第2話②:二世

 タプから降りて地面を踏み締める。睡方は、眼前に聳え立つ社を下から上へと舐め回すようによく見上げていた。

 屋根のもう意味をなさないソーラーパネル。帰る時に家の中が見えるベランダ。父親がゴルフの練習中に削ってしまった壁の傷。


 九華が前の社を見ていた時の狼狽えるような反応はあくまでも他人事だと思っていた。

 だが実際がここまで再現されていると、そういう困惑と懐古が混じり合った態度になるのも不思議ではなかった。


「すげえ……。本当に俺の家だ……」


 灰白色ゆえに、細部の造形が際立つ完璧な再現度。だからこそ、今からこの三人を中に入れると思うと少し恥ずかしくなってきた。外が完璧なら、中も完璧なはずだ。つまり、自分のありのままの生活を人に曝け出すことになるのだ。


 こういう時に湧き上がってくる、なんだか心をくすぐられるように熱くなってくる感覚。そういう意味では由依があれほど自分の家を嫌がっていたのも遅れて深く理解出来た。


 そんな反応をしている中、隣で九華が先輩面をしてこちらを見やる。


「感動するのもいいけど。入り口まで案内してくれない?あんたしか知らないんだから」


「ああ……わかった」


 三人の前を先導して歩いていく。体感で言うと先頭に立ったのは初な気がして、少し誇らしい。

 同時に家に人なんか入れたことはないため、帰る時に他の人(そういえばもう人ではなかった)が一緒にいるのが変な感覚だった。


 無意識にポケットの中にある鍵を探そうとしてしまうが、恐らくそんな概念はもうない。ゆっくりと戸を引き、消え入るような声で「ただいま」と囁きながら睡方は家へと入っていく。


 簡素な玄関。一人っ子だったし、親もそこまでお洒落に気を使う訳でも無かったから、靴箱もそこまで広くない。彼が土足で上がったのに続き、三人も後ろをついていく。

 九華の家と違って、上がってすぐの視界の先には奥に続く階段がある。その階段の脇にも通路があるが、奥にはトイレと洗面所があるだけで別に面白みはない。その通路の手前には右の部屋に繋がるであろう扉、恐らくここが本題だ。


 睡方は細やかな抵抗を見せるように、ドアの持ち手を握ると、開ける前に三人の方を振り返って。


「一応……言っとくけど。ちょっとうちの親……。その……ちょっと、きついから」


「え? どういうことよ」


「ま、まあ。とりあえず行こう」


 睡方は渋々といった感じで、扉をゆっくりと開ける。そこは少し広めのリビング。入ってすぐ見えるのは部屋の真ん中に鎮座する、詰めれば四人は座れそうなやや大きめのソファー。

 そのソファーの前にテレビ、ソファーの後ろに食卓のテーブルという直線上に揃う構造になっているのは、父親も母親もバラエティ番組を見るのが大好きだったからだ。


「なんか……、私んちより大きい?」


「いや、そんなことないだろ」


 中心で睡方含めて自分の家を見回す。否定するように、入ってすぐ左の場所を覗き込む九華。


「だって、ほら。あんたのとこアイランドキッチンじゃない。この冷蔵庫両開きだし。キッチン自体のほら奥行きも……って、え?」


「うぁっ……!」


 彼女の声を聞いて思わず駆けつける三人。全員の目線の先にあるそれを見て、睡方は頭を抱える。

 コンロの前で立っていたのは、灰白色に石化した二人。一人はワイシャツに長ズボンというラフな格好で満更でもない笑顔を浮かべながら、右手を頭に乗せている。どちらかというと痩身で、顔もシュッとしている。


 もう一人はチェック柄のエプロン姿で、その男の体に両手を巻き付けるように抱きついている。顔を男の頬にくっつけるようにして、表情は湧き上がる幸せを破裂させるように笑顔を浮かべていた。

 人間の範囲内で滑らかな肌をしつつも、痩せた彼の隣にいるからか肉付きがよく見えるが、こんなことは本人には言えない。


「……そう、あれがうちの父さんと母さん」


「な、なるほどね……」


「いつもあんな感じなのか?」.


