だるまさん
「そこのおにーちゃんおねーちゃんたち、ボクと遊んでくれる?」
高い子どものような声に皆が振り返る。視線の先には短い髪の、小さな背丈の子どもがいた。三階の踊り場から、陽菜乃たちを見下ろすように立っている。
一瞬、この校舎に子どもが紛れ込んだのかと勘違いしそうになった。しかしその子どもには影がなかった。ここからでは暗くて表情が読み取れず、真一文字に引き結ぶ口元だけが見えた。
それきりこちらの言葉を待つように暗い目でじっと見つめられる。なぜかいつまでも静かで同好会のメンバーの息遣いさえも聞こえてこなかった。視線を戻すと四人の身体が固まっていて、まるで時間が止まったような錯覚を覚えた。陽菜乃の鼓動だけがうるさく体から聞こえてくる。
「キミに聞いてるんだよ、おねーちゃん」
はっとして小さい背丈を見上げる。喉が震えて上手く声が出ない。何度か母音を発音して、絞り出すように声を出す。言葉は意に反して肯定を唱えた。頭の中は変わらず自由で、思考を巡らせて混乱していると子どもの霊は陽菜乃の反応に無邪気に喜んだ。途端、身体が脱力して周りの時間が動き出した。越谷は不思議そうに子どもを見つめ、帆夏と間芝は何をして遊ぶかと霊に向かって喋りかけていた。
「ボクね、ここから動けないんだ。だからだるまさんが転んだとかどうかな」
「それなら問題なく楽しめそうだな」
「だね。じゃあキミがだるま役がいいかな。名前、何ていうの?」
「なまえ……ボクはチカゲだよ」
「じゃあちかげ!ちょっと短いけど二階から踊り場までの距離でやろうか」
霊である彼と視えないはずのみんなが当たり前のように会話をしていた。何が起こっているのかと警戒して、陽菜乃は越谷と目配せをする。越谷も同じように困惑していた。なぜか適応する三人の臨機応変さに呆れつつも彼らに合わせて横一列に並ぶ。
男か女か分からない子供特有の声でお決まりのセリフがゆったりと流れる。間芝は二段飛ばしでチカゲに近づいていった。間芝の手がチカゲに触れる一段前に振り向いた。運動神経の良い彼はすっと屈んで身を小さくした。それに気がついたチカゲは屈託なく笑った。慎重に動く陽菜乃たちと比べて突進する間芝の対比が面白かったのか、しばらく笑った後に背を向けた。一回目は間芝の勝ちかなと思っていると、再度始まったセリフ中に背中をタッチした間芝の動きが鈍くなった。
「だーるまさんは笑った」
チカゲは急に早口で言い終わって、ゆっくり振り向いた。口元には薄い笑みが張り付いていて、くすくすと笑う声が階段中に響いていた。間芝はチカゲの横で倒れていた。何をしたのかと声を上げる前に、チカゲが呟いた。「彼、眠くなっちゃったのかなぁ。ふふっ、おやすみ」チカゲは間芝のことなど意に介さずに再度ゲームを再開した。今度はゆったりと間延びした言い方をしていたけれど、その場から動ける人は誰もいなかった。
「さーーんが、とーーらーわーーれーーたっ」
楽しそうに背後を振り返って、チカゲは文句を漏らした。ちゃんと動いてよーと駄々を捏ねられて、心の中で苦笑した。可愛らしい側面はあるが、どこか気を抜けない相手だと思った。チカゲが背を向けた瞬間に一つ段を上がる。そこで影の向きがおかしくなっていることに気がついた。光の入ってくる窓の位置に対して影は窓側、陽菜乃の見える位置にあった。後ろを振り返ってみると、帆夏と藤森は普通の影なのに対して越谷もまた前に影があった。チカゲはまだゆっくりと喋っていたからもう一段だけ上がる。
「だーるまーーーーさーーんはーかーえーーった」
奇妙なリズムで言い終わってチカゲが振り向く。帆夏と陽菜乃が同じ段にいて、その一段後ろに越谷と藤森がいた。踊り場までの距離はあと五段だった。チカゲは寂しそうな顔をして、何かを言いかけた。陽菜乃の方を見てから、前を向いた。
「だーるーまーさーんが……死んだ」
