第10話 狂った勇者
――スネイル、もし良かったら……
あの日。全てが変わってしまったあの日のあいつの言葉。覚悟を秘めた強い瞳、その瞳に映った情けない己の姿。その全てを鮮明に覚えていた。だから、今度こそ俺は――
「っつ……俺は、負けたのか?」
頬への強い痛みで目が覚めた。
不思議な感覚だった。視界には満天の星空。魔力は空っぽで身体にも痛みが残っていて、起きようとしても、全く力が入らない。にも関わらず、何か吹っ切れたような、妙に満ち足りたような気分だった。
「そうさね。あんたは、何の力も持たない年下のガキに負けたのさ」
「……ババァか」
「先生と呼びなクソガキ」
先生はそう言うと、俺の表情をじっと観察していた。何かを確認するような目だった。
「よし、もう大丈夫みたいだね」
「?」
「何ともありませんか?」
「……お前か」
奴が……ウィルが心配そうにこちらを覗き込んでいた。正直今一番見たくない顔だ。
さっきまで全力で殺し合った相手だっていうのに、俺のことを本当に心配そうに見つめていた。
……ほんっとうにイラつく奴だ。
「殺さねえのかよ」
「殺しません」
「ハッ、甘ちゃんだな……何でお前みたいのが勇者の友達になってんのか訳わかんねー」
いや、本当は分かっている。コイツは選んだんだ。誰かに選ばれたのではなく、実力が足りていないのを承知で勇者の友達でいることを選んだんだ。そこがコイツと俺の最大の違いか。
「……俺はな。嘘を言った」
「どういうことですか?」
「アンナは誰も旅に連れていこうとしなかったら訳じゃない。あいつは、あの馬鹿はよりにもよって俺を誘ったんだ」
あの夜のことは今でも鮮明に覚えている。あいつが聖剣に選ばれたことを知った国の連中は、まるで祭りが始まったように大騒ぎしていた。
教皇たちは、百余年ぶりに聖都に勇者が誕生したことに慌てふためき、王都への喧伝や派閥争いの準備に明け暮れた。
街の奴らはアンナが魔王を倒すと信じて疑わず、まるで祭りでも始まったように騒いでいた。そんな中、アンナを呼び出し、聖剣を手放し逃げるように説得したことを。
だが、何度説得しても頷こうとはしなかった。自分が逃げれば他の人が責務を負うことになると言って。それでも何度も必死に説得する俺にあいつは言った。
――スネイル、もし良かったら……私と一緒に旅に出て欲しい、と。
「誘われて、どうしたんですか?」
「断ったよ。当時の俺は少し奇跡を使える程度のガキだった。足を引っ張るのは目に見えてた……けど、本当の理由は違った」
「本当の理由?」
「怖かったんだ。死ぬかもしれないことが。勇者の仲間の重圧が……何より、アンナに無様な姿を見られることが怖かったんだ」
「……」
「軽蔑したか?お前のことを自分勝手だと罵った奴が、結局のところ誰よりも自分勝手な男だったんだからな」
「軽蔑なんてしません」
意外な言葉にウィルの顔を見た。先ほどまでどこか心配そうな、不安そうな色はそこにはなかった。むしろ、どこか怒ってさえいるような決然とした眼差しに思わず口を閉じた。
「僕がルナのそばにいたいのは、彼女が大切というのもそうですが、ルナと別れてまた独りぼっちになるのが辛いからだと思います。僕の両親は幼い頃に死んで、身寄りはなく村に同年代の友達もいませんでした。そんな時にルナに出会って初めて友達ができました」
大切な友達だから、そばにいたい。一緒に戦って守りたい、別れたくない。ただの我儘だと、ウィルは言った。
「スネイルさんもそうだったんじゃないですか?でも、スネイルさんは自分の意思を曲げてまでアンナさんの安全を考えて行動しました。それが正しかったのか間違いだったのかは分からないけれど、アンナさんのことを想った気持ちまで否定しないであげてください」
「……」
「スネイルさん?」
「……うっせー、こっちみんな」
クソッ、ちょっとは怒れよ。余計惨めになんだろうが……ありがとうな。
「ガキども、話は終わったかい?終わったね。ならスネイル、コレを飲みな」
「んぐっ」
先生がビンを口に突っ込んでくる。透明な容器に入った黄金に輝く液体だ。金を溶かし、煮詰めて色をさらに濃くしたような液体。
