15.クラフタールーティーン

――《VOIDLINE》三十日目、午前九時。


 俺は、クラブハウスの一角――通称“クラフト台”に向かっていた。

 この世界での一日は長い。

 だからこそ、朝の数時間をどう使うかが意外と重要だ。


 例によって、今日も午前中は“日課の調合作業”からスタートする。


 まずは《気付け薬》。

 乾燥させた霧露花と冷却香花を細かく刻み、煮沸済みの水に溶かす。

 火加減は“赤3段階目”でキープ。

 魔力の注入は均一に、8秒間。


「……完成、かな」


 手元にできたのは、緑がかった微細な液体。

 ギルド等級Dランクのクラフターが作れる、ごくごく普通の気付け薬だ。

 俺は使ったことがないが、眠気覚ましに効く、らしい。


 本来このランクで扱えるのは、回復薬、初級の解毒薬、そしてこの気付け薬くらい。

 つまり、まだまだ“薬師の卵”というわけだ。


 次は――《解毒薬(初級)》。


 こっちは少し面倒くさい。

 なにしろ、使用する“苦根”という素材、砕くとやたら匂いがキツいのだ。


「っ……くさいな、ほんとに……」


 咳き込みながら手早く調合を始める。

 だが、少しだけ加熱時間が長すぎた。


 ――ピピッ。


 小型の品質判定装置が、黄色信号を示す。

 品質判定装置――正確さはイマイチだが、その手軽さ故に薬師必携となっている魔道具だ。

 黄色信号なら、Dランクの品質としてギリギリ合格だが、上を目指すなら“Cランク”基準を意識する必要がある。


(まぁ、今日のは納品じゃなくて“練習分”だし……)


 気を取り直して、最後に《体力回復薬》。


 これは比較的得意になってきた。

 “導草”と“精水”の相性が良く、火加減も安定しやすい。


 ただし――“魔力注入”のタイミングがシビアだ。


(今……!)


 タイミングよく、魔力を注ぎ込む。

 液体がほのかに発光し、瓶の内側に微細な泡が浮かび上がる。


「……よし、今日イチの出来!」


 青色で、香りも悪くない。

 品質は――たぶん、ギルド納品基準を十分に満たせてるはずだ。


 それでも、Cランクへの壁は厚い。

 “中級回復薬”のレシピはすでに教えてもらってるが、素材の扱いも、注入のコントロールも、ワンランク上の精度が求められる。


(ま、地道にやるしかないよな……)


 そう呟きつつ、クラフト台を拭いて片付けを始めたところで、扉の外から鳥のさえずりが聞こえた。


 静かな一日が、ゆっくりと動き始めている。



――――――



 正午前。


 日課を終え、一人で向かった薬師ギルドの掲示板には、今日もいくつかの採取依頼が並んでいた。


 《導草二十本》《霧露花五輪》《夜露石のかけら》――どれも初級〜中級向けの内容だ。

 だが、今の俺にはちょうどいい。


(霧露花に夜露石、か……基本だけど、現場で集めるのは初めてだな)


 掲示板の前には、同じように依頼を吟味する薬師たちの姿がある。

 中には肩に鳥を乗せた風変わりな女性もいて、薬師という職業の自由さを実感する。


 俺は目的の依頼書を剥がし、受付のカウンターに提出した。

 対応してくれた初老の薬師――ギルド所属のベテラン職員、マウロさんは、俺の顔を見て目尻を下げる。


「お、ダイト君じゃないか。ひとりで出るのかい?」 「はい、今日は試しに。薬師として、少しずつ慣れておきたくて」


 マウロさんは頷きながらも、少しだけ渋い顔をする。


「導林、最近ちょっと静かすぎるって話がある。気をつけて行きなよ」

「……何か、あったんですか?」

「いや、確証はない。けど……動物の気配が薄くてね。昔、似たような静けさがあったときは――」


 そこで言葉を切り、マウロさんは冗談めかして笑った。


「……まぁ、言いすぎか。行くなら夕方になる前に戻るといい。暗くなると霧が出やすいからね」


 受理印を押された依頼書と、簡易地図を受け取る。

 依頼主は《キルシュ調剤所・補給班》――以前、回復薬を納品したことがある。

 思わず、現実感が湧いた。



――――――



 クラブハウスに戻ると、食事を終えたルカがソファに寝転がりながらスマホをいじっていた。


「ダイトー、おかえり。あれ、装備してる?今日出るの?」

「はい、ちょっと導林まで。採取の依頼、受けてきました」


 ルカはスマホを置き、身を起こしてこちらをじっと見る。


「ひとりで?……あんま無茶しないでよ」

「分かってます。安全確認しながら、ですから」


 そのやりとりを聞いていたユイナが、キッチンから湯気の立つカップを手に戻ってきた。


「今日は、霧が少し濃いかも。導林の奥には入らないようにしてね」

「はい、予定のエリアだけで帰ります」

「……あと、噂だけど。変な光を見たって話がある」 「光?」

「夜じゃないのに、木々の奥で一瞬、青白い閃光が走ったとか。誰かが魔道具でも試したのかもしれないけど……」


 胸の奥が微かにざわついた。


(……閃光、か)


