第3話 新たな道筋


瑠璃の家は、モノレールで二駅先。湖のほとりにある神社の境内の奥に建っていた。


久しぶりに訪れる紗良は、辺りをきょろきょろと見回しながら歩いている。

「そうそう、古い神社だったんだよね。懐かしいな……家はこの辺りかな?」


境内を掃除している女性の姿を見つけ、私は軽く会釈をした。

それは瑠璃のお母さんで、彼女もにこやかに会釈を返しながら近づいてくる。


「あら、待っていたわよ、星愛ちゃんに紗良ちゃん。

瑠璃から電話で聞いているの。こんなところで立ち話もなんだし、さあ、こっちへいらっしゃい」


一方的に話を進められて、私は思わずぽかんとしてしまった。


案内されて家に入ると、廊下にはお父さんの趣味で集められた神々の絵がずらりと並んでいた。

私は昔からこの絵を見るのが好きで、よくこの家に遊びに来ていたのだ。


「このお家、何度来ても飽きないわよね」

独り言のように呟きながら、廊下の絵を眺める。


紗良は目を輝かせて言った。

「なんか不思議な雰囲気がある家ですね。神様の絵がたくさんあって、まるで別世界に来たみたい」


私の隣に寄り添い、紗良は優しく微笑む。

「星愛(ティア)ちゃん、ここは不思議な雰囲気があるけど、妙に落ち着くね。

神様の絵がたくさんあって……それに、何となく温かいものも感じるよ」


普通なら、これだけ神様の絵が並んでいたら少し異様に思うはずだ。

けれど紗良は素直に喜んでいて――その姿を見ていると、私もこの家の雰囲気をやっぱり愛おしく思えた。


そして、いつものように女神ヘスティアの絵の前で足が止まった。

「うーん、この神様……どこかで会ったことがある気がするのよね。

知っているような気もするんだけど、気のせいかな」


紗良は「気のせい、気のせい」と軽く手を振って笑い、

瑠璃は意味深な笑みを浮かべながら荷物をまとめに自分の部屋へ消えていった。


窓をオレンジ色に染めていた夕日は沈み、外はすっかり暗くなっていた。


私たちは和室に通され、青畳の匂いに包まれる。

そこへ現れた父親の目が、一瞬だけ鋭く光った。


「えっ、どうかされました?」

思わず問いかけると、父親は神主の袂を揺らしながら柔らかく笑った。


「いやね、神様が依り代に降りる時の気配に似ていたもので。

瑠璃が最近、『あの子たちは神様かもしれない』とよく言うんですよ。

確かに、微かにそういうものを感じなくもない……

もっとも、信じるかどうかはあなた次第ですが」


(いやいや、そんなこと言わないでくださいよ)

心の中で思わず突っ込む。


その時、父親が小さく呟いた。

星愛ティアちゃんは昔からよく遊びに来ていたのに……今になって『気』が変わってきたのかな」


(神主さんにそんなこと言われたら、気になるじゃないですか)

