母はつよし、パパはたかし

外清内ダク

母はつよし、パパはたかし



 西暦二〇XX年某月某日、怖い恐怖の宇宙生物襲来!

 全世界を震え上がらせたこのキャプションが正確か否かには議論の余地がある。というのも、その生物は別に襲撃目的で来たわけではなく、恐怖を感じざるを得ない見た目をしていたとはいえ基本的にはフレンドリーかつ砕けたヤツで、さらには定義上生物と呼べるかどうかも若干怪しいものがあったからだ。だが我々人類はこの手の――モノ?――を言い表す単語を「生物」以外に知らない。そこで、学術的なややこしい論争は、まあ、専門家の先生方に任せるとして、とりあえず本日のニュース速報に間に合わせるべくこの見出しをひりだしたまでの話なのである。

 宇宙生物は、名を「ツヨシ」と言った。ツヨシは、乙女であった。

「ええ、つまりですね、今回地球に立ち寄らせていただいたのは」

 記者会見の場でツヨシは穏やかに語った。阪神甲子園球場のピッチャーマウンド上に設置された特設会場には、報道各局および益体も無いユーチューバーおよび単にスマホで動画を取りあさってるだけの近隣住民が無数に詰めかけていた。夏場の甲子園といえば球児たちも燃え尽きんばかりの直射日光で灼熱地獄となるものだが、今日は不思議と涼しい。というのは、彼らの頭上を半径四十二キロに及ぶ超巨大UFOが完全に覆い尽くして、夏のファッキン太陽を遮断してくれていたからである。

「いささか緊急事態でございまして。本当はご迷惑をおかけしたくはなかったのです。いやほんとに。ですがほら、のっぴきならない状況ってあるじゃないですか? たとえば天気予報では向こう一週間快晴が続くって言ってたくせに、午後から急に雨が降り出して、もお~っ、もったいないけどコンビニでビニ傘買っちゃう!……みたいなね? ですから、そのう」

 宇宙生物ツヨシは、気まずげに触手の一本を揺らした。もちろん、他の三十七本はモナ・リザを思わせる落ち着きで静かに組み合わせたままだ。この態度が、いかにも恐ろしげな宇宙生物ツヨシの印象に、そこはかとない気品を添えているのは間違いない。七十二本の足、百九十五本の角、二百十一と三分の二個の目玉を持ち合わせたイソギンチャクのオバケみたいなツヨシが、不思議と淑女めいた雰囲気をも漂わせているのである。

「一口に申し上げますと……つまり……出産です」

「出産?」

 地球人たちがざわめいた。ツヨシが本当に申し訳なさそうに続ける。

「ええ。急に産気づきまして。本当はもう少し先の、βバレーナ星系あたりまで持つはずだったんですけれど。ほら、こういうことって、ありますでしょう? 高速道路を走ってて、次のサービスエリアで食事とトイレを済ませちゃおうかなって思ってたのに、急にお腹がグルグルグル! あーダメだ! パーキング入っちゃお!……みたいなね? それなのにパーキングのトイレが一杯だったりしたら! この絶望、お判りいただけます? この気持ちを汲んでいただけたら嬉しいなって思うんですけど」

「つまりツヨシさん、あなたの要求は――?」

「産ませてほしいんです、この星で、我が子を。いえいえいえ! 大丈夫、もちろん言いませんよ、『定住もさせてくれ』なんてあつかましいことは! 決して言いませんとも。産み終わったらすぐに出て行きます。ほんの一ヶ月、夏場の一ヶ月だけでいいんです。地球人の皆様の親切心に、どうか、すがらせていただけないでしょうか?」


 地球人は充分に善良であったから、この頼みを快く聞き入れた。宇宙生物ツヨシのために快適な産屋が準備され、もろもろの面倒をみるべく政府から公務員のチームも派遣され、差し入れとして姫路銘菓『御座候』赤あん/白あんパックも送られてきた。もちろん、出産前の健康診断を担当するべく産婦人科医にも出動が要請されたが、その医師は、ツヨシを診察した後で露骨に表情をくもらせた。

「母子ともに健康です。まあ、仮に健康というものがあって、それがこういう状態を指すのならね。というのはつまり、少なくとも不健康ではないのかな。とりあえず細胞は分裂しておりますし、本人は――本『人』でいいんですか?――別に体調が悪くはない、と言っておりますから。そういえば昔のSF映画とかでありましたよね。宇宙人に毒をばらまいて戦ったりだとか。宇宙人のUFOのコンピュータにハッキングを仕掛けて制圧したりとかね。おかしな話ですよ。宇宙人なら体も機械も我々とは全然ちがう仕組みで動いてるはずなのに、なんで地球人向けの毒やウイルスが効くんですかねえ。あのう、ひとつだけいいですか? これ、私、要ります?」

