13.新しい日常
――深夜、都内某所。
蝉の声はもう止んでいて、代わりに虫の音がどこか遠くから聞こえてくる。
都内の住宅街にしてはやけに静かだ。
真夏の深夜――時間は、午前1時。
コンビニの自動ドアが開いた瞬間、冷房の風が首元を撫でた。
汗ばむシャツに張り付く不快感が、わずかにやわらぐ。
この時間のコンビニは、やけに静かだった。
店内には俺と、温めを待つ中年男性客がひとりだけ。
弁当とアイス、そしてスポーツドリンクを抱えたその男は、何を考えてこの夜を過ごしているのだろう。
そんなことを考えながら、俺は缶コーヒーとビタミン剤を手に、レジへ向かった。
いつものように会計を済ませたあと、アパートへと戻る途中。
スマホの画面に表示されたアプリの通知に、指が自然と反応する。
《VOIDLINE:断絶の幻想》
あの世界は、今どんな風が吹いているだろうか――
――――――
――《VOIDLINE》二十九日目、昼前。
クラブハウスの中庭には、風に揺れる洗濯物と、太陽の光が落とす影が広がっていた。
《火群》の本拠地は、元は倉庫だった建物を改装したものだ。
初めてここを訪れたときは、床も抜けかけ、壁には穴が開いていたが――今では寝床、作業場、簡易キッチン、それに談話スペースも整い、最低限の拠点として機能している。
入団から約二週間。
俺はこの場所で、薬の調合と素材の仕分け、団員の体調管理や消耗品の補充など、クラフターとしての業務を淡々とこなしていた。
所属する
団長の妹であるユイナは、遠距離戦を得意とするアーチャーで、情報収集や連絡役もこなす万能型。
前衛担当は筋肉自慢のダリル、スピード重視のルカ、剣と魔法を併用する器用貧乏タイプのセツ。
後方には回復もできる魔法使い・セレナ。
そして、支援職の俺と、まだ見習いの斥候・マオ。
(……バランスだけは悪くない、らしい)
誰かがそう言っていた。
確かに、実際の戦闘での連携も少しずつ整ってきている。
ただし問題は、“方針”だった。
ハヤトさんは基本的に慎重派だが、ダリルやルカ、セツは積極的な依頼を好む。
逆に、セレナやマオは、安定重視で動きたがる傾向がある。
その温度差が、最近、じわじわと空気に表れ始めていた。
(ま、それでも、まだ団内トラブルってほどじゃないけど)
薬草を煎じながら、俺はぼんやりとそんなことを考える。
湯気とともに、ほんのり甘い香りが鼻をくすぐった。
「おー、なんかいい匂いすると思ったら、また調合してたのか」
声の主は、ハヤトさんだった。
いつものように軽装姿で、腰に長剣を下げている。
「昼の探索まで、まだ時間ありますし……少しでも備蓄を増やしておこうと思って」
「助かるよ。ユイナなんて、ダイトの作ったポーションじゃないとイヤだって言ってるくらいだしな」
冗談めかして笑うその声に、思わず肩の力が抜けた。
「……でも、本当にそれで良かったのか?あっちじゃなくて、うちに入って」
「はい。今の自分にとって、一番必要な場所は……ここだと思ったので」
返したその言葉に嘘はない。
実績のある他の傭兵団からの誘いはあったが、実際ほとんど迷わなかった。
――“優しい薬”、ユイナはそう言った。
まだまだ、俺にできることは少ない。
だけど、それでも“ここ”でなら、少しずつ何かを形にできる気がしていた。
調合したポーションを保冷袋に詰めていると、クラブハウスの奥から軽快な足音が近づいてきた。
「ダイト〜!また補充してくれてるの?ありがとー!」
声の主はユイナだった。
フード付きの軽装ジャケットを羽織り、手には団員用の任務通知書を数枚持っている。
「今日の依頼、候補がいくつか来てるよ。昼食後に作戦会議だって」
「分かりました。先に、準備しておきますね」
そう返すと、ユイナは満足げに頷いて、作業台に任務書を並べはじめた。
最初に出会ったときは、派手で馴れ馴れしい“配信者”という印象しかなかった彼女。
けれどこの二週間で、仲間として頼れる一面や、静かに場を見ている姿に何度も驚かされた。
言動もすっかりと落ち着き、あのとき感じた“ちょっと苦手かも”は、すっかり薄れてしまっている。
「ダリルさんたち、もう戻ってます?」
「うん。今ちょうどお風呂……って、あ、ルカたちも来たよ」
その言葉と同時に、扉が開き、前衛組の数名が談話スペースに入ってくる。
筋骨隆々のダリル、軽やかな身のこなしのルカ、そしてマント姿のセツが後に続いた。
「よう、クラフター殿。昨日のポーション、マジで助かったぜ。おかげで怪我一発で治ったわ」
「品質、安定してきたね。……この調子なら、支給量も見直していいかも」
「……ありがとうございます」
短い会話を交わしたあと、全員でテーブルを囲む。
話題はすぐ、今日の依頼候補に移った。
「ここ、《グレシアの導林》で素材採取……安全だけど、収穫はちょい地味かも~」
「これは……古道の魔獣掃討。Cランクか。報酬は並以上。ただし負傷率も相応に高いな」
「こっちは盗賊団の拠点捜索。報酬は派手だけど、Bランク以上ってとこかな?……ちょいギャンブル寄り?」
それぞれの意見が出そろうにつれ、団内の温度差がにじみ始める。
「私は、討伐依頼にしてもいいと思うな~。最近、回復薬の在庫も潤ってきてるし、ちょっと攻めたい気分!」
ルカが言うと、セツも頷いた。
