事をしてしまう。


「かおる」

「はーい」

「そら」

「はぁーい」

「とーご」

「はいはい」

「蓮、今から行くのはスーパーだぞ」

「⋯⋯⋯」


 香流が言うと、まただんまりに戻ってしまった。

 言葉の処理能力が追い付いていないのか。きょとんとしている蓮を見て、中川はふふっと微笑みかける。

 

「文章はまだ無理そうだねぇ」

「スーパー」

「すーぱー」

「ま、ちょっとずつだな」


 柳瀬もやんわりと微笑した。


 柚木が妹や弟を気にかける気持ちが少し分かる気がする。

 なるほど、弟と言うものはこんな感じか。中川も同じ気持ちらしく、ほんわかと眉尻が下がっていた。


「蓮、たくさん食べて偉かったねぇ」

「チビほど良く食べる法則だな」

「いつか柳瀬を追い抜いてやるんだから」

「真顔やめろ」


 スーパーへ辿り着くと、香流ははぐれないように蓮の手を繋いだ。

 柚姫といる時の癖が出ただけだが、蓮は肩を跳ね上げてびっくりしていた。香流は蓮の顔を覗き込んで言い聞かせるように話す。


「はぐれる、ダメ、絶対!」

「⋯⋯⋯」

「返事は、はい!」

「⋯⋯⋯」

「はい!」

「はい」


 香流が頷いて言うと、蓮も同じように頷いて返事をした。

 そのまま手を繋いで歩き始める背中を眺めながら、蓮は混乱していた。

 音が大きくて人も多い。初めて来た場所に目を回しそうになるが、香流の背中を見て必死に追いかける。


「かおる」

「なに?」


 蓮が名前を呼ぶと、香流は返事をして振り返ってくれる。

 胸がじんわりポカポカする。繋いだ手から伝わる温もりが、世界を押し広げていくようで蓮は戸惑った。


「中川、10kg抱えろよ」

「俺2kgがいいです」

「お前が一番食うんだよ!」


 蓮を連れてお米売り場コーナーへ辿り着いたはいいが、中川と柳瀬が揉めている。

 中川体力ないもんな。香流は中川の代わりをしてやろうと蓮の手を離す。蓮はしばらく自分の手を眺めていたが、目の前で話す3人を見て何となく今の状況を理解した。

 そして、すたすたと中川と柳瀬の間を抜けて10kgの米袋を持ち上げる。

 積み上がっていた米袋全て。計60kg分の米をまるで紙束のように抱え上げる蓮に、3人は目を見開いた。


「⋯⋯は!?」


 人前なので大声は出せない。柳瀬は口元を押さえた。

 

 チビでガリガリのくせに60kgも持てるか!?


 そして柳瀬は思い当たる。最近、家業関連で非情に残忍な殺しを請け負う組織がある事を。

 素手で首根っこを引き千切り、身の丈以上の刀を振るう化け物の存在は確かに聞いたことがあった。現場へ行くとスプラッタホラーも真っ青な惨状だったとさとりのアホが言っていた。

 その場に残った悲惨な遺恨は聞くに耐えないもので、覚が山へ帰りたいと泣くので先日却下したところだ。借用書は順調に膨れ上がっているし、心を読むなんて便利な能力は一生手放すつもりはない。

 

 もしも、蓮がそれだとしたらうちに来た合点がつく。


 コイツの標的は俺か。日中にのこのこ来たのは勝てる見込みがあったからだろう。まさかおまけがいるとは思わずフリーズしていただけだ。

 そして例に漏れず柚木の勢いに負けたんだ。俺も覚えがある。柚木はそう言う力を持っている。アホと言う天然記念物のパワーを。

 GWのアホな計画書がなければ殺されるところだった。

 圧倒的な力相手には俺の術は通用しない。小細工なんて握り潰されるだけだ。

 それが今はどうだ。圧倒的なアホのパワーで素直ないい子になっている。

 言い合いしていた俺と中川の状況を汲んで、自分が米袋を持とうと判断する思考能力がある。喋れなかったのは死人との会話が必要ないからで、蓮はずっと合理的に動いていただけだ。


 コイツ、俺が欲しい〜!


