第7話 挫折と決意
春を感じさせる柔らかな陽光が教室の窓から差し込み、室内を温かく包み込んでいた。
しかし、その穏やかな光景とは裏腹に、私たちの胸には緊迫した空気が張り詰めていた。
──こうした事態を想定して、私たち六人は何度も緊急時の対応を練習してきた。
目を合わせ、頷き合うと同時に行動へ移る。
私を除く紗良、琥珀、瑠璃、碧衣、琴葉は、記入途中の答案用紙を手に取り、教卓へ置くと迷いなく廊下へと駆け出した。
私は気持ちを落ち着けようと深く息を吸い込み、静かに先生の耳元へ囁いた。
「先生……深井さんの様子がおかしいです。声をかけてみてください」
胸の鼓動が早鐘のように鳴り響き、耳の奥まで届いてくる。
冷たい汗が背中を伝うのを感じながら、答案用紙を手に取り、教卓へ置く。
そして私は、足早に教室を後にした。
(えっ……嘘でしょ。昨日、澪ちゃんが言った「もうすぐ終わりが来る」って──まさか、このことなの?
絶対に、こんな形で終わりになんかさせない!)
階段を駆け下りながら、悔しさとも違う、何とも言えない焦燥に胸を締め付けられ、琥珀と瑠璃の背中を追った。
私たちは、もし学園で魂抜きが起こった場合に備え、二手に分かれる作戦を決めていた。
──澪がほとんどの時間を過ごしている付属図書館。
そしてもう一方は、学園から外へ出る際に必ず利用する夢咲学園モノレール駅。
私たちの行動は、迷いなくその二つの場所へと向けられていた。
琥珀と瑠璃は駅へ急ぎ、紗良・碧衣・琴葉は付属図書館へと走った。
私は迷わず琥珀と瑠璃の後を追い、駅へ向かう。
普段運動をしていないせいか、校門を抜ける頃には心臓の鼓動が耳の奥まで響き渡り、呼吸が荒くなる。
(まだ間に合う。澪に追いつけば──魂を取り戻すことだって、きっとできるはず)
その思いだけを支えに、私は必死に足を前へと運んだ。
駅が見えたところで、先を行く琥珀と瑠璃に追いついた。
額に浮かんだ汗は春の陽気とは関係なく、緊張から生じたものだった。
私は息を切らしながら立ち止まり、手を膝について一息ついてから瑠璃に聞いた。
「ねえ、瑠璃、見えるかな、澪の気」
私と琥珀は祈るような気持ちで、瑠璃の口元を見つめた。
「えぇ……はっきり見える。黒と純白が混ざった神気がね。もう、ホームまで上がっているみたい」
まだ間に合うかもしれない。
私は一筋の光を感じ取り、「急ぎましょう」と声をかけ、再び走り出した。
―――
走る視界の左側に、ゆらめく光の反射が映る。
そちらへ目を向けると、定刻通りのモノレールが北からゆっくりと駅のホームへ入っていくのが見えた。
それでも、私と琥珀、瑠璃は一縷の望みにすがり、必死に駅へと駆けた。
だが、ホームからモノレールが発車するのを目にした瞬間、瑠璃の足が止まる。
振り返った私と琥珀に、瑠璃は静かに首を横に振った。
(やっぱり……上り線に乗ったんだ。あと少しだったのに……)
のどかな昼の駅前広場。
その穏やかな光景の中で、私は何もできなかった自分に落胆し、スマホを取り出して紗良へメッセージを送った。
◆夢咲学園付属図書館◆
一方その頃、紗良と碧衣は図書館の受付へ駆け込み、肩で息をしながら澪の姿を探した。
しかし、どこにも見当たらない。
遅れて追いついた琴葉は、膝に手をつき、荒い呼吸を整えようとする。
その息遣いが静かな館内に響き、利用者たちの視線を集めてしまい、琴葉の耳が赤く染まった。
ちょうどその時、紗良の制服の内ポケットでスマホが震え、着信を知らせた。
紗良は慌てて取り出し、画面に表示されたメッセージを食い入るように読み込んだ。――
『理事長室へ』
――
短いメッセージだったが、状況を伝えるには十分だった。
「澪はモノレールで動いたのね……駅組は追いつけなかったみたい」
「碧衣、琴葉。ここには、澪はいないわ。理事長室へ行くよ」
一瞬、琴葉の顔が曇ったが、すぐに気を取り直したのか唇をきゅっと結び、力強く頷いた。
