第2話 首の皮一枚(下)

 「共通テスト管理局から、ガーデンズ学園の共通テストを受験する皆さんへお願いと、ご案内を申し上げます。館内での喫煙、客席内でのご飲食、及び同じ受験生への録音、録画、写真撮影はご遠慮くださいますよう、お願い申し上げます。また、試験場の出入りをする際に、携帯電話など音の出る電子機器は、必ず電源をお切りください」


 構内に若い女性の声でアナウンスが流された。それに気づいた人は、僕を含めて、アナウンスを聞きつつ、ポケットからスマホを出した。圏外、と画面の右上に表示されている。いよいよ共通テストが始まるのかと思い、周りの反応を見回した。ほとんどの人が慌てて困ったような表情をして、壊れてもいない携帯を叩き始めた。


 「ただいまより選別テストを十分間、実行させていただきます」


 再びチャイムが鳴り、選別テストという謎のテストが始まった。


 「周りの人や構内の施設に害を与えないよう、ご注意ください」


一瞬の静寂の後、アナウンスが校内に響き渡った。


 「間もなく選別テストが終了されます。構内にいる受験生の皆様は、その場で次の案内まで少々お待ちください」


 その瞬間、僕とステラ以外の全員が一斉に地面に倒れた。まるで見えない力に操られたかのようだった。


 この異常な状況に戸惑いながらも、僕は横たわった人たちの様子を確認した。呼吸は安定している。死んではいない。ただ深い眠りについているだけのようだった。安堵と同時に、なぜ僕とステラだけが無事なのかという疑問が頭をもたげた。


 僕は身の危険を感じてステラを抱き上げた。見渡す限り、半径二百メートル以内に意識のある人はいない。誰も起きない静寂の中で、次のアナウンスを待つしかなかった。


 やがて深い霧が白いベールのように地上を覆い始めた。視界が確保できない状況は、さらに不安を煽った。考えてみれば、テストが始まった時点から監視官の先生やスタッフが現場にいないことも不自然だった。


 ますます怪しい状況の中、僕は警戒しながら校門の方に向かった。もうテストの合否は重要ではない。僕とステラだけが残されたこの状況は、どう考えても異常だった。


 「パパ、あれ」


 ステラが指差した霧の向こうから、人の形をした何かの影が薄く姿を現した。人影を確認した僕は、他にも生存者がいたのだ——そう思った僕たちは、前方に向かって足を運んだ。


 だが一歩踏み出したその時、視界の先に一点の紅い光が尾を引いて街角を駆け抜け、煌めいて消えていった。急に気温が下がったかのように、全身に鳥肌が立った。一点だった光は二点に増え、同時に錆びた刃物がぎしぎしと軋む嫌な音が響いた。


 僕の心臓は、これまで経験したことのないスピードで鼓動しはじめた。幻覚でも夢の中でもない。現実の恐怖を目の当たりにした僕は、その場に凍りついて動けなくなった。


 突然、霧の中から奇妙な鳴き声が聞こえた。それとともに、視野を妨げていた厚い霧が薄くなり、その向こうに人ではない何かの輪郭が浮かび上がった。


 「パパ、あれ、何?」


 ステラの質問に、僕はなにも答えられなかった。麦わらで造られた普通の案山子が、肉眼で視認できるほどの距離にじっと立ったまま、ぽかんと僕の方を見つめていた。ボロボロになった紳士服を着ている。背中には大きな刃物を担いでいる。その姿 を見た瞬間、『庭師』という言葉が頭に浮かんだ。


 庭師?——なぜそんな言葉が浮かんだのだろう。薄れた記憶の奥から、過去の一場面を必死に掴み取ろうとした。

 

 断片的に、誰かの声が聞こえる。


 『未だに陽の炎を抑える力は庭師には…』


 そうだ。誰かが崩れた棚の下から僕を引き出して命を救ってくれた時の記憶だった。


 だが、かちんかちんと時計の針が動く音が記憶にノイズを入れた。案山子の内部からの音だった。その耳障りな音は、心臓の音よりも繰り返し頭の中に響いた。


 霧が消えた園内は暖かかったが、もはや軽やかな空気はなかった。すべてが静止し、辺りは死のような静寂に包まれている。


 僕は深呼吸をして、再び目の前の案山子を見据えた。うつろな両目はかわきで周辺の光を吸い込み、しばし視線を交わしただけで、体が金縛かなしばりにあったように動けなくなった。


