11.救いの手、届かぬ声

 ――黒い影が、ぬるりと地を這うようにして俺の元へと近付いてくる。


(“シャドウパピー”……間違いない。ギルドで読んだ資料に載ってたやつだ)


 小型の魔獣。闇属性を帯びた犬型の幼体。

 一見すると愛玩動物のようだが、油断すれば喉笛を噛みちぎられる。

 弱点は、強い光と音――特に“光熱を伴う閃光”に対する反応が鈍いとされていた。


(落ち着け……まずは距離を取る。飛びかかってくる前に――)


 俺は慌てて一歩後退しながら、腰のポーチに手を伸ばす。

 震える指先で取り出したのは、自作の《煙玉》だ。


「これで……!」


 床に叩きつけると、パフッという音とともに視界いっぱいに灰色の煙が広がる。

 一瞬、シャドウパピーの姿がかき消えた。


(……よし、今のうちに――)


 俺は茂みの裏に身を隠しながら、次のアイテムを構える。

 《引火フラッシュ瓶》。

 初心者クラフトレシピの中でも比較的扱いやすいが、威力は低い。


 そのとき――煙の中から、赤い目が再び現れた。


(やっぱり、煙だけじゃ足止めにならないか!)


 パピーは煙をものともせず、鼻先でこちらの位置を探ってくる。

 焦りとともに、俺は《引火フラッシュ瓶》の栓を引き抜いた。


「当たれっ!」


 反射的に瓶を投げると、魔獣の足元で小さく爆ぜ、白熱の閃光が瞬いた。

 ――パキーィン!


 キィンという耳を刺すような音とともに、シャドウパピーの動きが止まる。

 その場で数歩よろけ、前足をばたつかせる。


(効いた……今だ!)


 武器はない。だが、手元には石があった。

 思わず握りしめた拳大の石を、俺は全力で投げつける。


「っ、はぁぁぁっ!」


 石は魔獣の側頭に直撃し、鈍い音を立てて転がった。

 続けざまに、地面に落ちていた太めの枝を拾い、全身の力を込めて振り下ろす。


 ――ゴッ。


 枝の先が、魔獣の背にめり込んだ。


 直後、魔獣はひときわ大きな唸り声をあげて崩れ落ち、そのまま動かなくなった。


 しばしの沈黙のあと、黒い体がゆっくりと霧に溶けていく。


(……やった、のか?)


 膝ががくがくと震える。

 戦ったというより、ただ無我夢中で“しのいだ”だけだった。


 魔獣が霧散したのを確認してから、俺は呼吸を整えつつ、木の根元でうずくまっている小さな影へと足を運んだ。


「大丈夫?……怪我とか、してない?」


 恐る恐る声をかけると、その影――年端もいかない小柄な少年が、顔を上げた。


 すすけた顔に、涙と泥の跡。

 ボロボロのシャツに、草まみれの半ズボン。

 きっと、ずっと森の中をさまよっていたのだろう。


「……た、たすけてくれて、ありがと」


 声はかすれていたが、ちゃんと俺の目を見てそう言った。


「うん、もう大丈夫だよ。魔獣は倒した。歩ける?」


 俺が手を差し伸べると、少年はおそるおそる指を伸ばして、それを握った。

 小さくて、頼りない手だった。


「……迷っちゃって。おかあさんの、ために、草を……」


 少年はぽつぽつと語り出す。


 街の外れに住んでいて、薬師ギルドに勤めていた父は数年前に亡くなった。

 病弱な母親の薬のために、“導草”を取りにきたのだという。


「……街の薬屋さんが、材料が揃えば薬を作ってくれるって……でも、だれも手伝ってくれなくて……」


 言葉の端々に混じる、あまりに素朴な真っ直ぐさが、胸に刺さる。


(こんな子どもが、ひとりで……)


 誰かが気づいていれば、こんな危険な場所に足を踏み入れさせることもなかったはずだ。

 そして――もし俺が、聞こえた声を無視していたら。


「名前、聞いてもいい?」

「……ティネ。ティネ・エルメス」

「そっか。俺はダイト。とりあえず、街に戻ろう。……お母さん、心配してると思うよ」


 そう言うと、ティネは少しだけ頷き、そっと俺の横に並んだ。

 その背は、俺の腰にも届かない。


「……ダイトおにいちゃん。あの……ほんとうに、ありがとう」


 その言葉に、胸がきゅっと締めつけられた。


(いや、俺のほうこそ……)


 見ず知らずの子どもひとり、まともに助けることすらできないようでは、この世界で“何かを作る”資格なんてない。

 そう、改めて思い知らされた。


 俺はティネの手をしっかりと握り、ゆっくりと来た道を引き返し始めた。


 ティネと手をつないで森を抜ける道のりは、来たときよりもずっと長く感じた。


 道中、彼はほとんど口を開かなかった。

 だがその手の温もりは、かすかに、だけど確かに伝わってきた。


 その温もりを感じながら、ふとルオのことが脳裏をよぎった。


(……あいつ、ちゃんと街まで戻れたかな)


 あのとき、ルオは迷わず“引き返す”という選択をした。


 彼には、まだ――この世界の“戦い”が、遠すぎたのかもしれない。

 俺とて、あれが“罠かもしれない”という警告を聞いて、数秒間は迷ってしまったのだ。


 それでも足を踏み出せたのは――

 たぶん、自分が“クラフター”だからだ。


 戦って誰かを守ることが本分じゃないからこそ、

「見捨てられない」と、そう思えたのかもしれない。


(けど……ルオの判断も、きっと間違いじゃない)


