日没前

「転校生が一番強いみたいだな。稀に見ない能力者だ、よくここに連れてきた」

「はあ。では今年は彼女ということでよろしいでしょうか」

「うむ、庭鳥一彦の次に力を感じるな」

「はあ……」


校長室の椅子にふんぞり返って、人の形をした精霊は満足気に口元を引き結ぶ。当の校長はその向かいにしおらしく立っていた。現在の和来高校の校長である原田吉政は、齢六十の体にしては弱弱しく、細い体躯をさらに猫背にして小さくなっていた。傍から見れば人の形をした紛い者がこの学校の統率者に相応しく映ることだろう。椅子に座っていた精霊は居心地を散々楽しんだ後に、瞳から輝きが消えて元のコウモリのような姿へと変化した。ガラスのように向こう側の壁が透過して見え、羽をパタパタと動かすことで辛うじてそこにいることを視認することができた。しかしその動きも天久陽菜乃や越谷康之のような強い霊能者でないと精霊の姿は視認できない。原田もまた、家系を継ぐ弱小の霊視者――ライアだった。この精霊は現旧校舎を設立した当時からずっと居座っているが衰えという概念はなく、本日も元気に学校の周りをぐるぐると偵察しているのだった。最近は怪奇調査同好会が余計な活動をしているらしいが、精霊曰く、小さなハエが少し離れたところで頑張って動き回っているところに水を差す必要はないという。少し気だるげにそう喋った。


「それに、どうせ何しても水の泡だ。彼らが何かを知ることでボクらが不利益を被ることはないからね。ま、なにか拡散するような真似が合ったらいつもみたいに少しだけ協力はしてあげるよ」

「その条件のおかげでこの学校は成り立っていますからね。感謝はしています」

「うむ」


本日は十月の十一日。レッドムーンまで、あと一ヶ月を迎えていた。





陽菜乃たちは、現代の文明で重要そうな証拠を撮影した後で資料室を後にした。主に生贄にされた生徒の名簿を古い順から確認していったが、毎年必ず誰かしらが精霊に捧げられていた。一番古い年には古谷千景という小柄な男子生徒が犠牲になっていて、その名前と顔写真を見た時に妙な既視感を覚えた。なんとなく見覚えのあるような感覚は陽菜乃だけではなかったらしく、みんなも同じように既視感を感じていた。また、校長の苗字が変わってからも霊能力をもつ人間がこの学校に関わっており、精霊との会話によって、学校と隣接する森を介して自然のエネルギーを保っているといった記録が残っていた。

悶々とした思いを抱えながら同好会の教室へ入る。嫌な歴史を垣間見て心が沈んだところで、前に見た旧同好会のシーンが脳内でちらついた。越谷も同じことを考えていたらしく、いつもの席に着くなり先が思い遣られると椅子の背もたれに背中を預けた。飲み物を取り出しながら帆夏は躊躇いがちに言った。


「これをの?一応ざっくりと打ち合わせみたいなメモは見たけど、介入なんてできる隙あるわけないじゃない」

「この慣習がなくなればいいんだよね。今公立だし県とかに適当言って校長を全くの無関係な人に変えてもらえばいいんじゃない?」

「そうか。あの資料室によると関係者は校長だけだから、今後も縁のある人間が入ってこなくなればただの学校に戻れる訳だ」


藤森の意見に越谷が同調する。しかしこの辺りの学校で一番古いのがこの学校であり、公立になった今でも私立のように同族経営を続けてこられたのはそれだけ権力があることを意味している。陽菜乃はふと思いついたことを歯切り悪く口にした。


