第2話①:二世
二階から降りてくる重厚な金属音、その正体を確かめようと立ち上がる。現れたのは、黒光りした甲冑に全身を身に包んだ長身。
顔がその重々しい甲冑で隠れて見えなくなっており、それでいて筋骨隆々とした剛健な体躯が腰に帯刀している刀に常に手をかけている姿勢が、九華に緊張感を与えてきて。
彼女の姿を視認したような素振りを見せると、その鎧武者は頭を少し下げながら、不可侵領域を侵すようにリビングへと入ってくる。
右手と右足、次に左手と左足を動かすいわゆるナンバ歩きと言われる、江戸時代の侍の歩き方。体の正中線を崩さぬまま止まり、異形はじっと彼女を見つめていた。
「……あんたも、カミなの?」
「ああ」
エコーのかかったような不思議な聞こえ方をした。それでいて冷たく、芯の通った低い声。
「俺は、カムイ。お前を現実世界に連れ戻しに来た」
「私を? しかも……現実に?」
現実世界。その言葉だけで、体が少し前に傾いた。凛とした立ち振る舞いのまま淡々と放たれたには、余りにも重すぎる言葉。
九華はそれでも、一歩踏み止まる。彼の手元を見ながら思考を一周巡らせて、いつでも体を動かせるように、全身に意識を行き渡らせることを忘れないまま。
「でも、現実世界に帰る方法なんて……」
「俺がこの手で見つけた。見ろ」
彼は、一刹那でその刀を鞘から引き抜く。金属の擦れる音が部屋でさざなみになる。鋭く光る刃先を捉えた瞬間、彼女の足は無意識に一歩後退した。喉が震えて、言葉が声にならないまま、深く息を呑む。
その行動とは裏腹に、彼は刀の先を彼女の上へと向け、勢いよくテレビ台の前に向かってその長く伸びた刃を振り下ろした。素振りの動きに少し遅れて、風を切る音が聞こえてくる。
音の後。切られた患部の空気が突然、縦に裂けた。人一人が通れるほどの大きさ。その裂け目から奥には空間が続いている。
この灰白色な世界とは対照的にどこまでも闇が続いて、所々に紫色のヒビがついているようなまた違った不気味さがある場所。風の抜けていく音がするのが、それが造り物ではないという証明をしていて。
「ここを歩いていけば、すぐに現実世界に着く」
慣れた手つきで刀を納める。彼女の体に入っていた力がほんの少し抜けてから、やっと冷静になって天を仰ぐ。近くに行けば思わず吸い込まれてしまいそうなその裂け目は、未だ渦を巻いていた。
「それは……本当、なの?」
「嘘を言うように見えるか」
「見える見えないなんて、関係ないわ。そこに真実があるか、否か。それだけよ」
九華はそこで、初めて彼の顔を堂々と拝んだ。だが、その瞬間に彼が俯いて。
「……二千年だ」
「え?」
「俺は、二千年間この世界で彷徨った。現実世界に帰るための方法を、ずっと探し続けた。何もかも試した。やれることは全て」
淡々と、思い出話にもならないような話し方で言葉を紡ぐ。カムイが顔を上げると、腰についている鞘が揺れて。
「いつしか、俺は刀を手にしていた。柄を握る感触を覚えた時、俺はこれを振り続けなきゃいけないと思った。何かを変える一心で、空を切るようにして。そして、俺はやっと見つけたんだ。この『時空の狭間』を」
歩いてきた軌跡が、彼の重々しい声から文字通り一歩ずつ伝わってくる。言葉が紡がれていく度にその甲冑が動く金属音が一緒に聞こえてくるような気がして、また全身に力が溢れてきた。だが今度は、進むため、歩き出すための力で。
「じゃあ……本当に、現実世界に帰れるの?」
「ああ」
やっと、実感が湧いてきた。帰れる。帰れるのか? あの、狂おしいほど望んでいた、最上とまでは行かないけど、ささやかな日常が流れ続ける現実世界に。これなら、こんな儀式やらなくても、神になんてならなくても。ただここを通るだけで、ただいまが、言える。
「……分かったわ。行くよ、現実世界に帰る」
「……。ありがとう。それじゃあ、」
「待って。今から他の三人も呼んでくる」
歩き出して玄関に向かおうとすると、リビングと廊下を隔てる扉の前でカムイに腕を掴まれる。
「……!」
「他の三人? 俺の目的は、お前を現実世界に帰すことだ」
「その三人は私の大切な仲間なのよ。現実世界に帰るなら、彼らも一緒じゃないと、」
「俺と二人で行くんだ。俺には、そいつらを助ける義理なんてない」
