長野由貴1

 学校で事件が起きた。


 クラスメイトはザワついていたけど、私にはどうでもよかった。


 いつもより早く帰れる。そのことだけが少し嬉しかった。


 家に帰ると母親にあれこれ聞かれたけど、何も知らないので答えようがない。


「何も知らないの?」


「知らないよ、何も言われてないし」


「そう」


 ワイドショー好きの母は残念そうにしていたけど、事件が起きたことで好奇心をむき出しにする人が親だなんてちょっと恥ずかしい。


「ねぇ、外でもそんなことしないでよ?」


「そんなことって何よ?」


「今みたいなこと」


 そう言うと母は少しだけバツが悪そうな顔をしたけど、多分私が言ったところであの人の好奇心は消えないだろう。


 部屋でゴロゴロしながらまりにメッセージを送った。


『体調どう? 学校で事件が起きたみたいだよ』


 まり、秋山まりは高校に入ってから仲良くなった子だ。


 他県から来た子で、絶対訳ありだと周りの子達は最初興味津々だったけど、まりは多くを語らなかった。


 そのうちみんなもまりに興味を示さなくなり、一人で過ごす姿をよく見かけていた。それだけだった。


 だけど、まりがバイトをしているコンビニにたまたま立ち寄って、少しずつ話をするようになり、いつの間にか仲良くなっていた。


 まりは口数が少ないけど、優しくていい子で、絶対に人の悪口を言わない。


 それだけで私にとっては信用に値する存在で、昔からの親友のように感じるようになるのに時間はかからなかった。


 そのうちまりからうちの学校に入学した経緯を聞かされ、腕に残る痛々しい傷跡も見せてもらった。


 死にたいと思うほど苦しめられた経験なんて私にはない。


 だからその痛みがどれ程のものかも正直分からない。


 だけど、まりの腕に残る傷跡があまりにも生々しく、こんなになるまで苦しんでいたのだということは痛いほど感じ、まりの腕を触りながら泣いてしまった。


「なんで由貴ゆきが泣くのよ」


 困ったように笑いながら、まりはそう言っていた。


 そんなまりが先月から体調を崩して学校を休み始めた。


『大丈夫?』


 そんな問いかけにいつも


『大丈夫だよ。ごめんね、心配かけて』


 と返事をくれるまり。


『お見舞いに行こうか?』


『だるくて起きられないからいいよ』


 どこが悪いのか、何の病気なのかは言ってくれないけど、時々通話して聞く声はいつもの通り穏やかで、体調不良なんて感じさせないものだった。


 担任の落合先生にまりの体調不良の原因を聞いてみたことがあったけど、落合先生もまりから「だるくて起き上がれない」「頭が痛い」などの連絡しか受けていないようで分からなかった。


「あなた、秋山さんと仲がいいから知ってるのよね? 彼女がこの学校を選んだ経緯」


「はい……」


「そういう辛い経験をした子は、その時の記憶が蘇ることもあるんだと思うのよ。彼女が助けを求めてくるまで、見守っておきましょう」


 記憶がフラッシュバックすることをPTSDとかなんとかいうと聞いたことがある。


 トラウマが蘇ってくる現象のことらしい。


 怖かったこと、嫌だったこと、悲しかったこと、辛かったことが一気に蘇ってきて、その時に戻ったように苦しみが襲ってくるそうだ。


 まりは今、どんな気持ちでいるんだろう?


 私はまりのために何ができるんだろう?


 考えてみたけど何も浮かばず、まりに直接聞いてみた。


『由貴はそのままでいて』


 返ってきた答えはそれだった。


 だから私は、まりが望むようにいつも通りまりにメッセージを送り続けた。


 既読が1日付かなくて心配だったことが何度もあったけど、既読がつくとすぐに返事をしてきて、『大丈夫だよ』と伝えてくる。


 それだけでホッとして、でもまりがいない毎日は退屈で……。


「由貴! 由貴! ちょっと来て!」


 珍しく慌てた声の母に呼ばれてリビングに行くと、リビングのテレビにはうちの学校が映し出されていた。


「秋山まりちゃんって、由貴の友達よね?」


 どうして今その名前が出てきたのか。


「被害者は秋山まりさん、十七歳の高校二年生とみられ」


 テレビから知らない男性の声がして、まりの名前を告げている。


「何?」


「……事件の被害者、まりちゃんらしいわ」


 いつもなら好奇心丸出しになるだろう母の目は悲痛な色をたたえている。


「う、そ……」


 私は固まったようにテレビから視線が外せなくなった。


 絶対そんなわけがない。


 そう思うのに、テレビからは次々に悲惨な情報ばかりが聞こえてくる。


 どうしてまりが?!


 少なくともこっちにきてからのまりは誰かにいじめられたりはしていなかった。


 いじめられた経緯があるからなのか、まりは自己主張が苦手で、少しオドオドしていることがあったけど、私が常に一緒にいたし、話してみるといい子だとすぐに分かるから、クラスメイトも普通に接していた。


 勉強のできる子だったから、テスト近くになるとまりに勉強を教わりに行く子も多く、人気者とまではいかなくても、みんな受け入れていたし、仲良くしていた。


 だから、そんなまりが死んじゃうなんて絶対嘘だと思った。


 だけど、学校からの連絡が入り、明日は休校で、親だけが説明会として集められるという。


 テレビでは相変わらずレポーターの男性が事件のことを話していて、まりの名前がテレビの隅に表示されている。


『被害者』


 心が凍ってしまいそうだ。


 何でまりは死んだんだろう?


 本当に死んでしまったの?


 スマホを見るが、まりに送ったメッセージには既読がつかない。


『まり? 嘘だよね?』


 再度送ってみたメッセージにも、いつまで経っても既読はつかない。


「嘘だよ……違うから……」


 その後も何度もまりにメッセージを送ったけど、全然既読がつかない。


 テレビだけじゃなく、ネットニュースでもまりの名前が飛び交っていて、「現実を認めろ」と言われているようだ。


 まりほど気が合うと思った子は今までいなかった。


 たとえ高校を卒業した後、進路が別々になったとしたって、私達はずっと友達だと思っていた。


 まりは動物が好きで、将来は動物に携われる仕事に就きたいと言っていて、できればこの県で就職したいと話していた。


「まりがここに残るなら、私もここで仕事を探すよ」


 まりの家の事情から大学や専門学校に通うのは厳しいんじゃないかと聞いていて、高校を卒業したら就職しようと考えているのは知っていた。


 私は美容師になりたいとずっと思っていたので、その専門学校に通った後は都会に出るつもりでいたけど、まりがここに残るのなら私もそうすると二人で笑い合った。


 それなのに、なぜ……。


 自分の未来まで絶たれてしまったような絶望がジワジワと忍び寄ってくるような気がしていた。

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