第30話
「同行していた治癒士の方が試みてくださいましたが……お嬢様の身体から放たれる黒いオーラに、回復魔法が……弾かれてしまって……。何の反応も……」
その言葉によって、一気に皆の表情が険しくなる。
「……まずいわね。寄生は、時間が経てば経つほど魂の汚染が進行するわ。……早くしないと治療が間に合わないかもしれない」
「……20階層からの帰還……アナスタシアたちのパーティであれば、恐らくまっすぐ向かってきても最短で半日はかかってしまっているはずだ。すでに、寄生は深くまで達していると見るべきだ」
ファナの言葉は、冷静な分析に基づいたギルドマスターとしての見解だ。
そこには一切の甘えも希望的観測も含まれておらず、それゆえに残酷なまでに現状の厳しさを突きつけてくる。
「……そう、ですよね」
「……」
小さくうなずいていたポプリは、悔しそうに全身を震えさせる。
シルヴィアもまた、口にこそしなかったが、その表情は固く、深い絶望の色が滲んでいる。
食堂の空気は重く、息苦しいものへと変わっていく。
その空気に、クリストフはわざとらしく楽観的な調子で、口を開いた。
「まあ、あまり悲観的になるのはまだ早いよ。治療が間に合わないかもしれない、ではなくてね。この状況で、治癒士ができる最善の策を、まずは考えるべきだ。……症状を見てみないことには、なんとも言えないのは事実でも、可能性がゼロというわけではないのだしね」
クリストフの言葉に、ファナは小さく頷いた。
「……そうだな。ポプリ、すまない。私はどうしても、立場上最悪を考えてしまってな。もちろん、」
「……ええ、分かっています」
ファナは、決して感情を排したわけではない。むしろ、ギルドの頂点に立つ者として、最悪の事態を想定し、非情な決断を下さねばならない立場故の苦渋が、その硬質な声色に滲んでいた。
「……私は先にギルドへと戻り、状況を正確に把握し、対策を指示する。シルヴィア――」
ファナは一度言葉を切り、シルヴィアの名前を呼び、重々しく告げた。
「――最悪の場合……アナスタシア討伐の依頼を、お前の『閃光の翼』にお願いする可能性がある。その覚悟をしておいてくれ」
「……ええ」
シルヴィアはファナの言葉に、ゆっくりと頷いた。
ファナは食堂の外へと向かって歩き出す。ファナがギルドへと戻り、メイドのポプリもまた屋敷を離れた。
残された食堂の空気は重く、先ほどまでの穏やかな朝の時間は嘘のように消え去っていた。
クリストフとシルヴィアは、もはや食事を味わう余裕もなく、速やかにそれを済ませると、クランハウスへ向かうための準備を整え始めた。
ファナからの正式な指示がいつ飛んでくるか分からない。シルヴィアは「閃光の翼」のリーダーとして、いつでも動けるようにしておかねばならなかったからだ。
クリストフもここまで話を聞いたために、同行したかった。
シルヴィアの横顔は、険しい覚悟を秘めたSランク冒険者のそれに戻っていた。
クランへと向かいながらの道中、クリストフはシルヴィアへと問いかけた。
「……アナスタシアさんとは友人、だったね?」
「ええ。そうね。貴族の出身なんだけど……まあかなり自由な子でね。冒険者やりたくて冒険者初めて……ほぼ、私と同期ね。A+ランクの冒険者で、いずれはSランクに到達するだろうって……誰もが認める才能の持ち主だったわ」
シルヴィアの声には、誇らしさと、そしてそれを失うかもしれないという深い哀しみが混じり合っている。
クリストフが静かに相槌を打つと、シルヴィアは小さく頷き、窓の外に視線を移した。
「ええ……。クランのリーダーとか、そんな立場を抜きにして話せる……大切な友人だったわ。剣の腕を競い合ったり、時には他愛ないことで笑い合ったり……」
シルヴィアはそこで一度言葉を切り、ぎゅっと拳を握りしめた。リーダーとしての仮面が、一瞬だけ剥がれ落ちそうになるのを必死で堪えているのが、クリストフにも見て取れた。
「でも……今は感傷に浸っている場合じゃないわ。ファナの言う通り――討伐するわ。クランのリーダーとして……そして、同じ冒険者として……友人として。……アナスタシアが、誰かを傷つけてしまう前にね」
その瞳には、悲しみを押し殺す強い意志と、リーダーとしての覚悟が宿っていた。
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