「い、いやまあ」


「……す、すごい。ウチ、ちょっと今喰らってる……」


 一人だけ声のトーンを上げて、前傾になって食いつくように二人を見入る由依に、心の中でやめてくれと思う。


「な、なあ? ちょっと、あれだろ?」


「素敵だよ睡っち! 二人とも超可愛いじゃん! 理想の夫婦って感じで」


「え、ええ?そう、は思えないけど」


「四の五の言ってないで始めちゃうわよ。私達の目的は儀式をすることなんだから」


 手をかざすために近づく九華に、二人が続く。睡方はあまり近くで見たくないと思いつつも、これは儀式のためと自分に鞭打ってなんとか足を進めた。

 決意のため、神聞紙を口から取り出してそれを広げてみせる。九華は三人の顔に目線を合わせながら。


「よし。みんな、準備は出来た? 特にあんた」


「ちょっと緊張するけど……まあ大丈夫」


 他の二人も頷く。彼女は前を向き、眼前で抱き合っているその石像に勢いよく手をかざした。その瞬間、彼女の全身から爆発したように青い光が散っていく。光の粒が掲げられた右手に集中していたと思った束の間。

 荘厳な鐘のような音と共に、世界は再び真っ白な空間に包まれた。揺蕩うオーロラに周囲を囲まれるこの感覚。想太は眼の、由依は耳の能力を発動させる。そして睡方は九華の近くに行き、神聞紙を持って。


 やがて空間が歪み出し、四人を中心として渦巻くようにオーロラが渦巻いていく。九華は片手を動かせないハンディキャップを背負いながらも、もう一方の腕でいつでも書き出せる体制を取っている。

 フィルムが進む。家具のみの伽藍堂のリビング。すぐさま廊下に繋がる扉が開き、父親と母親が家の中にも関わらず手を繋いで入ってきた。笑顔の二人は振り子のように手を大きく揺らしながらキッチンへと向かい、お互いのエプロンを付け合う。九華がこの目の前に広がっている景色に、筆を進めていいのか迷っている素振りを見せているのに、睡方は余計恥ずかしくなる。


「司さんと一緒に料理を作るのなんて、三日ぶりよね……。嬉しいのはもちろんだけど、やっぱり私ちょっと緊張しちゃう」


「……だいぶ期間を空けてしまって申し訳ない。でも今こうして一緒にいれるんだから、僕も幸せだ。君のためにも、睡方のためにも、二人で夕飯を作り上げよう!」


「あなた……。はい! やりましょう!」


 二人で強く抱き合っている。これが日常茶飯事だったのはやはり普通では無かったのだと、九華の反応でよく分かっていた。驚きというか、困惑というか、まるで新作のミュージカルの感想を書くかのように、筆が進んでは止まってを繰り返す。


 体を寄せ合って相談したり、材料を分担して切ったり、つけっぱなしになっていたコンロの火を消したりとまさに共同作業で、調理は滑らかではない道を確実に進んでいた。しばらくして、ランドセルを背負った睡方が帰ってきた。二人が仲良く調理をしながら帰りの挨拶を彼に投げかけるが、その雰囲気に小学生ながらももう慣れているような冷めた顔をしつつも返事は返した。

 まだ小学生の時は自分の部屋が無かったため、睡方はリビングのソファに横たわり、携帯ゲーム機をいじっていた。それでも二人の勢いは止まらず、彼はキッチンから聞こえてくる「好きよ」、「僕も」、という声が何度もしてくるのがうざったくて、当てつけのようにイヤホンを突き刺し、ゲームの世界に没入する。


 フィルムが回る。あれから少し経った後か。三人が食卓について、先ほど作っていたであろう料理を次々と口に放り込んでいる。二人が快活に会話を交わす中、先ほどから黙ってばっかりの睡方が箸を動かしながら突然口を開けた。


「今日もさ。話したんだ」


 二人が会話をわざわざ止め、睡方の方を向く。


「話したって、あのいつもの瀬尾さんと?」


「そう」


「九華さんと今度はどんな話したんだ、パパに聞かせてみてくれ」


 オーロラにぼやけて映る記憶に思わず狼狽える。食卓で九華の名前を出したことなんて覚えてる限りでは、全く……いや、余り無い。ほんの少し思い出した。昔、睡方がいじめられている時に、自身の持っている豊富な知識で先生を凌ぐ勢いのまま助けてくれたのが、九華だったのだ。ここに映っているのは恐らく、その初めての出会いから衝撃を受けて、彼女と休み時間に話すようになり始めた頃の自分。


