ナズと幻影の国

蒼井七海

第1話 天の音を聞く

 空から音が聞こえる。

 風じゃない。鳥の鳴き声でもない。それは、弦楽器によく似た澄んだ音。

 ころろん、ぽろろん。心地のよい音に引き寄せられて、私はつい足を止めてしまった。小さな窓からのぞく青空を、じっと見つめる。

 ころろん、ぽろろん。音は遠くなったり近くなったりしながら、響きつづける。

「――ちょっと、ナズさん! 邪魔なんだけど!?」

 鋭い声が近くで響いて、その音をさえぎった。

 はっとして振り向く。きりりとした顔立ちの、背の高い女の子が、腰に両手を当ててこちらをにらんでいた。

「わ……ご、ごめんなさい」

 私はとっさに謝って、端に寄った。と言っても、もともとまんなかを歩いていたわけではないから、壁に張りつくみたいになってしまう。女の子は、そんな私をひとにらみしてから、わざとらしく足音を立てて去っていく。

 授業と授業の間の時間。学舎の廊下では、ぽつんと立ちつくす私をよそに、生徒たちが走り回ったり、楽しそうに話したりしている。

 そんな中、何人かの生徒のささやきが流れてきた。

「ナズさん、また怒られてるー」

「ほんと、どんくさいよね。あの子」

「ってか、変人だよね。この間、空から楽器の音がするって言ってたらしいよ」

「何それ。『アマノネ使い』にでもなったつもりなのかな?」

 言葉のひとつひとつが、胸にぐさぐさ突き刺さる。

 何も気にせず過ごせたら、きっぱり反論できたなら、どんなに楽だろう。現実の私は、口をぎゅっと閉じて、小さくなって歩き出す。

 しかたないんだ。私が悪い。そう言い聞かせながら。


 学舎の授業はお昼までに終わる。それを知らせる鐘の音を聞くと、子供たちは見送りの先生に挨拶して、家へ帰っていくのだ。学舎の先生は何人かいるけれど、見送りに立ってくれるのは、いつも一人だけ。アラナ先生という優しい女の先生だ。算術と音楽を教えてくれる。

「先生、さよーならー!」

「はい、さようなら。また明日ね」

「これから友達と一緒に、ハギスの祠に行くんだ!」

「あら、そうなんですね。気を付けてくださいね。お友達から離れてはいけませんよ」

「もちろん、わかってるよ!」

 先生と生徒たちが、元気よく言葉を交わしている。私はというと、みんなから隠れるようにうつむいて歩いていた。さようならを言い合う相手も、一緒に帰る友達もいない。いつものことだ。

 そうだ。家に帰る前に、鍛冶屋さんに寄らないと。直してもらった小鍋を受け取ってきてくれって、お母さんに頼まれているんだった。

 学舎の前のなだらかな坂道を下る。すると、いろんな大きさの木箱を並べて色つきの板を乗せたような、マセナの町並みが見えてきた。

 太陽の力が強い陽光ようこうの国の中でも、このあたりは特に日差しが強い。家の中が熱くならないように、どの建物も窓が小さく作られている。この小さな窓が、私は結構好きだった。町をながめながら歩いていると、それまでの重苦しい気持ちがどこかへ飛んでいって、少し頬がゆるむ。

 勉強は嫌いじゃない。けど、学舎の子たちと関わるのはちょっと苦手だ。家でお手伝いをしたり、買い出しに行ったりする方が、私にとっては気が楽だった。

 大人たちの話し声や荷車の音にまぎれて、弦楽器の音が流れてくるだれかが演奏しているのかと思ったけれど、違う。これは、学舎でも聞いた音――『アマノネ』だ。

 ちょっぴり浮かれている私の心を写し取ったみたいに、軽快な音色が風に乗って流れていく。つい、音に合わせて鼻歌を歌ってしまっていた。すると、目の前に金色の光が現れる。その光は、泡みたいに空へのぼっていった。

「あっ」

 鼻歌を止めると、光も弾けて消える。私はあわててあたりを見回した。

「み、見られてない……よね?」

 何人か、人はいる。家の前で話しこんでいる女の人たち。ずっしりと重そうな袋を肩に担いでいる男の人。――だれも、私なんかを見ちゃいない。

 胸を押さえてほっと息を吐いた。

「あ、危なかった……」

 また白い目で見られるところだった。

 アマノネは、空を漂う自然の力が音になったもの。逆に、地面や草木から聞こえる音は『ツチノネ』と呼ばれる。この『音』は、ほとんどの人には聞こえない。だけど時々、『音』を聞いて、その力を操ることができる人がいる。彼らは『アマノネ使い』、『ツチノネ使い』と呼ばれて、尊敬される。

 私は昔からアマノネが聞こえるんだ。でも、世の中のアマノネ使いみたいに、雲を自在に操れるわけでも、立派な結界を張れるわけでもない。せいぜい、さっきみたいに小さな光を灯せるくらいだ。中途半端に聞こえちゃうせいで、今朝みたいな失敗をすることも多い。

 はあ、と大きなため息ひとつ。

「これならいっそ、聞こえない方がよかったなあ……」

 私はつぶやいて、ならされた土の道をにらみつけた。

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