エピソード15
「待たせたな。」
俺の声に、スマホの画面を食い入るように見ていた虎時が顔を上げた。
街灯の下、彼の姿がモノクロームの輪郭のように浮かび上がっていた。
長身でありながらも引き締まった身体に、モノトーンの服がよく似合う。
立っているだけで絵になるが、誰も彼が警察官だとは思わないだろう。
「……私は、時間ってのは“守るためにある”もんだと思ってるんだが。」
睨みつけながら、虎時が吐き捨てるように言った。
「すまん、すまん。ははは。」
笑ってごまかす。
――何年経っても、俺の時間感覚はズレたままだ。
「どれくらい待ったか、分かってるのか?」
――待ち合わせ時間を一時間も過ぎていた。
依頼者との打ち合わせの前に、先に話を詰めようと持ちかけたのは俺のほうだった。
街のざわめきは、日中とは違う色をまとっている。
外に出て、人と待ち合わせをするなんて、いつ以来だろう。
通勤電車で「働けど働けど我が暮らしは……」なんてぼやいていた頃を、ふと思い出した。
俺の到着を今か今かと待ちわびていた虎時の愚痴は、まだ途切れない。
ビルのガラスに映るネオンの残光が、地面をうっすらと照らしていた。
ほどなくして、一台の車が俺たちの前に停まる。
短く挨拶を交わし、乗り込む。
依頼主――芹沢隼人の自宅へ向かうためだ。
夜の街を、車が滑るように進んでいく。
コンビニの白い光、赤く滲んだ信号、ファミレスの灯。
人の手で作られた光に、また人が群がっている。
――美しいな。
車内での会話はなく、無言のまま住宅街へと入っていった。
目を細めると、星ひとつない夜空が黒一色で広がっている。
やがて車が停まり、目的地に到着した。
芹沢は一人暮らしと聞いていたから、灯りのない玄関先は不自然ではない。
だが、それ以上に――この暗がりがやけに薄気味悪い。
「どうぞ。」
そう促されて自宅へ足を踏み入れた瞬間、ビリビリとした感覚が皮膚を刺した。
――静電気か?
隣にいた虎時も同じように腕を擦っている。
部屋の中は驚くほど整っていた。
まるでモデルルームのような清潔感。
男の一人暮らしとは思えないほどだ。
「お前の部屋とは大違いだな。」
虎時が肘で俺をつつく。
「うるさい。俺は“自分の導線”に合わせて機能的に配置してるだけだ。」
先ほどの遅刻を、まだ根に持っているらしい。
「ふっ……細けぇ男だな、ほんと。」
小さくつぶやいたつもりだったが、耳ざとく拾われ、虎時が目を吊り上げる。
「はいはい。すみませんね。」
軽く頭を下げると、芹沢が客間のソファを指した。
「どうぞ。」
アンティーク調のカップに入ったコーヒーが出された。
「とてもいい趣味ですね。」
虎時がそう言うと、芹沢の表情がわずかに翳る。
「はは……それは、亡くなった妻の趣味なんですよ。」
その一言に、俺は無意識に頭をかいた。
――聞かなくていい話だったかもしれない。
一瞬の空気の揺らぎを感じながら、芹沢が話し始めるのを待った。
少しの沈黙ののち、芹沢は静かに口を開いた。
「妻が亡くなって、もう一年以上経ちます。そのことは、この間お話しましたよね。」
「はい。」と相槌を打つ。
「修理していただいたラジオが鳴るようになってから、他の家電までおかしくなったんです。日を追うごとに音が強くなって……もう、どうしたらいいのか分からなくて。ラジオが直れば、この現象も収まると思っていたんですが……。」
どこか歯切れの悪い口ぶりだった。
なにかを隠しているのか、それとも――。
芹沢の指先が、わずかに震えていた。
「と、いいますと……?」
俺はできるだけ柔らかい口調で問い返した。
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