前に進もうとしても、その
「な、何言ってんのよ……? 私もあなたも元は同じ人間なのよ。今この家のすぐ外にいる三人だって、私が人間の頃から一緒に過ごしてきた大切な仲間なの。現実世界に帰りたい気持ちは彼らもあなたのように同じなのよ!」
「俺の任務は、お前と帰ることに意味がある。だから、今すぐ来い。それに……お前に仲間は似合わない」
瞬間、彼女は体を震わせて、掴んできている剛健な腕を思いっきり叩く。勢いよく彼の顔を見上げ、今度は思いっきり睨む。刀が視界から外れたのが分かった途端、彼女にはもう止まる理由がなかった。
「さっきから何なのよ! 私のこと知ってるような口して! 私の仲間のことなんてあんたには何も分かんないでしょ!」
「ああ、分からない。だが、お前のことは分かる。お前は現実に帰りたがっている」
「大体、なんで私なのよ!? なんであんたは私を現実世界に帰そうとするのよ!?」
それを言った途端、カムイの掴んでいる力が段々と弱まっていった。何も言わず、その黒甲冑に身を包まれた大きな体躯は、元々痛いほどでは無かった手の力を更に抜いていく。次第に、このクッション性のある柔らかな肌でも引き剥がせるほどの力になり、彼女は勢いよく腕を振り解く。肩を揺らして息をしたまま、眼前で硬直している彼を見て。
「……言えないの?」
「……」
「もういいわ。とにかく私はもう、あんたなんかに頼らない。あんたみたいに仲間を否定する奴に」
言葉を吐き捨てると、足は勝手に動き出していた。彼の横を通り、灰白色の廊下を堂々と歩く。玄関に着き、その高い段差を降りてから、靴を履くわけでもないが立ち止まる。振り返ってみても彼は、何もしてこなかったし、何か動き出しそうな気配も一切無かった。
ドアノブに手をかける。それを下ろす瞬間、ほんの一瞬だが自分の手の動きが止まってしまったのが見えて嫌だった。それでも、四人で帰ることにしか意味はない、と改めて彼女は心の中で確信した。必ず他に方法はあるはず。儀式を進める中で、何か手がかりを探すのだ。そして四人が一丸となって協力して、この問題を乗り越える。自分達なら、絶対大丈夫だ。
扉を開く。もう後ろは振り返らず、ただ自分が光に飲み込まれていくのを感じる。灰白色の平坦な地面が続く、見慣れた世界。それを背景に三人は、待っていてくれて。
「随分長かったな」
「……ちょっとぐらい昔に浸ったって良いでしょ? で、次の目的地は?」
歩いてきた九華に、自分の隣に並んでいた想太が一番最初に言葉を返す。少し前に数分越しの感動の再会を果たした、タプと由依はまだ戯れあうことに夢中になっていた。彼が取り出した写真を奪い取るようにして、彼女はそれを手に収める。
「おータプちゃんよしよし、ここが気持ちいいのか、そなたはここが良いのか」
「タプ! タプタプ!」
「ほら由依さん! もう出発するわよ!」
「ふぁ〜い」
こちらを向かずに返事をする彼女。九華は写真の上を指でなぞるようにして、次の目的地を定める。
「えっと……今いるのがここで。一番近いのは、」
「ここから東に行った『耳』だ」
仕返しのように彼女の言葉を遮って、想太はふてぶてしく告げる。彼女はふん、と小さく声を漏らしてからその写真を彼に返す。
「『耳』ってことは、つまり由依さんの家に行くってことね。そこまで時間はかからないとは思うから、ささっと向かっちゃいましょうか」
ただの状況整理だったが、睡方はそれを聞いて少し思い立つ。九華の家では、九華に関する記憶が実質的にのぞき見出来てしまった。
それが躊躇なく出来たのは、どこか旧知の仲だからだったからと振り返る。でも、今から行くのは、あの由依の家。
思えば、彼女から学校外の話を聞いたことがない。それに女子の家に行ったことなんて、さっきの九華のケースが初めてだ。先ほどは儀式に必死で意識してなかったが、一度考えると体が無性に緊張してくる。
「と、時原さんの家か……。時原さんの家に行くのか……」
息が震えている話し方に、腕を組んだ九華が思わずこちらを見る。
「何それ。あんたもしかしてこの期に及んでこれを異性の家に行けるイベントかなんかだと思ってるの?」
「いやいや! そんなんじゃないけどさ! でもなんかほらさ。実際的にはそういうことだろ!? そうなったら、なんか緊張っていうか、するのは仕方ない、というか……」
