第2話 気になる女の子

 鍛冶屋の親方は、いつも難しい顔をしている。でも、私がそっとお店をのぞくと、ほんの少し笑ってくれるんだ。今日も、それは変わらなかった。

「こんにちは」

「おう。来たな、ナズ。ブツはできてるぜ」

 親方はそう言って、うちの小鍋を渡してくれた。ついでに包丁も研いだから、と持たせてくれる。どちらもピカピカだ。

 親方とお弟子さんたちにお礼を言って、再び町に戻る。

 ここは市場が近いから、人通りが多い。やってくる人たちを避けながら歩いていると、高い声が少しずつ近づいてきた。よくよく聞いたら、私の名前を呼んでいる。

 だれだろう?

 振り向いた先には女の子がいた。ふわふわの金髪を揺らしながらこちらに走ってくる。

「やっぱりナズさんだ! こんにちはー!」

「あ、えと……こんにちは……」

 だれだっけ、と首をかしげていたけれど、すぐに思い出した。同じ学舎で勉強している子だ。名前は確か――

「エミーネ、さん?」

「はーい! 覚えてくれてるんだあ、嬉しい」

 私の前まで来たエミーネさんは、顔の前で手を挙げてほほ笑む。なんとなく、リスみたいな雰囲気のある子だ。

 私はというと、はあ、と言いつつ少しだけ後ずさりする。朝の挨拶くらいしかしたことのない子が、どうして声をかけてきたんだろう?

 口には出さなかった疑問を読み取ったかのように、エミーネさんが話し出す。

「いやー。この近くで友達と待ち合わせしてるんだけどね。そしたら、さっき見たばっかりの子がいたもんだから、つい声をかけちゃった。迷惑だったらごめんね」

「いや、えっと……別に、迷惑では、ないけど」

「ほんと? よかったあ。じゃあ、もうちょっと話していい?」

 エミーネさんは、晴れた日の川面みたいにきらきらした瞳を向けてくる。うっ……そんな目で見られたら断れないよ……。

「う、うん」

「やった! あ、お礼にその荷物、持とうか」

「あ、いや、いいよ。結構重いし。家まで持って帰らなきゃだし」

 やんわりと断ると、エミーネさんは「そっかあ」と笑って引き下がった。その代わり、元気よく話し出す。

「もしかして、買い出しか何か? えらいねえ」

「あ、いや。物を受け取りにいっただけ……」

「そうなんだあ。それでもえらいよ。わたしなんて、いっつも家のお仕事さぼってお母さんに怒られてるもん」

 エミーネさんは、てへへ、と舌を出して笑う。かわいいな。

「一人で来てるの? 大丈夫?」

「平気。このあたりには慣れてるから」

 心配まじりの質問に答えたとき、ふと少し前のエミーネさんの言葉を思い出した。

「あの、さ。友達と待ち合わせしてるって言ってなかったけ。じ、時間とか、大丈夫なの?」

「ああ、だいじょぶ、だいじょぶ。早く来すぎちゃったから!」

「そ、そうなんだ……。遊ぶの? それとも、お勉強?」

「えっとねえ。みんなでハギスの祠のあたりに行くの。ほら、ちょうどシェメの実がなる時期でしょ」

 少し前にも聞いた名前だ。私は目を見開いた。

 この町の外に、ハギス平原という場所がある。町と平原の間の小道に建っているのが、ハギスの祠だ。もともと何が祭られているのかは、私たちの親世代ですらよく知らないらしい。そのせいか、『不用意に祠に近づくと、忘れられた神様にさらわれる』なんていわれている。