それが有無を言わさずに口の中に入り込んできた。ドロリとした樹液のように粘性の高い液体だ。何だ?甘い?酸っぱい?エグみもかなり感じる複雑な味だ。
「聖水だ。最後の一本だから溢すんじゃないよ」
聖水。
飲めば魔力が完全に回復するという伝説の聖水。どんな重傷でも治すという
天にも昇るほど甘露と記録にはあったが、さすがに誇張した記録だったらしい。
……というか。
「ババァ、てめぇ力を使い果たしたって嘘吐いてやがったな!」
「嘘じゃないさ。現にアタシの
「何が聖女だ、そう呼ばれてたのは何十年と前のことだろ。年齢考えろ!」
「うっさいね!聖女に年齢制限はないんだよ。あんたが飲んだ聖水だってアタシが若い頃に
「……おい、ちょっと待て。その聖水って何十年前のモノだ?」
「……さあね、細かいことは覚えちゃいないよ」
「腐ってたんじゃねぇか!」
通りで変な味がしたわけだ。胃がムカついたようなは吐き気を感じた。吐き出したいが、もう遅い。
しばらく悶えていると、じわりじわりと体全体が火照り出し、力が湧き出るような感覚があった。この即効性、この魔力の回復量、さすがは伝説の秘薬だった。
「おい、俺は敵だろう。いいのかよ、伝説の秘薬なんて渡して」
「構いやしないよ。アンタ、もうアンナのために誰かを犠牲にしていいなんて思っちゃいないだろう?」
「……まあな」
不思議な気分だった。まるで霧が晴れ、視界が明瞭になったような不思議な感覚だ。それに、あれほどこの国の人間が憎くて仕方がなかったのに今は何とも思わない。それどころか、自分がどれだけ恐ろしいことをしてしまったのかと信じられない気持ちで一杯だった。
「やっぱりね。アンタは、いやアンタ達は操られていたんだろうね」
「は?誰にだよ」
「アンタ達を唆した魔族にだよ」
「イルゾーストに?」
「どういうことですか?」
馬鹿な、イルゾーストは『幻魔』。つまり、幻影魔法を操る魔族だ。人の心を操ることなどできるわけが……いや、そんなこと誰が証明できる?
自身の考えに自分自身でゾッとした。今まで安全だと思って歩いていた地面が突然崩落し、足場を失って底なしの地下へ落ちていくような不安。それが丹田の奥底から爪先までを一気に満たしていった。
なぜ、こんな単純な思い込みに気づけなかった。
「七魔は自身の司る能力を誇りとして二つ名を名乗っている」
先生が語り出す。七魔とは、魔王軍幹部にして、一騎当千の実力を誇る精鋭たち。バイゼルならば無限に魔物を召喚させるという意味で『召魔』の二つ名を有していた。だが――
「単純だが、狡猾な手口だね。恐らく幻影を見せるというのはあくまできっかけ。幻影を見て生じた心の隙間に入り込み、対象の憎しみや猜疑心といった負の心を増大し掌握する。それがその七魔の本当の能力なんだろう」
「それじゃあ、今そのイルゾーストと戦っているかもしれないルナは……?」
「ああ、不味いことになっているかもしれない。急ぐよ。スネイル、アンタも来な」
「……分かった」
ウィルが走り出す。歯を食いしばり、必死の形相で駆けていく。あいつも先生に回復してもらったとはいえ、疲労や蓄積した痛みは変わらないはずだというのに。そんなことは関係ないとばかりに必死に。
たとえ、あいつが間に合ったとしても何もできないだろうに。
馬鹿だな、と思う。だが俺も、あんな風に馬鹿になれたら……
有り得ない、有り得たかもしれない未来に少しの間沈む。いや、今はそんな暇はない。その選択ができなかったから、自分の心が弱かったから今の惨状を引き起こしてしまったのだ。反省や後悔は、全てが片付いたその後に考えろ。自分でやったことは、自分でケジメをつけなければ。
覚悟を新たに駆け出した。
――その先に、最悪な未来が待っているとも知らずに。
※
早く、早く、早く。
疲れた体を叱咤し駆ける。一歩踏み出すごとに疲労で足が鈍くなり、肺が酸素を求めて収縮する。その度に、刺された肺から血が噴き出るような錯覚に襲われた。
奇跡は、その時に負っている
治癒もあくまで傷を負った本人の自然治癒力を強化するといった意味合いが強い。つまり今は病み上がりに近い状態だ。激しい運動をし過ぎれば、再び傷が開き、最悪それが致命傷になる危険もある。