体を横に揺れさせながら、両手の丸まった先端をくっつけたり離したりする。一歩も進んでいない意味のない足跡が地面に増えていく。
「なんというか……、普通に引くんだけど」
「は、はぁ!? なんでだよ!べ、別に俺らまだ中学生なんだぜ!? こういうことに慣れないってのは、その、おかしいことじゃないだろ!? な、なぁ。儘波君もそうだよな?」
「いや、申し訳ないが全くと言っていいほど感じない」
「えぇ!?」
「そういうことで、あんたはとんだ浮かれ男ってことよ」
「な、何でそこまで言われなきゃいけないんだよ……!」
口以外は動かさず、不動を貫いて言い切る想太の言葉から火蓋を切るようにして、睡方と九華の激論は熾烈を極めた。
荒げた声をお互いに浴びせながら、どちらも体を前傾にして必死に言葉をぶつけていく。そんな状態のところに、タプを抱えた由依がまるで曲がり角から聞こえる祭囃子に惹かれるように歩いてきた。
「なになになに〜、なんか楽しそうじゃん!」
「あ、時原さん……」
「タプタプ!」
「ちょうど良く全員揃ったわね。次の目的地は由依さん、あなたの社よ」
彼女が唾を飲む。喉を鳴らす動作で、少し会話のテンポが途切れて。
「……え、ウチ?」
「ここから一番近いのよ。だから、タプ。またお願い」
「タプ!」
元気よく返事をして、抱かれた腕の中からタプが飛び出そうとする。だが、その体は地面に着地することも、ましてや空を舞うことも無かった。由依が、なぜか抱く力を強くしていた。動けなくなっているタプは彼女の顔を見て、不思議そうに鳴き声を出す。当の本人は、少し俯き気味で。
「時原さん?」
「ああ〜……そっ……か〜。うん……」
「どうしたの?早く出発しましょ」
九華が呼びかけても、あまり良い反応を見せない。喋りかけて、口元を手で触るようにしてやめる、みたいなことを繰り返す。彼女が何かを必死に絞り出そうとしているのが、睡方にとって印象的だった。肌のマーブル模様の黒が濃くなったようにも見える。
「あのさ……! これ……はその、お願いなんだけど……。ちょっとウチ、そう、他の人の社もっと見てみたいな〜って……。だから、一回ウチのは後回しにしてくんない?」
「他の人の社が見たいなら、尚更先にあなたの所の儀式を終わらせちゃいましょう。そうしたら、効率的に一本道で他二人の所も回れるわ」
「いや、その! そうじゃなくて……。今、すぐ、回りたいな〜って」
「はぁ? そうする理由は何よ」
「え? な、なんとなく……」
「それじゃだめよ。私達はさっさと社を巡って、現実世界に帰る手がかりを見つけないといけないんだから。早くタプであんたのとこの社に、」
「ダメ!」
細々とした体躯から放たれた叫び。九華も睡方も目を見開くようにして、思わず体をほんの少し後傾にする。そんな中、想汰だけはじっと由依の方を見たまま。彼女は肩を揺らすようにして息を漏らす。膝を軽く曲げ、少し俯きがちな状態でタプを強く抱きしめており。
「……。だめ……」
「ど……どうしたのよ急に」
「時原さん……?」
二人の声で彼女は我に返ったように、前を向く。周囲を見回すようにしてそれぞれの驚嘆が浮かび上がった顔を確認すると、体を身震いさせる。
「ご、ごめん……。あ、あの……、ち、違くて、ウチ……」
後退り。腕の力が無くなったのか、地面にタプを落とす。もちろんタプは綺麗に着したが、いつものように元気に鳴くことなく彼女の様子を心配そうに見ている。誰も何も声に出せないまましばらくが経つ。その沈黙を破るように、黙っていた想汰が顔を俯きがちにして、遂に重々しく口を開けた。
「もしかして、あれか?」
再び彼女は唾を飲む。じっと見つめた視線。
「君、男子を部屋に入れるのが恥ずかしいのか?」
静寂。風が吹いて、漂っていた塵やオーブが灰白色の世界に溶かされていき。由依は思わず困惑で、首を前に出す。
「……え?」
「は、はぁ?あんた、何言って」
その時、睡方は段々と全身に血が巡り出した。それは駆け出すため。森の中を彷徨う中、やっと村を見つけたような感覚。由依の元へ勢いよく歩き出すと、彼女に詰め寄る。
「え……。え……!? もしかして時原さんも誰かに家入られるの恥ずかしかったりするの!?」
