第4話 運命の接触
翌朝。
春の気配を含んだ柔らかな陽ざしが、三人を静かに包み込んでいた。
私の左右では、紗良と瑠璃が腕を組み、まるで私を守るように寄り添って眠っている。
最初に目を覚ましたのは紗良だった。
昨日から始まった試験前合宿のことを思い出したのか、彼女の唇にふっと微笑みが浮かぶ。
その気配に気づき、私と瑠璃も目を覚ました。
「おはよう、星愛、瑠璃。昨夜は三人で一緒に寝られて……修学旅行みたいで嬉しかった」
紗良の優しい声に、朝の緊張がすっと和らぐ。
けれど、すぐに今日の作戦を思い出したのか、彼女の表情が一瞬だけ硬くなった。
「今日は……みんなで一緒に頑張ろうね」
その明るい声に、私と瑠璃は強く頷いた。
──夢咲学園の敷地内にある私の家。
朝食の席で、私たちは改めて作戦を確認していた。
高等部までは歩いて十分。
その短い通学路から、今日の戦いは始まるかもしれない。
黒髪が頬にかかりながら、私はフォークを置いて言った。
「邪神を早く見つけないと……。朝から教室で待っていれば、きっと気配で分かるはず」
湯呑みを持つ紗良と、箸を止めた瑠璃が同時に私を見つめる。
「分かったわ。教室で待ち伏せしましょう」
瑠璃のリボンが微かに揺れ、紗良が力強く続ける。
「きっと正体を暴けるはずよ」
二人の言葉に、私は思わず微笑み、紅茶のカップを掲げた。
「ありがとう。みんなで……頑張ろうね」
カチン、と茶器が触れ合う音が、三人の決意を静かに刻んだ。
その音は、これから始まる非日常への合図のように、静かに響いた。
朝食を終えた私たちは登校の支度を整える。
早めに教室へ入り、邪神の気配を待ち受けるために──。
校舎へ向かう道。
朝日に照らされた夢咲学園の校舎が、まるで舞台の幕が上がる瞬間のように輝いていた。
私は立ち止まり、胸の奥でそっと呟く。
「今日こそ……何かが見つかるはず。みんなの力で」
紗良が鞄の紐をきゅっと結び直す。
瑠璃は巫女の心得のように、静かに深呼吸をひとつ。
「うん、絶対見つけよう」
紗良の頷きに、瑠璃の瞳が微かに光った。
校門をくぐる瞬間、三人は無言で拳を合わせる。
朝陽が背中を押すように──
私たちは、決意の一歩を踏み出した。
まだ人影の少ない校舎で、瑠璃が突然足を止めた。
「ちょ……ちょっと待って! 今、邪神の気を感じたわ……!」
瑠璃の背中がピンと張り、私も背筋に何かが走るのを感じた。
(瑠璃が気付くなら、邪神も私たちを感知しているはず……)
私は二人の肩を掴み、廊下の陰へ引き寄せた。
「瑠璃が近づけば、すぐ気付かれる。こういう時は……」
喉を鳴らして覚悟を決める。
「一人の方が動きやすい。二人は生徒会室で待っていて」
早朝の静けさが、迫り来る危機を告げていた。
不満そうな二人を、有無を言わせぬ表情で背中ごと押し出し、
私はたった一人で教室へと足を運び出した──
教室では、見慣れた女生徒が日直をしていた。
プリントを配る手がふと止まり、唇が嘲るように歪む。
──白洲澪は、静かに目を細めた。
「ふう……来ちゃったわね、あの子たち」
彼女の視線は、教室の扉の向こうに向けられていた。
(妙な正義感は昔から変わらない。話せば楽なのに……)
プリントを机に置いていきながら、澪はどこか遠い目をしていた。
「どうせ今の記憶しかないんだから、無駄なのよ」
黒い瞳が扉を見据え、悲しげな笑みが浮かぶ。
「近づいてくるのは……星愛ね。瑠璃と紗良は別行動? 優しいだけの判断は……星愛らしいわ」
(相手が知らない相手なら有効だけど、
星愛らしいと言えば星愛らしい。あの子、昔から優しい子だったから。
でも──私の計画は、邪魔させない)
(あれ……? 今、一瞬だけ気配が……でもすぐに消えた)
胸の高鳴りを押さえながら、私は無理に平静を装い、思考を巡らせる。
(ひょっとして教室で犠牲者が……? でも、行くしかない。
