峯田信明2

 周囲の目がおかしい。


 そう感じ始めたのは数日前からだった。


 会社の人間だけではなく、近所の人間までもが俺を見て何かコソコソ言い、近くを通るとピタッと話をやめる。


 最初は気のせいかと思った。


 だけどこうも連日続けば嫌でも分かる。


 嫌な視線を感じながらも、黙々と仕事をしていると、いつものように小埜田満智子が近づいてきた。


「あー、嫌だ。同じ職場内に殺人犯かもしれない人がいるなんて」


 俺を見ながらそう言い、あからさまに顔をしかめている。


「まさかロリコンの変質者だったなんて……まぁ、見た目からしてそんな感じはするけど」


 顔を上げて小埜田満智子を睨むと、芝居がかったように怯えた素振りを見せる。


「ヤダ、怖い怖い。犯罪者ってこうやって普通の人に紛れるものなのねー。……いなくなればいいのに」


 言われていた言葉の意味が分からなかったが、小埜田満智子は俺をロリコンの変質者で殺人犯だと言った。


 もしかして、あの新聞記者が面白おかしく適当な記事を書いたのだろうか?


 昼休み、俺は人目を避けるように工場を出て、工場裏にあるもう使われていない駐車場に来ていた。


 まだ工場が栄えていて雇用人数も多かった頃にはこの駐車場も満杯になるほどの社員がいたようだが、今では大手の下請けの下請けくらいの位置にまで落ちぶれているため、全盛期の半分ほどの社員しかおらず、この駐車場も使われることがなくなり、アスファルトを突き破って伸びてきた草で荒れ放題になっている。


 久々にスマホを開いてあの事件の情報を辿った。


 事件の凄惨さを語るものや、被害者少女の情報、過去のいじめなどが取り上げられているばかりで、容疑者についての情報はない。


 ネットの掲示板では、第一発見者の女子高生と実際に遺体を発見した教師の情報がポツポツと飛び交っていた。


 人が一人亡くなっているというのに、掲示板は興味本位で無責任な書き込みが乱立しており、不愉快になるものが多かった。


 こんなもんは見るもんじゃない。


 昼休みが終わり、午後からの仕事をこなしていると、突然社長が顔を出してきた。


「峯田くん、ちょっと」


 二階にある小さな事務スペースに呼びつけられた俺は、社長の口からとんでもない話を聞くことになった。


「峯田くん、申し訳ないけど、今日付けで辞めてもらえる?」


「……私が何かしましたか?」


 突然の解雇宣告にそう尋ねると、社長はふんずり返ってでっぷりとした腹を更に強調させながら口を開いた。


「君さ、自分が町内でなんて言われてるか知らない? 公園で子供達を物色している変質者って言われてるんだよ?」


「なっ?! 何ですか、それ! そんなことしてませんよ!」


「まぁ、してたとしても認めるわけないよね」


 髪が随分と後退してテカッたハゲヅラに下品な笑みを浮かべながらこちらを見る社長の顔は不愉快極まりない。


「何にせよさ、工場の評判を下げるような噂が出てる社員を置いとくわけにはいかないんだよね。聞くところによると、君、勤務態度もよくなくて、ミスばかり出してるそうじゃないか。小埜田くんが嘆いてたよ」


 この突然の解雇宣告の裏には小埜田満智子がいるようだ。


 六十に手が届くこんなデブオヤジと愛人契約を結んでいる小埜田満智子。


 二十近く年の差があり、羽振りがいいため「金目当て」と言われているが、あながち間違っていないだろう。


 妻子がある身でありながら社内に愛人まで囲っているこの男がハッキリいって嫌いだった。


「とにかくさ、もう帰っていいから」


 そう言われ、追い出されるように工場から出された俺は、その足で町内にある古びた弁護士事務所を尋ねていた。


 即日解雇を突き付けられたことを話すと、弁護士『菊田きくた 文夫ふみお』は「しっかり取る物取ってやりましょう!」とやる気を見せた。


 三十代半ばといった感じの男で、ネイビーのスーツに真っ赤なネクタイという、少しチグハグなコーディネートをした、だけどやる気だけは感じられる人物だった。


 話の流れで自分の身に起きているいわれのない噂話の話をしたところ、興味深そうに話を聞いてくれた。


 とりあえず今は、会社に俺の正当な権利を主張し、もらえるものは徹底的にもらってやるつもりでいる。


 後のことはその後考えても遅くはないはずだ。


 弁護士事務所から真っ直ぐ家に帰ると、アパートの部屋の前に見慣れぬ男が二人立っていた。


「峯田信明さん?」


 無精髭のやたら目付きだけが鋭い中年の男が声をかけてきた。


「はい……誰ですか?」


「あぁ、私、中崎警察署刑事課の恩田と申します」


「あ、自分は真崎です」


 二人が揃って警察手帳を開いて見せてきた。


 そんな光景はテレビドラマの中でしか見たことがなかったため、正直面食らったが、こいつらが俺を訪ねてきた理由はあの噂だろうと思うと怒りが込み上げてきた。


「あんたらも俺をロリコンの変質者で、人を殺しかねないと思ってるんですか?」


 そう言うと、恩田という刑事が困ったような顔をした。


「我々は峯田さんを犯人だとは思っていませんよ。ただ、何件か通報が入って、そうなると我々も動かざるを得ないのでこうしてお話を聞きに来たまでです」


「ご苦労なことですね」


「お話をお聞かせ願えますか?」


「……まぁ、どうぞ、狭いところですけど、ここじゃ目立つので」


 そう言って部屋の鍵を開けて二人を部屋に招き入れた。


「何もないので、茶も出しませんよ」


「あぁ、結構ですよ、お構いなく」


 刑事とはもっと威圧的な存在かと思っていたが、恩田刑事は目付きが鋭いだけで物腰は穏やかだ。


 真崎という刑事の方は顔つきは優しげなのに、人を不躾に見るような嫌な視線を飛ばしてくる。


「中崎西高で起きた事件はご存知ですよね?」


「知ってますよ……」


「事件のことは、いつ?」


「事件が起きた翌日に、新聞記者を名乗るやつに話を聞かれて知りました」


「それ以前に被害者少女とは面識はありましたか?」


「ないですね、あの事件の後に知ったくらいですから」


「事件発覚の前日、峯田さんはどこで何を?」


「アリバイってやつですか? 残念ながら仕事をして家に帰ってきてからのアリバイは誰も証明してくれませんから、ないってことになりますよね」


 疑うなら勝手に疑えばいいと思った。


 疑われたところで俺は無実だし、身の潔白を証明する手立てはないが、それ以上に犯人だという証拠も出てくるはずがない。


 それに、警察だって馬鹿じゃない。何も下調べもなく俺のところを訪ねてくるはずがない。


 きっと、俺の経歴だとか家庭事情なんかはとっくに知られているだろう。


「ところで、ダウンジャケットはお持ちですか?」


 急に変なことを聞き始めた恩田刑事。


「ダウンジャケット? 持ってません」


「服を見せてもらっても?」


「構いませんが」


 畳の敷かれた和風のアパートには似つかわしくない備え付けの小さいクローゼットを開けて見せる。


 元々は国内一寒いと言われる地域に住んでいて、この辺りの冬を寒いと感じないため、それほど厚くないベンチコート一着しかコートと呼べる物は持っていない。


「赤茶色のダウンジャケットを着ている人物に心当たりはありますか?」


 おかしな質問だ。


「赤茶色のダウンジャケット……」


 心当たりはないと答えるつもりだったが、俺の記憶にぼんやりと赤茶色のダウンジャケットを着た男の姿が浮かんできた。

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