正直に言えば、怖い。今こうして走っている間にも、傷口が開いてしまうかもしれない。何も成せずに死んでしまうかもしれない。けれど、そんなことは今はどうでもいい。ルナを失う恐怖に比べれば、そんなものは恐怖ですらないと自分に言いきかせて、僕は走った。
ルナ、無事でいてくれ。
イルゾーストの魔力を辿り、逸る僕たちの目に映ったのは――
「ひ、ひいぃぃぃ!?」
怯えたように後ずさっている奇抜な格好をした魔族。その周囲には惨殺された多くの魔物達。
そして――
思わず体が震えた。身体の芯から凍るようだった。
周囲は炎上する建物で囲まれており、その熱で汗をかくほどに暑いはずなのに。ここだけまるで熱を失ったように、時が止まったように濃密な殺意に満ちていた。
殺意が空気となって充満し、分厚い服を纏っているかのように身体の動きを鈍くさせた。この場では、指の一本たりとも動かすことを躊躇ってしまうような、そんな感覚。
そんな殺意の中心にいたのは、無機質な光を瞳に宿した少女。聖剣を携えたルナの姿だった。
※
「お、お前は何なんだ……?どうして僕の魔法が効かないんだ!?」
「魔、法……そうかこれ、お前のか」
魔物の血で塗れながら、どこか穏やかに呟く勇者。そんな光景にイルゾーストは戦慄していた。
何なんだ、コイツは……?
勇者が幻影に混ぜた魔物を切り刻んでいく。彼女に見せている幻影ごと。
勇者が轟音と共に雷を降らし、周囲を殲滅する。彼女に囁きかける声を遮るように。
幻影魔法は対象者の
なのに、心には一切揺らぎが見えない。冬の湖面のように静かだ。
ありえないことだった。
どんなに心身を鍛え抜いた屈強な戦士であっても、
現に、この幻影魔法は魔王様に対しても有効だった。効かない者なんて、この世に存在するはずがないのだ。
それが、何故――?
「お、お前は何なんだ……?どうして僕の魔法が効かないんだ!?」
「魔、法……そうかこれ、お前のか」
勇者が低く呟いた。まるで
それほどまでに勇者の言葉は無機質で温度を感じさせなかった。
幻影魔法は心に作用する魔法だ。故に、この魔法は良くも悪くも対象者の心を浮き彫りにする。
そして、イルゾーストの瞳は他者の心の像を見抜く特殊な力を秘めており、これまで数多くの見たくもない他人の本性を見せつけられてきた。どんな英傑も、賢者も、王者も、この力の前ではその醜い虚栄心、知識のためならばどんな犠牲も厭わない探究心、全てを焼き尽くすような憎しみを曝け出した。
だというのに、この勇者の心は――
無。
全てを楽しむような喜びも、慈しさも、魔族を根絶やしにしようとする憎みも。勇者本人がどこまで自覚しているかは不明だが、恐らくそれら全ては真実ではあるものの、本質ではないのだろう。
その本質は、勇者としての使命を果たすという目的以外には何も持たない。こんな気味の悪い生物が、存在するのか……?
いや、存在していいわけがない。マトモな心を持つ者ならば間違いなく――まさか。
「まさか、お前。もう心が壊れかけて――」
「……そこか」
マズイ。
動揺した隙に幻覚に一瞬の綻びができた。
クソッ、クソッ、クソッ。
内心で毒づくがもう遅い。勇者がゆっくりと迫ってくる。もう肉壁に使える魔物は残っていない。
「心が壊れかけているなら、いっそのこと心を完全に破壊する」
まだこの魔法は未完成。一歩間違えれば、自身の心もぐちゃぐちゃに壊れかねない。だが、そんなことを言っていられる状況ではなくなった。
魔力を練り上げる。自身の精神そのものを、魔力と重ね合わせ、変質させる。魔力と精神が一つになり、全く別種の生物へと生まれ変わらせていく。
勇者が目前まで迫る。勇者の瞳と自身の瞳が重なった。
「魔法『心界掌握』」
視界が暗転した。
血まみれの男がいた。
子を喪い、泣き腫らした女がいた。
今はいない両親を求めて、泣く子供がいた。
そして、こちらに向かって微笑を浮かべる美しい金髪の女性がいた。
――彼らが見えるようになったのは、一体いつからだろうか。
勇者というのは、英雄だ。
聖剣を携え、超常の力を持って魔族を滅ぼし人類を救う。
言葉にすれば聞こえはいいが、現実は地獄そのものだった。
救援を受けて駆けつけても、ほとんどが間に合わない。
たとえ間に合ったとしても、救えるのはほんの一欠片。しかも、その多くが大切な人を喪い、家を失い、その日の食べ物もない。
