第2話 私達にできること


教室に戻る途中、頭の中を整理しようと、隣を歩く紗良に声をかけた。

「もし本当にそんなことが起きているなら、どうにかして助けられる方法があればいいのにね」

「きっと解決策はあるはずだよ。私たちにできることで、少しでも力になれたらいいよね」


紗良は私の手をぎゅっと握った。


「ねえ紗良、このまま教室に戻ると話を聞かれていそうで嫌だから、少し生徒会室に寄って話そうよ」

「うん、そうだね。生徒会室なら嫌な気配もしないし、落ち着いて話せると思う」


毎日のように足を運んでいる生徒会室に入ると、不思議と心が落ち着いた。

私は窓を開け、外の空気を吸い込みながら校庭をぼんやりと眺める。

そこには今の状況とは正反対の、穏やかな春の景色が広がっていた。

その陽気に嫌なことを忘れられそうな気がしたけれど――紗良の言葉が、私を現実へと引き戻した。


「ねえ、星愛(ティア)。私たち、気配の出どころはもう分かってるよね。

それに、あの気配は動いている……間違いなく、生徒の中にいるはずだよね」


私が黙ってうなずくと、紗良は言葉を続けた。


「廊下側の後ろの席にいる五人。その中の誰かが、気配を放っているはず」


「そうね。でも……疑いの目を向けるのって、あまり気持ちのいいものじゃないわ。

それに、魂を何に使うつもりなのか、まったく見当もつかない。

そもそも私は、魂の存在そのものに疑問を持っているの」


紗良は肩をすくめて苦笑した。

「ほんとだよね。人に魂があって、それを抜かれるなんて……

まるで悪魔とか邪神の物語に出てくる“魂喰らい”みたい」


私は顔を曇らせ、低い声で答えた。

「でも、これから“魂喰らいを探します。みんな動かないで”なんて言える?

空港で感じたあの気配は、本当に背筋が凍るほどだった。

もし軽々しく口にしたら……クラスの誰かの魂が抜かれるかもしれない」


紗良は腕を組み神妙な面持ちなり、

「クラスのみんなが人質って感じだね」と呟いた。


紗良は眉間に皺を寄せて真剣な眼差しを浮かべた。


私は紗良の言葉を反芻する。

「クラスのみんなが人質にされている状況なのよね」

「でもママの話だと、私たちの手が及ぶレベルの問題じゃないわ。

それに、私達の話を聞いたから、何らかの手は打つと思う…」


ほんの少し間を置いて、私は言葉を続けた。

「不明確なことばかり悩み続けるより、まずは私たちにできることを考えた方がいいかも。

対応は学校に任せて、私たちの手の届く範囲でこれからの対策を」


そう提案すると、紗良は少しだけ肩の力を抜き、

「それも一理あるわね。今後のことを話し合おう」と頷いた。


お互い考え込み、しばらく沈黙が続く。

そして私が、「まずは私たちの身を守ることに集中するべきだと思う」と話した。

紗良は深く頷き、

「特に瑠璃は狙われる可能性が高いと思う」

と腕組みをしたまま瑠璃のことを心配した。


「ねえ紗良、ちょっと早いけれど……試験前の勉強会を今から始めない?