 何者かに影響されるというのは、若者には誰にでも起こり得ることだ。だが、まさかその対象がクラスメイトで、更にそれを何年か越しに本人の前で言われてしまうとは。理屈は分からないが、とにかく変な汗が全身から吹き出してきた。


「あいつ、すごいんだよ。虫の名前言っただけで図鑑に書いてあること全部答えられるし、聞いたことのない国のニュースを何も見ずに言えるし、なんなら俺のやってるゲームのキャラ、やったことも無いのに連続で答えられるし……それに……」


「うんうん。それでそれで?」


 目を線にして嬉しそうに引き出そうとする母親。父親も優しく見守る中、幼き睡方は指を折りながら思い出すように、その日に九華と喋った内容をほぼ全て口走っていた。

 その面影すら見えない異形になってしまった睡方は、目の前で筆を動かす彼女のことを見れなかった。いつもあれほど怒鳴っているのに、家で勝手に自分のことを言われていると知ったら、自分の体が八つ裂きになるでは済まないかもしれない。

 俯いたまま、持っている神聞紙に段々と文字を滑らせていくその手の先端だけが見える。未だ何も言ってこない彼女の気配に、彼は全身を細かく震わせながら廊下で立たされるように縮こまっていた。風を切るような音がして、後ろを振り返る。オーロラが勢いよく渦巻いてフィルムがやっとのことで変わる。それを見て彼が大きく肩の力を抜くと、自分の背中に拳が沈むくらいの、でもそれくらいのパンチの感触を感じた。


「……ばか」


 思わず振り返った時に、彼女はそう消え入るように呟いた。手で口を隠すようにしながら、わざと明後日の方向を見ているどこか受け身っぽい姿に、睡方は拍子抜けして目が点になってしまった。そんな呆然とした表情でじっと見つめられるのに耐えかねたのか、やっとこっちを向いたと思ったらいつもの眉を顰めた表情で、まるで野良猫を追い払うみたいに手を動かして。


「いつまで見てんのよ。ほら、あんたの役割! シッシッ」


「お……おう。ごめん」


 睡方は首を傾げながら、再びオーロラの方に視線に移す。だが、そこに写っていたのはあのリビングでは無かった。何千回、何万回と踏みしめた玄関。いつの間にか背景が移ったと思ったら、呼び鈴が鳴り響いている。


 二回、三回と流れ、やっと母親が階段を急いで降りてきた。鍵を捻って、尋ね人を迎える柔和な表情で母親は扉を開ける。だが、突如その顔は酷く歪んだ。微かに後退りして、その眼前にいるであろう何者かに向けて呟く。


「なんで……あなたが……」


「……入るぞ」


 腹に響くような、迫力のある低音。どこか既視感のある。外から鳥の囀りがして、風が勢いよく家の中に吹き込むと、ひらりと揺らめいたのは白い布で。

 足袋を履いて、首にはしめ縄。巻かれたそれには紙垂の列。屈強な体躯が鈍重に、我が家の敷地にその足跡を染み付かせる。そう、そこに現れたのは────。


「預言者の……!」


「雨宮風句二!?」


 九華が轟かせた声が、睡方の耳をつんざく。玄関で対峙する二人。遅れて階段を降りてきたのは、あくび混じりの声を漏らす父親で。


「……朝から、何の騒ぎだって……。あ、あなたは風句二さん!? なぜここに」


 急いで降りる。母と風句二の間に体を入れて、その怪しげな白装束に父は決して優しくない視線を浴びせた。仁王立ちで動きを見せない彼は、口だけを静かに動かす。


「親父に言われて、来た」


「言われたからって……。あなた、ここから新幹線でも四時間はかかるのに……」


「……睡方はどこだ」


「いませんよ」


 母がほとんど被せるように言う。それを聞き入れずに、風句二は顔を四方八方に傾けて周囲を見回す。黙々と廊下の奥やリビングのドアに視線を動かす彼に、父は冷淡に言い放つ。