彼らは皆、
泣き言など言わない、言えない。
けれどもその瞳は、悲しみと……そして、なぜもっと早く助けに来られなかったのかという憎しみが宿っていた。
――役立たず
――人殺し
そんな声とともに、私が救えなかった人々が、
眠れば誰かが私を見ている。
だから、私は眠らなくなった。
その時間は修行や、犠牲者を書にまとめる作業にあてた。
強くなる必要があったのはもちろんだが、限界まで頭や体を動かせば泥のように眠れた。いや、そうしなければ眠れなくなった。
幸せも、喜びも、悲しみさえも。
そんな思いを感じる資格は私にはない。
なぜなら、私は
魔族を殺し、人々の命を救う人形。
それが、
……これが、勇者の心の闇か。
風景が変わった。まずは魔法の発動が成功したことに安堵し、ふっと息を吐いた。
『心界掌握』は、より上位の七魔へ至るために編み出した奥義だ。自身の幻影魔法は、生物相手にはほぼ無敵に近いが、それでも上位の七魔達には及ばない。
彼らは各々独自の対抗手段を持っているからだ。故に編み出したのがこの魔法だった。
幻影に依らずに直接相手の心像世界へ入り込むこの魔法は、一度自身の精神を魔力に変換して相手へ放つため、相手の心へ侵入するのは容易いが元通りに戻るためには、強い精神性が必要となる。
また、相手の心像世界へ侵入するということは、相手の城へ装備も持たずに潜入するようなものであり、非常にリスクが高い。成功させるためには、相手の精神の支柱ともいうべきものを一刻も早く破壊しなければならない。
暗闇の海を底へ底へと潜っていく。その水は芯から凍るように冷たく、泥のように重たい。油断すると、あっという間に取り込まれてしまいそうな恐怖に耐えながらも深く、深く、暗闇をかき分けて沈んでいく。
勇者の心の奥の底。
深淵を目指して。
熱い。
辿り着いたのは、炎に焼かれた村だった。
心像世界はその世界の主人によって、その在り方は千差万別だ。知識を好む者は世界一帯を覆い尽くすような書棚、死者に囚われた者はその者の墓場というように欲望を象った世界もあれば、耐え難い
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
その世界の中心に、少女はいた。現実の勇者よりもニ、三歳幼いが面影があった。その瞳は虚で顔に生気が感じられない。決められた言葉しか話すことができない
炎が轟々と燃え盛り、家が倒壊していた。彼女の母親と思しき血だらけの女性を始め、多くの村人が彼女に向かって怨嗟の言葉を、呪詛の言葉をかけ続けていた。本来ならば、これはイルゾーストが好む光景ではある。
だが、この世界は主人である少女の意思で満たされていた。罪悪感、後悔、虚無感。これは中にいるイルゾーストも例外ではない。空気に押しつぶされそうなほどの圧力に魔力体が崩れるような錯覚を覚えた。
幻影魔法が効かないはずだ。恐らく、勇者はイルゾーストの幻覚など関係なくずっとこの光景を現実世界でも、夢でも絶えず見続けてきたのだろうから。
魔力を右手に集中する。ここでこの少女を殺せば、現実の勇者の心は間違いなく破壊され、廃人となるだろう。
「死ね」
『ん――』
「!?……」
瞬間、世界が暗転した。少女や村は消え、あれほど鳴り響いていた怨嗟の言葉も消えていた。時が止まったように世界から音が失われ、月明かりのない夜の世界へと姿を変えた。
静寂の世界。
あまりの変わりように驚く間も無く、聞こえたのは少女の声だった。
人の気配?
馬鹿な、ここは勇者の心像世界。本人、術者である自分以外は存在できない領域のはず。
『ううーん』
だが、その思考を否定するように、新たに声が聞こえた。その声は間違いなく勇者のものだ。だが、何かが違う。
「誰だ!?」
『ふふっ』
「!?」
振り向くと、そこにはいつの間にかベッドがあった。声は天蓋付きのベッドから聞こえてきた。ベッドは薄い生地のカーテンで覆われており、まるで王族が使用するような、美しく高級感のある素材が用いられていた。
誰かが、そのベッドのカーテン越しにいた。姿はカーテンに隠れて見えない。だが、その誰かがカーテンごしに薄く微笑んだのが分かった。
――誰だ?
