第11話 今度こそ
「アン、ナ」
「……」
スネイルさんとアンナさんが、無言で対峙していた。スネイルさんはようやく出会えた友達に信じられないように表情を歪ませていた。
そこに、喜びの感情はない。アンナさんは明らかに正気ではないのが分かっていたからだ。
その仕組まれた悲劇のような再会を仕立てた脚本家であるイルゾーストは、その様子を観客のように愉快そうに眺めていた。
「そういえば、スネイルさんはアンナとご友人でしたね。どうですか?
「イルゾースト、てめぇ……!」
「怖い顔ですねぇ。だが、それもこれもお前が私達を裏切ったからだがな!!!」
悔しそうに拳を握るスネイルさんに、イルゾーストが笑う。
何がそんなに面白いんだ……!!
睨みつける僕を尻目にパチン、とイルゾーストの指が鳴った。それを合図に、アンナさんが自身の手を首にかけた。表情に一切の変化なく、躊躇もなく自分の命に手をかけるアンナさんは操られた人形のようだった。
「どうです?今からでもこちら側に来るというのは。人間とはいえ、目的のために手段を選ばず力をつけて突き進む貴方のことは嫌いではありませんでした。魔王様もあなたならば軍に加わることをお許しになるでしょう。もし断れば……分かってますね?」
「っ……」
「スネイルさん……」
スネイルさんは操られているアンナさんを見て俯き、悔しそうに拳を握る。けれど、すぐに顔を上げた。
「下手な脅しはやめろ、イルゾースト。今ここでアンナを殺せば、お前は死ぬ。分かっているはずだ」
「……動揺はありませんか。このわずかな時間で何があったかは分かりませんが、強くなりましたねスネイルさん」
イルゾーストは目論見が外れたようにわずかに舌打ちする。
……そうか、危なかった。イルゾーストは幻影魔法だけでなく、話術でも心に隙を作って操れるのか。
だけど、スネイルさんはそれを見抜いていた。アンナさんが心配で堪らないはずなのに、すごい。
「まぁ良いでしょう。アンナ、皆殺しにしなさい」
「女神の聖炎」
アンナさんが抑揚のない声で低く呟いた。
その瞬間、炎が竜巻のように渦を巻いた。世界の全てを焼き尽くさんとばかりに燃え盛るその炎は同じ奇跡でも威力がまるで違った。
素人の自分が見ただけでも分かる。スネイルさんとも、ローザさんとも
渦巻く炎が嵐のように勢いを伴って襲いかかってきた。
それをローザさんとスネイルさんが、より上級の奇跡と思しき『女神の大盾』で妨害するが、二人がかりでも何とか炎を押し留めることで精一杯であり、その熱までは防ぎ切ることができなかった。二人の盾の裏で、まるで火にかけられた鍋のような熱さに身を焦がした。
「なっ――何とか全員でアンナさんを止めないと」
「おっと、そうは行きませんよ」
イルゾーストが再び指を鳴らすと白く硬い皮膚をした巨体の魔物、オークが三体前に出てきた。
恐らく、最後に残った魔物なのだろう。彼らはイルゾーストの幻影魔法により興奮状態にあるのか、目が血走り、半開きの口からは涎が溢れ、聞いたこともないような奇声を発していた。
「今更オークなんて。雷鳴剣!」
「ただのオークなら、ですがね」
「女神の輪光」
不気味な雰囲気のオーク達に対し、先制するようにルナ達が攻撃を仕掛けた。オークの体を淡い光が包み込む。
その直後、雷の斬撃がオークを襲った。肉が焦げる匂いに思わず顔を顰めた。間違いなく直撃している。
ルナの剣技ならばオークの
けれど――
「再生、してる?」
身体が焼け焦げて半壊し、ほぼ致命傷になったはずのオークの身体がみるみるうちに再生していく。
その早さは、まるで時間が逆転し、早送りされているようだった。そして再生したオーク達は攻撃を受ける前そのものの姿に再生していた。
まるで攻撃など最初から無かったとでもいうように。それを見たスネイルさんが引き攣った表情を浮かべた。
「女神の輪光の効果は自動回復。普通は擦り傷なんかの軽傷を治す程度の効果しかないんだがな」
「チッ、やっぱりあらゆる奇跡が勇者として戦い続けたことで強化されているみたいだね。三人とも気をつけな、奴らの身体は半不死身。一撃で消し飛ばさないと――」
「女神の聖衣」
「――は、無理かもね」
オークの身体を薄い光の膜が一瞬にして覆っていく。やがてその光は兜や鎧のように固まった。その姿はまるで騎士。アンナさんの美貌も相まって、物語に登場する姫とそれを守る騎士のようだった――その騎士の武器が岩を削り出したような無骨な棍棒であり、その騎士の口から涎と汚泥を煮詰めたような醜悪な息が出されていなければ、だが。
「傷を軽減する衣だよ。倒すにはかなり骨が折れるね。加えて」
「アンナ、早くあいつらを消せ」
「……」
オーク達は傅くように左右へ開き、命令されたアンナさんが前に出た。対峙するアンナさんはなんの感情もその表情に映っておらず、これが戦いでなければ、精巧な蝋人形か何かと信じてしまっていただろう。
だが、ピリピリと刺すような肌の痛み。指一本分の油断で殺されてしまうような緊迫感が、彼女が本物の人間であることを痛感させていた。聖剣など持っていなくとも、圧倒的な実力差があることを肌で感じた。
アンナさんの瞳はその表情と変わらず一切の感情を宿さず、その瞳にはこちらが一切映っていない。敵として、全く認知されていないのだ。にもかかわらずこの威圧感。その
アンナさんが近づくたびに重圧が重くのしかかっていき、空気が軋むような重圧に手に持った剣が震えた。
「大丈夫だよ、ウィル」
ルナが僕を守るように正面に立った。彼女が正面に来た瞬間に、先ほどまで感じていた威圧感が、重圧が、震えがピタリと止んだ。その事実に、情けなさに思わず握った拳から血が流れていた。
アンナさんの
どうして……どうして、君はそんなに勇気を出して戦えるんだ?