『さらわれないように気を付けてくださいね。お友達から離れてはいけませんよ』

 ――さっき、アラナ先生がだれかに言っていたのは、きっとこのことだ。

「行って大丈夫なの? さらわれちゃうかも……」

「だから、用事がある人みんなで固まって行くんだよ。だれかがさらわれても、残りの子が逃げ出して町に戻ってこられるように、ね」

「あ、なるほど……」

 その瞬間は、納得した。けれど、すぐに不安がわきあがってくる。子供たちだけで大丈夫なんだろうか。本当に逃げられるんだろうか。思ったけど、口には出せない。

 ハギスの祠は怖いところだ。けれど、そのまわりには、実のなる木や生活に欠かせない植物がたくさん生えている。祠のまわりに一切近づかない、というわけにはいかない。私だって、毒消しの草を採りに近くまで行ったことはある。

「気をつけてね」

 だから、止めたいのをこらえて、それだけを言った。

 エミーネさんは大きな目をくりくりさせてこちらを見る。それから、気が抜けたような笑顔を見せた。

「えへへ、ありがとう」

 嬉しそうなエミーネさんに釣られて、私も笑う。

「戻ったら、ナズさんにもシェメの実を分けてあげるね」

「ええ? わ、悪いよ」

「いいって、いいって。受け取ってよ」

「……そこまで、言うなら……」

 そんな会話をしながら、私たちは人だらけの道を歩きつづけた。


 待ち合わせ場所に行くというエミーネさんを見送ってから、家に帰った。

「ただいまー……」

 なんとか扉を開けて中に入ると、掃除をしていたらしいお母さんが振り返る。小鍋と扉を同時に支えている私を見て、目を丸くした。

「おかえり。ごめんね、重いもの運ばせちゃって」

「んーん、気にしないで。お母さんこそ、今日はお仕事じゃなかったっけ?」

「今日は早く片付いたから、先に帰らせてもらったんだ」

「そうなんだ」

 答えながら、小鍋と包丁を台所まで持っていく。

「あら、包丁は私が取りにいこうと思ってたのに。大丈夫だった?」

「平気だよ。丸裸で持ってきたわけじゃないんだし」

 さすがに子供扱いしすぎだ。料理も手伝ってるんだから、包丁の扱い方くらいわかっている。

 唇をとがらせていると、お母さんは「それもそっか」と笑う。私もまんまと釣られて、頬をゆるめてしまった。二人で暮らすには広すぎる家に、笑い声が響き渡る。

 ――うちに、お父さんはいない。私が三歳のとき、仕事中の事故で亡くなったんだそうだ。それ以来、お母さんと私の二人暮らし。

 お父さんは結構重要な仕事をしていたみたいで、遺された私たちは国からお金をもらっている。けれど、それだけだと生活が苦しい上に、私に勉強をさせられないからと、お母さんも働いている。字の読み書きができない人の代わりに文章を書く仕事らしい。

 座布団に座って、髪をまとめていた布をほどいた。長い黒髪が落ちてくる。それをつまんで見ていると、また、ぽろろん、と音が聞こえた。思わず「あっ」とこぼすと、お母さんがふしぎそうに振り返る。

「どうかした?」

 どきりとした。全身から汗が吹き出したのに、体の奥は冷えていく。

「あ、いや。えーっとね。ちょっと、気になることがあって」

 一生懸命ごまかして、その間に思いついたことを口に出す。話題があってよかった。

「ハギスの祠の言い伝えって、知ってるよね」

「もちろん、知ってるよ」

「あれって、いつごろからあるの?」

 お母さんは、手巾で手を拭きながら、天井を見つめた。

「んー……いつからかしらねえ。私がナズくらいの年の頃には、すでに母さんから『一人で祠に近づくな』って口酸っぱく言われてたからなあ。かなり前からあるんじゃない?」

 お母さんのお母さん……ってことは、私にとってのおばあちゃんか。

「そうなんだ」

「うん。実際、祠の方に出かけた人がそのまま帰ってこないってさわぎも、たくさん起きてるし。……ナズも気をつけなさいね? 薬草採りにいくときは、お母さんもついていくから」

「はーい」

 何も知らないみたいに返事をした瞬間、頭の中にエミーネさんの笑顔が浮かぶ。それは、いつまでもこびりついて離れなかった。

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