 立ち尽くしていると、ステラが頬をつねった。僕は何とも言い難い思いを抱えて目を瞑った。重い緊張に満ちた雰囲気に疲れと悪寒が体を走る。


 案山子を刺激するような大きな動きは避けた方がいい。僕はそう判断した。飾り物に近い無生物に対して、人間の常識が通用するとは思えない。


 しかし、相手が動かない限り、僕から先に仕掛けるのは危険すぎる。


 「パパ?」


 しまった。慌ててステラの口を押さえたが、既に案山子はハサミを背負ったまま姿を消していた。


 案山子の次の動きを警戒していた時、一瞬の隙を突いて刃物が僕の首筋に迫った。僕は半ば反射的に左腕で刃を受け流した。首を斬られる寸前で、腕に深い裂傷を負う程度で済んだ。


 僕はステラの目をマフラーで隠し、次の攻撃に備えた。案山子の振り下ろしたハサミを腕で受け止めた時、手応えは感じられなかった。麦わらの体で自由自在に振り回すには、ハサミの重さは軽くない。つまり、相手の動きには物理的な常識が通用しないということだ。


 正面から案山子の攻撃に立ち向かえば、生身の体が無残に切り刻まれるだろう。僕は両腕を前に構えた。


 後方から風を切る音が聞こえ、右側に身を避けた。足音はしないが、鉄の鈍い音で案山子の動きを察知できた。僕は体のバランスを崩した隙を狙い、案山子を蹴り倒した。そのままハサミを両手で掴む。


 一番邪魔になる武器を奪い取る考えだった。しかし、貧弱な麦わらの手に持たれているハサミを奪うことは困難だった。持ち運ぶ力が足りないわけではなく、最初から僕の手には負えない物のように動かなかった。


 僕が動揺している間に、案山子が隙に乗じてハサミの片方で攻め込んだ。重傷は避けたものの、出血を伴う切り傷を負った。今の状態で長期戦になれば、生身の僕に勝ち目はない。


 その時、腹部の奥に錆びたハサミが深く突き刺さった。何を考える間もなく、内臓を貫く激痛と共に、口から血が溢れ出た。痛みが脳を支配し、意識が遠のいていく。


 「おい、くそバケモノ。ようやく捕まえたぞ」


 両腕の包帯から黒い煙が静かに這い出し、人の肉が焼ける臭いが霧の中を取り囲んだ。


 血管を駆け巡る熱が、溶けた鉛のように体の奥深くまで染み渡る。やがて、既に負っている傷口が一斉に疼き始めた。火傷の痛みが、神経を通じて脳に鋭い信号を送り続ける。


 やがて奇跡が起こった。炭化してしまった腕の奥深くから、生命の赤い炎が宿る。その炎は希望の光のように見えた。新しい細胞が次々と生まれ、破壊された組織を修復しようと懸命に働いた。


 だが、その希望は束の間だった。同じ赤い炎が、今度は破壊の牙を剥く。生まれたばかりの細胞を、容赦なく燃やし尽くしていく。まるで左手が右手を食らうように、回復した端から破壊されていく。


 これは救済ではない。永遠の拷問ごうもんだった。


 外部からの傷に反応して、この地獄のような破壊と再生が僕の意思とは無関係に体内で繰り返される。止めることも、逃れることもできない。これが、一人で生き残った僕のトゲであり、呪いだった。


 一時的に体を動かせるようになっても、それは死刑囚に与えられた最後の散歩のようなものだ。炭化した腕の周りにある正常な細胞は、絶え間ない炎症に晒され、やがて焼かれた跡を残して壊死していく運命から逃れられない。