「え……あ、ああ。ああ、そ、そう! そうなんだよね〜! ま、まだ全然男子とか部屋入れたことなくてさ〜。やっぱり、まだ乙女心があるからさ〜」
「俺もさ! その気持ちすっげぇ分かるよ! 良かった〜、やっぱり仲間っているんだな〜。ほら見ろ! どうだお前ら!」
想汰は姿勢を崩さないままだが、九華はもうお腹の口を開けて放心状態になっている。由依と睡方が謎に同じ話題で共鳴している姿を見て、彼女も諦めがついたように再び写真を取り出す。
「ああもう呆れた。分かったわよ! 別の場所行けばいいんでしょ! じゃあもうはい、こっから二番目に近い睡方のとこ! もうさっさと出発するわよ!」
「え!? お、俺のとこ!?」
「今のあんたの文句は絶対受けつけないから!!!」
「ちぇっ、お前には乙女心が無いから共感出来ないんだよ」
「はぁ!? ちょっと待って! 聞き捨てならないんだけど!」
もう何度目か分からない会話のキャッチボール、いやドッジボールがまた始まった。由依がそんな二人の姿を見て、先ほどの雰囲気が嘘のような花開いた笑顔を見せる。そんな彼女に近づき、想汰が囁いた声が睡方に聞こえてきて。
「いつかは、行くんだぞ」
「……分かってる」
吐息混じり。ダウナー系の低音、なんて言えない重々しさが響いた。
「そういえば九っち。あの儀式の時に、体から漏れてた青い光ってなんだったの?」
体が揺れる。桃色の背中にほんの少し手をかけるようにして体制を支えた状態で、後ろから声が聞こえてきた。二個前の先頭に座っている九華が、自分の体に視線を落とす。
「詳しくは分からない。けど言われてみれば……、もうさっきみたいに光が漏れることも、鼓動が速くなる感じも今は無いわね」
「もしかしたら、社の中でしかその能力は発現しないのかもしれない。というか結局、君の能力は『心』だったというわけだ。そうなると消去法的に、今向かっている社である『頭』の能力を渓翠君が持っていることとなるな」
一個前に座っている想汰が前を向いたまま語る。理由は明確、振り向いたら今伸ばしている顔のレンズが、睡方と由依に打撃を喰らわすからだ。
「『頭』の能力か……」
「とは言っても、儀式中にやっていることは私の隣で神聞紙を手で持っているだけだったわよ。この世界を歩き始めた時もあんたの能力が目立ってる時って、あんまり記憶に無いんだけど」
「そ、そんなことないだろ……。例えば、ほら! あの、住んでたところに似た街見つけた時! あれ、俺が方向転換したから辿り着いた訳で」
「まあ、そうかもしれないわね」
「あの時の睡っち怖かったな〜。急に、『頭が痛い!』とか言うし。あ! だから『頭』の能力?」
「俺の頭の中で声がしたんだよ。それは何か現実世界のいた時にあった勘の感覚に近いっていうか……、なんか誘われてみる、みたいな感じ」
「そう思うと、『頭』の能力は何か重要な存在の物・場所への察知能力、またそこへ導いてくれる効果があるように思える。僕は最初から考えていた仮説が一個ある。神分に選ばれた一人は本来この世界にいるカミと関わること無く、全て一人で儀式を終えられる設定になっていたのではないかとね」
「ふーん。何でそう思うのよ」
「だって、今手掛かりにしているこの写真もあの大きなスフィンクスがレンズを投げてくれなきゃ撮れないわけだ。だから四つの能力を持った選ばれた者は、『頭』『耳』『眼』の三つの技能を使いこなして社を見つけ、そして社の中で『心』の能力を使って儀式を完遂する。非常に良く出来た能力構成だ」
レンズを手で操作しながら、彼が片手間のように淡々と語る。相槌を打っている九華は前を向きながらも話に耳を傾けており、対して後ろ側の二人は全く話されていることの内容が出来ず、揃って両手を上げて思考を放棄していた。
「そうなると、もう今はあいつの能力は役に立たないってことね」
「……なんでお前は毎回そういう結論になるんだよ!」
急に他人事ではなくなって、思わず肩を落とす。遮るように想太が続けて。
「なんて言っていたら、そろそろ見えてきたぞ。よし。タプ、少しスピードを上げてくれ」
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