第19話 君は誰

「君は誰……?」


 それは、自分の言葉だっただろうか。

 そう思ってしまうほど、その言葉は自然と口をついて出ていた。

 

 ルナの身体だ。

 ルナの顔だ。

 ルナの声だ。

 

 情報は全て目の前の人物がルナであると告げている。けれど、僕の心が、魂が目の前の人物がルナではないと声をあげていた。

 ルナによく似た少女は、驚いたように眉を上げた。次いでぷくっと頬を膨らませ、こちらを睨みつけていた。

 

 まるでせっかく時間をかけて作った悪戯を、仕掛ける前に指摘された子供のようにも見えた。反則的な可愛さだった。

 だけど、少しだけ……ほんの少しだけ、嬉しそうな表情にも見えたのは気のせいだろうか。


 ――いや、ぼさっとしている場合じゃない。


 目の前の人物はルナを騙った偽物だ。なら、十中八九敵に違いない。悪意は感じないが、剣を構えなけれ――


「やめて」


 ふわりと、塚にかけた指に彼女の指が被さった。

 まるで絹のような柔らかな感触なのに、それ以上指が動かない。なんて力だ。いや、それよりも。

 

 少女はまるで互いの距離を消滅させたように一瞬で距離を詰めてきた。速いとか速くないとかそんな話じゃない。何なんだ、これは?

 しかもよくよく見ると、いつの間にか先ほどまであった大きな川は消え、そこにはただ草が生い茂る地面があるだけだった。

 幻覚だったのか?


 いや、それならわざわざあんな光景を見せる理由が……


「え……」


 埋没していた思考が一瞬で消え、全ての意識がある一点に集まった。

 ルナが――ルナに似た少女が震えていたからだ。怯えるように目を閉じ、懇願するように頭を下げていた。

 彼女の強さが桁違いなのは、このわずかな間だけでも十分に理解できた。僕なんて、それこそ虫ケラのように簡単に殺せるはずだ。

 だというのに、その彼女は恐怖に震えていた。

 

 何が恐ろしいんだ……?

 その答えは、彼女の手を見れば明らかだった。


「もしかして、剣が怖いの?」


 数秒の沈黙の後に、彼女はコクリと頷いた。

 思えば彼女に戦闘の意思はまるでなかった。ただこちらが勝手に怯えて戦闘態勢に入っただけだ。

 それに彼女に本当に殺す気があれば、僕なんてとっくに死んでいる。

 だったら、謝るのは僕の方だ。


「ごめん、君を怯えさせる気はなかったんだ。許してほしい」


 剣から手を離す。

 少女はそれを確認すると、ゆっくりと顔を上げた。うっすらと涙が滲んだその表情はまるで幼い少女のようだった。

 目と目があった。彼女には伝えなければならないことがあった。


「取り敢えず……服を着てもらってもいいかな?」











「君は誰?どうしてルナの顔をしているの?」


 少女が服を着たあと、地面に腰を下ろして尋ねた。

 その疑問に少女は答えない。悪戯っぽい笑みを浮かべているだけだ。

 まるで答えを当ててみて、と言わんばかりに。

 頭を捻って考える。

 幻覚、変身、ただ似ているだけ……浮かぶ限りの選択肢を並べるがどれもしっくりこなかった。


「ルナに危害は加えてないんだね」

「うん、あの子なら大丈夫。今もぐっすり眠っているよ」


 嘘はなさそうだ。だが、全ての真実を言っているわけでもないという感じだ。

 それに『あの子』という言い回しも気になる。まるで、深い知り合いのような……


「ねぇ、まだ話があるの?」

「ええと……それは」

「ないならさ……一緒に遊ばない?」

「遊ぶ?」


 少しだけ言葉を詰まらせながら少女は自分の意思を伝えた。

 楽しそうでいて、どこか怯えたような……勇気を振り絞っているような、そんな声で。

 まるで、ひとりぼっちの子供が周りの子に勇気を出して遊びに誘っているように。


「いいよ」

「本当……!?」


 少女が瞳を輝かせる。

 暗い夜に星が瞬いたような煌めきだった。

 正直、少女の正体やルナとの関係性が気にならないと言えば嘘になる。

 

 だけど……

 