結局、回復の速度は破壊の速度に追いつかない。この能力は僕を生かし続けるが、決して救ってはくれない。永遠に死の淵で苦しみ続けることを強いられた、生ける屍として。


 もう後がない。これが最後のチャンスだった。僕は案山子の顔面を片手で掴み、麦わらが破れるまで力を込めた。


 「死ねえええ!」


 炭化した手のひらから爆発を起こし、麦わらに火の粉を放った。焼かれた顔は灰になった。有効なダメージを与えたと思うものの、案山子が僕の腹に刺さったハサミを抜き取った。


 大量の血が臓器の一部と共に腹から噴き出した。炭化した腕の燃焼も加速された。もはや痛みを感じる傷のレベルではなくなっている。しかし、これでバケモノを倒すための条件は満たされた。


 案山子は不気味な剣舞を踊るような動きで、ハサミを僕の首に向けて振り回した。首を狙って来るハサミを炭化した腕で弾いた後、神速で相手の下に潜り込み、燃え上がる拳で腹を突き抜いた。


 火は抑えようもなく麦わらの体に広がった。僕は息を切らしながら、一つ一つのわらが黒い灰となって風に消えて行く場面を見届けた。


 僕は息を切らしながら、一つ一つの藁が黒い灰となって風に消えて行く場面を見届けた。地面に落ちた僕の肉片は黒い燃えかすになっている。


 「もう大丈夫だ。驚かせてごめんね」


 周りに散らばった案山子の残骸を片付けた後、身を隠していたステラに優しく声をかけた。


 だが、まだ炭化した腕の奥から火の息が噴き出る状態では、ステラに危険が及ぶ恐れがある。僕は遠く離れた場所から、彼女の様子を見守った。


 「パパ?」


 「違う。まだ人を間違えてどうする。僕は一時的に君の保護役に徹するだけで父親ではない」


 「うう、パパ——!」


 ぐずつき、泣き出したステラは僕の懐に飛び込んだ。小さな体でも、父親を頼りにしてくれているようだ。僕は両腕を上げ、ステラが落ち着くまでしばらく待った。そして、早く自分の血で汚れた服を着替えたいと思った。


 「危険です!後ろに気をつけてください!」


 オペレーターの切迫した声が響いた。何かの勘違いだろうと思うものの、僕は不安な胸騒ぎを覚えた。突然、止まっていた時計の針がまた動き出す音が耳元に聞こえてくるような気がした。


 「アブナ…い、キヲツケ…て」


 振り向くまでもなく、後ろにある不吉な声の正体について薄々勘づいた。


 「パパ、あれ、ある」


 アンティークな懐中時計を中心に、一本一本の麦わらが絡み合い、少しずつ人の形を作り上げた。蛇が地を這う音が人の精神を悶々とさせる。


 僕はステラから離れて懐中時計に手を伸ばした。壊すつもりだった。しかし、予想外のところで邪魔が入り、動きを封じられた。相手は、気を失った受験生の一人、いや二人以上が、上半身だけ動かして僕の炭化した腕を掴んだ。


 悲鳴も唸りも出さない人々は、火傷の痛みも我慢してまで麦わらの本体には行かせなかった。腕だけでなく、足と腰も動きが取れない状態になった。


 この状況に違和感を覚えた。僕は目を凝らして人々の体にくっ付いた「何か」を掴み取った。蜘蛛の糸に似ている細長い麦わらの織糸が、人の身体を糸操り人形として操作している。案山子の能力か、それとも自然の成り行きか。一体僕は何者と戦っているのか、混乱を感じる。


 「キヲツケ…て——おニイチャン」


 「てめぇの口で言うセリフではないだろう」


 程なくして、もやもやとする記憶の隅から、あの夜の記憶が蘇ってきた。僕が命乞いで掴んだ足首は、七歳の子供の力では手に余るほど大きな存在だった。切ない嘆きは笑い事として扱われ、小さな手の甲に炎で熱した杖先で焦がされる。その記憶が僕の血を再び沸かしている。


 「まさか、てめぇも七年前に、あの場にいたのか?」


 父親が見捨てた僕の家族が火災で亡くなって以来、僕は今日に至るまで真犯人を探す毎日を過ごした。孤軍奮闘の覚悟でTGCでバイトしながら、七年前の放火事件の情報を集めた。そして今、その手掛かりを手に入れたことで感情が高ぶり、絶句してしまった。


