10.踏み込む者、退く者
――《VOIDLINE》九日目。朝。
ログイン直後、いつものように軽く身体をほぐしながら、俺は傭兵ギルドのホールへと向かっていた。
今日は、ルオとの探索を約束した日だ。
まだ早い時間だというのに、ギルドは相変わらずの賑わいを見せている。
依頼を確認する者、報酬を受け取る者、仲間と談笑する者――雑多な空気に包まれたこの場所にも、すっかり馴染んできた気がする。
(あいつ、もう来てるかな)
目を細めて人波の中を探していると――見慣れた銀髪が、掲示板の近くに立っていた。
「……おはようございます、ルオさん」
「おはよう、ダイト。……時間通りだね」
相変わらず落ち着いた口調で微笑みながら、ルオは片手を軽く挙げる。
彼も探索装備に着替えており、以前よりもずっと活動的な雰囲気になっていた。
「準備は、万全……ってわけじゃないけど、大丈夫そう?」
「もちろん。今日は、ほとんど散歩みたいなもんですから。安全なエリアだけ回る予定なんで」
そう言って笑いかけた瞬間、背後から賑やかな声が飛んできた。
「おーい、そこのふたり!もしかして、新規組じゃない?」
振り向くと、派手な赤髪の青年と、その隣で金髪のツインテールを揺らす少女がこちらに手を振っていた。
少女の姿はひときわ目を引いた。
耳元で揺れる星型のピアス、首に巻かれたチョーカーには鈍い銀の鋲が光り、指にはいくつものリングがはめられている。
フリル混じりのショートジャケットと黒いショートパンツは、まるでステージ用衣装のようだ。
「こんにちはー!やっぱりそうだよね、新規の渡り人って聞いてたから~!」
少女はぴょんと一歩前に出てきて、こちらをじろじろと観察する。
表情はころころ変わり、言葉のテンポは早口気味だ。
「えっと、あたしユイナ!ちょこっとだけ有名な配信者やってまーす!で、こっちは実のお兄ちゃんのハヤト!いま傭兵団作ろうかって話してるとこなんだ〜」
暗黙の了解というものを無視した、あけすけな自己紹介に、俺は少し面食らいながらも頭を下げる。
「ダイト・ヤナグレイヴです。こっちはルオ・ファルガ。今日は一緒に、素材集めに行く予定で」
「へぇ〜?クラフターってこと?てか、後方支援職って……なんか、男の子なのに意外〜!地味じゃない?でも……いいね、そういうの!」
ユイナの視線が俺の装備を端から端まで舐めるように動く。
悪意はなさそうなのだが、発言がややストレートすぎて、思わず後ずさりしそうになる。
(……ちょっと苦手なタイプかもしれない)
「ユイナ。あまり初対面の人に失礼なこと言うなって」
兄のハヤトが苦笑しながら、妹の肩を軽く叩く。
彼はユイナとは対照的で、整えられた短髪に、黒を基調としたシンプルなロングコート。
派手な装飾はないが、要所を押さえた機能重視の装備だ。
何より、こちらを見つめる目が鋭く、場の空気を読む力を感じさせる。
「ハヤトです。失礼があったらすみません。……こいつちょっとテンション上がってるみたいで」
「べっつに悪気はないも〜ん。ねぇ、よかったら連絡先、交換しよ?」
「あ、はい……」
反射的にスマホを差し出された俺は、戸惑いながらも画面を合わせて連絡先を交換する。
その瞬間、彼女の画面に映った数字が目に入った。
(……3000人?これ、リアルタイムの視聴者数か?)