またしても心の中で突っ込んでしまった。


そして私は紗良と目が合い、自然と笑いがこぼれた。

「ごめんなさい、私たちが神様だなんて……

生まれてこの方、奇跡も起こせない普通の人間ですよ」


その言葉に、部屋の空気がふっと和らいだ。

ちょうどその時、瑠璃のお母さんがお茶を運んできて、湯気がほのかに立ちのぼる。


「まあまあ、神様かどうかはともかく……」

お母さんは湯飲みを配りながら微笑んだ。

「こうして仲良くしてくれるのが、私にとっては一番ありがたいことよ」


私は湯飲みの温もりに包まれながら、ふと呟いた。

「瑠璃ちゃん、ここで育ったんだね……きっと、たくさんの思い出があるのかな」

瑠璃の優しい笑顔が頭に浮かぶ。


三人でお茶を啜りながら、瑠璃のお父さんが口を開いた。

「この家には、千年以上も前から人々の祈りが込められてきたんです」


その深みのある声に、私たちは自然と身を乗り出した。

神社の歴史についていろいろと語られるうちに、部屋の空気はしっとりと落ち着いていく。


話が一段落したところで、紗良が湯飲みを座卓に置き、静かに言った。

「たくさんの神様の絵が掛かっていたけど、一つ一つに大切な物語があるんだね」


私は頷きながら紗良に声をかける。

「今日は神様の話をたくさん聞けて良かったね」


その時、瑠璃のお母さんが柔らかく笑った。

「ええ、きっとこの時間も、あなたたちにとって大切な思い出になるわよ」


窓の外には、いつの間にか無数の星が瞬いていた。


和室の入り口が開き、瑠璃がたくさんの荷物を抱えて現れた。

「あっ、来た! わぁ、二週間分となると荷物も多いね」

私は駆け寄ってスーツケースを持ち上げようとしたが、びくともしない。


「えっ、何この重さ……上がらない」

「でしょ。これを駅まで引きずっていくのは嫌よ」

瑠璃は肩をすくめながら、じっと父親を見つめた。


「安心しなさい。どうせ話したいこともあるし、送っていこう」

父親の言葉に、私たちは思わず顔を見合わせた。




◇◆◆ 車内 ◆◆◇


エンジン音に包まれながら、車はゆっくりと走り出した。

瑠璃が後部座席から身を乗り出し、父親に声をかける。


「お父さん……実は学校で、空港の事件と似たようなことが起きてるの。嫌な気配を感じるの」


バックミラー越しに光る父親の眼差しが鋭くなった。

「……やはりか。最近、神社にも“神隠し”の相談が増えている。肉体は残るのに、魂だけが消えてしまうというものだ」


車内の空気が一気に重くなる。

紗良が私の手を握り、真剣な声で尋ねた。

「魂が消える……どういうことなのですか?」


父親はすぐには答えず、ハンドルを握る手に力を込めた。

「ただ、一度だけ救えたことがある」


私たちは息を呑み、続きを待つ。

父親の視線は遠い記憶を追うように揺れていた。


「氏子の息子が魂を抜かれ、笑ったままの顔で生気を失っていた。だが幸い、近くに邪神の残り気が漂っていた。私は“神眼”でその黒い気を追い、湖近くの祠に辿り着いたのだ」