「今日はもう学校に行ってるんですよ」


「じゃあ、ここで待っていたらいつか来るってことだな」


「いい加減にしてよ!」


 空気が張り詰める。母が幸福以外であそこまで、感情を出したところは見たことなかった。睡方は今目の前で起きていることに、整理がつかない。それでも、続く。


「あなた、最近テレビ出てるみたいじゃない。名前まで変えて。雨宮、いや。渓翠風句二……!」


「は……はぁ……!?」


「うっそ……」


 睡方は無い目を見開き、隣の九華は思わず声を漏らす。その歓迎されない態度にも風句二は一切動じなかった。それどころか、やけにまっすぐな目で。

 

「天界からの啓示を伝える。それこそが、我ら渓翠家に託された使命であり、伝統だ。永遠と血を受け継ぎ、この世界で継承者を全うするのが正しい定めなのだ。だが妹よ、お前はこいつと共に家を出て、その義務を放棄した……。お前は一家の恥だ」


「……!私は」


「彼女はもう関係ありません。ましてや、睡方も。僕達にも世の中にいる多くの人々と同じように、平凡で、幸せに暮らす権利がある。それをあなた達の家の都合で剥奪されるぐらいなら、どこまでも抗います」


 彼女の体を完全に隠すようにして、父は風句二を睨みつける。


「胡桃、お前の血を継いだ子供は、継承者になる定めなのだ。これは俺や、父、母の独断なんかではない。代々、世界と神に選ばれてきたのだ。そんな一個人の意思で、どうにかなるものではないぞ」


 それでも、堂々たる眼差しで胡桃が。


「私が渓翠の名を捨てなかった理由。それは大きな忠義のためなんかじゃない。あなたの言う、そういう凝り固まった伝統から自由になり、現世での幸せを大切にした者がいたとこの呪われた血筋に名を刻むためよ。そして睡方から始めるの。自由な人生を生きてゆける、新たな渓翠家の血を」


 風句二は眉を顰め、初めて感情らしい感情をそこでやっと見せた。胸を張り、立ち尽くす彼女の姿を見て、大きくため息をつく。


「……運命は、変わらない。またじきにここに来る。その時までに考えを改めろ。世界が、終わらないうちに」


 言葉を吐き捨てると、彼は厳かに扉を開け、外へと出て行った。金具の静かながら鋭い音がして、扉が閉まったと思うと、母は力が抜けたように父によりかかる。父も彼女の体を抱きかかえて支えながらも、二人でリビングへとゆっくり歩を進めた。


 フィルムが移る。リビングの中を一歩ずつ一歩ずつと歩く二人。父が母をソファに座らせようとするも、彼女はキッチン近くの棚の方を指す。

 彼がそこに連れて行くと、彼女はその棚の上から二番目の引き出しを手を震わせながら開けた。手を奥に突っ込むようにして探り、戻ってきた手には一枚の写真が握られている。

 

 それを見るや否や、彼女は涙をぼろぼろと零しながら彼の体に頬をくっつける。弱々しく、酷く喉を震わせた声が響き。


「ごめん……ごめんね……、睡方……」


 渦巻いていたオーロラはいつの間にか、霞のように消えていた。立っているのは元いた、灰白色のキッチン。目の前の石化した母は、満天の笑顔で父を抱いていて。


「俺が……継承者……?」


睡方は無意識に全身の力が抜け、その場に手をついて座り込む。見上げて視界に映った両親が、やけに大きく見えるような気がして。



 リビングのテーブルを囲むように四人が立っていた。机上に大きく広げられた神聞紙。睡方は自分が倒れないためだけに、その足を地面にじっとつけているようで。


 誰も、何も口に出さない。睡方はもちろん、それは他の三人も同じだった。何と言えば良いのかわからない、座り込む彼にただ視線を向けるだけしか出来なかった時から、その雰囲気は続く。

 睡方はふと俯いた顔を上げると、視線の先にある灰白色の棚に気がついた。オーロラに流れていた記憶を思い出し、引っ張られるように体が歩み出して。


 引き出しを開けて、手を奥に突っ込む。ある、確かに何かが。引き抜いてみると、手には一枚の写真が握られていた。流れる記憶の中では見えなかった、そこに映っていた景色は。