先ほどよりもテンポが速く一段だけ上がって様子を見ていると、足元から冷気を感じた。チカゲは振り向かなかった。訳が分からないまま、鼓動が早くなる。冷や汗に耐えていると、左端にいた帆夏の体が傾いて、後ろにいた藤森が彼女の体を支えた。謎の静寂に視線だけを動かすと、窓から見える景色が変わっていた。真っ暗な空の右上から、赤い月がこちらを覗き込むように一部分だけが映っていた。目の前にいたチカゲはうっすらと消えかかっていた。そして、今更ながらに結界を感じなかったことに気がつく。
「ありがとう、ほんの少しだったけど楽しかったよ。また会えるかな」
チカゲはそこで言葉を区切って、それじゃあ何の意味もないかとか細い声で呟いたのが聞こえた。ふっと意識が遠のいて目を瞑る。その前には、もうチカゲはいなかった。
「天久、大丈夫か。無事か」
身体を揺り動かされて目が覚める。一階の踊り場の窓から差し込む夕日のオレンジの光に目を細めた。どうしてここにいるのか分からず、寝ていたのかと起こしてくれた越谷に訊ねたがどうも記憶がはっきりしないらしい。誰かと遊んでいたような気もするけれど、夢だったのかあまり思い出せない。辺りを見回して、他のメンバーも揃っていることに安堵した。陽菜乃はぼんやりした頭で階段へ近づく。なんとなく確認すべきだと思って、二階まで上がった後に三階へ続く階段を上る。右手にずっとつけているお守りは反応せず、身体の異変や結界の跡は感じられなかった。後をついてきた越谷に何をしているのかと訊かれて、前に感じたはずの結界がなくなっていることを話した。言われてみれば階段に蔓延る雰囲気が変わっていると感じたらしく、何かの拍子で除霊されたのかと思うことにした。
一階に降りるといつも点滅している蛍光灯が緑色に点滅していた。点滅で暗色が緑に見えるのではなく、しっかりと緑色の光が点滅を繰り返していた。絶対何かあると肌で感じたけれど、今日はもう疲れていた。陽菜乃は帰りたかったが、日頃の活動の成果か間芝と藤森がタイルの一部が違うことに気がついた。コインが淵に挟まっていたらしく、間芝は越谷に十円玉らしきコインを預けた。何気なくそのコインを裏返すと、何かが彫られた形跡があった。夕方の旧校舎は少し暗く、スマホの光を当てて手で確かめると、5077と彫られていた。数字を読み上げる越谷に皆が首を傾げる。
「そのコインに五千円の価値があるとか?」
「さすがにないんじゃない」
「前に見たコンパスの画像にあった数字って何でしたっけ」
「あっ確かそんな感じの数字だった気もする!」
元の紙は怪奇調査同好会の教室に置いてあるが、一度写真に撮ってあった陽菜乃のスマホから元画像を探すと、同じ数字だった。ということはそのコインの挟まっていた近くに何かがあるのかもしれない。帆夏が一番階段に近いタイルをつま先で蹴っていくと、他と比べて響き方が違う場所があった。階段と隣接するタイルの隣の左にある四角の場所は、よく見ると壁と垂直にぶつかる部分が少し開いていた。隠し扉っぽさがあって、間芝は怖いもの知らずに壁側の淵を触りまくる。すると、手が入る部分が見つかって反射で押し開けようとした。途端、どこかで何かが壊れたような重たい音が外で聞こえた気がした。
「今のって開けようとしたのと別だよね?」
「たぶん。もっかい持ってみて」
冷や汗をかく間芝に帆夏が後押しをした。もう一度手をかけると、救急車と消防車のワントーン高い警告音のような音が旧校舎中に鳴り響いた。どっと心臓がうるさくなって手を離して立って離れる。間芝がその場から離れても警告音は鳴り響いていてものすごく喧しかった。耳を塞いで、とにかくこの場から離れようと急かして昇降口で靴を履き替え、旧校舎を出た。その後は音が聞こえなくなったと思ったけれど、耳の奥に音がこびりついていて鳴っているのか鳴っていないのかの判別がつきづらかった。