助手席の瑠璃が息を呑む。

「……祠?」


「そこには魂を封じたぬいぐるみがあった。祈祷を施すと、子供の目に生気が戻った。だが……他にも複数のぬいぐるみが置かれていた」


父親の声が低く落ちる。

「つまり、邪神は魂をすぐに取り込まず、依り代に封じて蓄えている。必要な時に糧とするために、な」


背筋に冷たいものが走る。

私は思わず問いかけた。

「じゃあ……青木さんの魂も、まだ依り代に残っている可能性があるんですか?」


父親は短く頷き、車を止めながら言った。

「……深追いは禁物ですよ」

私たちは礼を述べ、車が去っていくのを見送った。

その背中を見届けながら、私は紗良と瑠璃の後に続き歩き出す。

胸の奥に、拭いきれない一抹の不安が広がっていた。




◇◆◆ 夢咲学園 理事長室 ◆◆◇


ちょうど私たちが瑠璃の家に向かっていた頃──

夢咲学園では、神々を交えた職員会議が開かれていた。


「政府の指示通り、事件性はなし。休校措置は取りません」


そう結論づけられた後、理事長室には星愛の母と紗良の母だけが残った。

理事長は机上に広げられた神代文書に指を滑らせ、低く呟く。


「最初はなぜ、結界だらけで神の気配が濃いこの学園を選んだのか、不思議だったけれど……」


窓際に立つ紗良の母は、深いため息を漏らした。

「このタイミングで事件が起こるなんて……。あの神が狙って現れたわけじゃないでしょうに」

「でも、ひどいわ。ひと月後にはあの子たちに大切な試練が控えているというのに、『手出し無用』だなんて」


理事長の拳が、神聖な紋様の刻まれた机を軽く叩いた。

その音が、張り詰めた空気に小さな波紋を広げる。


──彼女たちはまだ知らない。

この学園を包む静けさの裏で、やがて訪れる“試練”がどれほどの意味を持つのかを。




◇◆◆ 星愛の家 ◆◆◇


寝る前、瑠璃が布団の上で身を乗り出した。


「ねえ、父の話だと邪神が犯人みたいだけど……私たちが対峙している邪神は相当頭がいいと思わない?」

紗良は瑠璃を見ながら、ゆっくりと頷いた。

「うん、そうかも。だってこの学園、至る所に結界が張ってあるのでしょう?」

瑠璃の目が興奮で輝く。

「そうよ。特にこの家の結界は桁違いに強い。うちの神社なんか比べものにならないわ」

私は思わず布団の上で姿勢を正した。

「えっ、そんなに強い結界があるの……全然気付かなかった」

驚きつつも、すぐに緊張した面持ちになる。

「でも今は、その邪神のことが気になるわ。どうやって学園の結界を突破したのか」


瑠璃の言葉を心の中で繰り返す。

「この学園の結界を抜けて教室まで入り込んだということは──邪神は並外れて賢いか、結界の弱点を知っているということね」


二人は私の言葉に頷き、続きを待った。私は一瞬ためらいながらも口を開く。

「ひょっとして、完全に闇落ちする前の『神の魂』が残っている神なのかも」


三人は互いに目を見つめ合い、重たい沈黙が落ちた。


私は息を整え、慌てて口を開いた。

「ねえ、青木さんの魂って……まだ取り込まれていない可能性もあるのかな?」

紗良が顎に指を当て、ゆっくりと考えを述べた。

「邪神はすぐには魂を取り込まないって言っていましたよね。空港職員と青木さんが立て続けに狙われているなら……魂は依り代に封印されていると考えるのが自然じゃないかな」


三人の視線が合い、希望の光が浮かぶ。


私は体を起こしながら言った。

「邪神が青木さんの魂をまだ取り込んでいないなら、時間はあるってことだね」


紗良が真っ直ぐに私を見つめ、深く頷く。

「うん。邪神が青木さんの魂をまだ手放していないなら、何か特別な計画があるのかもしれない」


瑠璃は膝の上で拳を握りしめ、目を輝かせた。

「そうだよね。青木さんの魂が依り代に残っているってことは、邪神がたくさんの魂を集めて、何か大きなことを企んでいると思う……でも想像もつかないけど」


巫女の直感が働くのか、瑠璃の声が熱を帯びる。

「青木さんの依り代さえ見つけられれば、父に魂返しをしてもらえるわ」


三人はそれぞれ推理を交わし、邪神の行動パターンを必死に読み解こうとしていた。


私はあることに気付き、問いかける。

「ねえ、邪神が青木さんの魂をまだ取り込んでいないなら……彼女の魂を見つけて守れれば、邪神の計画を阻止できるかもしれないよね?」


紗良と瑠璃の瞳が輝き、二人が頷く。


「そうだね!でも問題は──」紗良が指を立てる。

「どうやって依り代を探し出すか、だよね」


三人は頭を寄せ合い、青木さんの魂を探す作戦を練った。


瑠璃が指先を動かしながら言った。

「私たち、邪神の気配を感知できるでしょ? 学校で星愛は東階段、紗良は西階段に立って、気配が強まったらすぐ教室にいる私に連絡する」


頭の中で明かりが灯る。

「そっか。気配が強くなった時に瑠璃に連絡すれば、その時席にいない生徒が邪神ということになるね。それに、その邪神と顔を合わせることができるかもしれない」


紗良の頬が緩み、目がきらりと光った。

「なんだか、サスペンス劇場みたい」


こうして話し合いの末、明日の作戦が決まった。


十分に語り合い、安心した三人は布団に入り、月明かりに照らされながら眠りについた。

次第に三人の寝息が静かに重なっていく。


──だが、その静寂を遠くから見つめる影があった。

窓の外、夜風に紛れて忍び寄る気配。

まるで三人の決意を嘲笑うかのように、闇はゆっくりと形を変えていった。


明日、彼女たちが仕掛ける作戦は、思いもよらぬ試練の幕開けとなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る