第1話②:一刻者
「知ることって、楽じゃないからさ……」
突然睡方が独り言のように呟いたのに驚き、九華含め三人は彼の方を向く。
「どうしたの睡っち?」
「え、あ、いや」
「……あいつが言ってたやつ? それがどうしたのよ」
「俺……なんか言ってた?」
「はぁ?」
「さっきから見ていたが、どうにも顔が俯きがちだぞ。何かあったのか? それともまた君の言う、勘ってやつか?」
「いや、別にそういう訳でもない。……大丈夫。とりあえず、探索……するんだろ」
「……うん、上がるよ」
九華は久しぶりに、この見覚えしかない玄関から歩き覚えしかない廊下に足を上げる感覚を浴びる。いつもだったら、脱いだ靴は二足揃えて端に寄せておくのだが、今はそんな必要はない。
遅れて三人も上がってくる。廊下をまっすぐと歩いて、視界の横に洗面所や二階に続く階段が出てくる。やはりここは間違いなく、自分の住んでいた、あの家だ。
歩く度に、無意識にポニーテールが揺れている感覚を体に感じられるし、よくここを走ってリビングに飛び込んでいたのを思い出す。
突き当たりに着いて、目の前には案の定そのリビングに繋がるドアがあった。色は白化しているが木目調の模様は家にあったのとそっくりで、ドアノブを握った瞬間、ほんの少しだけ鼻を啜る。
ゆっくりと開くと、そこに広がっていたのは、別に特別広い訳ではないリビング。右半分にはテーブルが、ソファが、テレビがあって、左半分には四人用の大きなテーブルと椅子と。
視界の端で捉えた。その椅子には誰かが座っていて、顔を見上げると。風句二のように全身が石化して、白く染まる人間が二人。それでも分かる、あの輪郭、あの髪型、あの表情が九華を走らせていて。
「パパ! ママ!」
「……待て! 触れたら壊れるぞ!」
無意識に手を伸ばしていた。想太の声が背中から聞こえてくるが、駆け出した足は三人を置いていき、言うことを聞かない。
会えた。もう、会えないんじゃないかと思ったから。その瞬間、心臓を強く握られたような感覚になって、走り出したその場の勢いまま彼女は両親の座る椅子の近くの床に倒れた。
三人が後を急いで追って、倒れた九華に手を添えたり、体を掴んだりして。
「大丈夫か!?」
「どうしたの九っち!」
「な、なにこれ……」
胸が、いや、全身が鼓動するように体が大きく震える。乾いた息を情けなく吐き出し、なんとか体を起き上がらせて両手を顔に近づけると。
「おい……、見ろよ……」
睡方が指を指したところから漏れ出ていたのは青い光だった。それはすぐに全身に広がり、まるで蛍が飛んでいるように、次々に青い光が漏れ出してくる。この光は、神聞紙にお守りをかざした時のものと同じものだった。体の芯がじわっと熱くなるのを感じ、それが全身へと伝播していく。
頭の動きが活性化して、無い目がぐわっとこじ開けられるような感覚。同時に、頭に何者かの影が浮かんでくる。そしてその影は同じ動きを何遍も頭の中で繰り返して、繰り返して、繰り返して、その間わずか一コンマ。
「ココロ……ココロ……」
「……が、かはっ! はぁーっ……!」
性別を特定出来ない、野太い声が耳元で囁く。地面に四つん這いになるようにして口を開けたり閉めたりすると、体の熱がどんどん引いてくる。未だ体から青い光は漏れ出ているが、それでもだいぶ全身の支配感はマシになった。そして、本能的に理解した。頭の中に浮かんだのは先代の神の動き。自分が今すべきことは。
「おい、大丈夫か!?」
「……大丈夫。今、流れてきたんだ。前の人の……記憶……」
「記憶?」
「そう、多分前神分に選ばれた人の……。だから、分かった。儀式の進め方……!」
膝で手を押し、その勢いでなんとか体を起き上がらせる。そうして眼前に現れたのはテーブルを囲んで座る、父の義孝と母の麻美の姿だった。談笑をしているのか、父はよく笑っており、母は凛とした顔つきをしている。九華は頭の中のイメージのまま、そのテーブルの中心に右手をかざす。
「ココロ……ココロ……」
響いてくる声。一緒になって彼女は声を出し。
「心……! 心……!」
その瞬間。手をかざしたところから突然白い光が放たれ、自分達の体を包み込む。一瞬視界が消え、あまりの眩しさに腕でその光源を隠そうとする。だが気がつけば、四人は先ほどの室内とは違う、周囲を白いオーロラに囲まれた、異空間のような場所に立っていた。目の前にある大机、椅子、そしてそこに座る石化した父と母だけはそのままで。