「盗賊団はさすがに危険すぎるけど……古道なら、訓練も兼ねてちょうどいいと思うよ」
対して、セレナが反論する。
「……でも、最近の調子を見てると、ちょっと不安もあるかな。特にマオくん、斥候としてはまだ不慣れだから……」
静かに食事していたマオが、少し肩をすくめた。
「……すみません。僕、足を引っ張ってばかりで……」
「違うよ、責めてるわけじゃない。マオくんに無理はさせたくないだけ。私たち、まだ始まったばかりなんだから」
その言葉に場の空気が少し和らぐ。
そして、ハヤトがまとめるように言った。
「今日は、《導林》の採取依頼でいく。備蓄を増やして、次に繋げるのが先決だ」
「慎重すぎるって意見もあるかもしれないが、今はバランス重視でいく。異論があるやつは……今のうちに言っておけよ?」
ルカとセツが視線を交わすも、口には出さなかった。
ユイナが小さく手を挙げた。
「“火群”ってさ、派手に燃えるだけが仕事じゃないんだよ。火って、じわじわくすぶってるときの方が……しぶといんだから」
冗談めかした口調に見せかけて、それは彼女なりの“団長補佐”としての意見だった。
「……だな。じゃあ決まりだ」
こうして、
――――――
《火群》の団員たちが装備を整え、クラブハウスを後にしたのは正午を過ぎた頃だった。
今日は採取任務だから緊張感は薄いとはいえ、ルカとセツはいつになく気合いが入っていて、逆にマオは心なしか肩をすくめていた。
俺はそれを玄関先で見送りつつ、スマホを取り出す。
画面をタップして、既に送っておいたメッセージの返信を確認する。
――《15分後に南門前で合流しよう。簡易ポーチに、バックパック、忘れ物はするなよ》
発信者は、《讃美歌》のクラフター、エドさんだった。
――――――
合流してすぐ、エドさんは「ほい」と布袋を手渡してきた。
中には、保冷機能付きの水袋と、簡易式の採取用具が一式そろっている。
「すっかり“薬師顔”になったな。あん時は、体力回復薬すらまともに作れなかったのに」
「……いきなり刺してきますね、相変わらず」
苦笑しつつ、俺は渡された袋を背に担ぐ。
二人で森へ向かう道中、ざっくばらんな会話が自然と交わされていった。
――――――
《グレシアの導林》。
ここは何度か訪れたことのある採取スポットで、低ランク素材が豊富に採れる反面、魔獣の出現率も低いため、初心者向けとして重宝されている場所だ。
「そういや、《火群》……うまくやれてるか?」
「はい。まだ始まったばかりですけど、思ったより居心地はいいです」
「傭兵団ってのは、最初の空気が大事だ。あと、クラフターをちゃんと“仲間”扱いしてる時点で当たりギルドだよ。……うちのムギを見てれば分かるだろ?」
「……それは否定できないです」
木々を分けながら歩きつつ、少しずつ導草や薬草を見つけては採取していく。
沈黙も、エドさんとなら気まずくならない。
「……ルオさんのこと、聞きましたか?」
手にしたハサミの動きを、少しの間止めて尋ねる。
エドさんは返事をせずに、少し離れたところにしゃがみこんだ。
静かに、雑草を払って根元の葉を観察している。
「一応、な。……見かけたってやつもいるが、所詮それも噂だ」
「メッセージは送ってるんです。でも……既読にならなくて」
「……そうか」
風が一瞬、木々をざわめかせる。
「昔な、似たようなことがあった。……傭兵団で、仲間が魔獣に襲われた時、ひとりだけ逃げたヤツがいたんだ」
「……」
「そいつは結局、次の日から姿を見せなくなった。叩かれて、責められて、それっきりだ」
「でも、ルオさんは――」
「分かってる。あいつは“逃げた”んじゃない。……“迷った”だけだ」
そう言ったエドさんの背中は、妙に遠く見えた。
「けどな。選ばなかった方には、何も残らないんだ。例えそれが、正しかったとしても」
しばらくして、エドさんが少し笑ったような声で続けた。
「ま、俺も人のこと言えた立場じゃないけどな。あの時、ムギが戻ってこなかったら、俺だって……クラフターをやってなかったかもしれん」
「……ムギさんが?」
「興味あるか?じゃあ、その話はまた今度にする。今は“仕事”だろ?」
冗談めかすその口調に、ようやく少し空気が和らいだ。
「ところでダイト、最近薬師ギルドに顔は出してるのか?」
「いえ……登録試験の後は、報告のために何度か立ち寄りましたけど、本格的な活動はまだ、ですね」
「なるほど。あっちから依頼が来るまでに、ちょっと動いておくといいかもな。例の“瓶”の件もあるだろ?」
エドさんの視線が、俺の腰ポーチに一瞬だけ向く。
……閃光瓶。
ここにきた初日。
あの“渡り人狩り”の事件で、俺のアイテムボックスにいつの間にか入っていた、閃光瓶。
クラフターとして経験豊富なエドさんとノラさんですら詳細が分からないという、謎の道具だ。
だが、素材的にも作成履歴にも記録がないそれを、いつまでも持ち歩くのは気が引ける。
「ギルドに持ち込んで調べてもらいます」
「おう。それがいい」
エドさんは軽く頷いて、再び採取へと戻る。
導草の香りが、わずかに風に乗って漂っていた。
この世界で、何かを選ぶということ。
それが、誰かの未来を変えることになるかもしれないということ。
今なら、少しだけ分かる気がする。
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