第二話:学園の顔と、裏の顔
朝の陽光が、私の部屋に差し込む。
いつものように、完璧な一日が始まる。
桐生院瑠璃は、生徒会長。
その肩書きに恥じないよう、
今日も私は、完璧を演じる。
学園の廊下を歩くたび、
生徒たちの視線を感じる。
「さすが桐生院先輩」
「今日も美しいわ」
そんな囁きが聞こえるたびに、
胸の奥で、微かな緊張が走る。
この仮面が、剥がれることのないように。
しかし、その仮面の下では、
昨夜の悠真くんとの時間が、
甘く、私を惑わせていた。
授業中も、私の集中力は研ぎ澄まされている。
ノートはいつも完璧にまとめられ、
教師からの質問にも、淀みなく答える。
生徒たちの間では、
「桐生院先輩は、寝てても満点取れるらしい」
なんて、根も葉もない噂が流れているけれど。
そんなこと、あるはずがない。
私はただ、努力を惜しまないだけ。
本当に、それだけなのだろうか。
ふと、視界の隅に、彼が映る。
藤堂悠真。
彼はいつも通り、控えめに、
真面目に授業を受けている。
その横顔を見つめるたび、
昨夜の光景が蘇る。
彼がキッチンで、慣れた手つきで料理をする姿。
湯気の向こうで、優しく微笑んだ顔。
そして、あの、温かい料理の味。
学園での彼は、ただのクラスメート。
だけど、私にとっては、もう違う。
私の知らない「裏の顔」を、
彼だけが知っている。
その秘密が、胸を締め付ける。
甘く、少しだけ、苦い感覚。
昼休み。
私は生徒会室で、書類の整理をする。
いつもは一人で黙々と作業する時間。
それが、私にとっての「普通」だった。
けれど、今日は、なぜか心が落ち着かない。
彼の顔が、ちらつく。
彼は今頃、どこで、誰と、
何を食べているのだろう。
もしかして、あの購買のパンを、
また一人で食べているのだろうか。
そんなことを考える自分がいることに、
驚きを隠せない。
完璧な生徒会長の私が、
こんな他愛ないことに、
心を乱されているなんて。
らしくない。
私の秘めたる欲望が、
彼の存在によって、少しずつ、
形を成そうとしているかのようだ。
午後の授業が終わり、
放課後、生徒会活動を終え、
屋敷へ向かう。
門をくぐり、彼の気配を感じた途端、
私の心は、途端に緩む。
張り詰めていた糸が、
フツリと切れるような、解放感。
「おかえりなさい、桐生院さん」
リビングから、彼の穏やかな声が響く。
その声に、私は自然と微笑んでしまう。
学園での「完璧な生徒会長」は、
もうそこにはいない。
ここにいるのは、ただの「桐生院瑠璃」。
そして、彼の「契約の妻」。
このギャップが、私を戸惑わせる。
どちらが、本当の私なのだろう。
夕食の準備中、私はキッチンを覗く。
悠真くんが、手際よく野菜を切っている。
その背中に、妙にドキドキする。
彼の腕の筋肉、広い背中。
男の人って、こんなにもたくましいものなの?
私の父はいつも執務室に籠もり、
家政婦が全てを取り仕切っていたから、
男性が料理をする姿なんて、初めて見た。
その新鮮さに、私の心は、
くすぐられるような感覚に襲われる。
まるで、今まで知らなかった、
新しい世界が開けたかのように。
「お手伝いしましょうか?」
思わず、声が出てしまった。
彼は少し驚いた顔をして、
「いえ、大丈夫ですよ。
桐生院さんは座っててください」
そう言って、優しい笑顔を向けた。
その笑顔に、また、きゅん、と胸が鳴る。
こんな、平凡な日常が、
なぜこんなにも、私の心を揺さぶるのだろう。
椅子に座って、彼の背中を眺める。
規則正しい包丁の音、
食材が炒められる音。
それら全てが、心地よい。
彼が作る夕食の香りが、
少しずつ、屋敷中に広がる。
私の知らない、温かい世界。
私の心が、ゆっくりと、
彼に惹きつけられていくのがわかる。
食卓に並んだのは、
色とりどりの野菜を使ったグラタンと、
ふんわりと焼き上げられたパン。
そして、コンソメスープ。
どれもこれも、彼の手作りの温かさが伝わる。
「召し上がれ、桐生院さん」
彼の言葉に促され、スプーンを口に運ぶ。
クリーミーなグラタンの味が、
私の舌の上でとろける。
「美味しい…」
自然と、笑みがこぼれる。
本当に、美味しい。
心からそう思えた。
彼の料理は、私の心まで温かくする。
それが、不思議で、そして、少し怖い。
こんなに、心が満たされるなんて。
今まで、一度もなかった感情だから。
彼の作る料理の温かさが、
私の冷たい心を、ゆっくりと解き放っていく。
食後、リビングで二人きり。
