秋山千歌2
最終の新幹線に乗り、まりの住む中崎市まで二時間半かけてやってきた。
田舎ではあるものの新幹線が発着する駅があり、愛田から直接行けるため交通の便はいい。
何度かきたことがあったため、迷うことなくまりのアパートまでやってきたのだけど、まりの部屋の前には警察官が立っていて、いつもとは様相が変わっていた。
「あの……まりの母です。部屋に入らせてもらえませんか?」
警察官に声をかける。
「秋山まりさんのお母さんですか? 申し訳ありませんが今はまだ部屋に通すことはできないんです。先に中崎警察署の方に行っていただけますか?」
私より若い警察官がこちらを労わるような優しい声でそう言うので、不満は消えなかったがそれに従うことにした。
警察署に到着すると、その前には何人ものカメラを抱えた人達がいて、出入口脇から何かを狙うように警察署の様子を伺っている。
そんな人達の視線を感じながら署内に入ると、ロビーとなっている場所には誰もおらず、昼間であれば人がいるのであろう受付にも人の姿はない。
時刻はとっくに0時を回っているため仕方がないのかもしれない。
入口から入って真正面には二階に続く階段があったが、そこを上がっていく気にもなれず、三人がけの緑色の長椅子に腰をかけた。
何故私はこんなところにいるのだろう?
ただまりの元気な姿を確認できればそれだけでいいのに、どうしてこんなところに?
ぼんやりとそんなことを考えていると、階段から人が降りてきた。
「どうされました?」
私に気づいて近づいてきたのは、スーツを着た無精ひげの男性で、その声には聞き覚えがあった。
「恩田さんですか?」
「はい、恩田です」
「秋山まりの母です。まりに会いに来たんですけど、アパートに入れてもらえなくて、こちらに行けと言われたのできました」
そう言うと恩田刑事は少しだけ驚いた顔をした。
「まりさんはまだ解剖が済んでいないので」
「解剖? まりの体を切り刻むって言うんですか? 生きたまま?」
「まりさんはお亡くなりになったんですよ?」
「そんなはずがないじゃないですか? あの子が死ぬなんて、そんな馬鹿な話があるわけがないんですよ」
言いながらも足元がグラグラしてくる感覚がして、視界が暗転した。
気がつくと私は知らない部屋で横になっていた。
頭がズキズキと痛み、全身が怠い。
「目が覚めましたか?」
随分と若い婦警さんが声をかけてきて、目の高さを合わせるようにしゃがんでくれた。
「何か飲みますか? といってもお茶かコーヒーしかありませんけど」
「お水を」
「分かりました。少し待っててくださいね」
そういうと婦警さんは部屋を出ていき、しばらくすると水の入った紙コップを手に戻ってきた。
喉が渇いていたのか、もらった水を一気に飲み干した。
「少しは落ち着きましたか?」
「はい……」
「秋山千歌さんですよね? 秋山まりさんのお母様の」
「はい、そうです」
「今から言うことをしっかりと聞いてください」
そう言うと婦警さんはよく通る綺麗な声で、まりの「死」を淡々と伝えてきた。
だけどやっぱり私の心はその言葉を理解しようとせず、ただまりに会いたかった。
まりは早産で生まれ、二ヶ月間も新生児用のICUから出られなかった。
日に一度、母乳を与えるためにその部屋を訪れ、小さなケースの中にいる我が子をケースの穴から手を入れて触るだけの日々。
最初はまりの命を繋ぐためにたくさんの管が繋がれていたけど、それが少しずつ取れていき、その度に嬉しくて泣いたものだった。
初めてまりを抱くことができたのは生後一ヶ月後で、あまりの軽さに申し訳なさでまた泣いてしまった。
「まりちゃんが頑張ってるのに、お母さんが泣いてどうするの?」
看護師さんの言葉にハッとした。
まりのために強くならなければ。
それから私は泣かなくなった。
まりは生後三ヶ月目でやっと私の元へと戻ってきて、それからはずっと一緒にいた。
夫は元々結婚願望がない人で、私が妊娠したことで仕方なく結婚したため、私にもまりにも関心が薄く、あまり家にも寄り付かなかった。
私は初めての育児でてんてこまいで夫にまで気が回らず、気づいた時には夫婦の間には深い溝ができていた。
「離婚してくれ」
そう言い出したのは夫の方で、結婚して六年目、まりが五歳の時だった。
「親権も養育権もいらない。養育費と慰謝料は払う」
「……女?」
「そんなのはいない。ただ、家族である意味がないと思っただけだ」
その言葉に深く傷ついた。
確かに夫婦の間に溝があることを感じていたけど、私はなるべく夫に寄り添えないかと考えて行動していた。
だけど何をしても夫は面倒くさそうな顔をするだけで、まりに関しても自分の子だという自覚も薄く、抱いてやることも頭を撫でてやることもしなかった。
そんな人でもまりにとっては父親で、私達は家族だったはずなのに、それを「意味がない」と言われたのだ。
その時、実に五年ぶりに私は泣いた。
私の涙を見て夫はギョッとした顔をしていたが、ただそれだけだった。
離婚して三年の間はきちんと養育費が支払われていたのだが、ある日からぱったりと途絶えてしまい、私は久しぶりに元夫に会うことになった。
しばらくぶりに会った元夫は、私といた頃より太っていた。
「養育費、ちゃんと支払ってくれないと困るんだけど」
「その件なんだけど、もう三年も支払ったんだから十分だろ?」
何をもってして十分だと言っているのか理解ができなかったが、追求し続けた結果、元夫が再婚したのだと知った。
しかもその相手のお腹には子供がいて、双子なのだとか。
それをデレデレとした嬉しそうな顔で話す元夫の姿に心が凍りつきそうだった。
「愛してない子供だとしても、まりはあなたの子供であることは変わりがないのよ」
「……すまん」
「その人は知ってるの? まりの存在」
「……いや」
「最低ね。このまま養育費が支払われないようなら、裁判を起こすわよ? それで新しい奥さんが他に子供がいる事実を知ったらどうなるのかしらね?」
我ながら最低だと思いながらも、言葉は止まらなかった。
結局彼は新しい奥さんのことを考え、養育費を払い続けることを約束してくれた。
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