碧衣も紗良と目を合わせ、同じように頷く。
三人は出口へ向かい、早足から走りへと切り替える。
図書館を飛び出すと、再び全力で駆け出した。
さすが弓道部の紗良と碧衣は、疲れを見せず前を走り抜ける。
その背中から流れる紗良のツインテールと、碧衣のセミロングの髪が風を切る。
必死に食らいつこうとする琴葉の姿は、下校途中の生徒たちの視線を引きつけていた。
◆夢咲学園高等部◆
高等部の玄関へ続く桜並木の下で、私、紗良、琥珀、瑠璃、碧衣の五人が揃った。
「琴葉は?」と図書館通りの方へ目を向けると、必死に走る琴葉の姿が見えた。
その愛らしさに少し安堵しつつも、小さな身体で泳ぐように走り、諦めずに追いつこうとする表情に、強い意志を感じる。
まるで「まだ諦めちゃダメ」と告げているようで、彼女の姿に勇気をもらった。
澪を乗せたモノレールが駅を出て、すでに十分以上が経過していた。
慌てて理事長室へ向かっても大差はないと判断し、私たちは琴葉の呼吸が整うのを待った。
普段はスマホやPCに囲まれた完璧なリケジョ系の琴葉。
その彼女が髪を乱し、小さな肩を上下させている姿に、私たちは自然と「負けられない」と思わされた。
琴葉の呼吸が落ち着いた頃、駅前通りから救急車のサイレンが響き、車両は私たちの前を通り過ぎて高等部の裏玄関へ消えていった。
「今頃、教室は大騒ぎだろうね」と琥珀が呟く。
碧衣が頷き、私を見て言った。
「そうだね。教室のことは先生方に任せて、私たちは私たちの役目を果たすんでしょ?」
生徒会長として、生徒を守る責務がある。
紗良がそっと私の手を握り、私は頷いて仲間たちへ視線を移した。
「こうなった時のために、何度も話し合ってきた。
あとは実行するだけ――みんな、行こう」
私の言葉を合図に、全員が顔を見合わせて頷き、理事長室へと足を向けた。
理事長室へ向かう途中、私の頭の中では様々な思いが渦を巻いていた。
最初の魂抜きから二週間。気の緩みだったのだろうか。
澪が答案を提出して教室を出ていったとき、どうして追わなかったのか。
背筋に悪寒が走った瞬間、すぐに澪を探しに行けばよかったのに……。
それに、何が「仲良し作戦」よ。
結局、魂抜きは起きてしまったじゃない。
不意に、澪の寂しげな笑顔が脳裏をよぎる。
―――
私は仲良し作戦で、いったい何をしたかったのだろう。
澪の、さまざまな笑顔を思い出す。
図書館で教科書を指さしながら説明してくれる優しい笑顔。
けれど、ふとした瞬間に見せる瞳には、深い悲しみが漂っていた。
あの時、「どうして寂しそうな顔をするの?」と問いかけていれば……。
でも、青木さんの魂が依り代にあるという重圧のせいで、私は澪と本心から話すことができなかった。
本当は、彼女の気持ちを受け止め、一緒に考えるべきだったのに。
暗い階段を上りながら、私はそっと紗良の手を握る。
踊り場で立ち止まると、紗良は寄り添うように私の隣に立ち、他の四人が静かに私を見つめていた。
「ねえ、みんな……私、気付いたの。
きっとみんなも同じ気持ちだと思う。澪と色んなことを話して、仲良くなった。
それに、時々澪が何かを伝えようとしていたことにも気付いていた。
でも、怖くて避けてきたんじゃないかな。
本当は──私たち、澪を救いたいと思うようになっていたんだと思うの」
私の想いを口にした後、紗良の手の温もりが不安を静かに溶かしていった。
紗良はじっと耳を傾け、優しく握り返してくれる。
「星愛、私たちはもう逃げないよ」
その言葉が胸に染み渡る。
紗良の言葉に応えるように、四人の瞳にも同じ決意が宿り、皆が静かに頷いた。
それぞれの方法で澪を守ろうとしている。
私たちは、もう一人じゃない。
六人で──澪を救うんだ。
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