エピソード16

俺が問いかけると、芹沢は頷き、小さく息を吐いた。

「最初は深夜だけ、ラジオが勝手に鳴り出していたんです。ですが、修理に出してからは、今度はテレビやスマートスピーカーまで勝手に起動するようになって……」

芹沢の声は震えていた。無理もない。

「音だけでなく、光も勝手に点いたり消えたりします。特に、決まって深夜――二十三時半を過ぎたころから……」


虎時がちらと腕時計を見やる。

「……今、二十三時半か。」


「妻が怒ってるのかな、なんて。はは……冗談ですよ。自分でもどうかしてると思います。」

芹沢の顔には疲労が色濃く滲んでいた。精神的にも追い詰められているのは明らかだった。


部屋を見回す。古い家電は例のラジオだけで、他はすべて最新型。

バグや故障の類ではなさそうだ。

それに――この家に入ったときから感じていた、静電気のような異様な磁場。


――カタン。

奥のキッチンから音がした。

虎時が即座に立ち上がり、俺と視線を交わす。芹沢は肩をすくめ、申し訳なさそうに首を横に振った。


「今の音、心当たりは?」

「……いえ。誰もいないはずです。」


俺と虎時は並んでキッチンへと向かった。

室内は整っており、生活感すら薄い。だが――


コーヒーメーカーから、受け止めるはずのカップがないままコーヒーが流れ出し、床にこぼれていた。

俺が手を伸ばそうとした瞬間、


ブシュゥッ――!


蒸気が一斉に噴き出した。

「危ない!」

虎時が俺の腕を引っ張り、身体ごと引き寄せる。


コトン……。


不意に、部屋の照明が落ちた。乾いた音とともに、辺りは闇に包まれる。

「停電か?」虎時が低く呟く。


俺たちは慌ててリビングに戻り、窓から外を覗いた。

だが、街灯も隣家の灯りもいつも通り灯っている。

「……違う。停電じゃない。」


声に出した瞬間、背中を薄い悪寒が這い上がった。


再び部屋に入る。

カーテンは閉じられているが、それだけでは説明できない――この闇は、どこか湿っている。

空気が重い。押し黙った何かが、肌にまとわりつく。


――カタ・カタ・カタ……。


スピーカーが微かに震えだす。

「おい、何が起きてるんだ!」

「聞きたいのはこっちだ!」

虎時が苛立ちをあらわにする。


「とにかく、光を――」

そう言って、彼が壁づたいに手探りでスイッチを探そうとする。

だが、その手を俺はとっさに止めた。


「……待って。」


そう呟いて、俺はポケットからガラケーを取り出し、ライトを点けた。


そのとき――ガラケーの光が、何かを捉えた。


光の端に、ぼんやりとした――白い影。


霧か? いや、違う。

それは、**白くて長い、“身体”**だった。くねり、滑るようにこちらへと這ってくる。


―――蛇


いや、蛇のように見える“何か”。

「虎時、ライトつけろ!」


俺の声に反応して、虎時が即座にスマホのライトを点けた。

だが、彼の光には――何も映らない。


「……見えない。おい、何を見てんだよ、伊禮!」

虎時の声が震える。俺にははっきりと見えていた。


白く巨大なそれは、蹲る芹沢に向かって、まるで愛おしむように身体を重ねていく。


まさか――このガラケーに反応してるのか?

残された“ピース”……その発動なのか。


「こっちを向け!」俺は叫んだ。


蛇のようなそれが、ゆっくりとこちらを振り返った。

瞬間、俺はシャッターを切る。


カシャン。


その音とともに、空間がぐわんと歪んだ。

まるで部屋全体が液体の中に沈んでいくように、壁も床も波打ち、現実が融解していく。


俺のガラケーの画面に、3Dの符号が浮かび上がった。

それは、薄く透けるような赤――衣のような何かが、空間の中央で静かに回転していた。

恐怖はなかった。


俺は、そっとその符号に触れた。


柔らかい、温かい。まるで花の中に手を差し込むような感触。


――その瞬間――


符号がはらはらと散りはじめた。

まるで花びらが風に舞うように、静かに、優しく。


そして、その花びらの一片一片に“映像”が浮かんでいた。


芹沢隼人、加奈、そしてもう一人――里緒菜。


三人が笑い合っている。

加奈と里緒菜は、職場の同僚だった。姉妹のように仲がよく、芹沢も含めて、時に食卓を囲む家族のような関係だった。


次の映像――結婚式

加奈の隣で、里緒菜が涙ぐみながらブーケを受け取る。


――――


「……仕方ないな。でも今回だけだよ」

「どうしたの?」

「また、隼人が飲みすぎて、迎えに来てって。ほんと、最近だらしないんだから」

「まぁまぁ……私も一緒に行くから」


――――ギギギギギギーーーーガッシャン!!!


画面が一瞬揺れ、サイレンと無線が響く。

「……負傷者2名、意識不明……至急、応援をお願いします」


映像が終わる。


芹沢は声を上げ、崩れ落ちた。

「……そんな……そんなわけない……!」


彼の膝元には、何かが落ちていた。

新聞の切れ端――それは風か、霊の作用か、どこからともなく舞い降りたようだった。


「市内の県道で車両が電柱に激突――乗っていた2名の女性、いずれも死亡確認」

そこには、加奈と里緒菜の名前が小さく記されていた。


「俺は……なにを……」

芹沢は、涙を流しながら呟いた。

「本当は気づいていた。ずっと、どこかで。でも……怖くて、受け入れられなかった」


虎時が動けずにいるなか、俺のガラケーに、小さな受信通知が点滅していた。

画面には、作成途中のメール。


宛先は空欄。

それでも――送信を押すしかないと思った。


ぴこん。


「ありがとう」


透き通った優しい声が、どこからともなく届いた。

まるで、彼女たちがようやく解放されたことを――静かに告げるように。

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