 喜びとも恐れともつかぬ感情に腕が震え、脳内ではエンドルフィンが滝のごとく量に分泌されている。


 僕は思い切り舌を噛んだ。思ったより口の中から大量の血が出た。出血に続いて、傷口から勝手に再生と回復が始まった。炭化した腕の火力は段々高まり、腕を掴んだ人々が次々と目を覚まして、焼け爛れた肉体の苦痛で悲鳴を上げた。これで邪魔者は消えた。


 「バケモノだ。た、助けて」


 僕は我慢できないほど嬉しくて、満面の笑みを浮かべた。それを隣で目撃したある一人の受験生が僕を恐れ嫌がり、案山子がいるところまで這いずった。


 「私を、助けてください」


 そう言った後、生まれ変わる途中の案山子に体を丸ごと飲み込まれた。


 一人が飲み込まれてから、何人かの受験生が麦わらの中に吸い込まれた。案山子が人を飲み込むたびに、麦わらの形はより一層人間らしい姿になった。顔は男性のもの、身体は女性のものを借りている。そして残った最後の男の子を口の中に放り込み、太い舌で唇を舐め回した。


 「おはようございます。自分、あの方の花園を守護する案山子と申します。樹の一族であるあなた様にご挨拶を申し上げます」


 知能を持った案山子が人のように自己紹介の言葉を述べる。中途半端な人間の声で自分を語る格好が不自然で不愉快だった。


 「早速ご提案したいことがありますが、お二人様をあの方の花園から排除、いいえ、収穫してもよろしいでしょうか。できれば今すぐお願いしたいです」


 「図々しい顔で人を排除すると言い放つバケモノの話を聞く人はいないぞ。それより、てめぇは何者だ。なぜ、あの夜の華栄が話した言葉を知っている」


 「自分が、でございますか?とんでもございません」


 案山子が顔を横に傾けてこう言った。


 「まず一つ、案山子である自分は一人が全てであり、全てが一人であります。二つ、あれは庭師様があの方から授けられた聖火で、あなた様のような樹の一族をあの方の花園から浄化した聖なる行為です。三つ、あの方から盗まれた樹の一族は、あなた様が二人目です。よって、順次に収穫させていただきます」


 僕は黙って話を聞いた後、口を開いた。


 「てめぇは、バベルの所属なのか?それともどこかの研究所で作られた実験体なのか?」


 「自分は汚れないあの方の庭に属する存在でありながら、忠実な僕であります。どうか今後の収穫祭にご協力をお願いします」


 「ああ、やはりバベルだったのか。それで十分だ」


 僕は最後に大きく拍手を叩いて火の粉を起こした。


 「とりあえず、てめぇもあの夜僕が感じたように、藁にもすがる気持ちを味わわせてあげる」


 炭化した腕から響く清い鉄の音が校内に響き渡り、拍手を打った手のひらから火花が散った。身体中の細胞が焼かれる痛覚が神経に伝わり、血流が一瞬で脳まで駆け巡る。


 僕は手で前髪を持ち上げて、軽く後ろに流した。前方から案山子が駆け込んでいる。僕から相当離れていない場所に錆びたハサミが落とされている。僕はすかさずハサミを拾い上げて、近寄る案山子を斬るつもりで大きく横に振り回した。


 案山子は地面を軽く蹴り、華麗な足さばきでハサミの攻撃範囲外に避けた。


 「失礼、これは取り返していただきます」


 空中から慣れた手付きでハサミのハンドルに指を入れ、僕からハサミを抜き取って反対側に着地した。相手の動きに体が反応したけど、捕まえることはできなかった。


 体勢を立て直した案山子は、ハサミの刃を開いて二刀流として構えた。そして、案山子が僕から目を離して集中していないことに気づき、また違和感を覚えた。ハサミの刃は僕の方に向いているが、もう片方の刃の向きは定まっていない。