手が、震えているのが分かった。
――誰なんだ?
そして、カーテンが開かれた。
『お は よ う』
瞬間、視界が暗黒に染まった。
「ハァッハァッハァッ……!」
地面にポタポタ、と汗が滝のように滴り落ちた。不規則に肺が収縮し、空気を求めて喘いでいた。眼前では勇者が剣を振りかぶったまま停止していた。
間違いない、現実へ帰還したのだ。
「っ――」
堪らず片膝をついた。
服が汗を吸って濡れたような気色の悪い感触だったが、今のイルゾーストの心は安堵で一杯だった。
『心界掌握』による心像世界での滞在時間は現実世界では一瞬にも満たず、肉体の安全は担保されている。しかし、心像世界で自身に起きたことは現実世界に戻った後にも精神に影響を与えるという欠点があり、最悪廃人になりかねない危険な魔法でもあった。
「うっ――」
胃の中身が逆流し、吐瀉物となって地面へ飛び散った。
震えが止まらない。
声。
声を聞くだけで分かる圧倒的な
目の前の勇者を見る。勇者は魔法の影響により、剣を振りかぶったまま動けずにいた。しばらくは動けないはずだ。
今ならば……
青い宝玉を掲げる。宝珠は空中に浮かび、青黒く発光した。
『封印の宝玉』
第七柱が開発し、先代勇者アンナの封印に使用された宝玉。希少素材が必要で量産できないことが弱点だが、封印の効力は先代勇者で実証済みだ。
「終わりだ」
「させない!」
「なっ……!?」
白い影が視界の端に映った。白い外套を羽織った亜麻色の髪の少年だった。乱入者が剣で宝珠に切りかかった。
――ピシリ
わずかに宝玉が欠け、そこから魔力が漏れ出す。非力な一撃。しかし、繊細な術式が編みこまれた宝玉にはそれだけでも致命的だった。そこから宝玉は、一瞬大きく明滅すると、次の瞬間には爆発するように飛び散ってしまった。
「クソッ!」
「女神の聖炎」
白い炎が身を焼き焦がす。
皮膚が溶け、剥き出しになった神経を炎が焼いた。
思わず悲鳴をあげてその場を離れるが、右腕は焼け焦げてしばらくは使い物にならないだろう。
「スネイル!お前、僕の心操魔法が解けて……」
「ああ、そうだ。よくも俺たちを操ってくれたな」
緑髪の神官は、疲労しているもののどこか吹っ切れたような表情をしていた。口ぶりからして、幻影魔法の種も割れている。負の感情を暴走させる心操魔法の効力はあまり期待できないだろう。何より、そんな隙が今はない。
「今は退いてやる!」
「待て!クソッ、霧の幻影か」
霧が周囲を覆い、スネイルたちの間に壁のように立ち塞がった。平行感覚を惑わせるこの霧の幻影であれば、しばらくの間は時が稼げるはずだ。
こんな美しくもない霧の幻影魔法を使うなど美学に反するが、今は体勢を整えなければ……!
魔力で強化した脚で遠くへと移動しながら考える。
どうする、どうする?
ここに来てから想定外の連続だった。勇者に魔法は効かず、魔物はほとんど使い果たし、
何か手を、使える駒はいないのか?
高度な幻影魔法に頼らずとも心に隙があり、なおかつ戦力になる、そんな駒は?
そこまで考えて脚が止まる。
我ながら、自分はとんだマヌケだった。
いるじゃないか。とっておきの奴が……!
「ルナ、ルナ!しっかりして!」
誰かが身体を揺らしてくる。
どこか懐かしく感じる声だった。
「どきな!女神の祝福」
おばあさんが手をかざし、そこから溢れた光が私の体を包み込んだ。
気持ちいい。意識がだんだんはっきりしてきた。
「う、ん……?うぃる?」
「ルナ……!良かった」
「ちょっ!?」
強い力で抱きしめられた。思ったよりも強い腕の力に振り解けない。ウィルの吐息や体温を肌で感じた。それだけだというのに、何故だか全身が熱くなった。
「イチャつくならあとにしろ」
「い、イチャついてなんて……!」
「あっ……ご、ごめん!」
スネイルさんが呆れたように顔をしかめていた。
……スネイルさん?