なるべく自然に教室へ入って、「生徒会の朝会があるから」って言えばいい。
相手が誰か確認して、すぐに出てくれば……。
ここまで来れば、気の流れも感じ取れるはず)
心臓の鼓動が早まり、息が浅くなる。
ふと視界に、中庭を走る部員たちの姿が映る。
(そう……私は生徒会長。この日常を、壊されてたまるものですか)
気を持ち直し、掌の汗を制服で拭う。
できるだけ自然に振る舞おうと、扉に手をかけた──その瞬間。
ドアが、こちらの意思とは無関係に勢いよく開いた。
眩い朝日の逆光の中、一人の女生徒の輪郭が浮かび上がる。
咄嗟に口をついて出た言葉は、不自然な言い訳だった。
「あの……朝会の準備で……」
失敗した、と直感する。
顔を上げると、そこに立っていたのは──
夢咲学園付属図書館の司書であり、図書委員でもある白洲澪だった。
澪は、すべてを見透かしているかのような穏やかな笑みを浮かべ、問いかける。
「あら、灯里さん。こんな朝早くから? 三人で何か調べもの?」
その声は、どこか人間離れした静けさを帯びていた。
まるで空気が澪の周囲だけ澄み渡っているような、異質な感覚。
一瞬、彼女の瞳に朝日が差し込み、虹のような光彩が揺らめいた気がした。
私は一瞬顔がこわばる。
(えっ……三人で? 全部知ってるってこと? でも、平常心……平常心)
無理に笑顔を作り直す。
「おはよう、白洲さん。今日は生徒会の朝会で……」
澪の瞳が一瞬だけ鋭く光り、すぐに穏やかな声で返す。
「そう……では紗良さんと瑠璃さんは、生徒会室ですね。
私は日直の仕事があるから、また後で、ゆっくりお話しましょう」
その言葉の響きが、妙に胸に残った。
“ゆっくりお話しましょう”──まるで、すべての時間を掌握しているかのような余裕。
澪は静かに去っていく。
その背中を見送る私の胸に、冷たい汗がじわりと滲む。
(嘘……彼女、どこまで知っているの?
三人の気を感じ取っていた……そんなこと、できるの?)
澪は廊下を歩きながら、誰にも聞こえない心の声を呟いていた。
(これで、三人の行動は封じた。……もう、計画の邪魔はさせない)
その瞬間、廊下の空気が微かに震えたような気がした。
まるで、見えない力が澪の足元に静かに広がっているような──。
二人に今の出来事を報告しなければ──
そう思い直し、私は気を取り直して生徒会室へ足を速めた。
登校時間が近づき、廊下には制服姿の生徒たちがぽつぽつと現れ始めた。
足音や話し声が、静かな空間に少しずつ広がっていく。
そのざわめきの中、私は額の汗を拭いながら歩を進めた。
(白洲さんは、私たち三人のことを全部知っていた。名前まで……
あれは、ただの偶然じゃない。
まるで私たちの動きを、最初から見通していたみたいだった)
掌に残る汗が、まだ乾かない。
(“調べもの”って言葉……あれは、もう分かっているから探るなっていう警告だったのかもしれない)
ふと、紗良の言葉が脳裏に浮かぶ。
「邪神の気が、懐かしいって……」
(私も、白洲さんに会って……その感覚がわかった気がする。
“どこかで会った”というより、“ずっと前から知っていた”ような……
でも、それが何なのかは、まだ掴めない)
生徒会室の前に立ち、私はドアノブに手をかける。
その冷たい金属の感触が、思考の渦を断ち切るように指先に伝わった。
──現実が、そこにある。
◇◆◆ 生徒会室 ◆◆◇
星愛が教室へ向かっている間、紗良と瑠璃は生徒会室でじっとドアを見つめていた。
ふと、紗良が強い気配を感じて立ち上がろうとした瞬間──
瑠璃がそっとその手を握り止めた。
「紗良の焦りは分かるわ……でも」
瑠璃は紗良の手を自分の大腿にのせ、安心させるように話す。
「今の気は空港の時のとは違うね。攻撃というよりは探りを入れるような……
そうね、教室を中心にレーダー波を一回放ったって感じかしら。