全員はすぐに集まれないと思うけど、瑠璃にはぜひ参加してもらいたいの」


そう提案すると、紗良は微笑み、頷いた。


「うん、瑠璃の家は神社だし、今回の件は理解してくれると思う。

それに、星愛ティアの家は学校の敷地内にあるから、そこから通えば三人一緒で安心だね」


私と紗良の表情が少し明るくなった。


「瑠璃も気配を感じているはずよ。

巫女をしているから、きっと昨日の夜には家族にも話しているんじゃないかしら。

もしかしたら、何か良い情報を持っているかもしれないし、三人で話し合えば新しい案が浮かぶかも」


紗良は力強く頷き、

「じゃあ、早速、瑠璃に声をかけよう」と言った。


私も頷き、生徒会室を後にした。



私と紗良は手を握り合いながら、廊下を足早に進んだ。

教室が近づくにつれて、空気に微かな震えが走るのを感じて胸がざわつく。


教室に入ると、私は神楽坂瑠璃に声をかけた。

少し驚いたように目を丸くした瑠璃の手を取って、そのまま中庭へと連れ出す。


「紗良、もう嫌な気配はしない?」

私が尋ねると、紗良は小さく頷いた。

安心してテーブル席に腰を下ろし、一息ついてから、私は瑠璃に切り出した。


「ねえ、さっきホームルームで言ってたよね。

空港の事件のときから嫌な気配を感じてたって……実は、私たちも同じなの」


瑠璃の瞳がぱっと輝いた。

そして私たちの手を両手で包み込みながら、少し照れくさそうに笑う。


「そっか……仲間がいてくれてホッとした。

あのね、私、小さい頃から巫女の修行をしてきたからか、

“気”みたいなものが見えるんだ」


瑠璃の瞳がぱっと輝いた。

そして私たちの手を両手で包み込みながら、少し照れくさそうに笑う。


「そっか……同じことを感じてる仲間がいてくれて、本当にホッとしたよ。

あのね、私、小さい頃から巫女の修行をしてきたからか、

“気”みたいなものが見えるんだ」


そう言うと、瑠璃は両手でフレームを作って、私たちを覗き込む。

「ほら、こんな感じでね――なんちゃって」


私と紗良は思わず笑ってしまう。

瑠璃も肩をすくめて笑いながら続けた。


「冗談抜きで、本当に見えるんだよ。

人の“気”って、だいたいは黄色っぽいんだけど……

星愛と紗良のまわりには、ほんの少しだけ純白の粒子が混じってるの」


私たちは思わず顔を見合わせた。

瑠璃の言葉に、中庭の空気が一瞬ぴんと張りつめる。


「それって……どういう意味なの?」と私が尋ねると、


「ごめんね、ちょっと大げさに聞こえたかも。まだ確証はないんだけど……

父の話では、純白の粒子は神や神の使い、あるいは神に繋がる存在の“気”らしいの」


その瞬間、紗良と目が合い、私たちは思わずクスッと笑ってしまった。


紗良が肩をすくめて言う。

「私と星愛が神様に関係するなんて、さすがにないでしょ。

もしそうなら、今回の事件ももっとスムーズに片付けられてるはずだし」


瑠璃は少し考えるように目を伏せてから、ゆっくり口を開いた。

「でもね……空港で見た“黒い気”は、ただの嫌な気配じゃなかった。

あれは――邪神の気だと思う」


その言葉に、私と紗良は一瞬言葉を失った。

中庭の空気がひやりと冷たくなった気がして、背筋に小さな震えが走る。


「……邪神?」

私が思わず聞き返すと、瑠璃は苦笑いを浮かべた。


「ごめんね、怖がらせちゃったかな。

でも父の話だと、黒い気は神に敵対する存在――邪神のものなんだって。

人間でも、まれに同じ気を持つ人がいるらしいけどね」


冗談なのか本気なのか分からないその言葉に、私と紗良は顔を見合わせた。

胸の奥がざわつき、どう受け止めていいのか分からない。


瑠璃の少しがっかりした表情を見て、私は気になって口を開いた。


「ねえ、さっき“気の色が分かる”って言ってたけど……

嫌な気配の人って、やっぱり色が違ったりするんじゃないの?」


瑠璃は少し考えるように視線を落とし、ゆっくり答えた。

「それがね……狡猾っていうのかな。

空港で黒い気を見たあと、そいつは全然“気”を出さなくなったの。

嫌な気配は確かにあるのに、まるでコントロールして隠してるみたいで……

だから教室では、同じ色の気は見えないんだよね」




――邪神。

思いもよらないその言葉が、胸の奥で重く響いた。


「……あ、ごめんね。邪神なんて言うと、

得体の知れないものを想像しちゃって、余計に混乱するよね」

瑠璃は気まずそうに苦笑した。


紗良は身を乗り出し、瑠璃の顔を覗き込む。

「でもさ、なんで嫌な気配がある中で、あんなこと言っちゃったの?

もう目をつけられてるんじゃない?」


瑠璃は一瞬視線を逸らし、恥ずかしさを隠すように微笑んだ。

「……うん。あの時は空港からずっと嫌な気配を感じてて、

クラスのみんなのことが心配で、黙っていられなかったの。

結局、完全に失敗だったけどね」


そう言うと、瑠璃の頬がほんのり赤く染まった。

「それからは授業中でも、トイレに行くときでも、

時々殺気みたいなものを感じて……こっそり結界を張ってたんだ」


その言葉と同時に、瑠璃の表情に影が差した。

私は胸の奥がざわつき、思わず考える。

(もし紗良が隣にいなかったら……私も瑠璃と同じことをしていたかもしれない)


無謀さに気づいて苦くなる私の視線を受け止めるように、

紗良が真剣な眼差しを向けてきた。

冷静さを失わず、的確に判断するその声には、

いつも不思議な安心感が宿っていた。


紗良が理事長の話を伝えると、瑠璃の瞳に真剣な光が宿った。


「ねえ、瑠璃。状況は思っていた以上に深刻だよね……

だから、2週間後の試験を待たずに、いつもの“試験前勉強会”を今から始めない?」

紗良の提案に、瑠璃の表情が少し和らぐ。


私は言葉を引き継いだ。

「勉強会って言っても、私たちにとっては特別な時間。

お互いを支え合って、励まし合える場所。

私の家は学園の敷地内だから安全だし、三人一緒なら相手も簡単には手を出せないはずよ」


瑠璃は力強く頷き、放課後にそれぞれ家へ寄って、お泊まりの準備をすることになった。




◇◆◆ 放課後 ◆◆◇


「あっ、瑠璃ちゃん、こっち!」

正面通りを避けた小道で、私と紗良は瑠璃を待っていた。

後をつけられていないか、何度も周囲を確かめながら。


「気配は感じない? 紗良、瑠璃」

私の問いに、二人は同時に首を横に振った。


「……残念だけど、もしかしたら黒い気は――

もう私たちに気づいてるのかもね」

紗良が苦笑しながらつぶやく。


三人は並んで夢咲学園のモノレール駅へと歩き出した。

夕暮れの影が長く伸び、足元で揺れる。

その影が、ただの影ではないような気がして――

胸の奥に小さな不安が芽生えた。


それでも、私たちは歩みを止めなかった。

三人で迎える夜が、これからの運命を変えるかもしれないと信じて。

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