 両手を上げながら飛び跳ねて、全身で喜びを表すように無邪気に笑う少女を見る。

 天真爛漫かと思えば剣に怯えて、人と遊ぶにも勇気を必要するどこかチグハグな少女に。

 彼女に辛い思いをさせたくないと、そう思ってしまった。







「それで、どこで遊ぶの?」


 遊ぶのはいいとしても、周囲は木々に覆われ、危険な魔物が徘徊している。遊ぶ場所はどこにもないように思えた。

 少女はそんな僕を見て悪戯っぽく微笑む。そして人差し指を夜空に突き出した。


「えっ、それはどう――」


 ――いう。

 その言葉を出し切る前に視界が切り替わる。一瞬の暗闇。目を開いているはずなのに視界が暗転した。

 そして、次の瞬間には。





 僕は空から落ちていた。


「あっ、ああああああああああああ!?」


 落ちる、落ちる、落ちる。

 臍の奥深くが宙に浮くような感覚。迫る地面に悲鳴を上げるが、顔を叩きつけるような風で悲鳴を上げるどころか呼吸すらままならない。身体は上下左右斜めとあらゆる方向に回転し、今が空のどの辺りの高さなのかも分からない。何かに捕まろうと必死に四肢をバタつかせるが、意味はなく、ただ余計に恐怖を助長するだけだった。やがて地面が近づいてきて、そして――



 ――ボヨヨン


「えっ?」


 地面が間抜けな音と共に歪み、大きく反射する。痛みを防ぐために強張る身体を優しく受け止め、空に跳ね返した。痛みはまるで感じなかった。その後も何度か落ちては跳ねてを繰り返し、やがてゆっくりと地面に降り立った。もう地面は反射しない。

 何だったんだ、今のは……?


「ふっ、ふふ」


 何かを堪えるような無邪気な声がした。


「あはははははははは!!!」


 少女はいつの間にか僕を指して笑っていた。

 余程僕は間抜けな表情をしていたらしい。少しだけムッとしてしまう。

 本当に怖かったんだぞ、こっちは。


「ごめん、ごめん」


 少女は謝りながら僕の頭を撫でた。

 子供のような扱いに逃げたかったが、先ほどの衝撃の体験から足がいまだに震えて立つこともままならなかった。


「次は二人で空を飛ぼう!」


 少女はそう言った。まるで、これから一緒にかけっこしようとでも言うような気軽さだった。


「……無理だよ。君はできるかもしれないけど、僕には無理だ。僕は魔力操作もまともにできないんだよ?」

「魔力、操作……?」


 少女は初めて聞く単語のように首を傾げた。

 まさか知らないのだろうか。いや、さっきの現象は明らかに魔法だろう。知らないなんてありえない。


「大丈夫だよ、ウィルならできる」

「無理だよ」

「大丈夫!」

「無理だって言ってるだろ!!!」


 思った以上に強い言葉が出たことに自分でも驚いた。この二月の修行で上手くいかないことが自分でも気づかないうちに負担になっていたのか。

 それとも、僕が上手く出来ないことを当たり前のように行える目の前の少女に嫉妬していたのだろうか。


「……」

「ご、ごめん」 


 少女は俯いていた。泣いてしまったのだろうか。

 どうしよう、泣いてしまった女の子を慰める方法なんて分からないよ。


「ウィルならできるよ」

「えっ……」

「ウィルはずっと努力してきた。私は見てきた。ずっと……誰よりもあなたの近くで。だから、自分を否定してあげないで」


 少女は泣いてなどいなかった。顔をあげると真っ直ぐな瞳で、言葉で、僕に語りかけていた。

 

 心臓が高鳴る。

 

 疑問はあった。

 どうして僕の修行を知っているのか。誰よりも近くで見ていたとはどういうことなのか。けれど、そんな疑問は彼女の瞳に吸い込まれて消えていった。

 彼女の前では、全てがどうでも良いことのように思えた。


「来て」

「……うん」


 彼女の手を取る。

 ふわりと足が地面を離れ、ゆっくりと身体が宙に浮く。現実ではありえない出来事。ルナに出会う前は想像もできなかった体験。

 けれども恐怖はなかった。

 彼女となら、どこまでも行ける気がした。


 ゆっくり、ゆっくり。

 徐々に高度が上がる。そして、いつの間にか地面よりも月が近くなっていた。


――ウィルならできる


 普通の声とは違う。まるで頭に直接語りかけてくるような不思議な声。

 自然と指と指が絡まる。

 接吻するのではないかと思うほどに互いの顔が近づき、やがて額と額が重なった。


 