「な、なんだよここ!?」
「今の一瞬で何が起きたんだ……」
「九っち、これって……!」
「恐らくここが記憶の流れる場所! 睡方! 神聞紙取り出して!」
「お、おう」
九華はかざした手が固まったように動かなくなっているのに不自由さを感じながら、これから起こることの予兆を察していた。睡方が神聞紙を口から取り出すと、彼女はそれを自分の近くで持ってもらうように言う。
「こ、こうか?」
「もう、ちょっと上。そう、そこ! ここに……」
九華は人差し指で空中に文字を書いてみせる。そうすると、それは青い光で試し書きの「あ」の字を空中に具現化させた。
「え!? なんだよその能力!?」
「分かんない。でも、これも先代が示してくれた。何はともなく、これでここに文章を書けるようになった……」
彼女は振り返って、未だ周囲を観察する二人の方へ声をかける。
「想汰! あんたは今から流れる記憶を見て、写真も撮って! 由依さんは集中力マックスにして記憶の中の声を覚えておいて!」
「記憶が流れるって何なんだ……! しかも見ておくって」
「私の記憶よ! それをこの紙に記すことが儀式なの! 私だけじゃ覚えきれないから協力してってこと!」
「な、何言ってるかさっぱりわかんないけど……、ウチ、やってみる!」
「……同じくだ。でも、ここで止まっている理由もないみたいだな」
由依が両拳を握るようにして全身を震わせ、意識を聴覚に集中させる。想汰は腰のスイッチを押し、顔の中心を飛び出させる。隣で神聞紙を持っている睡方がそんな二人の姿を見ると、九華の方を向いて前傾姿勢になり。
「お、俺は何をしたらいい……?」
「あんたは……ここでずっとこれ持ってなさい。あと、余裕があったらその足りない『頭』で心ばかりの記憶でもしときなさい。ほら、来るわよ!」
周囲を囲んでいた白いオーロラが、自分達を中心にぐるぐると勢いよく回り出す。やがてその白塗りのキャンバスでしか無かったそこに、まるで映画のフィルムのように人物が映し出され、動き出す。
背景は九華の家。定点のカメラの視点のような感じで、いつもの食卓が写っている。そこにいたのは、ハイハイで進む何者かとそれを見守る若い頃の父母。恐らくその隣にいるのが面影を感じられないまだ幼き頃の兄の佑哉。少しばかりフィルムが進み、その何者かが突然すくっと立ち上がる。両親の顔は驚きと綻びに包まれ、父親が涙を流しているのが見えて。
オーロラが渦を巻き、フィルムが進む。今度は小学生になりたての九華が父親と話している場面。それを見て、やっと先ほどの赤子が自分だったのだと彼女は気づく。フィルム上の幼さを残す彼女が見上げているのは、コート姿の父だった。家でこのような格好はしない。思い出した。確かこの日は、父親の取材に付いて行かせてもらって一緒に街を奔走していたのだ。
一般住宅や企業、地方の取材について行かせて貰った思い出が蘇る。父がオフィスで多くの社員を統括しながら記事の統括を行う姿。どんな場所でも颯爽と取材を行い、様々な人々と対談する姿。出来上がった新聞を見せてくれた時のあの達成感に満ちた姿。九華はいつの日か、父を追いかけるようになっていて。
「わたし、おおきくなったらパパみたいなすごいしんぶんきしゃになる!」
「聞いたかママ!? 九華の言ってくれた言葉を!」
「もうこれで何回目だと思ってるのよ……。全く、九華も飽きないわね」
「まあ、九華なら行けるだろうな。なんてたって、この秀才の妹なんだから」
「べつにそれ、かんけいないし」
場面が変わる。四人で囲んだ食卓だ。彼女は自分がこんなに小さな頃から、父のようになりたいと言っていたのかと思って、驚きと恥ずかしさが入り混じりつつあった。遅れて、誇らしさが追いついてきて。
小学二年生位の頃からだろうか。早送りで流れるフィルムには、リビングのテーブルで筆を動かし続ける彼女が写っていた。来る日も来る日も同じテーブルで書き続ける。それを見ながら、九華は指を素早く動かして神聞紙に文字を紡いでいって。
あの頃は学校でも、自分の部屋でも、常に書くことに集中していた。周囲にも目をくれず、書き続けているのは新聞だった。とにかく父に認められたくて。ただ、その一心で。まだ
