14.初心者薬師

 ――《VOIDLINE》二十九日目、午後。


 クラブハウスを出て西側へ。

 城壁近くの通りを歩くと、石畳にうっすらと水滴が残っている。

 風に混じって香るのは、薬草か、それとも街角の調合所から漏れた香気か。


 目的地は――薬師ギルド。

 試験に合格してから何度か顔は出していたが、今日は初めて、“薬師として”正式な訪問となる。


 腰のポーチには、小さなガラス瓶がひとつ。

 中身が空っぽなそれは、素材も用途も作成者も不明のまま――事件のあと、俺のアイテムボックスにひとりでに入っていた《閃光瓶》という名前のアイテムだ。

 おそらく俺を助けてくれた女性のものだと思われるが、確信はない。


 閃光瓶というアイテムは、調べても記録はなく、エドさんやノラさんですら首をひねった。

 あの時のことを思い出すと、一般的に使われている《引火フラッシュ瓶》よりも、威力が強く、それに合わせて瓶自体も特殊な素材で作られているようだった。


 もちろん、いつまでもそのままにしておけるものではない。

 だからこそ、今日こうして薬師ギルドを訪れるのだ。


 薬師ギルドがあるのは、街の中央区画でも一際落ち着いたエリア。

 修道院のような白壁の建物に、薬草の畑や調合小屋が隣接する。

 外観は質素だが、敷地の隅々にまで清潔さと秩序が行き届いていた。


 入口を抜けると、白衣の職員たちが静かに働く姿が目に入る。

 調合台からは薬草を煮詰める香りと、魔導装置のかすかな駆動音。


「いらっしゃいませ。薬師ギルドへようこそ」


 応対に出たのは、髪をきれいに束ねた女性職員。

 一見すると冷たい印象だが、その目元には柔らかさが宿っていた。


「ダイト・ヤナグレイヴさん――《讃美歌》のエド・リカルド氏、ムギ=アナスタシア氏からの推薦で……登録試験も合格済み、ですね」

「はい。本日は、こちらの提出物について相談がありまして」


 俺はポーチから、《閃光瓶》をそっと取り出す。


 職員はそれを受け取ると、慎重な手つきで魔導計測器の上に載せた。


「……これは」


 測定装置の光針がぶるりと震えた。

 それを見た職員の目に、一瞬だけ警戒の色が浮かぶ。


「古い形式ですね。残留物の一部には、現在の標準分類にない“未登録成分”が含まれているようです」

「未登録成分……正体、分かりますか?」

「いえ。正確に言えば、“不明な点が多すぎる”といったところでしょうか。未登録成分どころか、瓶の構造も、製造者コードも読み取れません。……まるで、登録されていない処方が再現されたかのような」


 彼女は少し迷ってから、奥に控えていたもう一人の職員を呼び寄せた。

 ふたりで小声のやりとりを交わし、再びこちらを向く。


「“試作閃光瓶β”という似た構成の試薬が、約八ヶ月前の事故報告に記録されています。当時、試薬が誤って破裂し、強烈な光と音で、職員ふたりが一時的な感覚異常を訴えました」

「……事故、ですか」

「ええ。以降、この形式は“封印扱い”となっていました。詳細記録は別途保管室にありますが、あなたの持ってきた瓶は、それとかなり近い……もしくは“派生物”かもしれません」


 ぞくり、と背筋が冷える。


(事故記録に似ている……?)


 頭の中に嫌な予感がよぎる。


「ちなみに、これはどこで手に入れられたのですか?」

「……多分、この街の裏路地で。気付いたらポーチに入れられていて……」


 正直に話すのはまずい気がして、女性のこととアイテムボックスのことは伏せて話す。

 職員は一瞬怪訝な表情を浮かべたが、これ以上追求するつもりはなさそうだった。


「この瓶は、しばらくこちらで預かり、成分分析と履歴追跡を進めます。検査結果が出次第、ご連絡差し上げますので……本日は、これで」

「お願いします」


 瓶が研究室の奥に運ばれていく。

 その背を目で追いながら、ポーチに手を戻した。


 ギルドの建物から出ようとしたそのとき、別の職員が声をかけてきた。


「ヤナグレイヴさん。お時間があれば、こちらにどうぞ。新規登録者向けに、施設の簡単な案内と今後の流れをご説明します」


 やや年配の、穏やかな雰囲気の男性だった。

 白衣の下には草木の染みが広がっていて、現場作業に慣れた調合師らしい印象を受ける。


「……あの、登録試験に合格してから何度か来てるんですが、こういう説明って……?」


 思わず聞き返すと、職員は少しだけ肩をすくめて答えた。


「ええ。実際、ヤナグレイヴさんの状態は“仮登録”扱いになっていましてね。本来は試験合格後、活動開始の意思表示と正式な手続きが必要なのですが……推薦者の指導枠を通されたせいか、説明が省略されていたようです」

