エピソード29

「お大事にね」


昂の声が聞こえた気がした。

ガンガンと、頭の奥から痛みが襲ってくる。


――まだ、熱中症の症状が治まっていないのか。


俺はそのままソファに身体を投げ出していた。

瞼を閉じると、視界の奥へ奥へと沈んでいくような感覚に襲われる。

身体がふわりと浮いているような……とても不思議な感覚だった。


「伊禮。これって……どう思う?」


ああ――俺、一瞬寝落ちしていたらしい。


気がつくと、目の前には了がいた。

心配そうな顔で、俺を覗き込んでいる。


俺たちは連日の激務で、まともに睡眠も取れていなかった。

いや、睡眠だけじゃない。人間らしい生活そのものから、遠ざかっていた。

日々に追われるうちに、感覚が麻痺していた。


もちろん、それは久遠了も同じだった。

元々細身だった身体はさらにやつれ、顔色は人間味を感じさせないほど青白い。


それでも――大きな瞳だけは、ギラギラと輝いていた。


「ねぇ、伊禮ってば。聞いてるの?」


隣でパソコンを操作していた了が、俺の耳元で声をかけながら身体を揺さぶってくる。

その揺さぶりさえ、心地よく眠りに誘うように感じた。


「これ、すごいよ! このシステム――REM-Sign!!」


「れ……む……?」


「そうだよ、伊禮。俺らのプロットで、ほぼ完成に近いところまで来たんだ!」


「なに……了、なんでそんなに興奮してるんだ?」


頭の中に、靄がかかったような光景が浮かび上がる。

了は顔を紅潮させ、まるで子どものように興奮していた。


俺は……知っていたのか? 「REM-Sign」を。


「これはね、伊禮……伊禮? 聞いてる?」


「……」


――俺は知ってる。


そう、確かに“感じた”その瞬間――


ドンッ!!!


盛大な音を立てて、ソファから転げ落ちていた。


音に驚いたシロが、すぐに駆けつけてくる。


「いでぇ……」


腰を打ちつけたらしく、鈍い痛みが走った。

シロが心配そうに顔を見上げてくる。


「大丈夫だよ、シロ。お前の飼い主に会ったよ……」


シロの頭をそっと撫でる。


――かなりリアルだった。


あのときの了の表情は、確かに見覚えがあった。

俺は本当に、覚えていないのか?


あれは夢なのか、それとも記憶なのか。


……もし記憶なら、俺はこのシステムの“意味”を理解しているはずだ。


「REM-Sign(残留符)」


そのワードが、頭の奥でこだまする。

俺は頭を掻きながら、思いを巡らせた。


――燃え尽きる前に、灯を移せば、生き延びる――


浪曲か落語だったか。誰かがそう語っていた。


「人の記憶は、耳に残る」って――。


映像じゃない。

語りの“間”とか、抑揚とか。

そんな曖昧で、なのに決して消えないもの。


俺が見たあの夢も、記憶も――

きっと、了の声がどこかに残っていた。


残留して、符号になったんだ。


REM-Sign(残留符)。


そう呼ぶに、ふさわしい。


……そうか。


もしかしたら――試してみる価値があるかもしれない。

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