「ウィル達三人はオーク達をお願い。私はアンナさんを「いや、俺がやる」」
スネイルさんが一歩前へ出て、アンナさんと対峙した。顔を張り詰め、開いた瞳には覚悟の光が灯っていた。秘薬で力が戻ってきたとはいえ、疲労や痛みは蓄積して、決して万全とはいえないはずなのに。その気力は今までに見たことがないほど充実して見えた。
はじめて、アンナさんが視線をスネイルさんへ向けた。無表情であることに変わりないが、その瞳に僅かに感情が灯ったような気がした。
「無茶だよ。聖剣がないとはいえ、元勇者。さっきの奇跡の威力から見ても、ただの人間に太刀打ちできる相手じゃ……」
「大丈夫だ。さっきはやられたが、あいつの攻撃の癖は変わってない。俺なら何とか対処できるはずだ。勇者は先生達と一緒にオークとイルゾーストを倒してくれ」
「けど……」
「ルナ、スネイルさんに任せてあげて」
スネイルさんの実力でも、おそらくアンナさんには遠く及ばない。
ルナが戦えば、何とか倒すことはできるかもしれない。
けれど、けれど――
「行ってあげてください、スネイルさん。アンナさんを救えるのはきっと、スネイルさんしかいないと思うから」
「ああ」
「ウィル……ああ、もう!無理だと思ったらすぐに加勢するからね」
「頼んだ」
「スネイル……頼んだよ」
「はい」
それぞれの想いを受けて、スネイルさんがアンナさんと対峙した。元勇者とその友達、師匠、勇者。イルゾーストは役者が揃ったとばかりに帽子を取り、大仰に挨拶をした。
聖都を焼く炎が、彼を照らし出す。舞台の中央を彩る光に照らされながら、彼は高らかに宣言した。
「さあ、それではじめましょうか。勇者と魔王軍の戦い。開演にございます」
決戦の火蓋が今、上がった。
俺に任せろ。
そう啖呵を切った。俺にはそう言い切れるだけの自信があった。
勇者として強くなったとはいえ、アンナの動きには当時の癖が残っていたからギリギリ攻撃を躱せると思っていた。
何より期待したんだ。
操られた味方が、涙を浮かべて攻撃をやめるという甘い展開を。
俺を見てくれさえすれば、昔の記憶が蘇って攻撃しないという物語によくあるような展開があるんじゃないかって。
……期待、してたんだ。
「……クソ」
壁に叩きつけられ、その衝撃でぼんやりと霞んでいた意識が現実へと引き戻された。
背中が今まで経験したことがないほどに痛い。
叩きつけられた衝撃で、肺に残っていた空気が全て閉め出され、慌てた肺がゴホゴホと空気を求めて喘いだ。
対峙したアンナは容赦がなかった。というより、むしろその攻撃は勢いをさらに増していた。
先ほどは使用しなかった大技を連発し、こちらに攻撃する隙を与えなかった。
近づくどころか奇跡をぶつけて相殺するだけで精一杯。それも徐々に難しくなり、このザマだ。
焼け溶けた右肘は、そこから先がなく熱せられた鉄のように赤い光が闇夜に蝋燭のように灯っていた。
あまりの痛みに感覚が麻痺しているのか、重症だというのに何も感じない。
蝋燭のような光を見て、綺麗だなと刹那の間、戦いを忘れて現実逃避するように魅入っていた。
それを見ながら、思う。
……あいつ、俺のこと嫌いだったのかよ。
「スネイルさん!」
ウィルが悲鳴のような声をあげた。
あー、うるせえ。戦いの最中だぞ。お前は一番弱いんだから、一番戦いに集中しなきゃなんねぇだろうが。
……まぁ、心配すんなってほうが無理だよな。任せてくれと啖呵を切っておいてこの様だ。
神官は決して前線に出てはならないという新米神官時代に叩き込まれた教えが蘇った。
仲間の回復役が片腕を失うなど神官失格も良いところだ。
「いいですよ、アンナ!そのまま裏切り者をやってしまいなさい!」
「……」
「アンナ?」
イルゾーストの指示にアンナは応えない。いや、正確には応えられないんだ。
いくら元勇者でも、あれだけ大技を連発すれば、魔力切れは必至だ。
そんな作戦は、いかにもアンナの考えそうなことだった。
俺も攻撃を誘導し続けた甲斐があった……にしても、容赦なさすぎだけどな。
立ち上がり、アンナへと歩き出す。一歩一歩覚悟とともに踏みしめながら。アンナはそんな俺を、ただじっと見つめていた。