スネイルさんは宮殿で会った時とは印象も言葉遣いも全く違った。まるで、何かが吹っ切れたような――
「スネイルさんがどうしてここにいるの?」
ウィルの表情が少しだけ曇った。言葉を選んでいるウィルをスネイルさんが制した。
「いい、ここは俺が話す。今回の事件の原因は――」
「――なるほど。そういうことだったんだね」
「ああ、そうだ」
スネイルさんは後悔を顔に滲ませながらそう言った。
正直、問い詰めたいことは山ほどあったが、今はそんな暇はなかった。
「なら、早く追わないと」
「俺を責めないのか?」
「……責めないよ。責めてる時間もないしね」
立ちあがろうとして足元がぐらついた。奴の魔法も無傷とはいかなかったみたいだ。
クソッ、早く奴を追わないといけないのに。
「待ってルナ。焦りは禁物だよ」
「どいてウィル。奴が動揺している今がチャンスなんだ。ゆっくり休んでれば最悪逃げられるかもしれない」
「逃げたければ逃せば良い」
「えっ?」
「そうすればひとまずこの国の人達にこれ以上の危害が及ぶことはなくなる。それなら、僕たちの勝ちだ」
ウィルが優しく諭してくる。
「それよりも危険なのは、準備が不十分なまま敵に挑むことだよ。スネイルさん、奴らの戦力はどの程度残っていそうですか?」
「はっきりとは言えないがほとんど残ってねぇだろうな。イルゾースト達七魔はそれぞれが一騎当千と言ってもいいほどの強力な魔族だが、その強すぎる力が増大しないように大規模な私兵の所有は禁じられている。となると、残りの戦力は魔物ぐらいだろうが、こっちもバイゼルが死んで魔物の供給には限りがあるし、イルゾーストだって一度に支配できる魔物には限りがある。残りの魔物は決して多くは無いはずだ」
スネイルさんが切り裂かれた多くの魔物の死体を見て言った。
「ありがとうございます。ローザさん、イルゾーストの魔法の攻略方法はありませんか?」
「ああいう魔法は初見の敵には強力な反面、種が割れてしまえば一気に効き目が薄くなるもんさ。幻影に揺らがぬように心を強く保つ、互いに声を掛け合う。単純だが、これが一番だろうね」
「聖都の軍隊に協力を求めたほうが良いですか?」
「いや、今から向こうに言って説明するにはそれこそ時間が足りないし、肝心の市民の守りも手薄になっちまう。今いるアタシ達だけで戦った方が良いだろうさ」
「分かりました。ありがとうございます。ルナ」
「えっ、あ、うん……」
ウィルの雰囲気が攫われる前と全く違う。
これまでは少し大人びてはいるものの、年相応のどこか頼りない少年といった感じだった。それが少し見ないうちに、静かだけど覚悟が決まった大人の表情になっていた。その差にどうしても戸惑って思考が追いつかない。
本当にウィルなの?
「一緒に戦おう」
「……うん」
手を引かれて立ち上がる。
戦いも終わりが近い。
「皆様、ご機嫌麗しく存じます」
聖都の大広場。この国で一番大きな女神像が祀られ、信徒達が祈りを捧げている場所。その地下にはこの世を憂いて即身仏となり、死後も祈りを捧げているアネストが安置されているという。
アネストの開闢から現代まで民を見守ってきた女神像は上半身が真っ二つに断たれておりもはや見る影もない。その中心に、イルゾーストはいた。彼は僕たちを見つけると、大仰に挨拶した。それはさながら、噂に聞く旅芸人一座の団長の挨拶のようで。
「何か来るよ」
「うん」
剣を構え直す。
イルゾーストからは先程まであった狼狽えた態度がまるで見えない。何か策があるのは間違いなかった。
「こういう時は、先手を叩く雷鳴剣!」
「「女神の聖炎」」」
雷と炎がイルゾーストを光と熱で覆い尽くした。遠距離の攻撃手段を持たない僕は爆風に吹き飛ばされないように耐えながら、イルゾーストから目を離さないようにするだけで精一杯だった。
僕は目を瞑らなかった、見逃さなかった。だからこそ、目の前に映った光景が信じられなかった。
「女神の盾」
雷が、炎が、たった一枚の光の盾で遮断された。
役割を終え光の礫となって砕け散る。
その礫の中を一人の女性がゆっくりと歩んでいた。
黒色の髪、少しだけ痩けた頬、ボロボろの服。大人しそうな顔立ちで、スネイルさんと同じ歳くらいの少女と言っても良い年齢だ。
けれども、その身に纏う雰囲気は只者ではない。
「アン、ナ」
「……」
少女――先代勇者アンナは、生気のない瞳で僕らを見つめていた。
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