「怖すぎ……なんか今日色々あったね」
「だなー、さすがに音は心臓に悪いわ」
蒸し暑い気温は興奮の熱を冷ましてはくれなかった。今日ばかりは疲れた顔を見合わせながら各々で帰途を辿った。
和来高校の秋のイベントは少なく、一日にわたった体育祭のみが開催される。授業がないのは嬉しいが陽菜乃は団体競技が苦手だった。運動自体は好きだけどみんなで協力して競技をする時の仲間意識や同調圧力みたいなものにストレスを感じるタイプだった。当日は適当な理由をつけてサボる予定だったけれど、とりあえず所属していたテニスのシングルスに帆夏も出る予定だったらしい。前日の顔合わせだけ出ておこうと思っていたが他学年に顔見知りが見えた瞬間その場を立ち去ろうとした。しかし先読みされていた学級委員の女子生徒に肩を掴まれて微笑まれ、仕方なくトーナメントを組むところまで待機した。その後は練習をしたい人が集まって簡単な試合をしたりクラスごとに練習をする時間となっていた。何人かは練習せずに抜けていき、陽菜乃もその流れに合わせて出て行こうとしたら誰かに腕を掴まれた。振り向くまでもなく、テンションの高い帆夏だった。
「や~偶然だね!明日頑張ろうね!」
「えぇと……明日は急用があって出れないんですよね……」
「じゃあなんでいるの?まさかサボる気?」
何とか言い訳を探したが彼女を相手に欺くことはできず、明日絶対来るんだよと念を押され、チャットでも一方的に楽しみにされて行かざるを得なくなってしまった。
体育祭当日、陽菜乃は学校にだけ来て保健室でスマホをいじっていた。できるだけ人に迷惑をかけない種目を選んでいたためそれほど罪悪感は感じず、開会式後に脱水症状かもしれないと嘘をついて校内で涼んでいた。定期的に水分を取りつつ窓から頑張る生徒たちを眺めていると、ノックの後に誰かが保健室へ入ってきた。陽菜乃は光の速さでスマホをバッグの中にしまってベッドに寝そべる。カーテンの向こう側で作業をする物音が聞こえた。足音は遠ざかるかと思いきや、こちら側へ向かってきた。「天久さん、開けてもいいですか」何度か聞き覚えのある声に身体を固くする。カーテンを開けたのは藤森だった。
「藤森さん。なんでいるんですか」
「救護係も請け負っててね、ついでに様子を見てきてって先生に頼まれて。これからテニス始まるみたいだけど、出られそう?」
「まだ身体がふらふらします」
「天久さん、嘘はいけないよ。ほら、学校来たんだからせっかくだし行ってきなよ」
「なんで嘘だって言うんですか、失礼ですよ」
藤森は陽菜乃の顔を覗き込んだきり腕を引っ張って保健室から引きずり出した。彼曰く、陽菜乃は真顔で少しだけ視線をずらして嘘を言う癖があるという。ほんの少しの期間しか活動をしていないのにすっかり見破られていた。初戦のタイミングで外へ出て陽の光を浴びる。クラスメートに心配されながら出場し、陽菜乃は二勝した後に敗退した。後から知ったが、帆夏は三位で入賞したらしい。間芝はリレー選手として出ていたらしく、リレーでは彼らの組が一位だった。体育祭が終わってチャットを見ると、ひっそりと欠場をしていたらしい越谷のメッセージに、自分も家から出なかったら良かったと後悔半分、運動してすっきりした気持ちもあった。
体育祭が終わると中間テストが近づいてくる。怪奇調査同好会の活動はテスト前も何度か談笑したきりで具体的な活動は進んでいなかった。活動帰りに階段を降りる時に、前に間芝が触れたタイルが目に入った。あれきり手を触れずに話題にも上がらなくなったが、残されたメッセージらしき数字との一致があったためほんの少し気がかりに思っていた。陽菜乃は昇降口で靴を履き替えながらみんなに聞こえるくらいの音量で呟いた。
「前に音が鳴った床の部分あったじゃないですか。あれ、結局何だったんですかね」