「校長を、代わりにする、とか……」

「ん?天久何か言ったか?」

「物騒で申し訳ないんですが、校長がいなくなればいいのでは、と」

「なにそれ、殺しをするって言うの?陽菜乃ちゃん倫理観大丈夫?」

「じゃなくて、来月のレッドムーンで生贄とするんです。そうすれば不審死になるし今年の生贄で私の代わりに他に生徒が亡くなることもない」

「だからって、そんなこと……」

「罪にならないからいいって訳じゃないだろ。家族だって悲しむぞ」


陽菜乃の意見に帆夏と間芝が反論した。否定的な意見に口を噤む。しかしその家族を辿れば初代校長が精霊との契約を守らなかったことが発端である。

静かになってしまった教室に越谷はゆっくりと顔を上げた。


「しかし、毎年一人は精霊の都合で命を奪われてしまう。来月十一日までに解決できなければ天久の言うやり方が手っ取り早いだろう」

「そんなっ」

「俺嫌っすよ!」

「学校を守るためだ。それとも他に良い案があるか?」


あえて冷たい言い方をする越谷に唇を噛む。じゃあ藤森のやり方ではだめだというのかと反論すると、本人が生きている限りはわがままし放題であると端的に説明された。跡継ぎの話も上がったため、次代の息子や娘がどうしているかは別件で調査することになった。もうすでに校長に上がれるだけの条件がそろっていればそちらも早めに手を打たなければならない。


「告発とか!こっちで証拠持ってるし、これ全部出せば」

「それはダメです。あの場所はおそらく精霊も関係者だから、もう既にバレていると思った方がいい。私たちが危なくなります」

「まじかよ……本当に打つ手なしじゃん」

「あの場所知ってる人間は他にいるんじゃない?ほら、図書室の隣にもそれっぽい本あったしさ。管理する人間いるかもよ?」

「何人かは息がかかってるんじゃないか。通名で勤務している縁のある人間とか」

「えーそんな疑うの?疲れる~」


帆夏は文句を垂れて陽菜乃に肩を預けた。頭がごちゃごちゃだと言ってくっついてくる彼女に呆れ果てながらも陽菜乃は仕方なくされるがままになっていた。話し合いが停滞したところで、また明後日に活動することを確認して解散となった。

みんなが階段を下りていく途中で、陽菜乃は二階の踊り場から見える窓に釘付けになった。いつだったか、この窓から夜とレッドムーンを見ていたような記憶が掘り起こされる。どうしてこんな低い位置から月が見えるのかと疑問に思っていた感情が再度想起された。


「見え方……角度?」


「天久さーん、校門まで走って最下位の人がコンビニでなんか奢るって!急いで!」

「ええっ、待ってください!」


間芝の声に陽菜乃は急いで階段を駆け下りていった。二階の踊り場の窓から、小さな笑い声が廊下に響き渡った。誰もいなくなった二階で、寂しそうに顔をしかめる小さな背丈は廊下の窓から昇降口を見下ろしていた。



結局、門までの徒競走は越谷が最下位になった。みんなでコンビニへ入りそれぞれ好きなスイーツやアイスを頼んで越谷に押し付けた。一人だけ体育祭にも出ず体力がなかったため割と出来レースではあったものの、越谷は不服そうにレジ袋を持って四人の前に差し出した。


「越谷さんも体育祭出ればよかったじゃないっすか」

「恥をかくのは嫌なんだ。それに暑いのは苦手だ」

「ふーん、もしかして三年間出なかったの?」

「いや、一年の時は出た。それでも卓球で一勝もできずに敗退したがな」

「いいじゃん、勝負事なんだから負ける人は必ずいるよ!大丈夫だよ!」

「帆夏さん、フォローになってないです」

「山本はテニスで三位だろう?俺の気持ちは分からんだろうな」


越谷は軽く受け流したつもりなのだろうが、少し劣等感がにじんでいるような言い方をしていた。陽菜乃は強気なフリをする越谷の顔を窺った。普段から剛健な言動をする彼の裏が見えた気がして、ほんの少し距離が縮まったような気がした。フォローしようか迷って、拳をぎゅっと握った。横から藤森に陽菜乃が保健室でサボっていたことを告げられて、自業自得だと目を瞑った。




試験期間とはいえレッドムーンが近づいていることもあり、怪奇調査同好会は変わらず旧校舎の教室で集まっていた。少しずつ暑さも引いてきたため旧校舎も快適になりつつあった。越谷は眼鏡を上げて意見の割れた先日の要点を整理した。来月十一日までに打てる手はなし、レッドムーンの生贄対象にどうにかして校長を巻き込んで慣習を根絶させ関係者を学校に入れないこと、そして今年の生贄の範囲拡大を避けることを改めて確認した。そして、具体的な案をどうするかが本日の議題だった。


「ストレートに巻き込むなら捕まえておけばいいが、それだけでは心許ないな」

「あの、校長だけを勘違いさせるのはできるかもしれないです」

「ほう、聞こうか」

「月……月と方角を一瞬だけ騙すんです。一時的に見え方を変えて違和感をなくす。校長は精霊よりも力関係は低いから、精霊と同じ位置にはいないはず。認知機能にだけ干渉してこっちに寄ってもらって、タイミングよく巻き込むんです」