彼は、私が読んでいた学園の資料を、
横からそっと覗き込んだ。
「大変ですね、生徒会長は」
優しい声が、耳元で囁くように響く。
彼の顔が、すぐそばにある。
息遣いさえ感じられる距離。
心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
緊張で、全身の血液が、
一気に頭に上っていくような熱さ。
顔が、きっと、真っ赤になっているはずだ。
「っ…いえ、これは、私の職務ですから」
なんとか、冷静を装って答える。
だが、声が、震えていた。
彼は、そんな私の様子に気づいたのか、
少しだけ、首を傾げた。
その無垢な仕草に、また胸が締め付けられる。
ああ、もう、どうすればいいの。
この状況は、私にとって、
刺激的すぎて、混乱するばかりだ。
座敷童の気配が、いつもより、
活発になっている気がした。
リビングのシャンデリアが、
チカチカと点滅する。
壁に飾られた絵画が、
わずかに傾く。
「あれ? 電気、おかしいですね」
悠真くんが、不思議そうに首を傾げた。
私は、それが座敷童の仕業だと、
直感的に理解した。
私の心の高鳴りに、
座敷童が反応しているのだろうか。
それとも、悠真くんの、
この状況への戸惑いに?
どちらにしても、
この奇妙な現象が、
私たち二人の関係が、
「普通」ではないことを示しているようだった。
そして、それが、
少しだけ、私をドキドキさせた。
これは、私たちの秘密。
学園では完璧な生徒会長の私。
家では、彼の前で不意に素顔を晒してしまう私。
このギャップが、私を混乱させる。
「私は、一体、どちらの私になりたいの?」
自問自答するけれど、答えは出ない。
ただ、彼のそばにいる時が、
一番、心が落ち着く。
そして、一番、心がざわつく。
相反する感情が、私の中で渦巻く。
このまま、この生活が、
ずっと続けばいいと、願う自分もいる。
だけど、同時に、
「このままではいけない」と、
焦る自分も、いる。
それは、なぜだろう。
夜、自分の部屋で、
こっそりと隠し持っている、
フリルとレースの可愛い下着を取り出す。
透け感のあるシルクのネグリジェも。
誰もいない部屋で、そっと肌に当ててみる。
「こんなものを、彼に見られたら…」
想像するだけで、顔が熱くなる。
甘えたい、リードされたい、という、
秘めたる欲望が、ふつふつと湧き上がる。
少女漫画や恋愛ゲームで見た、
あのドキドキするシチュエーション。
彼との間に、そんな瞬間が訪れる日が、
来るのだろうか。
奥手な妄想家としての私が、
静かに、しかし熱烈に、彼のことを想う。
これは、誰にも言えない、私だけの秘密。
ある日の学園での出来事。
生徒会室で、私は悠真くんと偶然顔を合わせた。
彼は、私が作成していた書類を、
ちらりと見て、感心したように言った。
「桐生院さん、いつもすごいですね。
こんなに完璧にこなされていて」
その純粋な褒め言葉に、
私の胸が、じわりと温かくなる。
完璧であることに慣れてしまった私にとって、
彼の言葉は、特別に響いた。
その瞬間、彼の指先が、
私の書類にそっと触れる。
その指先が、私の指に、
かすかに触れた。
びくり、と私の体が跳ねる。
まるで、電流が走ったかのように。
彼の顔が、少しだけ赤くなる。
彼は、何も気づいていないだろうけれど。
このささやかな接触が、
私の心を、大きく揺さぶった。
もっと、触れていたい。
そんな秘めたる欲望が、
私の中で、また膨らむ。
学園へ向かう道中。
悠真くんとは、また「他人」に戻る。
生徒会長として、私は完璧な仮面を被る。
しかし、その仮面の下では、
彼のことを考える私がいる。
彼の作る料理の温かさ、
彼の笑顔、彼の声。
そして、壁一枚隔てた隣に彼がいる、
秘密の同居生活。
この全てが、私の中で、
少しずつ、しかし確実に、
彼の存在を大きくしていく。
この生活が、ずっと続けばいい。
心の奥底で、そう願うようになる。
平穏な日々が、まるで永遠に続くかのように。
しかし、その願いが、
まもなく打ち破られることを、
この時の私は、まだ知らない。
穏やかな日常のすぐ裏側に、
激しい嵐が、すでに、
その姿を現そうとしていることも。
私の秘めたる欲望が、
彼の存在によって、
今、まさに覚醒しようとしていることも。
そして、それは、
私の人生を、大きく変えることになるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます