町田雄太1
その日もいつもと変わらない日常が過ぎていくはずだった。
『市立中崎西高等学校』
この高校に赴任してきて三年。
去年までは受け持ちのクラスがあったが、今年はそれもなく、それまでより多少のゆとりもでき、大きな問題を起こす生徒もおらず、面倒なことはあるもののある程度の平和の中で過ごしていた。
三年二組の三時間目の授業中、いつもなら真面目に授業を聞いている横山真希が、ずっと外を見ていることに気がついた。
声をかけてみてもこちらを見ることもなく、何とも言えない表情でジッと何かを見ている。
『何がそんなに気になるんだ?』
そのことが気になり、横山の席までいき、再び声をかけた。
「あれ、何ですかね?」
こちらを見向きもしないまま、横山は校庭の右側を指さしている。
「どれだ?」
「あの、プールに浮いている丸い物です」
言われた先を見ると、確かに何かが浮いている。
俺達の会話を拾った窓際の生徒達も一斉にプールを見て、ザワザワと騒ぎ始めた。
「ボール?」
「にしては変じゃない?」
「ねえ、あれって、人なんじゃ?」
そんな声が教室中をさらにザワつかせる。
人なはずがないと思って目を凝らす。
ボールにしては何とも不自然に感じるそれは、一切揺れることもなくそこに存在している。
全体的に黒いのだが、水面に近い部分の一部だけ白いのが分かる。
ただ、この教室からは距離が離れているためはっきりと確認することは難しい。
人ではないかという言葉を否定してみたものの、なぜだか嫌な胸のざわめきが広がっていく。
『もしもあれが人なら、プールから近い教室の生徒が気づかないはずがない。騒ぎが起きていないってことはそういうことだ』
そう自分に言い聞かせてみたものの、一度気になりだしたら自分の中の「知りたい」という欲望は簡単には消えてくれない。
既に生徒の大半が窓際に寄ってきていて、プールを見てはあれこれ憶測し始めている。
「先生、見てきてよ」
その言葉に背中を押されるように、俺は生徒に大人しくしているように告げると、あれを確認すべく職員室へと向かった。
職員室には数名の教師がいるだけでガラーンとしている。
「町田先生? 何かありましたか?」
教頭の飯田信夫が声をかけてきた。
「プールの鍵を貸していただけますか? 確認したいことがありまして」
「町田先生は今授業中のはずですよね? 授業とは無関係のプールに、何を確認しにいこうというんですか?! ただでさえ我が校の学力レベルが落ちているというのに」
刺々しい言い方でそう言ってくる飯田。
俺はこの男が嫌いである。
白髪が満遍なく混ざりあった灰色に見える髪に、度の強い分厚いレンズの黒縁メガネ、いつだって灰色のスーツを着ている飯田は、若い女性教諭には甘いのだが、そうではない者には棘のある言い方ばかりする男だ。
本人は校長になることを願っているようだが、もう八年もこの学校で教頭をしている。
その間に校長は二人変わっているようだが、飯田にその座が回ってくることはないため、俺と共に着任した新しい校長のことが気に入らないのだと他の教諭に教えてもらった。
だが嫌いだろうが教頭は教頭。俺よりも立場は上である。
「申し訳ありません。確認が済み次第すぐに授業に戻りますので」
「授業をほっぽり出してまで一体何を確認しにいくんですか? そんなことより授業の方が大事でしょう!」
確かにその通りなのだが、もしもあれが生徒達が言うように人の頭だとしたら、授業どころの話ではない。
いじめなどの問題で誰かに指示されてプールに入らされているのだとしたら、すぐにでも助け出さなければならないだろう、生きているのだとしたら。
「プールに、人の頭のような物が浮いているんです」
俺の言葉に飯田は一瞬目を見開いたが、すぐに表情が戻り、何を馬鹿なことを言っているんだと声を荒らげた。
「そんなことがあるはずがないでしょう! さっさと教室に戻って授業を再開させてください!」
「しかし、もしも本当に人の頭だとしたら、大変なことになりますよ?」
「そんな馬鹿な話があるわけないでしょう!」
「それを確認しにいくんです。そうではないのだと確認できれば安心ですし」
「そんな荒唐無稽な話が容認できると思ってるんですか?!」
鍵を勝手に持ち出すことはできるが、飯田がこの調子ではそうもいかない。
俺の話をはなから信用していない飯田。
ならば……。
「もしあれが人の頭だとしたら、我が校の、ひいては中井校長の重大な責任問題に発展すると思います」
その言葉に飯田は面白いように反応した。
本当にそうだとしたら、校長はその対応に追われながらも、責任を多方面から追求されることになる。
下手をしたら任期半ばにしてその座を追われることにもなりかねない。
問題の起きた学校になど誰も赴任したがらない。
いじめ問題などで校長が替わる場合、教頭が繰り上げで校長の座に就くことも多々ある話だ。
その可能性を匂わせる発言をしたら、それまでとの態度を変えた飯田は、自分も確認しにいくと言うとプールの鍵を持ち、率先して歩き出した。
飯田としてはプールに入り込んだ生徒がいるという程度の認識なのだろうが、あの状態でプールに入っている人間が無事であるはずがない。
もしも誰かの死を利用してまで校長になりたいのだとしたら、俺は心底こいつを軽蔑するだろう。
そんなことを考えながら、灰色のスーツを追いかけた。
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