――今はまだ、力が眠っているだけ。私が助けてあげる。



 

 ――バチリ


 額に、脳に何かが弾ける。

 火花にもよく似た熱はまず脳を、次に脊髄、そこから神経を通って全身に広がっていく。

 

 身体が芯から暖かい。

 

 力が全身から漲る。瞳に映る景色には今まで見えなかった光の粒が宝石のように煌めいて見えた。

 僕は今まで、一体何を見ていたのだろうか。

 そして、彼女は――


「どう?」

「……綺麗だ」


 彼女は光に包まれていた。いや、彼女自身から光が溢れていた。優しく、暖かく、そして美しい光。

 彼女の前では全てが色褪せてしまうのではないかと思えるほどに綺麗だった。


「!……ウィルってそういうところあるよね。あの子の心が乱れる気持ち、分かった気がする」

「あの子?」


 彼女は頬を膨らませていた。

 心なしか、その頬が赤い気がする。気のせいだろうか。


「ううん、こっちの話。ねぇ、ウィル。目を閉じて想像イメージして。鳥のように天を舞う自分を。私の力に流れに合わせながら」

「分かった」


 想像する。

 思い出すのは、天高く舞う白い鳥。雪のように汚れのない鳥。村では幸運の象徴として信じられていて、初めて見た時、僕は父さんの肩に担がれていた。あの鳥のように高く飛びたい。誰しもが一度は憧れ、そして成長するに連れて考えなくなった夢の姿。

 

 けれど今、僕は村では想像できなかった光景を目の当たりにしている。そしてそれを容易く実現した彼女を。一人では無理でも、彼女とならどこまでも行ける気がした。

 

 力を彼女に合わせていく。彼女と一つになるような不思議な感覚。今まではただ力を知覚しただけだった。それが彼女に合わせるだけで力が効率よく全身を駆け巡っていくのが理解できた。そして――


「目を開けてみて」

「!?……これは」


 いつの間にか彼女の指は僕から離れていた。

 僕は今、一人で天に立っていた。いや、違う。飛んでいたのだ。


「ほら、ウィル。あそこまで競争」


 そう言うや否や、開始の合図もなしに高速で飛んでいく少女。

 僕も負けじとそこへ飛んで行く。まるで生まれた時から飛べていたかのような不思議な感覚だった。むしろ、どうして今まで飛べなかったのか不思議でならなかった。


「ウィル、見て見て」


 彼女はいつの間にか僕の周りをぐるぐると舞っていた。鳥のように軽やかに、魚のように自由に。

 負けてはいられない。

 僕にだってできる。だって最高の手本が目の前にあるのだから。それに合わせるだけでいいのだ。


「ははっ――」




「あははははははははははっ!!!」


 気づけば、僕は声をあげて笑っていた。

 心地よい風の感触。自分の意志のままに飛べる快感。未知の体験に対する高揚感。それら全てがないまぜとなって笑いが止まらなかった。

 空を飛ぶと言うことがこんなにも楽しいなんて……!

 

 初めて走ることができた子供のように、飛ぶこと自体が楽しくて止まらない。

 ずっとこの時間が続けばいいのにと考えてしまう。

 

「すごいね、ウィル」


 そんな僕に彼女が声をかけてくる。

 彼女の声も弾んでいて、とても楽しそうだった。

 

「君のおかげだよ」

「そうでしょ?」


 彼女が空中で得意げに胸を逸らした。

 それが何だか面白くて、二人で一緒に笑い合う。

 僕らはまるで、幼い頃からの友達のように笑い合ったのだった。






「……そろそろだね」


 空の旅が終わり、地上へと戻る。

 空に慣れてしまったせいだろうか。歩くどころか身体を支えるだけで足が震えた。全身に力が入らなかった。まるで、一日中剣を振り続けた後のようだった。たまらずその場にしゃがみ込む。

