第6話 第二の犠牲者
最初に私の家へやって来たのは、早坂琥珀だった。
生徒会の副会長であり、私にとっては大切な片腕でもある。
「あっ、来た来た。いつもの部屋に荷物置いてきて。リビングでは紗良と瑠璃が夕飯の支度してるから、手伝ってあげて」
「ほーい。……そうそう、あんた達、色々抱え込んでるみたいだね。後で話、聞かせてよ」
軽く手を振り、琥珀は奥の和室へと荷物を運んでいった。
玄関で振り返ると、夕陽に照らされながら二つの影がこちらへ手を振っているのが見えた。
影が長い方は田中蒼衣(たなかあおい)。弓道部の副部長であり、部長の月弓紗良の片腕。二人で弓道インターハイ二連覇を成し遂げた立役者だ。
学園では「夢咲クールビューティペア」と呼ばれ、ファンクラブまで存在する。
(そういう私は……うーん。生徒会トリオの星愛・琥珀・瑠璃は、よく言えば可愛いマスコット的存在。実際は“お笑いトリオ”として生徒から愛されているのが現実です)
そして、影が短い方は月島琴葉(つきしまことは)。
超常現象サークルの部長で、なぜか「取材」と称していつも私たちの誰かと行動を共にし、その一部始終を日記に書き留めている。
愛読書は『創世神話』。電子版をスマホにダウンロードして読み込む、少し風変わりな子だ。
──私たち六人は、夢咲学園幼稚舎の頃からの幼馴染。
夕陽を背に家を振り返ると、窓からこぼれる明かりの中に、リビングで賑やかに動く五人の影が映っていた。
「これで役者は揃ったわね」
小さく呟き、これから訪れるであろう出来事に思いを巡らせながら、私は家の中へと足を踏み入れた。
修学旅行から帰ってまだ二日目だというのに──。
六人はすでに同じ食卓を囲み、紗良特製のカレーライスを頬張りながら賑やかな団欒を楽しんでいた。
食後には順番にお風呂を済ませ、同じ部屋に布団を六枚並べる。寝る準備を終えた部屋の真ん中で、六つの頭が寄り合い、自然と語らいが始まった。
最初に口を開いたのは琥珀だった。
「ねえねえ、瑠璃がホームルームで“青木さんと空港の職員さんが倒れた原因は同じだ”なんて言ったとき、わたしゃ本当に驚いたよ」
その言葉に碧衣が頷く。
「そうよね。でも瑠璃は巫女だし……何か感じ取るものがあるのかなって思ってたけど」
琴葉が面白い記事を見つけた記者のように目を輝かせる。
「うんうん、これはもう事件ですね。校長に呼び出されて事情を聴かれたときは、ほんと目から鱗でしたよ」
相槌を打ちながら琴葉が同意を示すと、碧衣は紗良に優しい眼差しを向けた。
「でも……ちょっと水臭いんじゃないかな。特に紗良。部活にも顔を出さないし、何の説明もなしで。まあ、こんな危険な状況なら周りを巻き込みたくない気持ちも分かるけどね」
碧衣の言葉には、私たちの行動への理解がにじんでいた。
紗良はその瞳をまっすぐ見返し、静かに答える。
「……うん、済まなかったと思ってる。けど、昨日の今日で、私たち自身まだ理解できていないんだ。正直、振り回されてきたって感じかな」
今まで話せなかった理由を紗良が説明し終えると、琥珀がみんなの顔を順に見回し、口を開いた。
「で……これから、どうするの?」
瑠璃は琥珀を見てから、私たち全員に視線を移し、真剣な声で語り出す。
「お父さんが見たのは“邪神”だった。奴らは人の魂を取り込み、自らの力に変えるために魂抜きをする。
でも今回は違う。感じたのは邪神じゃなくて──創造神、ミレイア様の気配。
神は魂を取り込むことはしない。だからこれは、何かの儀式に使うための魂抜きだと考えて間違いないと思うの」
その名が出た瞬間、『創世神話』好きの琴葉が目を輝かせ、手にしていたスマホを素早くスワイプした。
画面を追いながら、興奮気味に瑠璃へ問いかける。
「えっ、ミレイア様って……あの悲劇の女神様のこと?