ある時、いつものように家のリビングのテーブルで筆を動かしていたら、向かいに兄が座った。恐らく親はまだ帰っていないから二人きりなのか。その時、見ている九華は心の中で少しばかり嫌悪感を浮かばせるが、意外にも映っている彼女は笑顔だった。
なんなら筆を動かす腕を止めて、彼の顔をじっと見るようにして。
「ねえお兄ちゃん、私今日オムライスが食べたい」
「言うと思った。じゃあ……一緒に作るか!」
「え、本当にいいの!? やったー!」
九華は自分の目を疑う。まだ幼さをむき出しにしていると言っても、あんなに体をくっつけて自分と兄が二人でキッチンに並ぶ姿に思わず無い目を見開いてしまう。出来上がったオムライスを食べ、お互い向き合って笑っていると突然。
「私、お兄ちゃん大好き!」
「げっ……!」
思わず声が出てしまった。隣にいる睡方の視線を感じて、思わず体が先ほどよりも素早く熱くなってくる。それからもこんな時代が本当にあったかと疑いたくなってしまうほどの兄と自分の光景が、目の前で続いていた。
恥ずかしくて恥ずかしくて堪らなかった。でも、自分の眼に映っているその二人は余りにも楽しそうで、それを否定する必要なんてない気がした。
「……あ」
また場面が移り変わると同時に、神聞紙の持ち手が声を漏らす。その理由は、なんとなく分かった。写っているのは小学三年生の九華と睡方と、当時の恐らくいじめっ子。あの時の自分は確か通りすがりで真実を証明したら、休み時間に彼が話しかけてくるようになってきて。正直、うざったかったけどいくら無視しても声をかけてくるからもうやけになって。
気づいたら、毎日話していた。唯一と言っていいほどの、友達だった。九華は書くのに集中しながら、わざと彼と目を合わせないようにする。なんだか小っ恥ずかしくて、そんな顔を見られたくないからだ。
時は移り。小学校高学年の時、全国の新聞コンテストで九華は大賞を取った。その日の食卓はやけに騒がしくて、父が頭を撫でてくれた感覚が今でも残っている。なんだか、体が小刻みに震えてくる。思い出してきて、込み上げてくる。
余韻に浸る間もなく、また場面が移り。
「ねえ、私も……いつか、パパみたいなすごい新聞記者になれるかな?」
「もちろん。どんな時も、真実を追求する気持ちを忘れなければね」
「まあ、それでも一人で抱え込みすぎるのは良くない。結局は誰かとの付き合いがないと、人間生きていけないんだ。そういうわけで、佑哉。お前も勉強ばっかしてないでそろそろ彼女ぐらい作ったらどうだ?」
「はあ!? なんで急に俺なんだよ────」
あの日の、食卓だ。鮮明に思い出せる。温かみのある椅子に座って、手作りの美味しいご飯を食べながら、いつものように四人で言葉を交わし合ったあの日の。
何気なく、明日が来ると思ってた。記事の編集に頭を悩ませて。締め切りまで余裕があるから、また明日ゆっくり考えようなんて思っていて。
白化した両親が視界の端で、ずっと同じ笑顔を浮かべている。九華は肩を震わせていた。文字を書く手が震え、何度も鼻を啜って。涙が出ない、それが残酷に思えるほど、彼女は心が締め付けられていた。
「帰りたいよ……! パパ、ママ、お兄ちゃん……!」
フィルムは白いオーロラに戻り、周囲を渦巻いた途端、光と共に四人は元の場所へと戻ってきた。固まっていた腕が動かせるようになり、こちらをじっと見る睡方と目が合う。だけど何も言わずに、彼女は彼の持っている神聞紙に視線を落とす。今回埋めるべき一面の左上の四分の一のスペースは、途中で手を震わせたせいか半分までしか埋まっていなかった。
「想汰……由依さん……覚えてる?」
「……ああ」
「……はぁ……はぁ。バッチリ……!」
四人は居間のソファに座って、紙面の残りを埋めるために、お互いの覚えている記憶の振り返りを行った。それぞれの印象に残っているところを聞き、顔を赤くしながら九華はそれを次々と書き込んでいく。
「僕は、ずっと新聞を書き続けている姿が非常に印象的だったかな。友達を捨ててまでまるで病的かのように腕を動かし続ける姿は、やはり一番君らしさを感じたよ」
「どこまでもムカつく野郎ね。そんなに見える眼持っといて、よくそんなことが言えるわよ。はい、由依さんは?」