 そうこうするうちに時は矢のように過ぎ去り、ついにツヨシは、元気な赤子を出産した。

 百三十四万とんでとんで八十七体の赤子を。

 ツヨシの子供たちは、いきなり産屋からあふれ出し、西宮市と尼崎市を埋めつくす勢いで拡散してしまった。これは完全に想定外の事態であった。いや、ツヨシが多産かもしれないと考えた人が全くいなかったわけではない。犬やネズミみたいに一度に数体、ひょっとしたら数百体くらいの子が生まれるって可能性もあるかもな、という予想はできた。だが、質量保存の法則とかエネルギー保存の法則とかいうややこしい宇宙的ルールまでぶっちぎって、いきなり母体の何万倍もの体積の子供が爆発的に噴出してくるとは、さすがに誰も想像できなかったのである。

「待って! ちょっと待って!」

 国家公務員は、あわててツヨシに抗議した。

「こんなに散らばってもらっては困ります! 街が大混乱じゃないですか」

 しかしツヨシは涼しい顔。

「我が子らはみんな敬虔な阪神ファンですが?」

「そんなもんを免罪符にしないでください。とにかく、一度お子さんたちを街から引き揚げさせてくれませんか。あの大きなUFOだったら十分収容できるのでは?」

「そんな要求を呑む筋合いはない」

「えっ?」

「あのね、地球人類さん。ひとつだけ、ひとつだけ言わせていただいてもいいですか? 確かに私はダムダムゲ星第4惑星の出身ですよ。でも、あの子たちはれっきとした地球生まれ。ならば、現地の国籍を得る権利があるってものじゃありませんか?」

 公務員は青ざめた。こりゃ大変なことになってしまった。ここで初めて、地球人はとんでもないヤツに軒を貸してしまったことに気づいたのである。

 さらに厄介なことに、宇宙生物ツヨシの子らは、おそろしく早熟であった。

 ツヨシの子、ツヨシ・チルドレンは、関西一円の名物を食い尽くしながら猛然と成長していった。串カツ、たこ焼き、お好み焼き、フグの唐揚げ、紅ショウガの天、明石名物玉子焼きから京都発祥ニシン蕎麦まで、ありとあらゆる美味いものがツヨチルたちの胃に収まった。こうして急成長を遂げたツヨチルは、ある夜、なんかこう、悩ましい感じの声を街中に響かせたかと思うと、翌朝、全員そろって一斉に懐妊していた。

 なんということだ! 本家ネズミのネズミ算だってもう少しタイムスパンが長かろう。たったこれだけの期間で新生児が親になってしまうなら、そして毎回ツヨシが産んだのと同じように大量の子供が撒き散らされるのだとしたら、地球は一年も経たないうちにツヨシ・チルドレンで埋めつくされてしまう!

「もうやめて! お願いです、これ以上産まないでください!」

 公務員たちは、必死にツヨシに懇願した。しかしツヨシは聞く耳を持たない。

「それはひどい人権侵害です。私だって女です。私の子供たちもね。それが母親になるのは自然の摂理。いや、分かりますよ、もちろん産まない自由はある。けれども裏を返せば産む自由だってあるのでしょう? あなたがた地球人は一体なんの権利があって私たちに『ママにならないで』なんて強制するんですか!」

 関係各省庁は対応に追われた。ツヨシとツヨシ・チルドレンを食い止める方法はないか? 全て殺してしまってはどうか? だが現実問題として、もう街中に広がってしまった百万単位の宇宙生物を、いまさら狩り尽くすことが可能だろうか? もしでも逃したら、また元通り……どころか、元よりさらに状況は悪化する。核か何かで根こそぎ焼き払えばどうにかなるかもしれないが、数百万の人間が住む大都市で核爆弾なんか使えるわけがない。

 悩み悩んだ挙句……

 ある一人の公務員が、こう提案した。

「お土産を持っていこう」


 それから一週間後。

 状況は一変した。

 街中に広がっていたツヨシ・チルドレンが、なぜか突然ゾロゾロと大通りに湧きだしてきて、いきなり、お互い殴り合いどつきあいの殺し合いを始めたのだ。

 彼/彼女らの罵り合う声を聞いた人間によれば、いさかいの原因はこうである。

「『大判焼き』だ!」

「バカが! 『今川焼』だ!」

「『回転焼き』に決まってるだろう!」

「『ふるいちまんじゅう ふーまん』を……愚弄するなァァァーッ!!」

 ああ! この世の全ての人類の争いは、いつも名分から始まった。ツヨシ・チルドレンは知ってしまったのである。日本全国百以上あるこの『お菓子』、その味のすばらしさと、呼称の正統性の問題を。

 『お菓子』に憑りつかれたツヨシ・チルドレンは、互いに互いを引きずり出して、殺し、ちぎり、すりつぶし、ほんの数週間で一人残らず消滅させてしまった。

 呆然としたのは母ツヨシである。彼女は、自分の子供たちが全滅したのを見ると、失意のあまりこう呟いた。

「バカな子たち……『御座候』以外ないじゃないの……」

 そしてツヨシは、絶望の中で息を引き取ったのだった。


 かくして地球は救われた。

 だが、これで全てが終わったわけではない。いつ何時あらたな戦いが始まるとも知れない。なぜなら、この宇宙のどんな侵略者よりも恐ろしい脅威――我々の心の中の争いの火種は、今も地球のいたるところで、ホカホカに焼き上げられ続けているのだから。



THE END.

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