 家族写真だった。と言っても自分達のではない。大きなお屋敷を背景に、緑溢れる森の中で老若男女が十人ほど笑顔で並んでいる。

 少し古臭いのするその写真。その横並びの列の端を担っていたのは、若い頃の母親、胡桃だった。その隣の坊主頭の特徴的な眼力をした人間は、恐らく風句二だろう。二人とも似た笑顔をしていた、まだ信じられないが、それでも確かに兄妹なのだなと感じさせるような。


 まだ、信じられない。何もかもだ。俺が継承者の候補だってことも。もう、全部、全部。写真を持つ手が力の余り震え、端に皺がついていく。

 それでも、彼は母の顔を思い出してしまう。自分に優しく語りかけてくれた表情と、風句二に見せた感情的な表情が混ざり合って歪む。なのに、頭の中にこだまする声はやけにはっきりしていて。


「この先、あなたが大きな壁にぶつかって、理不尽なことやどうしようもないことが起きた時、絶対に自分を嫌いにならないで欲しいの」


 口の中から何かが零れ落ちる。拾うと、それは風句二から渡されたお守りの木片だった。


「すまない……。すまないな……」


 涙ぐむ彼の表情をやっと理解して。それから鉛のように、その木片が重くなった気がした。手で包み込み、それを強く握り込む。

 神聞紙の上にその拳をかざすと、一部が青くぼんやりと点滅した。意図的か、否か、その四分の一は、まだ半分しか文字で埋まっていなかった。彼は九華の目を見る。


「お前しか、書けねえんだろ?」


「え」


「文字、だよ。ほら、その指」


 彼女が空気上で指を動かすと、それはすぐに風に流れて線になった。神聞紙の紙面上で必死に指を動かして、文字で埋め尽くしていく様。それがこの儀式を、この過去を終わらせる方法なのだ。彼は続ける。


「俺が言うこと、書いてくれよ。そして、儀式を終わらせよう」


「え?あ、あぁ……うん」


 深呼吸をする。衝撃で離れ離れになった記憶を集合させ、それを頭の中で渦巻かせながら、口を開けた。


「渓翠司、渓翠胡桃の息子である、渓翠睡方は、渓翠家の血を継いだ者として継承者に選ばれていた。両親は反対していたが、睡方自身は今、その道を選んでしまっていた……」


 睡方がはっきりと紡いでいく言葉を、九華は紙面上に書き起こしていった。彼女は一つずつ噛み締めるように頷きながら、他の二人も彼の声に耳を傾ける。


「母親の胡桃は、いつも優しかった。やりたいことを言ったらなんでもやらせてくれた。どんな困難が来ても、自分を嫌いにならないでほしい、と俺に……いや、睡方に言った。父親の司も、それを咎めることなく道を後押ししてくれた。……両親は隠してくれていたんだ。睡方がこの運命に飲み込まれないように何ともない顔をして、楽しく人生を送ってほしいと願って、いたんだ……」


 彼は、自分で形にした言葉に思わず喉を震わせる。口から吐き出したのを、表された文字を見ると、どうしてもこみ上げてしまうものが彼にはあった。軽く息を吐いて。


「それなのに、今、睡方はここにいる。継承者なんか飛び越して、彼は神様になるかもしれない。ごめん、父さん、母さん。でも俺が今ここにいるのは……、ここで立っていられるのは……、ここで、立ち止まらずにいられるのは……!」


 息を飲む。


「両親のおかげだ。ありがとう」


 記事に、最後の句点がついた。該当の紙面が青く、淡い光を滲ませる。睡方は息を切らしながら、肩を上下させていた。九華は神聞紙を畳んで彼に渡す。


「……持っときなさいよ」


 彼は無言でそれを受け取った。その時の、彼を見る彼女の顔にはまだ大きく皺が残っていた。俯いてしまう彼女に目を配せた後、想太は彼の方を向き、由依も同じく。


「……行こう」


 四人は再び歩き出した。その号令は、睡方のものだった。彼が先導を歩く。背中を見られるその感覚は、今にも逃げ出したくなるような気持ちで一杯になった。

 それでも、止まることは無かった。扉を開け、一度も振り返ることなく外に出た時、彼は遥か遠くを見ていて。

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