多分、探りか、威嚇のために放った気よ」
「そう、レーダー波を放って、この学校全体をスキャンしたって感じかな」
紗良は不安そうに瑠璃の瞳を見る。
「球状に気を放つなんて……相手、相当な力の持ち主みたいだね」
瑠璃が静かに頷く。
「そうね。私たちが気を感じ取ったということは、相手も私たちに気付いたということ。
もう、私たちのことはバレてるわ」
瑠璃の指先が紗良の手の甲をなぞる。
「気には色があるの。そして指紋と同じで模様もあるらしいわ。
私はそこまで出来ないけど……これだけの気を放てるということは、
相手はもう、私たち三人を特定しているね」
沈黙が流れ、二人は固く手を握り合ったまま、ドアを見つめ続ける。
ふと、瑠璃の表情が緩む。
「紗良、星愛の気がする……こっちへ来てる!」
廊下の早足の音、回るドアノブ──
入ってきた人物を見て、二人の顔には安堵の色が浮かんだ。
「……良かった」
──星愛は、二人の手が繋がれているのを見て、胸を撫でおろした。
(あの気配……きっと感じ取っていたんだ)
先ほどの大きな気を感じて、教室で何かが起きたのでは──
紗良は私の心境を察したのか、そっと微笑んだ。
そして静かに立ち上がり、私の手を包み込む。
「星愛ちゃん、さっきの大きな気配……教室で何かあったの?」
(そんなに顔に出てたのかな……)
瑠璃も優しく頷きながら近づいてくる。
「一人で抱え込まないで。話してみて」
二人の温かな眼差しに、私はふっと肩の力が抜けた。
胸の奥に張りつめていたものが、少しずつほどけていく。
「……二人とも、分かったよ。邪神は──白洲澪さんで間違いないと思う」
二人の瞳を見つめながら、私は言葉を続けた。
「澪さんは、私たちが三人で動いていることも知ってた。
しかも、私・紗良・瑠璃っていう組み合わせまで……
“もうこれ以上関わるな”って言ってるような話し方だった。
あれは、ただの偶然じゃない。相当強い力を持ってるとしか思えない」
瑠璃が不安そうに窓の外へ視線を向ける。
「うん、私たちも感じた。あの気……360度、球状に広がってた。
まるで学校全体を包み込むように、気を放ったみたいだった」
その言葉に、室内の空気が少し重くなる。
澪の正体に迫るほど、三人の胸に広がるのは、ただの恐怖ではない──何か、もっと深い予感だった。
紗良の表情が強張る。
「つまり……ただの邪神じゃないってことだね」
私は少し躊躇してから、思い切って口を開いた。
「実はね、白洲さんと目が合った時……恐怖より、なんだか懐かしい感じがしたの」
(紗良が空港で言っていた、“嫌な気配に混ざる懐かしさ”──
今なら、その意味が少しだけ分かる気がする)
瑠璃も思い当たる節があるのか、しばらく考えてから口を開いた。
「この気は黒が主体だけど、ほんの少し……純白が混じっている。
最初は自信がなかったけど、今の話で確信した。
純白はね、女神の気って言われてるの」
紗良の目が大きく見開かれる。
「えっ……ということは、もしかして闇落ち寸前の女神の可能性があるってこと?」
瑠璃が頷く。
「うん、その可能性は十分にある。
何より、この結界だらけの夢咲学園の中を自由に歩けるってことは──
邪神より、神と考えた方が自然だと思う」
三人は顔を見合わせ、沈黙が落ちた。
それぞれの胸の中で、言葉にならない思考が渦を巻いている。
私は二人を見つめ、決意を込めて言った。
「考えていても仕方ないし……うちのママ、灯里理事長に報告して、相談してみよう」
登校してくる生徒たちの声が、廊下の向こうから聞こえてくる。
いつもの学校生活の始まりを告げる、生徒会室の静けさの中で──
三人の視線が交わり、静かに頷き合った。
その瞬間、運命の歯車が、音もなく回り始めていた。
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