「そんなことできるの?」


藤森の疑問に首肯する。陽菜乃は右手を握ってみんなの前に出した。右手を校長の体、左手を御子として手振りつきで説明をした。


「一つだけ方法が。昨日御子に確認したのですが、長時間器に潜らなければ基本御子の存在は精霊にはバレないと。だから校長が動く自然なタイミングで器のない状態の御子が校長に乗り移り、その状態で視覚情報と方角を書き換える。どの位置で儀式をするのかはわかりませんが、柔軟に学校の見え方を変えて席を外す校長の移動する角度を調整すれば、こっちに来させることができます。あとは術式とか儀式のタイミングに寄りますけど」


「ほう、じゃあ御子の采配次第で巻き込みは可能なわけだ」

「なんかすげえ。外から見たら催眠みたいな感じか」

「えっでもさあ、陽菜乃ちゃんの身の危険には変わらないんだよね。それは?」

「多分私動けないと思います、その時。どのみち私個人で何とかするのは不可能なので」


儀式のやり方としては式陣の上に生贄を乗せてあとは精霊に任せるとしか書かれていなかった。そのため、その時点で逃げ場はないと考えるのが自然だった。眠らされることもあって基本的に動きは封じられるだろうし、分からなくても自分が反対の立場ならきっとそうするだろうと思った。最初は怖いと思っていたが、冷静に脳内でシミュレーションを思考するほど客観的に物事が見えていくようだった。焦る帆夏を窘めて落ち着かせる。死にはしないと口では言うけれど、不安がないとは言い切れない。それでも仕方がないし亡くなってしまった人の願いや祈りを無下にはできない。陽菜乃はそっと帆夏の手を包み込む。


「私はきっと大丈夫です。だから応援しててください。それで充分です」





授業中、ノートにシャーペンを滑らせる音がした。睡眠中だった陽菜乃は夢かと思ってその音の距離感にしばらく気付かなかった。すぐ傍できゅるきゅると鳴る音に意識が戻る。先生に指されたわけでもなかったため睡眠に戻ろうとしたが、ノートに書かれた大きな文字に声が出そうになった。ノートを隠すように寝ていたはずなのに、自分のではない筆跡で『次はおまえだ』と書かれていた。毎回こんな感じで告知されているのだろうか。殺人予告みたいで面白いがどうやってノートに書いたのかが不明でさすがに気味が悪かった。よく見たらボールペンで書かれていて、筆箱から出た一本のボールペンが壊れてインクが机に漏れていた。


「うわ最悪……これはいじめじゃん」

「なにが?どうしたの?」

「あっ、こっちの話!なんでもない」


前の席の男子生徒に小声が聞こえたらしく急に後ろを振り返ってきた。咄嗟に両手で机を隠してしまって、かえって変に思われたかもしれない。首を傾げながら授業に戻る男子生徒の背を見て深いため息をついた。



理科室で実験の解説を聞いている途中で、遠くから蛙がゲコゲコと鳴く音が聞こえてきた。きっとまた怪奇だろう。気にせず授業とは無関係の教科書のコラムを読んでいると、先生の声が聞こえないことに気がついてふと顔を上げる。タイミングよく振り返った理科の先生の顔が蛙に変わっていて、さすがに悲鳴を上げてしまった。


「ゲコゲコ、ゲコーッ、テスト。テストテスト」

「す、すみません」


周りの生徒は全く意に介さず授業を受けている様子から、蛙に見えているのは自分だけだと察して何とか謝罪の言葉を口にする。元の言葉が分からないが、きっとテストの話をしていたのだろう。今回はちゃんと起きていたのに、全くひどい仕業だと思った。結局その授業中はゲコゲコとしか聞こえなくて板書をするしかできなかった。

それから十一月までは、学校にいる間の怪奇との接触が普段よりも多くなった。

この学校にいる怪奇のほとんどは、ここで空しく命を落とした者の憎念であったことを思い出す。それから、怪奇と接触した時には手を合わせて心を静かにするようにし始めると、普段と同じくらいの接触頻度に下がった。

日を経るにつれて、陽菜乃は徐々に精神が削られていくような心地がした。


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