えっと、そうそう──紀元前七百年、人への転生をした時に禁忌を犯して、三千年ものあいだ人として生きる呪縛を受けたっていう……あの女神様?」
瑠璃は静かに頷き、琴葉を見据えて答える。
「ええ、間違いないわ。あの気は純白──処女神の証。
そして処女神であり、なおかつ創造神である存在はただ一人。神話に記されているのは、ミレイア様しかいない」
今まで神という存在を意識したことのなかった碧衣は、混乱を隠せないまま、言葉を絞り出す。
「じゃあ……白洲澪が創造神ミレイアってことになるの?
信じられない……クラスに神様がいるなんて」
図書館で顔を合わせることが多いからか、琴葉が白洲澪さんの印象を口にした。
「えっとね、白洲澪さんって優秀な司書さんなんだって。その能力を買われて、夢咲学園付属図書館の主任司書として呼ばれたらしいの。
それに合わせて高等部に転入してきた記憶はあるんだけど……他の記憶は、色あせたロゴTシャツみたいにぼんやりしてるのよね」
紗良がみんなを見回し、提案するように声を上げた。
「ねえ、一度整理してみない?」
私たちは静かに頷き、紗良の言葉に耳を傾ける。
「今わかっていることは──白洲澪さんが“創造神ミレイア”であること。
空港の職員の魂は抜かれたけど返されていること。
そして、青木桃花さんの魂は抜かれたまま……。これだけよね」
紗良は五人の顔を順に見回し、私たちは真剣な表情で頷いた。
「白洲さんは、なぜかこのクラスの魂を欲している。
成田の職員の魂抜きの目的は、職員を犠牲にすることじゃなく、私たちに衝撃を与えること。
その混乱に乗じて“白洲澪”という記憶を私たちに埋め込み、四十人目の生徒としてクラスに紛れ込んだ。
だから魂は肉体に戻されたのよ」
再び、五人は黙って頷く。
「抜いた魂は、きっと何かの儀式に使うため。
だって白洲さんは神──三千年もの人としての人生を歩む呪縛を受けているのなら、生命力を取り込む必要なんてないはず。
だから体内に取り込むのではなく、別の目的に利用していると考えるのが自然よ」
五人はまた、神妙な面持ちで静かに頷いた。
「ねえ、琴葉ちゃん。ミレイアはどうして呪縛を受けたの?」
碧衣の突然の問いに、琴葉は思わずスマホを落としそうになり、慌てて声を上げた。
「お、お願いミミちゃん、『創世神話』からミレイアを検索して!」
画面を見つめながら、琴葉の表情が次第に真剣なものへと変わっていく。
「この『創世神話』ってね、紀元前一五〇〇年から現代まで、二人の女神が人として転生してきた時の記録なの。
紀元前七〇〇年までは、ヘスティア、アルテミス、そしてミレイアの記録が残っているんだけど……それ以降、ミレイアの記録だけが途絶えているの」
(えっ……二千七百年前に何があったの?