もう二度と、進むべき道は誤らない。この選択に後悔はない。
けれど、唯一心残りがあるとすれば……
「ウィル」
初めて、あいつの名前をしっかり口に出した。
初めて会った時は身の程を弁えず、愚かなガキだと思った。
その姿に、己の弱さを見せつけられているような気がして苛立ちを募らせた。
あいつを否定して、過去の己の選択を肯定したかった。
けれど、自分の弱さと悩みながらも逃げずに向き合い、自分の道を選択したあいつを今では尊敬していた。凄いと思った。
そして、何よりも――
「ありがとう」
俺に、もう一度やり直す勇気を与えてくれて。
「お前は、俺みたいにはなるな」
ウィルが何か叫ぶがもう聞こえなかった。
その余裕も、余力も全てこの一撃に込めるように魔力を練り上げていく。
もうアンナとの戦いで魔力はほとんど残っていない。
けれどどうしてだろうか。
今までで一番力が漲っていた。
「女神の極聖炎」
「女神の聖光」
互いの奇跡が発現する。
アンナの炎の規模は凄まじいものだった。
奇跡の効果には、同じ効能でも階級が存在する。
アンナの炎は階級でいえば、上位に位置する奇跡だが、勇者として戦ってきた経験と高めた
おそらく万全の状態ならば、この聖都全域を包み込めるのではないかというほど強力な炎。
女神が人間に与えたとされる原初の炎が俺一人へと収束する。
――そして俺は、その炎の中に飛び込んだ。
「馬鹿が!自滅するつもりか」
――んなわけ、ねえだろ。
神聖な光が全身を膜のように包み、身体が焼けた側から再生させていく。
先生達に使用した過剰回復の奇跡。それを自身に纏わせることでこの炎を中和する即席の結界を作り上げる。
「くっ――」
炎が身を焼くと同時に奇跡の光が身体を治癒していく。
奇跡は、身体の傷は治せても、その痛みまで和らげることはできない。
剥き出しの神経を焼き尽くされ、眼球の中の水が沸騰し地獄のような痛みを生んだ。
まるで太陽の中を突っ切っていくような感覚に、最早平衡感覚は失われていた。
しっかりと進めているだろうか。
この先にアンナはいるのだろうか。
今歩んでいる道が正しいのか、間違っているのかは分からない。
けれど、この道を歩むことを決めたことは、間違ってはいないと確信していた。
激痛に意識が朦朧としながらも、道を信じて突き進む。あいつのように。
ああ、そういえば……お前に初めて習った奇跡ってこれだったよな。
「なあ、アンナ……」
炎の中、アンナの姿を見つける。あいつは俺が焼かれていても、この炎の中を突き進んでいても、眉一つ動かさない。
けれど、その瞳はじっと俺一人を見つめていた。俺一人を、映していた。
「アンナ!早くとどめを」
俺もまた、地獄のような激痛に身を焼かれながらも、アンナを見つめていた。
あの日のことを思い返さなかったことは、一日たりともない。
寝ても覚めても、後悔が鎖となって心を縛り付けるようだった。
心に剣が突き刺さっているようだった。あの時の痛みに比べれば、こんな痛みなど何でもなかった。
答えを、返す時が来た。
「あの時一緒に行けなくてごめんな」
光の膜が薄くなり、身体が焼け溶けていくのが分かった。もう魔力も底を尽きた。身体はもう数秒も持たないだろう。
だけど、それだけで十分だ。
「あの時……俺は嘘を吐いた。俺は、俺は……」
アンナは動かない。表情は変わらない。瞳に光はない。
ただ俺の言葉を、俺が勇気を振り絞るのを待ってくれていた。
「ただお前に――大好きな女の子にカッコ悪い姿を見られるのが怖かったんだ」
たった一言。この言葉を伝えるのに長い時間がかかってしまった。
「俺は身勝手な理由でお前を一人にさせた」
あの夜を何度後悔しただろうか。
何度、何度、何度――
「けど、もう二度と一人にしない」
だからこそ、もう間違えない。炎に包まれ、焼け焦げた身体でアンナを抱きしめる。
アンナは抵抗しない。狂ったように喚き散らすイルゾーストの命令にも反応しない。ただ、俺の背中を抱きしめてくれた。
「女神の祝福」
光が俺達を包みこみ、長い旅がようやく終わった。
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