「柳瀬、レジ行こ」


 香流に見上げられ、柳瀬ははっと我を取り戻した。

 思考の海から帰ってみれば、蓮はまだひよこのようなものだ。

 

 組織に殺せと言われたから殺していた。

 柚木がこっちに来いと言うから付いてきた。

 

 恐らく、蓮はまだそんなに複雑な思考回路は持ち合わせていない。

 いや、もしかしたらコイツ柚木の見た目につられただけかも知れない。クッソ可愛いもんな。見た目だけは。中身は幼稚園児だけどな。


「⋯⋯ふふ、」


 でも、なるほど。俺を殺しに来たかぁ。


 両親がいなくなって表立って動かないよう気を付けていたが、バレてたのかぁ。そうかそうか。


「柚木、中川。蓮と先に帰っていてくれ」


 柳瀬は真っ黒なクレジットカードを香流に手渡してにこりと微笑んだ。

 有無を言わせぬ迫力に、香流と中川は息を呑む。蓮は相変わらず表情の読めない顔で柳瀬をじっと見ている。

 柳瀬はぽんと蓮の頭を撫でた。見上げてくる鳶色の瞳が困惑を示す。


「ありがとう」

 

 心配すんな。お前の事は絶対柚木が救ってくれるよ。

 あと米いっぱい持ってくれて素直にありがとう。


 ひらりと手を振って先に出て行く柳瀬を見送って、香流と中川は顔を見合わせる。


「何これ」

「さぁ⋯⋯」


 ふたりはクレジットカードの存在を知らなかった。





 柳瀬に言われた通りレジに向かって、渡されたクレジットカードを渡すと店員さんがこちらとクレジットカードを4度見くらいして、


 前に万引きを捕まえた⋯⋯

 あぁ、柳瀬さんとこの⋯⋯

 坊ちゃんの友達なら⋯⋯


 と何人かでヒソヒソ話をして無事にレジを通過できた。


「あの、お金は⋯」

「あぁ、そのカードでお支払いが出来るんですよ」

「すげぇカードだな」

「どこにお金入ってるの?」


 おのぼりさんふたりを店員さん達は微笑ましく見つめていた。

 蓮は大人しく後を付いてくる。香流が手を伸ばしてもじっと見つめるのみで、何も応答はなかった。高く積み上げられた米袋は手が届かないので、香流はしぶしぶ蓮から米袋をもらうのを諦めた。


「蓮、ありがとう」

「ほんと、ありがとう〜」


 3人からありがとうと言われ、その言葉の意味を知らない蓮はどう反応すべきか困っていた。

 道を行く人達が蓮を見てぎょっとする。香流と中川は蓮の歩幅に合わせるようにゆっくり歩いていた。走って米袋を落としでもすれば柳瀬にお説教されそうだからだ。

 なので、柳瀬家に帰りついた頃には柳瀬の方が先に帰っていた。

 柳瀬は香流達の姿を視認すると、緑色の袋を見せるように持ち上げる。


「ひらがなノートと数字カード、自由帳に絵本も買ってきた」

「ひらがなノート?」

「言葉を知らないなら文字も読めないだろうと思って。俺達は先輩だから色々教えてやらないとな」


 そして柳瀬の狙いは蓮の無力化と有効化だ。


 柚木の守護を強化するために戦闘要員が欲しいと思っていた。柳瀬も中川も術師であり、直接戦闘能力は高くない。

 蓮をこちら側へ引き入れられれば香流の守護が楽になる。それに俺もスプラッタホラーのようには死にたくない。


「なるほど!さすが柳瀬!」

「蓮、良かったねぇ」

「⋯⋯⋯」


 玄関をくぐり抜けた蓮は、米袋を下ろしていいと言われるまで下ろさなかった。

 下ろしていいがなかなか伝わらず、ふたりが四苦八苦していた様子を柳瀬は内心悶えながら見守っていた。最終的には黒服がひと袋ずつ下ろしていくという手作業で解決した。

 

 柳瀬の部屋まで戻ってきた4人は、柳瀬が買ってきたノートやワーク、絵本を宿題そっちのけで広げていた。

 柳瀬の買ってきた絵本は、『ちからもちのおに』と言う絵本で、柔らかなタッチと簡潔な文字でとても読みやすい。


「でも何で鬼?」

「まぁ、ある種の意趣返しだよ」


 柳瀬はニヤリと口角を上げた。


「蓮、お勉強の本は俺の家に置いておく。絵本は持って帰れ」

「長すぎて伝わんないよ」

「やる」


 柳瀬は緑の袋に絵本を仕舞い直すと、蓮の胸元へ押し当てた。

 蓮が袋と柳瀬を交互に見て、柳瀬が受け取る動作をするとようやく袋を手に取る。


「さぁ、俺達は宿題しなきゃなぁ」

「俺は蓮にひらがな教える」

「俺も〜」

「それならまずは落書きからだ。教えるなら鉛筆の持ち方から教えてやれ」


 柳瀬監督の元、自由帳にワイワイと香流と中川が名前や絵を書き込んでいく。

 蓮に鉛筆を持たせると、見よう見まねで真似を始めた。当然文字は書けないが、ぐるぐる回してみたり線を引いたり無表情ながら楽しそうにはしている。


「柚木、何描いてるの?」

「ゴリラ」

「ゴリラそんなとこから毛生えてねぇんだわ」


 神が化け物を生み出している。柳瀬は香流のあまりの絵の下手さにドン引きしていた。

 でも本人は機嫌良さそうだ。それでいいのか⋯。これをゴリラと教えていいのか甚だ疑問だが、それは今度動物園にでも連れて行ってやったらいいか。


(ま、楽しそうだからいいか)