 注意喚起の目的とは言え、獣に近い案山子が人間の観点で動くはずがなかった。何か大事なことを忘れたような嫌な予感がする。


 「樹の一族を二人も同時に収穫できる日は珍しいです」


 ハサミが案山子の手を離れ、素早くステラの方へ向かった。高ぶった胸が一瞬でぎくっとした。今までずっと一人だった人生の中で、大切な人が敵の標的になるとは思わなかった。


 「ステラ、逃げろ!」


 僕の叫びにステラは笑顔で返事した。もう手遅れだった。間もなくあの小さい心臓に錆びた刃物が刺され、僕は絶望に落ちてしまう。あの夜と同じ恐怖を感じるだろうと思いながら、息を切らしてステラの方に走った。


 「パパ、逃げる?」


 片方の刃物が何者かによって弾かれ、空中で大きく回転した後、先の部分から地面に突き刺さった。皆が眠りに落ちている中で、他にも意識を取り戻した人がいた。僕は感謝を込めて手を振った。


 それを見たステラは元気そうにこちらに向かって手を振り返してくれた。


 「愛らしいお嬢さんに物騒なものをちらつかせるあなた様は、父親としていかがなものでしょうか」


 ステラの命を助けてくれた人は、同じ受験生の花魁だった。着物の裾が太ももまで大きく裂けていること以外は、それまでと変わらず元気そうに立っている。


 「すみません、おかげさまで助かりました。ありがとうございます」


 「まともにお勝ちになれるお相手でもないのに、なぜ喧嘩をお売りになっていらっしゃいますの?まずはお嬢さんのご安全をお考えくださいませ」


 「いや、まさか先に子供が狙われるとは思いませんでした。しかも、この子は僕とは無関係な他人です」


 「この愚か者が!お言葉の意図をお考えになってお話しなさいませ。敵からすれば、一番弱いお方から狙うのが道理でございましょう」


 言われてみれば筋が通る理屈だった。


 「何をぼんやりしていらっしゃいますの?さっさとお嬢さんのご安全を最優先になさいませ!」


 花魁に叱られる際も、僕の目は案山子を追っていた。これで相手の動きを予測できないことはよく理解した。遠距離でステラを狙おうとしても、花魁がそばにいる限り安全だ。


 地面に刺さったハサミの片方は、案山子より僕の方が近い距離にあった。案山子の心臓部にある懐中時計を潰すまでは時間が必要だった。案山子が油断するタイミングで火力を最大に上げた状態で案山子の体を燃やし尽くす。


 頭の中で案山子の動きをシミュレーションしてみた。目で見てから反応していては遅い。相手の動きを予想して一撃を与えないと、一生案山子にやられっぱなしになることは確かだ。


 僕は案山子が地面に刺さったハサミに目を向けた時を狙って、一歩目の踏み込みから全速で駆け出した。倒れた人々を飛び越え、案山子との距離を一息に詰める。そして、炎を込めた炭化した腕を相手の腹部に叩き込む。ここまでが僕が考えた作戦だった。


 「あなた様であれば、そう来ると思いました」


 電光石火の速さで、いつの間にか案山子の手元には二つの刃物が一つになり、僕の首を締め付ける寸前まで近寄っていた。さっきみたいに、ハサミの刃が合わさる部分に腕を入れようとしても、先に首が刃に触れてしまう。一方、速度がつき始めた足を止めても、加速した体はそのまま前へ進むだろう。


 「悪くなかった」


 僕の首はあっさりと錆びついたハサミの刃を受け入れ、綺麗に斬られて体から分離された。


 『君は生きろ。陽の計画に君の死はまだ先のことである』


 七年前の記憶が小さい点になるまで切り刻まれ、意識の底まで深く沈んだ亡霊の呪いを呼び寄せる。天地が逆転する間にモザイクの欠片が集まった走馬灯が僕の脳裏で駆け巡る。


 いよいよ幕が降りる時間だ。


 ステラには本当に悪いことをした。生への未練なのか、あるいは虚しい死に対する後悔なのかは知らない。いずれにしても、僕には最後の祈りすら許されていないだろう。


 万が一の奇跡が起きて、もう一度やり直せるチャンスが与えられる場合は、一生懸命ステラの親を探してあげよう。


 そんな情けない後悔を呟きつつ、僕は闇に落ちた。

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