「えーとね、ウチはね。九っちがすごい家族と仲良さそうにしてるのが心に残ったかな〜!ほら、いつもツンケンしてるのに、お父さんとかお母さんとか話す時はすっごい笑顔だし!何よりお兄ちゃんのこと、」
「わ、分かったから……! ちょっと、それ以上は……。まじで……うん」
「え〜九っち、顔真っ赤じゃん〜〜! かわいい〜〜!」
「っさい!はいもう次、睡方! あんたは何かあった?」
「それで言うと……。俺も印象に残ったのは、家族といる時のお前かな」
「な、何よ! あんたまで! もしかして、普段の仕返し? 当てつけ!?」
「い、いやそうじゃなくて。ほらお前って、いつも、なんていうか……ムスっとしてるだろ? だからその、なんていうか、心から笑える場所があるってすごい大事だし、あってよかったなって……」
「……。な、何言ってるか全然分かんないし! 伝わってこないし……!」
人差し指を動かして、文字をサラサラと書き足していく。首からツーっと汗が垂れてきているのを感じつつも、とにかく意識を平常に戻すために腕を動かし続けて。
「……あ、ありがと」
蝋燭の火なんてまず消せない声で、それをすぐに空気に溶かす。それでも彼には伝わっていたようで、「う、うん」という曖昧な返事を返してくれた。三人の意見を聞いて動かし始めた腕ももうすぐ終盤に向かっており、四分の一面が文字で埋まりつつあった。最後の句点を描いた時、書き終わった神聞紙の該当部分が青く緩やかな発光を見せて。
「よし。これでとりあえず、この社の分は終わったわ。改めて、みんな協力してくれてありがとう」
「こちらこそだよ〜。九っちお疲れ様〜」
「なるほど、こんな感じで残りの三つも進めていけば儀式は遂行出来るということか。やっと理解した」
「そういうことよ。一つ一つの社の距離もそう遠くないはずだから、意外と三十日もかからないかもしれないわね」
「まあ……儀式を終えてからが時間がかかると思うけどね……」
睡方が呟いたのに、九華はしばし黙りこくる。その姿を見ていた想汰がいち早く立ち上がり。
「とりあえず、ここにもう用は無い。タプも待っていることだし、早速次の社に向かおう」
促されるように、九華含む三人も立ち上がる。睡方は一部が完成した神聞紙を両手で持って眺めていて、由依もそれを覗き込みながら歩を進めていた。想汰が廊下に繋がる扉を開け、彼らが歩き出そうとしている時、唯一立ち止まっていた彼女が。
「ごめん、ちょっと先行ってて」
「え?」
「すぐ、追いつくから」
俯きながら言った自分の言葉を、想汰は振り返るとみなまで言わず「わかった」と一言だけ残して、二人と一緒に外へと出ていった。それを確認して、九華は一度深呼吸をすると、もう一度リビングを見回す。
大きなテーブルの椅子の一つを引き出し、いつもの場所に座って頬杖をついてみる。隣には母親。右斜め前には父親。楽しそうに笑っている姿を見ていると、自然と過ごしていた時間が思い出されるようで。
触ったら、壊れてしまう。そう思うだけで、すぐ手を伸ばせば触れられるだけの距離にいるのに、その温もりが遠ざかる気がした。儀式を一つ終えた。その達成感はある。でも、このままじゃいけない。儀式を全部終えても、現実には四人揃って帰ることは出来ない。先程も支えてくれた仲間だ。誰も置いていきたくない、でも、現実世界にどうしても帰りたい気持ちがやはり捨てきれなくて。
どうにか出来ないだろうか。何か、新たに現実に帰る方法は無いのか。それを自分で見つけに来たんじゃないのか。どうする。どうする。どうする。どうしたら、現実に帰れるんだ。
────カチャッ、カチャッ、カチャッ。
金属が擦れるような音。はたまた、歩く振動で金属が揺れるような音。突然聞こえてくる。そしてその音が近づいてきている。九華はおもむろに立ち上がって、廊下を見た。その音の主は二階から降りてきていた。
眼前に降り立ったその姿は、黒光りした甲冑を身にまといし人型の、恐らくカミだった。廊下とベランダを隔てるドアの大きさと同じくらいの長身で、逞しい上半身と下半身を繋ぐ腰に刀を備えるそのカミは、こちらに目を合わせてきて。冷たく機械的な声が、こだました。
「俺は、カムイ。お前を現実世界に連れ戻しに来た」
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