一瞬で湧き上がった動揺を、必死に顔に出さないようにする。
そして次の瞬間、スマホに通知が届く。
【今度一緒にお茶とかしよ〜☆】
【あ、さっきのルオくんもイイねぇ、真面目そうで〜】
俺がメッセージの表示に軽く引きつっていると、ルオがそっと一歩後ろに下がって俺の背中に隠れた。
「……また、騒がしいのが来たね」
「ま、まあ……賑やかなのも《VOIDLINE》の魅力ってことで」
俺たちは半ば押し切られるような形で、連絡先の交換と一連の挨拶を済ませた。
ユイナはその後も、後ろにいる渡り人たちに手を振りながら「やっぱこっちもアリだな〜」などとつぶやき続けていた。
(……うん。やっぱり、ちょっと苦手だ)
しかし一方で、彼女の明るさと勢いは、この世界で生きていくうえで、どこか羨ましさを感じさせるものでもあった。
「じゃ、またね〜!メッセージ送るから、ぜったい無視しないでよ?」
最後まで一方的に話しながら、ユイナは軽快に去っていく。
ハヤトは俺たちに目礼し、控えめな笑みを浮かべた。
「よかったら、傭兵団が形になった頃に、また声をかけさせてください」
言葉少なながらも、その一言には説得力がある。
こうして――ルオと俺の初めての素材探索は、ひときわ騒がしい“邂逅”を経て、ようやく始まりを迎えることとなった。
――――――
街を出てしばらく歩くと、喧騒は徐々に遠のき、代わりに風にそよぐ葉音が耳に届くようになる。
舗装が途切れ、土の道を進むうちに、やがて森の入口が見えてきた。
――目的地、《グレシアの導林》。
ここはハニアサルンから最も近い探索フィールドのひとつで、危険度は低いが、回復薬の材料となる「導草」が採れるため、初心者やクラフターには人気のスポットだ。
「地図によると、導草が群生するポイントはこの辺りの南側……たぶん、こっちだと思う」
ルオがスマホを操作しながら進行方向を確認している。
歩き慣れていないのか、慎重に一歩ずつ踏み出す様子がなんとも初々しい。
「……少し、慣れてきましたね」
「うん。でもまだ、“敵が潜んでるかもしれない”って感覚は、正直よく分かんない」
そんなやりとりを交わしながら、ゆっくりと森の奥へと足を進める。
数分ほど歩いたところで、ルオが立ち止まり、茂みの中に視線を向けた。
「……あれ、導草じゃないかな」
「本当だ」
俺はしゃがみ込み、葉の根元に魔力を込めながら丁寧に草を抜き取る。
細い茎に淡い緑の葉をつけた導草は、採取時に魔力を加えることで鮮度を保てるという。
「初めてのわりには上手だね」
「何度か練習してるから……クラフターとして食べていくなら、こういうのが基本になりますから」
ルオは俺の手元を見ながら、小さくうなずいた。
「……本当に、この世界で生きていけるのかなって思う」 「俺も、まだ答えは出てないです。でも……動いてみないと何も分からないから」
言ったあとで少し恥ずかしくなるような言葉だったが、ルオはふっと小さく笑った。
「……ありがとう。ちょっと元気、出たかも」
そんな風に1時間ほどで、導草の採取を終えた俺たちは、小さな木陰に腰を下ろして一息ついていた。
気温はやや高めだが、木々を抜ける風が涼しく、葉のざわめきが耳に優しい。
――その時だった。
「……たすけて……!」
か細く、掠れた声が風に乗って届いた。
「……今の、聞こえました?」
「ああ」
俺とルオは顔を見合わせ、すぐに立ち上がった。
声がしたのは、導草が群生するエリアの反対側、森の奥――本来、初心者が立ち入らないよう注意されている区域だ。
「……まずいな。誰か、迷い込んでるのかも」
俺が一歩踏み出しかけた瞬間、ルオが腕を伸ばし、俺の動きを制した。
「やめよう。罠かもしれない。子どもの声を使った誘導型の魔獣がいるって話も、ギルドで聞いた」
「それでも、もし本当に人がいたら……見捨てられないです」
声は、確かに子どものものだった。
だが、演技だとしても、助けを求める声を無視して後悔するのは、きっと自分自身だ。
「……あの、ルオさん。俺、行ってみます」
「……っ」
一瞬だけ、ルオが言葉を詰まらせた。
その顔には、迷いが浮かんでいた。
だが、それ以上に“引き返す”という決断への葛藤が見て取れた。
「……わかった。でも、俺は街に戻る」
そう言ってルオは、ほんの少しだけ目を伏せたまま、静かに続けた。
「無事に戻ってきて。その時、また話そう」
そうして彼は、ゆっくりと踵を返す。
その背を見送って、俺は森の奥へと踏み込んだ。
足元の土はやや湿っており、時折、枝や葉が足を取ろうと絡みついてくる。
(頼む、ただの迷子であってくれ……)
そんなことを思いながら木々の合間を進んでいくと――
ふいに、空気が変わった。
風の流れがぴたりと止まり、周囲の鳥の声さえも聞こえなくなる。
――ザッ。
茂みの向こうで、何かが動いた。
(……いる。何かが、いる)
今日は、剣を持ってきていない。
魔法が得意な、戦闘職でもない。
それでも、覚悟だけは決めていた。
「……誰か、そこにいるのか?」
息を呑んで問いかける俺の声が、静まり返った森に吸い込まれていく――
そしてその直後、ぬるりと茂みから這い出した影が、俺の前に現れた。
それは、四足で地を這う、真っ黒な体躯。
動きは幼体らしく鈍重だが、その目だけは、深い赤に染まっていた。
魔獣――それも、野生個体の”幼体“か。
(……本物、か)
だが、その背後に――もうひとつの小さな影が、怯えたように身をすくめていた。
その姿を見た瞬間、迷いは完全に消えた。
「……くそっ、やるしかない!」
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