もし記録が途絶えたまま人として生き続けていたのなら──ミレイアは二千七百年もの人生を歩んできたことになる。
私たちはまだ十七歳。想像すらできない……)
頭の中で途方もない年月を思い描こうとしたが、到底追いつけなかった。
代わりに、私は別の疑問を口にする。
「ねえ、ヘスティアとアルテミスは、ミレイアと別れた後どうなったの?」
琴葉は小さく頷き、答えた。
「星愛ちゃん、いい質問だね。紀元前七〇〇年以降は、ヘスティアとアルテミスの二柱だけで転生を続けてきたみたい。
どの転生でも、生まれるときはいつも一緒だった。
亡くなるときは少し違ったみたい。
でも、この七百年の転生では、
──二人だけが一緒に亡くなり、ミレイアだけが生き残ったらしいの。
もしかしたら……ミレイアを探すために、二人は転生を繰り返してきたのかもしれないね」
その時、瑠璃がわずかな気の変化を感じ取ったのか、私と紗良の顔を見て、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「ねえ……もし、その転生女神二人がこの学園にいるとしたらどうかしら。例えば──
えっ……頭が痛い。なに、話しちゃいけないことなの」
瑠璃は額に玉のような汗を浮かべ、頭を押さえた。
私は慌てて彼女を抱き寄せ、ハンカチで汗を拭う。
「瑠璃、大丈夫? 無理しないで」
瑠璃は浅く息をつき、弱々しく笑った。
「ごめん……急に頭が痛くなって」
私はその様子をじっと見つめ、彼女が言いかけた言葉を想像する。
「……もしかして、それって私たちに関係があることなのかしら」
紗良は冷静な目で皆を見渡した。窓からは月の光が静かに差し込んでいる。
「これは偶然じゃない。瑠璃は何かを感じ取ったのよ。私たちも慎重に進むべきだわ」
一同は頷き、再び話し合いを始めた。
瑠璃は少しずつ落ち着きを取り戻し、言葉を続ける。
「とにかく、この学園に特別な力が働いているのは確か。私たちも、その力に巻き込まれないよう気をつけないと……」
そして、頭痛に襲われたときの言葉を避けるように、別の考察を口にした。
「この学園には神様が複数いるみたい。
だから、あの二人がここにいる可能性は高いと思うの。
それでミレイアが現れたのかもしれない。
きっと何らかの儀式で、その二人に気付いてもらおうとしているんじゃないかしら」
思いがけない推測に、部屋の空気が張り詰める。
静まり返った学園の夜空には三日月が浮かび、まるで何かを告げるように、静かに佇んでいた。
(いろいろ話が出たけど、情報が散らばっているわね。少し整理したほうが良さそう)
私はこれまでのやり取りを思い返し、口を開いた。
「なんやかんや言っても……6人揃うと、大分見えてきた気がするわ」
琥珀がにっこり笑い、腕を頭の後ろに回して「おうよ」と軽口を叩く。
その仕草に、私を除いた四人が「クスッ」と笑い、視線をこちらに向けて続きを促した。
「多分──白洲澪さん、つまり女神ミレイアは、この学園にいるとされるヘスティアとアルテミスに自分の存在を気付かせるため、儀式を行おうとしている。そのために夢咲学園関係者の魂を集め始めたのよね」
瑠璃が真剣に頷き、私も頷き返して話を続ける。
「今、白洲澪さんは青木桃花さんの魂を手にしている。でも、それだけでは儀式に足りないのか、あるいは条件が揃っていないのかもしれない。
それに、立て続けに魂を抜いていないことから考えると……魂を抜くには何らかの条件が必要なんだと思う」
私は全員の顔を見回し、皆が頷くのを確認した。
「つまり──儀式に必要な魂や条件が揃うまでは、青木桃花さんの魂はすぐに危険に晒されることはない、ということよね」
再び全員が頷く。私は少し間を置き、考えをまとめた。
「けれど……どこかに依り代を置いているはず。でも白洲さんには“レーダー”のような神能があって、尾行もできない。
そして桃花さんの魂は彼女の手の内にある。人質に取られているも同然よね」
沈黙の後、私は苦笑いを浮かべて言った。
「……つまり、私たち、手詰まりってことじゃない?」
その言葉に、一同の表情が一斉に曇り、落胆の色が広がった。
(えっ……いい感じじゃない? みんな、真面目に私の長い話を聞いてくれてる……。
視線が集まっているのを感じて、耳がじんわり熱くなるのが分かった)
「ふぅー」
深く息を吐き、パジャマの袖を整えながら話を続ける。
「まずは自己防衛ね。魂を抜かれたら、もう何もできなくなるんだから」
「うんうん」