 蓮の成長は気長に待つとしよう。ひとの成長速度なんてひとそれぞれ差があっていいものだ。

 ましてや裏社会で鬼と呼ばれる化け物をまともに育てようとしてるんだ。敵対化させなければ結果は上々だろう。


 柳瀬は香流には蓮がここに来た理由は黙っていようと決断していた。


 余計な情報を入れない方がのびのびと関われる。それに、柚木は柚木のまま蓮と関わった方がいい。

 だって、柚木には悪意が欠片もないのだから。

 純粋に誰かのために動いて、素直に感謝が出来る姿を見ていれば自ずと学んでいける。そう思ったからこそ、今回の裏事情は黙っていようと決めた。

 俺を殺しに来たなんて事情、知ったら柚木の方が傷付きそうだしな。


(さぁて、俺のお返しは届くかねぇ)


 蓮は中川と同じくらい昼ご飯ももりもり食べると、また少し落書きをして、日が傾くと同時に玄関へ向かって歩き出した。

 きちんと緑の袋を持って、最後にこちらを振り返ってじっと見ている。

 恐らく、日没までには帰って来いと言われているのだろう。

 その機械的な行動をいつか変えられればいいんだけどな。柳瀬がそう思っていると、横から香流が当たり前のように


「蓮、また明日なー!」


 と声をかけた。

 蓮は表情を動かしはしなかったが、「はい」としっかり頷いた。

 柳瀬は微笑を零しながら、


(ま、コイツがいれば大丈夫か)


 俺の思惑なんて吹き飛ばすくらいの素直さにいつも救われている。

 柚木はそれを分かってないんだよな。

 分かってないからいいんだよなぁ。


「じゃ、部屋に戻るか」

「えー、机ばっかりで疲れた⋯。散歩しよ」

「別にいいぞ」

「やった!」

「ねぇ、アイス食べに行こうよー」

「また食いものかよ」


 笑い合いながら、3人も靴を履いて外へ出る。

 心地良い風がなびいて、香流はんーっと伸びをした。

 


 ★★★★★



 翌日。

 朝8時に玄関のインターフォンが鳴った。まだパジャマ姿の柳瀬がリビングへ下りてきて画面を確認すると、昨日あげた服のままの蓮が立っていた。

 相変わらず左目に眼帯を巻いている。誰も髪を結ぶ者はいなかったのか、金色の宝石のついた髪ゴムは手首に巻き付けられていた。


「早すぎんだろ⋯」

「柳瀬が遅すぎるんだよ」

「何言ってんだ、中川なんてまだ寝てるぞ」


 もう服に着替えて朝食を用意していた香流は準備万端だ。

 柳瀬がグズグズしているのて、香流は呆れ顔で代わりに玄関を開けた。蓮はぱっと目を開く。まだ表情は固いが、昨日より目に見えて分かりやすくなっていた。

 

「おはよう。蓮」

「おはよう。かおる」

「お、ちゃんと俺の名前も覚えてたな」


 香流が蓮の頭を撫でると、蓮は手に持っていた1枚の紙をぱっと開いた。

 A4サイズの紙には、誰が書いたのかでかでかと『木戸蓮です』と書いてある。


「木戸蓮です?」

「きどれんです」

「そっか!名前決まって良かったな!」


 嬉しそうに笑う香流を見上げて、蓮もぎこちなく口角を上げる。


「笑った」

「わらった?」

 

 香流は驚いた。たった1日ですごい変化だ。きっと蓮は根が素直でいい子なんだな。


「蓮、朝ご飯食べるだろ?」


 おいでおいでと手招きする香流に習って、蓮もおいでおいでと手首を動かす。

 あぁ、分かんないか。香流はふっと眉尻を下げて、蓮の手を繋いだ。


「一緒に食べよう!」

「はい」


 蓮は昨日習った通りに大きく頷く。

 名前、同意、挨拶、長い言葉の羅列。まだまだたくさん覚えることがある。

 でも、たくさんを教えてくれるひとがいる。この金色は世界を広げてくれるひと。優しい声音で、綺麗な笑顔で、自分をひとへ変えてくれるひと。

 ここにいたいと、そう判断したのが何の感情だったのかまだ蓮は知らない。

 でも、蓮はもう決めていた。もう誰に言われても無意味にひとは殺さない。これからは大切を築き上げていくのだと。

 

 だって、香流がいる世界はこんなにもキラキラ輝いてとても眩しい。


「中川、朝ご飯食べるぞー!」

「ふぁい、起きますぅ」

「おはよう。蓮」

「おはよう。とーご」


 こうして、小さな鬼が仲間に加わった。

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