「なんだろうなあ」
「でもあんなうるさく音が鳴るんだから試すにしてもここで部活やってる人に迷惑じゃない?」
帆夏の冷静な指摘に分かってはいたけれど項垂れる。放課後は旧校舎に関わらず学校にいる人に気づかれてしまうし夜に行っても騒音が学校から聞こえてきたら処分を余儀なくされる可能性もある。興味が遠ざかるのも無理はなかった。そういえば、と間芝があの日の翌日にあった会話を思い出した。
「確か眠ってて起きた時の時間が六時前だったんだよな。その時間辺りに旧校舎にいた漫研の友達がいたらしいんだけど、なんも音聞こえなかったって言ってた」
「だいぶうるさかったけど聞こえなかったっていうのか」
「らしいっす。もしかしたら聞こえる人間は限られるのかもしれない」
「それを早く言いなさいよ!」
「今の今まで忘れてたんだもん~怒んなよ」
その翌々日の放課後は漫研以外に活動している部活はなかった。最近色んな部活動が旧校舎以外で活動しているらしく、そろそろ取り壊されてもおかしくないと噂されていた。怪奇調査同好会の教室から活動初期に見つけたコンパスらしきヒントが書かれた紙を持って一階の階段前で集まる。
誰も床の取っ手に触りたがらず、結局折れた越谷が深呼吸をして取っ手らしき凹みに指をかけた。うるさくなることを予期して耳を塞いでいたことでその後の騒音にも対応できた。その場所が開けられることに気づいて、越谷は勢いよく重い取っ手を上に持ち上げて開けた。するとさっきまでうるさかった警告音は鳴り止んだ。空いた床の穴を覗き込むと人一人が通れるくらいの階段が続いていた。越谷を先頭に、小声で小競り合いをしながら地下へ進んでいく。最後に階段を下りていく藤森は上のタイルを元に戻すかと下に向かって問いかけた。何かあったら危ないから開けとけと上に伝言をして、一人ずつ地下に降り立った。階段の先のドアを開けてさらに階段を降りたところに広い部屋があった。ドアを開けた時にセンサーが働いたのか、白い電気が部屋全体を照らしていた。
十畳はある広さに棚が二つ置いてあって、古そうな紙やら書類が置かれていた。紺色の背表紙の本を取ろうとすると、隙間に挟まっていた紙が滑り落ちてきた。枠の多い表に目を凝らすと日付と名簿が書かれていた。西暦は古くもので五十年前と、だいぶ前を指していた。
「これ、旧校舎の建築全容ってなってる。地下室込みで作られたらしいよ」
「でもこれ知らないよね」
隣の棚を漁っていた藤森は旧校舎の建築記録に関する資料を読んでいた。ページを読み進めると意味不明な記述が出てきた。学校無関係者の大人の名前や精霊というワードが出てきて、留意事項は五頁にもわたって載っていた。その中に生徒への周知は避けるようにという項目があった。墓地についてや死者の対応も詳細に書かれており、その説明文の中に行方不明という言葉が頻出していた。
「そっか、生贄に生徒差し出してたらその後の処分って学校がするのか」
「そういうこと⁉こわっ」
「てか行方不明扱いにするのは警察でしょ?もしかして繋がってるわけ?」
「いっそ全部怪奇現象であってほしかったんだけど」
調べれば調べるほど御子の言っていた話が現実味を帯びてくる。初代校長の経歴も出てきて、神主の家系で霊能者であることも明記されていた。昔の日記らしきものもあったけれど、経年劣化で文字は読めなくなっていた。
この地下室は秘匿の資料室で、生徒をはじめとして外に漏れてはならない怪奇やレッドムーンとの関わりのある重要資料のみが集められた場所であることが分かった。
「一つ言えるとしたら、この学校へ来ては行けなかったんだ、俺たちのような者は」という兄の言葉が越谷の脳内で反芻された。
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