 俺のアイテムボックスに、勝手に入っていた《閃光瓶》。

 あの不思議なアイテムを思い出す。


「気をつけます。二人とも、ありがとう」



――――――



 導林に足を踏み入れたのは午後1時過ぎ。

 湿り気を帯びた風が、首元をかすめる。

 林の中は静かだった。あまりにも、静かすぎる。


 まずは導草。

 地面に近いところで群生するこの草は、葉の縁が淡く発光し、癒しの魔力を蓄えている。


 周囲の空気は澄んでいるが、どこかぴんと張り詰めたような感覚がある。


(葉は柔らかくて、根本を残して摘み取るのが基本……)


 自作の革手袋をはめ、丁寧に摘み取っていく。

 光の筋が差し込む中、白緑色の葉をひとつずつ選ぶ作業は、まるで静かな儀式のようだ。


 次いで、霧露花。

 この花は湿った石の近くを好む。

 岩陰を覗くと、淡く紫がかった花弁が露に濡れて揺れていた。


 その透明感は、まるで水晶を閉じ込めたような美しさ。

 霧露花は気付け薬に使われるが、強い魔力干渉にも敏感だ。


 慎重に摘み取り、それを水袋に詰める。


(これで導草二十一本、霧露花六輪……ノルマは達成)


 立ち上がり、少し伸びをしたときだった。

 視界の端で、きらりと光るものがあった。


 近付くと、それは地面に落ちている細長いガラス片だった。

 透明度が高く、縁に刻印のような模様が浮かんでいる。


(……これ、閃光瓶に似てる)


 拾い上げた瞬間、あの日の記憶がよみがえる。

 アイテムボックスに勝手に入っていた謎の瓶。

 この破片も、それと同じ気配をまとっている。


 そのとき――茂みの向こうから、かすかな呻き声。


「っ、誰か……いるのか!」


 駆け寄ると、そこには薬師らしき青年が倒れていた。

 焦げた布、火傷のような傷跡、肩で息をしながら、目はこちらを認識していない。


 俺は急いでポーチから中等回復薬を取り出し、患部に塗布する。

 薬液が淡く光りながら傷を覆っていくのが分かる。


「……た、助かった……ありがとう……君、薬師……?」

「はい。もう大丈夫ですから、落ち着いてください」


 青年はかすれた声でぽつぽつと語り始めた。


「……瓶を……仲間が……使って……閃光が、爆ぜて……」 「それって、これと関係ありますか?」


 俺は拾ったガラス片を見せる。

 青年は目を細め、かすかに頷いた。


「それ……同じだ……」

「その瓶を持ってた人が、ここにいたんですね?」

「……ああ……その先に……道が……未舗装で、細い……そこに……行ってしまった……」


 青年の視線の先を見ると、草を踏み分けるようにして細い道が伸びていた。


 人が通った痕跡。

 意図された導線だ。


(……追うべきか)


 一歩、足を踏み出そうとして止まる。

 今の自分に、それを追う余力があるのか。

 もう一人倒れていたら、今度こそ手が足りない。


 俺は歯を食いしばり、首を振った。


「今は、あなたを安全な場所まで」


 その判断をした瞬間、林の奥で風がざわりと揺れた。

 そして――鳥たちが、一斉に空へ舞い上がる。


 森が、何かを告げようとしているようだった。



――――――



 クラブハウスに戻ったのは、午後3時前。

 ポーチには、導草と霧露花、そして――ガラス片を収めた小瓶が入っている。


 今日は探索の予定はないらしく、ユイナとルカは、まだクラブハウスにいた。


「おかえり。大丈夫だった?」

「うん、ただ……少し、気になることがあって」


 ユイナが眉をひそめる。


「何かあったの?」


 俺は黙って、小瓶をテーブルに置いた。


 中の破片が、光を受けてかすかにきらめく。


「これ……前に言ってた閃光瓶に、似てるんです」


 以前雑談で話した”女性“と”閃光瓶“の関係。

 ふたりの表情が、静かに変わる。

 緊張、疑念、そして不安。


(もしかしたら、あの“女性”が使っていたものと同じ系統かもしれない)


 確証はない。

 けれど、繋がりを感じる。


「明日、薬師ギルドに提出してみます。素材と一緒に」


 俺の言葉に、ユイナは小さく頷いた。


「分かった。……でも、気をつけて。この世界、まだ私たちが知らないこと、きっとたくさんあるから」


 それは、警告のようにも、祈りのようにも聞こえた。


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