 そんな僕を見て、彼女は薄く微笑んでいた。まだ遊び足りないような、けれどどこか満足したような、そんな微笑みだった。


「もう寝る時間みたい」


 彼女はまだ立ってはいたけれど、指がかすかに震えて、僕と同じように力が空っぽになっているのが分かった。

 瞼が重い。

 そんなに時間は経っていないはずなのに、この疲労感は何なのだろうか。


「まっ、て……」


 まだ眠るわけにはいかない。

 まだ、彼女のことを何も分かっていない。


「君の……名前を……おし、えて」


 予感がした。

 彼女にはしばらく会えないような、そんな予感。

 彼女には返しきれない恩ができた。それなのに、名前すら知らないままは嫌だった。


「……」


 少女は少しだけ、ポカンとしたように固まっていた。

 もっと別のことを聞かれると思っていたのかもしれない。

 けれど彼女のどんな秘密を知るよりも、彼女の名前を知りたかったのだ。

 ふふっと、彼女は笑う。


「私の名前は……ルシフェナ」

「るし、ふぇな。また、会える?」

「うん、きっと。私達は必ず出会うよ」

「そう……よかっ、た」


 彼女の――ルシフェナの言葉に安堵して僕は意識を失った。

 彼女との時間は夢のように楽しい時間だった。

 そして次に目覚めた時、僕はこの時を夢のように忘れてしまっていたのだった。







 



「魔力操作ができている、だと……」


 魔力操作の修行を開始してから二月と少し。

 全く習得の兆しが見えなかったウィルは、目の前で魔力を纏い、大岩を少し砕ける程度まで身体強化を行えるようになっていた。

 勇者は目を見開いて固まっていて、当の本人さえ自分の力に驚いているようだった。

 

 魔力操作はよく才覚が一割、修行が九割と言われている。


 まずは魔力の知覚から始まり、そこから魔力回路パスを通して全身に巡らせ、徐々に身体に馴染ませ身体強化などの技術に応用していくというよう工程に分けられる。

 このうち、魔力の知覚ができるか否かに最も才覚を必要とするものの、そこから魔力を全身に巡らせたり、身体を強化するというのは修行に充てた時間とその質がものを言うとされていた。


 だからこそ、身体強化まで習得するには魔力の知覚ができてからも修行が必要なのだ。

 それを、ウィルは一足跳びに習得してしまっていた。あり得ないことだった。


 昨日、何があった……?


 昨日は旅を中断した。勇者とウィルが疲労により一日起きることができなかったからだ。二人は森の中で仲良く眠っており、最初は逢引きでもしていたのかと揶揄ったが、二人とも顔を真っ赤にして否定していたし、二人ともにお互いへの気持ちにまだ無自覚だろうから、その可能性はないだろうとも思っていた。


 魔力切れによく似た症状と、昨夜の記憶が二人ともになくなっていたことに違和感があったものの、何か秘密にしておきたいことがあるのだろうとその時は気に留めなかった。それがまさか、こんなことになるとは……

 ウィルの異常な魔力操作の習得には一つだけ心当たりがあった。


 魔力回路パスを繋ぐ。


 かつての勇者一行パーティーの魔法使いにして、現代魔法の開祖アリスが提唱した理論。


 魔力を操る際に人が用いる中枢神経を魔力回路パスと呼び、そこに魔力を流し込み、被験者の魔力を活性化することで非魔法使いでも魔力操作が可能になるというものだ。これに成功すれば、理論上ではあるものの被験者は魔力操作を習得するだけでなく、魔法使い同士での魔力量MPの譲渡や、人為的な能力進化レベルアップまで可能になるという。


 だが、どんな都合の良い方法にもリスクはある。


 魔力操作を習得できない娘を哀れに思い、この理論を考案したアリスはこれを施した。結果、娘の脳は焼け溶けて死亡し、術者であり人類で最も優れた魔法使いと謳われたアリスもまた魔力が逆流して死亡した。


 その理論は後世にも受け継がれ、これまで多くの研究がされてきたが数多の犠牲者を産んだだけで成功例は一度もなく、やがては禁術に指定されていた。


 どうなっているんだ……?


 正直疑問は尽きない。

 だが……


「おめでとう、ウィル!」


 勇者がウィルに抱きついていた。目には涙さえ浮かべて、ウィルの成果を喜んでいた。

 ウィルはまだ現実感がないのか、されるがままだ。


 ウィルがどんな手段で魔力操作の方法を習得したかは分からない。だが、今はただウィルの努力が報われたことが嬉しかった。

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