息の合った五人の頷きを見て、私は目を細め、優しく微笑んだ。
「多分、白洲さんが探している女神が学園にいる限り、儀式は学園で行われるはず。
だから、学園内での白洲さんの監視は欠かせないと思うの」
私を見つめる五人の瞳は、真剣そのものだった。
「それに……おとり捜査みたいで気は進まないけど、もし魂を抜かれる生徒が出たら、彼女は必ず依り代を保管している場所に行くはず。
その瞬間こそがチャンスよ。六人で連携して彼女を追うの」
紗良は目を輝かせ、少し冷たい指で私の手を握る。
琥珀は正座で両膝に手を置き、碧衣は腕を組んで静かに目を閉じ、瑠璃は真っすぐに私の瞳を見つめ、琴葉はスマホを胸に抱いたまま視線を逸らさなかった。
「“虎穴に入らずんば虎児を得ず”って諺があるでしょ。
怪しい集団に見られる覚悟で、私たちは常に六人で行動する。事件が解決するまでは学園の敷地を出ない。
──いっそのこと、白洲さんと友達になっちゃいましょうよ。
学園の中では、いつも彼女と一緒の“仲良し七人組作戦”。どうかな?」
……長い沈黙の後、琥珀が口を開いた。
「何言ってるのよ。生徒会長、副会長、書記、弓道部の部長と副部長、超常現象サークルの部長が、付属図書館の主任司書様と一緒に行動するなんて……どう考えても怪しい集団でしょ」
そう言ってお腹を抱えて大笑いし、最後に「でも、いいね」と親指を立てる。
その姿に、他の四人も苦笑しながら作戦に賛成してくれた。
──翌日から「七人お友達大作戦」が始まった。
最初は警戒していた白洲さんも、三日目には打ち解けて、お互いを名前で呼び合うようになっていた。
可愛らしい白洲さんは、いつしか皆から「澪さん」と呼ばれるようになり、警戒心も薄れていった。
気付けば、いつも一緒にいても違和感がなくなっていた。
学生でありながら主任司書を務める澪さんは、授業が終わるとそのまま付属図書館で仕事をしていた。
私たちは邪魔にならないよう、静かに勉強をする毎日。
何より驚かされたのは、澪さんが図書館の全ての書籍の内容を把握していて、検索システムを使わずとも瞬時に答えを導き、勉強まで教えてくれることだった。
その可憐な外見も相まって、いつの間にか「澪ちゃん」と呼ぶのが自然になっていた。
そんな優しい子が、どうして魂を抜くようなことをするのか──。
六人の間でも疑問の声が上がり始めていた。
けれど瑠璃の見立てでは、澪の気は依然として黒が大半を占め、その中に純白が混ざっているとのこと。油断は禁物だと釘を刺された。
──そして前日。
図書館で澪ちゃんが古い本をめくっていたとき、不意に声が響いた。
「……もうすぐ終わりが来る」
その囁きは、私たちの心に直接反響した。
瑠璃の手からペンが滑り落ち、床に当たる音が異様に長く響き渡る。
背中を冷たい汗が伝うのを、私ははっきりと感じた。
「澪ちゃん……どうしたの?」
恐る恐る顔を覗き込むと、澪はにこりと笑って答えた。
「もう試験も明日で終わりでしょ。この楽しい時間も終わっちゃうのかなって思っただけよ」
その言葉を信じたいと願いながらも、不安は拭えなかった。
──そして翌日、事件が起こった。
私たちは──全く油断していた。
最終試験は数学。
Iクラスは旧帝国大学の理数系学部を目指す特別クラスで、出題される問題は他クラスより難解だった。
分厚い問題用紙をめくる音が教室に響き、張り詰めた空気の中で全員が鉛筆を走らせていた。
試験開始から三十分。
その時を待っていたかのように、澪は静かに席を立ち、教室を出ていった。
(本当に澪ちゃんってすごい……。全教科、三十分で解き終えてしまうなんて)
感心しながら再び問題用紙に目を落とした、その五分後。
背筋を冷たいものが駆け抜けた。
私と紗良、瑠璃は同時に顔を上げ、目を見合わせる。
──間違いない。あの時、空港で感じた気だ。
視線を気配の中心へ移す。
廊下側の席に、影のような残り気が揺らめいていた。
そこに座る深井麻美さんは、無言のまま、まるで時間が止まったかのように動かない。
「深井さん!」
思わず叫ぶと、教室中の視線が一斉に私へ集まった。
試験官の先生が足音も立てずに近づき、私の横に立つ。
「どうしました?」
胸の鼓動が耳の奥で轟き、世界がその音に包まれる。
冷や汗が背中を伝い落ちた。
──その頃。
澪はすでに試験を終え、校舎を抜け出していた。
蕾をつけた桜並木の下を、ただ静かに歩いていた。
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