エピソード19
*
自宅の鍵は、いつも掛けずに出かけている。
シロが番犬をしているはず――そう信じていた。
けれど、今日は妙だった。
俺の足音が聞こえれば、「待ってました!」と駆け寄ってくるはずのシロの姿がない。
……?
シロが勝手に外に出ることは、今まで一度もなかった。
わずかな違和感を覚えながら、店舗から自室へ向かう。
ソファの端から、長い足がだらしなくはみ出していた。
――まさか。
「おい、何してるんだ」
ソファの背を軽く蹴る。
そこには、シロを抱いたまま眠りこけている虎時の姿があった。
眉間には皺、顔色も悪い。けっこう強めに蹴ったつもりだったが、まるで反応がない。
シロも、安心しきっているのか。彼の腕の中でピクピクと脚を動かしていた。
……疲れてんのか。警察ってのも、楽じゃないんだな。
特に話すこともないし、まあいいか。
俺は棒付きキャンディーをくわえながら、パソコンの前に座り、キーボードに指を這わせた。
「……いいもん、食べてるな」
突然、口元からキャンディーが抜き取られる。
「おい、起きたのかよ」
その飴を、虎時が迷いなく咥えた。
「お前って潔癖症じゃなかったっけ? 人が舐めた飴なんか、よく平気だな」
「ははは。本当だな。でも、不思議と気持ち悪くない」
「いや、俺のほうが気持ち悪いわ」
「……なんか、不思議な味がする気がする」
「いや、普通の苺味のはずだが……」
(――気のせいであってほしいが)
――こいつって……やっぱ、分からん。
「で? 忙しい警察官が、またこんなとこで油売ってていいのかよ」
「うーん。別に、遊びに来てるわけじゃないんだよ、これが」
「さっきまで爆睡してた奴のセリフじゃねえな」
「はは、確かに」
「で、なんの用だよ」
「実はな……」
虎時は、最近この辺りで頻発している自動車事故の調査をしているらしい。
それらは運転中、突如として電気回路が異常をきたし、制御不能になる現象が共通していた。
全国的に散発的には起きているものの、この周辺だけは異常な頻度で多発しているという。
「もしかすると、何かの磁場が関係しているか、あるいは――」
虎時は言いよどんだ。
……このあいだの、ガラケーの写真、あの異常ラジオの件。
目の前で起きたあの“現象”が、彼を少しだけ迷わせているのかもしれない。
けれど、彼の目は全部を信じているようにも見えなかった。
「で? 俺に何の用だよ」
「お前の見解を聞きたくてな。……伊禮、お前なら、何か思い当たることがあるんじゃないかと思って」
俺はギロリと睨む。
「まさか、それだけで来たのか?」
「いやいや……まぁ、実はそうなんだよ」
苦笑いを浮かべながら、虎時は言葉を濁した。
そこへ、ピコンとガラケーの着信音が鳴った。
画面には「メール受信:1件」と表示されている。
開くと、本文はまたしても“空白”。送り主は――NO.9。
……おかしい。
前回、俺が送ったメッセージもNO.9で表示されていた。
送信も受信も、すべてNO.9。意味がわからなかった。
「何か送られてきたのか?」
「……いや。ただのイタズラだろ」
確信のないことは、口にしたくなかった。虎時も、それ以上は詮索してこなかった。
「俺、しばらくこの辺りの捜査の担当になった。だから、ちょくちょく寄らせてもらうよ」
「はぁ、別に俺はいつも暇しているわけじゃないんだが」
俺の言葉を無視して、シロを抱き上げている虎時。
「シロは飼い主に似ずにいい子だな」
「……てか、なんでお前にそんななついてんだよ」
「ああ、それはな。前に犬用のおやつやったら、すごい勢いで懐いちゃってな」
「……食べ物かよ」
「でもな、不思議なんだ。この子、夢で見たことがある気がするんだよ。真っ白な犬が、俺の前に立ってて――守ってくれてるような、そんな夢だった」
「……気味悪いって」
シロは俺には見せないような穏やかな目で、虎時の膝にすり寄っている。
まるで最初から、彼を知っていたみたいだった。
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