 後ろめたさを感じているのは、たぶん俺のほうだ。

 別れ際の「また話そう」という言葉が、頭の中で何度も反芻する。


「……街についたら、連絡してみようかな」


 ぽつりと漏らした独り言に、ティネが不思議そうに顔を上げた。


「あのね、ルオっていう、友だちがいてさ。心配してるだけ。……へんなのじゃないよ?」


 慌ててそう付け足すと、ティネはくすっと笑った。


「ダイトおにいちゃん、やさしいんだね」


 その無邪気な言葉に、少しだけ救われるような気がした。


 やがて、森の緑が切れ、視界の先に石造りの街並みが見えてきた。


 温かくて、騒がしくて、でも確かに“帰ってこれた”と実感できる場所。


 今はまだ、誰かの手を借りながらじゃないと歩けないかもしれないけれど――

 いつか、自分の足でこの街を守れるようになりたい。


 そんなことを、ぼんやりと考えていた。


 そして――

 城門近くの石畳へと出たそのときだった。


 すれ違いざまに、ふと、目に留まった人影がある。

 黒革のジャケット、腰の細身の剣、そしてベルトに吊るされているのは”謎の文字が書かれた“球状のガラス瓶。


(……あれは――)


 目の奥が冴え渡る感覚。

 初めてこの街に来たとき、路地裏で自分を救ってくれた人物――あのときの“彼女”に、よく似ていた。


 だが声をかけようとした瞬間、手の中のティネが俺の袖を引いた。


「おにいちゃん、はやく行こ?」

「あ、ああ……うん。行こう」


 結局、声はかけられなかった。

 それでも、すれ違ったあの横顔は、記憶の中のそれとぴたりと重なっていた。

 胸の奥に、小さな波紋のようなざわめきが広がっていく――そんな感覚だった。


 その後、ティネを連れて城門をくぐった俺は、そのまま傭兵ギルドへと向かった。


 受付カウンターで事情を説明すると、対応に出てきたのは見覚えのある、NPCらしき事務員だった。

 少年の姿を見るなり、その人は軽く目を見開いた。


「……その子、エルメス家の……いえ。とにかく、無事に見つけていただきありがとうございました」


 すぐさまスタッフが奥から呼ばれ、ティネは手厚く保護されていく。

 その間、何も言わず俺の手を握っていたティネが、ふと顔を上げて小さく言った。


「……ぼく、つよくなる。こんどは、ちゃんと、自分でおかあさんを守れるように」


 その言葉に、俺はただ、黙って頷いた。


 ――その後。

 ギルドの食堂やロビーを見て回ったが、ルオの姿はどこにもなかった。


(……もう街には戻ってるはずだけど)


 スマホを取り出し、メッセージ画面を開く。


> 【ダイト】

おつかれさま。無事に帰れましたか?

ちょっと話したいことがあって……時間あるとき、また連絡もらえると嬉しいです。


 送信ボタンを押し、画面を閉じる。


 ルオからの未読通知は、ずっと変わらないままだった。


 ギルドから出て、傾き始めた陽を見上げる。

 今日という一日が、とても長かった気がした。



――――――



 ログアウト後。

 なかなか眠りにつけなかった俺は、ベッドの上で、だらだらとスマホをいじっていた。


 配信管理画面を見るときに、いつも自然と目に入るコメントウィンドウ。

 そこにルオのことについて言及された、気になるコメントがあったのだ。


 そして、何の気なしに開いたSNSのタイムラインで――


> 『【切り抜き】初心者ルオ、子どもNPCを見〇しにする【VOIDLINE】』


 目に飛び込んできた、複数の動画サムネイル。

 中には「#初心者の闇」「#見殺し」「#VOIDLINE炎上案件」などというハッシュタグまで添えられていた。


 胸の奥が、ずしりと重くなる。


(……あのときのこと、誰かが見てたのか)


 何度も脳内で再生される、「引き返す」と言ったルオの表情。

 それは、恐怖でも臆病でもなかった。ただ、自分に正直な選択だった。


 映像の切り取り方ひとつで、“正直さ”すら、物笑いの種になる。

 誰かの視点で語られる限り、本当のことなんて、あってないようなものだ。


 俺はスマホの画面を伏せると、息を吐いて目を閉じた。


(……やっぱり、あのメッセージ、余計だったかな)


 答えは出ない。

 ただ、心のどこかで、何かが変わった気がしていた。



――――――



 翌朝。


 俺は改めてスマホを開き、前日の切り抜き動画を再生してみる。


 あの森の出来事が、音や映像とともに再現されていた。

 ルオの表情、足を止めたタイミング、視聴者のコメント――どれもが、彼を「悪者」に仕立てようとしていた。


(……違うのに)


 心の中でそう思っても、再生数とコメントの数は現実を突きつけてくる。


 プレイヤーの行動が、こうして“物語”に加工されていく。

 見ないようにしても、情報が目に入ってくる。


 それが、視聴者に良い意味でも悪い意味でも支えられている、《VOIDLINE》というゲーム。

 それを初めて痛感した朝だった。


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