「つまり……ムギさんやエドさんの紹介で、“すでに指導済み”ってことになってたんですね」

「はい。推薦枠は実績者の監督下で進められるため、研修説明も任意になるんです。ですが、今日のように“ご自身の判断で本格稼働に移行される”となれば、正式な案内を差し上げます」


 なるほど、と納得がいった。

 登録した後すぐに、《讃美歌》から離れて半人前のまま独り立ちしたせいで、その辺が曖昧なままになっていたのだろう。


 だけど、薬師として、他人の命を背負う可能性のある立場になっている以上――その責任は知っておくべきだろう。


「お願いします」


 年配の男性に案内されたのは、ギルド棟の西側にある中規模の実験室だった。


「まず、あなたの薬師等級についてですが――現在は《Dランク(初心者)》となっています。調合の精度、知識、実績などに応じて、C、B、A……と順に昇格していく仕組みです」

「昇格条件は、どう決まるんですか?」

「ギルド経由のクラフト依頼の達成数や、難度の高い調合への合格判定などが主な基準になります。また、希少素材や“上位薬”と呼ばれる薬品の扱いには、Bランク以上が必要です」


 そう言いながら、彼は壁際の掲示板を指差す。


 そこには薬品の分類と、必要等級がびっしりと書かれていた。


《薬師ギルド:調合等級と調合可能品目(抜粋)》


Dランク(初心者)

体力回復薬・解毒薬(初級)・気付け薬

Cランク(初級)

中級回復薬・状態異常軽減薬(火照り、寒気など)

Bランク(中級)

属性耐性薬(炎熱・冷気など)・強化剤(脚力・集中)

Aランク(上級)

上級回復薬・魔力増幅薬・戦闘補助薬・特殊調合品(調整必須)


 その下には、もう一段階下――「Eランク:見習い」という区分まであった。

 初期クラフターで薬師希望のものに与えられる等級らしく、推薦がなければこの等級からスタートするようだ。


「今後は、クラフト依頼の掲示板をご覧いただき、納品形式で依頼をこなすことで等級を上げていく形になります。もちろん、自主調合の成果を提出してもかまいません」


 つまり、ギルドはクラフターの“実績を披露する場”でもあるということだ。


(……自分が、どこまで通用するのか)


 素材の研究や、誰かの命を左右する薬品の調合。

 それを、自分の手で行うという重みが、改めてのしかかってくる。


「それと、もうひとつ。今朝ちょうど、ちょっとした話題になっていたのですが……」


 男性が、カウンターの奥に置かれた書類の束から、ある一枚を取り出した。


「この処方レシピ。提出者不明で、匿名扱いになっています。ですが、明らかに熟練者の技術と構成で、通常の素材ではありえない組み合わせが記載されているんです」

「提出者が分からないんですか?」

「ええ。ここ数ヶ月、時々こうした“匿名の処方”がポストに投函されていましてね……ギルド内でも謎になっているんです」


 渡された紙を、そっと覗き込む。


 見慣れない記号。

 素材の一部は見覚えのない名で書かれているが、なぜか“雰囲気”に覚えがある。


(……どこかで、似たような文字を)


 思い当たったのは、ティネを救って一緒に街に戻ってきたあのとき――例の女性クラフターが、ベルトから吊るしていた球状のガラス瓶に似たような記号が……。


 一瞬しか見ていないから同じだという確信はないが、謎の文字が書かれていたのは確かだ。


「この処方、実際に調合できた者は……?」

「いません。素材の一部が市販流通に乗っておらず、名称の一部が古い方言のようにも見えるため、分析が難航してまして」


 職員は苦笑しながら続ける。


「どこかの変わり者の薬師のいたずらかもしれませんが……不思議と、処方の“骨格”だけは理にかなっているんですよ」


 何も言えず、レシピを見つめる。

 そこにあるのは、誰が書いたかも分からない“技術の痕跡”。


 それでも、たしかに――

 この世界のどこかで、薬師として、生きている誰かの気配がそこにはあった。


「今後、もし同様の処方や、似た配合に触れた場合は、こちらに報告してください。薬師として活動するなら、そうした“技術の継承”にも敏感であってほしいのです」

「……はい」


 ギルドを出たとき、陽射しは陰り始めていた。

 空を見上げれば、幾筋もの風が、白く交差する。


 あの風のどこかに、誰かの足跡が刻まれているのかもしれない。


 閃光瓶。

 匿名の処方。

 そして、あの時のクラフター――


 この世界には、まだ知らない“層”がある。


 そう感じたのは、今日が初めてだった。


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